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家次さんと、  作者: 斗彫
7/9

空気入れ。

本当にすみませんでした。来月が4月です。今は3月です。

今月は30日が月末だと思ってたんです。多分地球の気まぐれに巻き込まれました。厄介ですね。

ほとんど会話文になります、苦手な方は重ねてもうしわけありません。

特になにもありません。


長く続いた梅雨が明け出して数日、空にはぽこぽこと大小様々な羊雲が浮かんでいる。それでも日増しに強くなってくる日差しに、そろそろもう衣替えの時期になった頃だった。


「・・・・・あ、・・・・ただいまー家次さーん!」

「ぁあ゛?・・・・・おぉ、なんや、稔か・・・・。おかえりぃ~。」


いつも通りに裏庭という名の森を抜けた稔を出迎えたのは、地面の上に置かれたバケツの前、訝し気な表情で一人佇んでいた家次だった。


「口悪いし顔が怖いよー。家次さん何か機嫌悪い?それともいつも通り??」

「今確実にお前の方が口悪いやろクソガキが。・・・・はよ荷物置いて来い。」

「分かったー。お邪魔しまぁーす。」


少しばかり小走りにも暴言を吐きつつ横を通り過ぎる稔に、逃がさないとばかりに家次の厳しい視線が突き刺さる。一般人が見れば思わず息を飲んでしまうだろう程の眼力の強さだが、そこは慣れてしまった稔だ、家次が本気で怒っていないこと位声色1つで分かってしまう。顔が怖いのはいつもの事として、それより家次自身、何か思うことがあるようで、稔にお小言を言うよりも先に、荷を下ろし戻ってくるようにと家への入場許可と、そしてことを先に進めることを優先したようだ。普段であれば口よりも先に手が飛んでくるような男だが、その視線は最初の一瞥こそ稔に向けられてはいたが、今はまた直ぐ横に置かれたバケツに向けられたまま固まっている。稔の見た限りではいつもと同じ、至って普通のバケツに見えるが、どうやら家次にとってはそこになにか問題ごとが含まれているらしい。またどうせくだらない事なのだろうが、こう、のめり込んだ家次というものは、納得がいくまでその事に執着をするきらいがある。しかもこれが一人でのめり込んでくれるのであれば問題ないのだが、他者を巻き込んで解決策を探す癖があるのだ、これは早めに解決をしないと、稔の時間の無駄な浪費に繋がりかねない。何といっても今日の宿題は少しばかり英語の書き取りと和訳の範囲が多いのだ、有意義な勉強時間を無駄に消費するわけにはいかない。稔は急ぎ玄関先に荷物を置いて、靴箱から自分用のサンダルを取り出して庭先へと並べると、とりあえず手を洗いに奥の洗面台へと向かう。どれだけ急いでいようとも、しっかりと手洗いうがいを忘れずに、これは家次との約束だ。逆に早くと急かされるままに庭に向かおうものならば、順番を守れと怒られてしまう。そうしてやっと一連の準備を終えて後、稔は縁側から置いておいたサンダルを履いて、せかせかと家次の下へと駆け寄った。


「お待たせ、家次さん!バケツ壊れちゃったの?って、・・・・水入ってるね。」

「お前ちゃんと手ぇ洗たか?早ないか??」

「早くしろって言ったの家次さんじゃん。手も綺麗だし、うがいもしたよ!」

「ほなったらえぇ。」

「もっとゆっくり用意しても良かったって事じゃん!僕宿題するよ!」

「わぁ~かった!悪かった。お前はホンッマにうるさいなぁ!・・・・・ちょっと気になる事あってなぁ・・・・・、なぁ、お前ちょっと見とってくれへんか?」

「見とく・・・・、あぁー、分かった!」


眉間の皺はそのままに、一文字眉の眉尻を下げてぶすくれた様子でそう言う家次に、稔は少しの間考えて、そしてその言葉を理解すると共に大きく声を出して首を縦に振った。晴れた庭先に家次と水入りのバケツ、これが指し示すところはこの場ではたった一つの答えしかない。稔も久しく見なかった情景に忘れていたが、今日家次は【地球と戦って】いたそうだ。


「ほな、やんぞ。・・・・・もうちょい離れろ、んで横から頼むわ。」

「はーい。・・・・いいよぉー!」

「おう。・・・・・いくぞー・・・・・ッしょ!」


脚を肩幅に開き少し腰を下ろして掛け声一つ、左手で持ち上げられたブリキのバケツは10号、おおよそ15Lの容量の物だ。その上少しだけ空けて、なみなみと水の注がれたバケツを片手に少し前後に二、三回揺らして、短く息を詰め少しの力みと共に、家次の腕が勢いをつけて、グンッ!としなる様にバケツを頭上へ持ち上げる。一回転、二回転・・・・、と遠心力を与えられたバケツが家次の肩を中心にして何度もぐるぐると回り続ける。その間水は一滴も零れる事は無く、寧ろ少し上空で速度を落としても尚水が落ちるよりも、家次が腕を振り回す力の方が大きいらしい。回転するバケツの中、その場に留まり続ける水の描く水面の波紋は、思ったよりも緩やかで、少し揺れてはいるものの、波らしいものは立っていない。そして十回を数え終え回転を止めた腕に、少しの余韻を残しながらもゆっくりと動きを止めていくバケツの水が、一際大きな波形を水面に映す。そしてガシャリ、と音を立てて初めと同じ場所にバケツが置かれる。そしてこの時間で初めての大きな衝撃だったのだろう、大量に描き出された波紋が互いにぶつかり合い、パシャリと幾重にも小さく音を立てながら、初めて水飛沫が地面に散った。


「・・・・・・こんな感じなんや。コレお前どう思う・・・・?」

「んー・・・・、なんだろ、こう・・・・・、なんか・・・・・、《重い》・・・・・??」

「やっぱりお前もそう思うか?やっぱり重いか・・・・、なんやろなぁ・・・・・、」


まだゆらゆらと僅かにも揺れ続ける水面を下に、バケツの前で腕組をして分からないと言いながら、眉間の皺をより深くして、家次は首を捻り押し黙る。家次が【地球との戦い】で負けることはそう多い訳では無いが、稔が最後に負けたのを見たのは、昨年冬のインフルエンザの完治から翌日だったと思われる。


「何か風邪ひいてるとか?筋トレしてなかったとか?」

「いんや、それは無いな。ダンベルは持っとったし、腕立てもしとった。」

「じゃ、あー・・・・・、アレ!懸垂とかは?何時もしてたじゃん!」

「イヤ、さっきやったんやけどな、あれもなんか重かったんや。」

「ストレッチとか、体操とかは?どっか筋痛めたとか?」

「筋違えてないし、伸びはいつもやっとる。何やろなぁ・・・・・、」


どうやら本人にとっては予想外の事態らしく、特に思い当たる事は無いらしい。なんでろう、あれでもない、これでもないと何度も首を捻っては、もごもごと何かを考えては否定しての姿から、どうやら本当に体調が悪いという訳では無いらしい。


「でも鈍ってる感じはあるんだよね。僕が見てもなんか遅い、ってか重そう?だし。」

「せやねん。別にバケツはいつも通りやしな、重無いんやけどなぁ。」

「本当?実はおっきいのに変えたの忘れてるとかは?僕も持ってみったい。」

「お前ホンマワシにはえらい口利くようなったな。・・・・・、おい、もちょい腰下ろせ、いわすぞ。」


軽く拳を握りながら、次言ったらこの拳が火を噴くぞ、と言わんばかりに稔を睨み付けるも、家次もその実稔には甘い。家次の傍により、横からバケツに手を伸ばす稔に、そのままでは危ないと場所を開けて直ぐに体勢の指導をする。


「足開いて、膝軽く曲げてもっと腰下ろせ。そんで腕は伸ばしたまま、両手で持て。」

「こう?もうちょい屈む感じ?」

「そんな屈んだら崩れる。そのまま背中で引き上げろ。腕伸ばしたまま、力入れんなよ。」

「ふっ!・・・・・・ッ、ちょ、っと・・・・、重・・・・・ッ!!」


背中に回った家次の手に少し支えられながら、腕を伸ばして何とか持ち上げたバケツの重さに、稔の身体がぶるぶると小刻みに震え出す。両腕で地面から持ち上げられた高さは精々15センチ程度。それでも腕に、全身に掛かる重さはバケツの持ち手一点に集約され、これ以上無暗に動こうというならば水が零れるぞと、パシャパシャと音を立てて水面に波を立てて稔の行動を制限する。負けないと腕を引けば体のどこに負荷がかかるか分からない、逆に手を離せば勿論水はバケツから溢れ出るだろうし、下手をすれば稔の重心諸共体を前に持っていかれて転んでしまうかもしれない。たった一つのバケツがと言えばそれまでだが、されどバケツの中を埋める水の容量は、常人が見て思うよりも、もっとずっと重いのだ。


「おっ、重・・・・ッ!?これッ!これどうし・・・・・!??」

「落ち着け阿呆が。ワシが添えてる手の位置分かるか?」

「背中ッ!!背中、か、腰くらい・・・・ッ!!??」

「せや。そこに力の中心置きながら膝曲げろ。重心下げて、体ごと真っ直ぐ落とせ。重心ブラすな、直ぐ下に地面ある。バケツ置く気になるなよ、そのまましてたら勝手にバケツの下が着く。」


無駄に力まず落ち着いて、腕の力は最低限に重心が安定する位置を確認して体の軸はそのまま、背中を丸めずにゆっくりと膝を曲げて体ごと降ろす。家次に言われるがまま、稔は今にもてから滑り落としそうになるバケツを両の手で引きながらゆっくりと膝を曲げた。他人から見てもそんなに高さがある訳では無い、それでも持ち上げた稔自身にとって、その体感は自身の思った以上の重さと、それに伴う高さを頭の中で勝手に連想させる。膝を下げてなお、未だ軽くならない手元に、地面まではまだまだ途方もない距離が開いているのかもしれない。それまで持ちこたえられるだろうか、そんな不安が頭の中で沸き上がってきた刹那、ふっ・・・・、と考えられない程に静かに、だが確実に前進に掛かっていた重さが嘘のように消え失せた。そしてそれと同時に背中から離れる大きな掌に、稔は無事に事を終えた事を理解すると同時に、その額にぶわりと、玉のような汗をいくつも浮かび上がらせた。


「おっ・・・・・、おっもいよ家次さん!!僕もうちょっとで腕千切れてたよ!!!」

「それはどう考えても大袈裟すぎるやろ、お前がヒョロイだけや。」

「イヤおかしいって!ってかアレいつも片手でもって振り回してたの!?なんで!!?」

「なんでって・・・・、いつも通り調子見とるだけやろ、お前今更何言っとんねん。」

「家次さんもういいよ!もう遅いとかじゃない!健康体だよ!こんな重たい物持ち上げて振り回してる時点で頭おかしいもん!!家次さん元気だって!!」

「お前今ワシのこと馬鹿にたな?いっぺん頭叩いたろか、ぁあ?」

「してないよ!純粋に褒めてるじゃん!こんなの普通の人間まず振り回さないよ!」

「ほーん・・・・・、ホンマか・・・・・。」


鼻息荒くプレッシャーから解放された勢いのまま言いたい放題の稔の頭に、軽く家次の掌が振り下ろされる。腕をしならせて勢い良く頭の上ギリギリを横に滑る様にして通り過ぎた掌は、確実に少年の頭頂部を掠め、スパァン!と、それはもう子気味の良い音を庭先という狭い空間中に響き渡らせた。


「ッ~~~~~いぃいったぁーーーーー!!!!」

「お前あんま調子のんなよ、次はワシも容赦せん、最初からグーや・・・・。」

「ヒドイぃ・・・・・僕凄いって褒めただけなのに・・・・・!」

「アレを誉め言葉にしたら世界が終わるわ。ワシがお前を止めったったんや、感謝せえ。」


うーうーとうめき声と共に非難する言葉を紡ぐ稔に、家次ぐっと眉を顰め、眼光鋭く己の真下にある少年の頭を見下ろして言った。人間には節度がある、親しき中にもって言うやろ、ワシが犠牲になってそれをお前に教えてやったのだと、何かを悟ったように一人言い切る家次に、稔は音に反して少しばかり痛む頭を己の手で摩りながら、それでも暴力は駄目だと唇を尖らせ不満の声を漏らした。


「まぁお遊びは此処までとしてもや、なんで急に持ち上げれんくなったかや。稔。」

「・・・・・ったいー・・・・・。もう十分持ち上がってるし動いてたから良いんじゃないかな?」

「お前もさっきまで遅い言うとったやろ、なんで鈍ってんねんやろな・・・・?」


云々と唸りながら首を捻る家次に、稔は痛む頭を自ら摩りながらも、件のバケツへと視線を落とす。水がなみなみと注がれたブリキのバケツはいつもと同じ形状に、計量していないから定かではないが、普段と同じだけの水が入れられた状態だ。遠心力を使っているとはいえ、これを普段通り振り回す家次も大概の馬鹿力だと言えるが、けれど稔の目から見てもどこか動きに切れが無く、動作全体に重たい印象を受けたのは確かだ。体調やメンタル面での不調が出ているのであれば、そもそも家次自身がバケツを振り回そうとするわけがない。それでは何が原因か、稔が来るまでに思い当たる節を潰していたのだろうが、自分でも分からなかったものを稔が見つけるというのも、それはそれで中々に難しいというものだ。何か少しでも思い当たるものがあればいいが、稔としても先程軽めの一発を食らったばかりだ、早々に軽口を叩けるわけではない。さあ一体どうしようか、とりあえずは既に試していたとしても地面を慣らすだったりと手あたり次第試すしかないか?と、そう結論付けたその時に、カタン、と玄関先のくぐり戸の鍵が軽い音を立てて開けられた。


「家つ・・・・、アンタら二人でバケツ覗いて何してんの?そんな狭いとこ見るんやったら上向きいな、世界狭なんで。」

「俺らの世界バケツの大きさしかないんかい。片足も入りきらんからこの世界狭いわ。」

「アンタちょっとくらい小さなってみ?可愛い時のアンタなら入るやろ。」

「俺が可愛えんは昔からやし、それに中々の男前や。収まりきらんな。」

「まったアンタは・・・・。ようそんなけ言えるなぁこの内弁慶が。そんなら外で言っといで。」

「なんで二人とも普通に会話してるの?なんでなの??」


戸から姿を現した細面の麗人は、此方の姿を見るや否や、挨拶するよりも先にどうやら現状を察したらしい。一つ息を吐いたかと思えば、最初から冗談を口にしながら、ざり、ざり、と少し摺り足に地面に草履の踵を擦らせながら稔たちの方へと歩み寄ってきた。そして姉弟ゆえのテンポの良い軽口の応酬に、数十と年下の稔はどうやっても口を挟むことは難しい。それでも思わず口を突いて出た言葉に、チカの視線がすい、と動き稔の顔を確認すると、口が動くのはそのままに、ゆるりと目尻を下げて小さく挨拶代わりの微笑みを浮かべていた。


「そんならアンタこれいらんなぁ。今日の店番、お母さんやって言っとったしなぁ。」

「店番?なんかあるんか?オカンの三十三回忌は先や、もしかしてオカン空気中に散ってんか。それは流石に俺には見えん!」

「アタシらのお母さん埃みたいに言わんといてくれる?コレ、お金。」

「金!!金はなんぼでも貰えるんなら貰うぞ!ありがとう姉やん!」

「ちゃうわ阿呆、アンタにやけどちゃうやろ。岩崎さんのとこに物入ったから、取りに行きって言うてんの。」

「いわざき・・・・、チャリ屋の爺さんとこか?」


途切れることのない言葉の応手に、それでも本題を除きみせるチカの言葉に、当の本人はどうやら忘れてしまっている様で、【商店街の自転車屋さん】の所までは何とか思い付いたようだが、そこから先がどうにも思いつかないらしい。あの爺さん?と呟き首を傾げ何かを思い出そうとする様子からして、【岩崎さん】という人は、家次にとって悪い印象は無いようだなと、傍から様子を伺っていた稔とは相対して、チカは呆れが抑えきれないとばかりに大きなため息を吐くと共に、ワンピースのポケットから取り出した五千円札を顔の前でひらひら振って言葉を続けた。


「二週間前に空気入れ過ぎてタイヤパンクさせたん何処の誰?」

「あ・・・・・・、ぁ・・・・・、ぁぁあああ!!!それやっ!それ!!姉やんそれやっ!!!」

「自転車の・・・・、家次さん自転車乗ってなかったの?!あんなに券毎日買いに行ってたのに!?」

「タイヤのチューブ破ってな、乗ってなかったんや・・・・そうかぁ~それで鈍っとったんか・・・・!これで解決や!!」

「やめてぇな稔、うちの子そんな認識されてんの、姉ちゃん悲しなるわ・・・・。」

「ぁ、い、や、そのっ・・・・悪い意味じゃなくてっ!家次さん自転車毎日乗ってたからっ!!」

「せやワシのせいやないぞ!もうチューブも古なっとったんや、これはしゃーないヤツや。」

「何がしゃーないや、年一でチューブわやにするアンタがおかしい。もう、ホンマに・・・・、」


頭を抱えるというのだろう、片手で額を支える様に手を添えてため息と共に目を伏せたチカに、稔は一体自分はどうやってフォローを入れるべきだろうかと、何か口にしようとしては墓穴を掘ってを繰り返す。その傍らでこの惨状を生み出した原因である家次は、何もかもに合点がいったと言わんばかりに喜色満面の笑みを浮かべながらパンッ!と子気味良く一つ手を打つと、言うが早いかその手の金を寄越せと、実の姉に対してそのままその手を真っ直ぐにチカの方へと差し出した。


「早よ金くれ姉やん!あとチャリンコも貸してくれ!!」

「・・・・何が悲しいて、普通こんなことあるかいな・・・・。タイヤも滑ってんねんやろ?タイヤとチューブのセット二つ、おまけしてくれて五千円。姉ちゃんムシゴムとかは知らんから、いるんやったら我がで買い。あと姉ちゃんのんも今パンク修理でお願いしてるから、帰る時に乗って帰っておいで。ええね?」

「足ないんか・・・・んな分かった!ついでに俺が取って来たる!ありがとう姉やん!」


いつの間にかまるで自分が代わりにおつかいをしてやることになっている家次は、力なく差し出された姉の手から一枚のお札を手に、厳めしいと評判の顔をくしゃりとさせて、満面の笑顔を最後に急げと言わんばかりに縁側へ向かって走り出す。そして草履を脱ぎ棄てて、廊下からすぐに玄関へと姿を現した家次は、着物にいつもの革ジャンとハンチング、丈の短い靴下にスニーカーと、なんだかよく分からない大変不思議な格好をして、足取り軽く玄関からくぐり戸へ向かって行った。


「ほな行ってくる!稔!留守番頼むぞ!絶対にピンポン出んなや!!行ってくる!!」


何故二回も言ったのか、言う必要があったのだろうか。行ってきますを二度言えば、隣に佇む姉の気が晴れるとでも思ったのだろうか、寧ろそうであってほしい。一人意気揚々と戸をくぐり外へと出ていく大男の背を眺めながら、稔は静かに、だが確実に気落ちしている問題児のお目付け役兼保護者であるチカの機嫌を伺っていた。


「あの子はホンマに・・・・、笑ったら許される思て・・・・、アタシもやっぱしあかんわ。」

「チカ姉さん・・・・、家次さん自転車壊れてたんだ。今日体重いって言ってて、その、」

「あぁ、かまんのんよ。どうせ買わなあかんもんやし、アタシのんもついでに修理お願いしたから、岩崎さんも分こてくれてるから。やけどもアタシもあの子には甘いわ。アカン。」


そう言ってまた一つ溜息を吐いたチカの様子に、みのるは少し同情しながらも、その溜息が家次では無くチカ自身に向けられたものであることを知り、少しばかり苦笑する。昔からずっと親代わりに育ててきた跳ねっ返りで有名な弟相手には、厳しいと言われているチカと言えど、どうしても可愛く思ってしまって甘くなる、数年前にそうこっそりと言っていたチカの表情は、正しく今浮かべられているものと同じだ。


「あの子の笑った時の顔がもう・・・・、かわええんよなぁ~・・・・。」

「僕もそれ、分かるかも。家次さんってくしゃってしてると本当に楽しそう。」

「せやろ?あの顔あかんわぁ~、ええよって言ってまうんよなぁ・・・・。」

「チカ姉さんの弱点だ。僕ちゃんと内緒にしてるね。約束!」


そう言って小指を差し出した稔に、チカは少しばかり驚いた表情を見せたが、直ぐに小さく口元に笑みをたたえて、同じように指を出し、軽く揺すって指切りをした。そして指を切った後、ぽん、と稔の頭に手を添えて、丸い頭の形をなぞる様に、二度ほどゆるりと頭を撫でてくれた。


「・・・・小さい時のあの子みたいやねぇ、ええ子やね。」

「・・・・・僕家次さんみたいになるの?それって大丈夫なの!?」

「あれは突然変異みたいなもんやから、大丈夫やよ。ええ子やねぇ。」


家次の様だが何を表すのかを稔は良く分かってはいないが、それでも一般的に家次が周囲からどのように見られているかを知っている稔としては、少しばかり恐怖を覚える。力強く優しいのであれば嬉しいとも思うが、剛胆で口が悪い印象の方であれば、稔としては憧れもあるがあまり嬉しいものだとは言い難い。そんな反応にチカはまた小さく声を殺す様に笑うと、アレは十分異質だと、即笑って切り捨てた。先程まであれだけ可愛いと言っていたのにあまりにも切れの良い凄まじい言葉の手のひら返し、姉弟とはなんとも難しい。


「アタシの前に一件あったから、あの子は多分、30分位は帰って来んと思うわ。」

「あ、チカ姉、僕なら大丈夫だよ?ちゃんと留守番するし、チャイムも出ないようにする。」

「一緒におらんで寂しないか?・・・・あ、今日アンタ宿題ある日ちゃうの?」

「・・・・・・あ、・・・・・・、」

「忘れとったんかいな。あの子に付き合うとったら時間失すやろに、大丈夫か?」

「・・・・あ、んまり、大丈夫じゃない、かも・・・・?」

「大丈夫やないんかいな・・・・。」


悲しいかな忘れていた英語の範囲の書き取り時間は、家次とのバケツ問題で水滴と共に何処かへ飛び散ってしまっていたようだ。途端、弾かれた様に庭先から居間に掛けられた時計の方へ視線を向け時間を確認してみるが、到着してからもう既に40分以上時間を奪われていたらしい。あんなくだらない事で40分も?と思うかもしれないが、これが如何せん家次という男は自分の時間で行動をしているので、それに巻き込まれたが最後、信じられない速度で時間が溶けてなくなってしまうのだ。


「・・・・ほな、アタシは帰るから、ちゃんと集中して勉強しときな?鍵もかけてくから。」

「あっ、ありがとうチカ姉さん!・・・・・僕ちゃんと勉強するから!」

「うん、分かってるよ。なんかあったら電話しぃな?10秒で来たるからね。」

「うんっ!!」


元気に返事をした稔の声に、ほなアンタも家にお入りと、一言そう言ってチカはまたふわりと笑うと、自らも此処から動くと示す様に、その足を戸の方へと向き直らせる。そして振り向くような姿勢で稔が縁側から母屋に入るのを見送ってから、ゆっくりとチカは家次の家を後にした。


そしてそれから約一時間後、家次が帰宅してから自転車の修繕に取り掛かってからの事。


「18、19、20!ストップ!家次さん空気圧確認して!!」

「お前また止めよって!たかが20回やぞ!!そんな空気入ってないわッ!!」

「いやだいぶ音苦しいもん、絶対もう一杯だと思うよ!」

「~~ッホンマ面倒くさいなぁ!!!・・・・・お?ホンマか・・・・、」

「やっぱり。止めて正解だったじゃん!僕の耳合ってたじゃん!!」

「うっるさいなぁ~たまたまやろ!ワシの方がチャリとは長い付き合いなんやぞ!!」

「そのタイヤ破ったの家次さんじゃん!!僕のせい回避―!」


稔は超特急で終わらせた課題を傍らに、家次がまた新しいタイヤのチューブを割ってしまわないようにと、対家次用の空気入れ監督員になっていた。



•家次さん

むかーしに競輪選手にあこがれていたので自転車の整備は普通に出来る。今でもチャリンコ暴走族の為、たまに直線が空いているとペダルを強めに漕ぎ出すので、原付よりも早い時が平気である。乗っているのはままこハンドルの後ろに籠を付けた積載を増やしたもので、荷物が増えてもイケるママチャリが最強だと豪語している。加圧式のものではなく、ノーマルの空気入れで普通に空気を入れているだけでチューブが破裂するのが本当に困る。年々力が衰えていくのにまだ破れる事を疑問に思っている。


•稔くん

チカ姉さんに空気入れを監視するようにお願いをされていた。20.20.5.5.5.と区切って見てくれと言われていた。もっといるんじゃ?と思ったが、家次の方が空気入れとチューブの圧力に勝っている姿にビビって口に出してカウントしていた。あんなに壊れそうになっている可哀想な空気入れを初めて見たので、自分は自転車を大切にしようと思った。


•チカ姉さん

家次が笑うと昔からの可愛さが過って、しゃーないなぁ…、となってしまうので、本当に!特にお金関係に至っては厳しくいたいが、自転車が大好きなことを知っているので、どうしても趣味が関わっているものには判断が甘くなってしまう。だって弟は大きくなってもかわいいんだもの。


•岩崎さん

夫婦で町の小さな自転車屋さんを営んでいる。昔から自転車が好きな家次には色々と教えてくれる優しいおじいさんと、ちょっとした修理ならお手伝い出来るおばあさん。家次が競輪選手になるのを余り良く思っていなかったので(大変怪我が多い競技です、神経もやられる事が多いのでお気を付け下さい。)、今でも趣味で乗っているのを見ては安心するが、暴走しているのを見かけるとガチギレしてくる。

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