新学期のわな。
皆様季節の変わり目感じますね。肌はガサガサ、目は腫れ上がり、鼻水が止まらない。やんなっちゃいますねぇ〜。
子ども達にとって特別な夏休みは、存外長い様で短い期間で。寝て、起きて、遊んで、また寝て。時折気が済むまで朝から晩まで遊んで燦燦と日の照り付ける屋外で、熱い鉄製の遊具に手や尻を焼かれながら遊んだり、自転車でいつもより少し遠い場所まで遊びに行ったり。それとは逆に一日中冷房の良く効いた部屋の中、ただぐうたらとスマホ片手に布団の上に寝転がり終わった日もある。各々が思うままに過ごしただろう子供たちの長期休暇も、【休暇】と名が付いているものには、必ず終わりが存在するのだ。休暇に入ると共にまるで水を打ったように静かになった朝の時間帯に、キャッキャと一つ高い声で会話をする、若い活気が返ってきた。行きたくない、久しぶり、昨日のヤツさ、思い思いの言葉を紡ぎながら学校へと続く道を行く人波の中、突如として裏口から箒片手に顔を出した大男は、自らの敷地から生えた木々から道端に落ちた葉を一人静かにかき集め始めた。大きな体を猫背に丸めて、気怠く思い雰囲気に似つかわしく顔を伏せ無言で掃除を始める姿は、まだ残暑厳しい夏の朝には余りにも不釣り合いで、わざとなのだろうが目元を隠す様に伸ばされた前髪に、表情を読み取る事は困難だ。分かる事は口を真横に引き結んだ和装姿の大男が、その風貌ににつかわず、朝から黙々と一人掃き掃除にいそしんでいるという事くらいだ。立っているだけで周りを威圧する存在感を持つ人物が、几帳面に溝付近の僅かな窪みを箒の先で真剣に掃除する姿というのはなんともレアな光景である。男の登場に誰もがそちらに視線を向けると共に声を落とし、口を噤む。不気味とまではいかないが奇妙で、それでいて普段からその姿をみた事が無いのだろう人物たちからすれば得体のしれない存在が、突如として通学路に現れたのだから、少しばかり、周囲の空気が張り詰める。何だ、誰だ、怖くないか、と思っても誰も言葉を口に出さずにただ前だけを向いて足早に通り過ぎようとする中、時折髪の間からチラリと射貫くように向けられる視線に、目があった相手の喉が、ひゅっ、となんとも間抜けな音を奏でる。緊張感の漂う朝の道中、新学期早々誰がこんな事を予想できただろう。昨日まで休みだったのに、今日からまた毎日学校だと重怠い体を引きずる様に歩いていた学生の背が傍目にもピン!と伸びあがる。気を抜けばどうなるか、何もしていない筈なのに、もしかして宿題やってなかったからこんな目に合っているのか!?そんな思考が行ったり来たり。ただ一瞬、鋭い視線とかち合っただけなのに、走馬灯のように夏休みの間の記憶が、少年の脳を駆け巡る。一体何に対してかは分からないが、自分は謝るべきだろうか、と、とりあえず防衛本能から回避行動を取るべく、張り付いた喉を何とか動かして、少年が口を開こうとした、その時。
「・・・・・あれ、こんな時間に何してんだろ?・・・・・おはようございまーす!」
自らの少し後ろから、全く聞き覚えの無い声がしたと同時に、ひょろりと薄い人影が、少年の横を通り過ぎ、大男へ向けて駆けて行く。一歩が広く、まるで跳ねる様な軽い足取りで、挨拶を口にしながらまるで固まっていた緊張を破る様に大男に近づいて行く少年に、知らずと周囲の視線が一斉にそちらへと向けられる。
「え・・・・、あ、なるほど。珍しい・・・・・ごめっ、ゴメンって!じゃあ僕行ってきますっ!」
何を言っているのだろう、と少年の言葉に応える様に小さく動く男の口に知らずと周囲が聞き耳を立てるが、その内容が全く聞こえてくることは無い。それよりも分かり易く慌てた様子で走り出した少年の姿に、走り出した背中を目で追うと共に、残された男の威圧感が増した事を肌で感じ取った周囲の人々も、まるで少年の足取りに釣られた様に、早足にその場を後にするのであった。
*
夏休みの最終日だからと煩い子供にあれよあれよと流されるままに遊びに興じてしまったが、同年代に比べて絶対的体力のある家次ではあるが、実際問題若くは無い。何故か急に始まったキャッチボールに変化球大会、刀也のみならず体力お化けの陽太まで連れだってきたものだから、家次の労力は稔一人の時に比べて五倍以上は必要だった。何故刀也がいるのに野球のボールではないのか、何故バレーボールで変化球を投げてみようと思ったのか、何故それでドリブルが出来ると思ったのか。次から次へと疑問は溢れるばかりだが、安全に遊べる広い場所という事で家次宅の庭を選んだのだろう底なしの元気の塊たちは、家次の許容量を易々超えて庭全体を走り回り、遊べうる限りの遊びを試してから、そして最後には家次をも巻き込んで暴れ回っていた。最後には全員対抗ドッジボール大会に持ち込み、家次自身の手で全子供を仕留める事に相成ったが、それも中々に体力と、何より思ったよりも頭を酷使させられてしまった。大人しくボールに当たれば良いものを、小賢しくもボールを避け、掴み、フェイントまで織り交ぜてくるとは思わなかった。お陰様で疲労困憊でぐっすりと眠ったは良いが完璧なまでに寝坊をして、朝の掃き掃除が遅れてしまった。原因となった少年は、朝から何をしているんだと、まるで奇妙なものでも見るかのような視線を向けてくる始末だ。誰が好き好んで人通りの多い時間に掃除をする羽目になったと思っているのかと思わず手が出そうになったが、聡い稔は気配を察知したと同時に自分の元から走り出し、行き場を無くした拳だけが、家次の元に残ってしまった。知らず力の入ってしまったせいで、長年愛用している気に入りの箒の柄に亀裂が入ってしまった事だけが悔やまれる。
「馬券買いに・・・・・、アカンか・・・・。」
ようやっと終わった掃除にやっとの一服と、縁側で煙草に火を付けた家次の視線が家の中へと向けられる。柱時計を見るには姿勢が若干苦しいからと、その対面位置になる場所にと居間に置かれた置時計へと視線を向けるが、いつもより遥か後ろ倒しになってしまった朝の用事に、今から家を出たとしての往復の時間を考えると、多少多めに見積もったとしても稔の帰宅時間とその差は僅かと言える。早く帰ってきてしまえば家に入る事は出来たとて、頭がまだ夏休みボケ状態の子供を待たせるのは忍びない。
「かなんな、・・・・・なんか作るか。」
今日は予期せぬ事に時間が押してしまったと思っていたが、別に馬券を買わなかったからと言って死ぬわけではない。夏の間預りを兼ねて稔の昼食の世話も焼いていたが、今日は簡単な物で良いかと思っていたが、どうやら最後まで手を焼いてやらないといけないという事だろう。不意に出来た時間にもう一品作るのも、料理好きだからこそ苦でなく寧ろ丁度良い所だ。
「ひじき残ってたからな、それ使おか・・・・・、っと。」
小さな掛け声と共に、のそりと立ち上がった家次は、そのまま残りの煙草を勢い良く吸い切ると、いつも通り傍らに置いていた灰皿の中へ身を屈めてそのままそっと吸殻を落とす。綺麗に洗われたガラスの灰皿の中、まだ綺麗に澄んだままだった水面に火種が触れた微かな音を聞きながら、ふぅー、と吐き出す白い息を、軒先に吊るされた風鈴の短冊目掛けて吹きかける。白い煙に煩わし気になった音は、普段吹く風に揺れる時よりも控え目で、なんとも迫力に欠けるが、そのなんとも嫌がっている様な音色が、少しだけ家次の気晴らしになるのだから付き合う他に道はない。
味付けは万全、混ぜるだけの簡単レシピに、その上で出汁巻きでも焼いていれば、稔の帰宅時間に合わせていい塩梅に仕上がるだろう。そう思いながら家次が台所に立って約一時間と少しして。
「・・・・・・ただいま、家次さん。」
「おっ、おう・・・・・、おかえりぃ・・・・、」
ジュッ、と鉄製の玉子焼き機に卵液を流し込むのとほぼ同時刻。突如として庭先に姿を現した稔の表情は、世界が終わったと言わんばかりの放心状態。新学期早々見るにしては余りにもお粗末な顔をしながら力の無い声で帰宅を告げた少年の声に、家次は多少どぎまぎとしながらも、思わず卵液の入ったボウルを落とさなかったことに、内心でホッと胸を撫で下ろした。
*
現代の食事に比べれば一見質素に見えるが、いつもより多少豪華な昼食に、稔は終始美味しいと口にはしていたが、その表情が晴れることは無い。ほうれん草のお浸しに、作り置きのひじきを混ぜてこしらえた簡単白和えにインスタントの味噌汁。それに昨夜作った青魚の煮付けを温めたものと、お椀いっぱいの雑穀米と焼きたての昆布出汁が香るふんわり出汁巻き卵という、中々に定食屋で出てもおかしく無いレベルの食材を家次としては用意していたのだが、如何せん反応が無いことが気掛かりである。
「おい、美味いか?」
「うん、美味しい。出汁巻きあったかいし、お米もプチプチしてる。」
「そうか~・・・・お前ホンマに美味しい思っとんか?」
「うん、お店よりずっと美味しい・・・・白和えでひじきの味がいつもより良く分かるし。」
「そうかぁ・・・・・。」
声に覇気が無いのは変わりはしないが、家次が今日の昼にと増やしたおかずに対しての言及があったので、決して味わっていない訳では無いらしい。否、味わっているからこそのその二品の名が出ているのだろう。きちんと家次の評価を欲している物を上げてくる辺りが実に稔らしい、とも言えるが、如何せん普段よりも遥かに無気力に近い状態で、まるで漠然【作業】宜しく単調に作った飯を食われるのは、作り手としては面白くないのは確かだ。
「家次さん、ごはんおかわりしても良いですか?」
「まだ飯は食えんのんか。どん位要る?」
「さっきの半分くらい欲しいです。お魚と食べたい。」
「分かった。・・・・っと、良し。」
稔の言葉に家次はのそりと立ち上がり、そして稔へと手を差し伸べる。そこに手渡された茶碗は米粒の一粒も付いておらず綺麗な状態で、視線を向けてくる少年の顔は相変わらず元気はない様子だが、腹は減っているのかその目は確かに追加の米を要求している。からの茶碗片手に台所へ向かう大男の背中では、次のご飯が碗の中に入って出てくるまでの箸休めにと、少しだけ残しておいたのだろう白和えに、ちょぼちょぼと箸をつける少年の姿。そして家次が米をよそった茶碗を片手に戻ってくる頃には、半分残された煮魚以外の皿の中身は、全て綺麗さっぱりと消え去っていた。
「ホンマに米、これで足りるか?」
「うん、十分。ありがとう、家次さん。」
「足りんかったらまだあるし、なんやったらふりかけ掛けて食うたらええ。」
気遣う様に掛けられる家次の言葉に、稔は今日ここに来てから初めて小さく笑って、ありがとう、と返事をしながら差し出される茶碗を受け取った。新しくよそわれた米に暖かくなった茶碗に、熱を失ってきた煮魚の身はとても良く合う。箸先で身を解し、米と一緒に口に運べは、じんわりと熱と共に口の中に広がる醤油と砂糖の甘じょっばさに、鼻から抜ける生姜の香りにが、身が温かい時よりも僅かに強く感じられる。
「・・・・・美味しい。」
「ほなまぁ、ええんやけどなぁ・・・・、」
今はただ目の前の食事を口にするだけの稔に、家次は何処か歯切れの悪さを感じながらも、座らずに空いた皿を重ねて持って、再び台所へと消えていく。普段ならここでありがとうと言うだろうに、今日はその言葉が背中に向けられないのだなと、やはりどこか変では無いかと、シンクで皿を流水にさらしながら、家次の眉間に少し皺が寄せられた。
*
「・・・・・・っぷぁぁー、食べたぁー・・・・!」
「確かに今日はよう食うとったな。残すか思とったけどな。」
「めっちゃくちゃお腹いっぱいだよ・・・・、お腹くるしいー。」
「そんなんなるんやったら初めから考えて食え。」
真っ当な家次の言葉を耳にしながらも、食後の茶を一気飲みした稔は、コップを机に置くと同時に、そのまま畳の上へとその身を投げ出した。もう動けない、お腹いっぱい、と言いながら少しうーうーと唸り声を上げて文句を言っている姿に家次は怪訝そうな表情を浮かべながらも、そのまま対面へと腰を下ろした状態で、稔の様子を伺っている。食後の茶を一区切りとしたのか、先程までとは打って変わって声を上げる様子は普段のそれと遜色ない。だがどうにも腑に落ちないのは、いつもなら食事となれば気持ちを切り替える筈の稔が、今日は全くその片鱗も見せなかったことだ。寧ろ普段より幾分大人しく、黙々と皿と向き合い箸を進める様は大変行儀の良いものだった。が、しかし、その態度が、止まったままの表情が、【安全地帯】と思われている筈の家次の家の中にまで来て変わらないと言うのは、様子がおかしいと家次が判断を下すには、十分すぎる程の物であった。
「おい稔、聞こえるか?」
「んー・・・・聞こえてるけどくるしいー・・・・、もう今日はおやついらないですー・・・・。」
「なんで貰う前提やねん。そんまま寝るんか、喋れるんか、どっちや。」
「えぇー・・・・・、・・・・・ねないよーくるしいもん・・・・・、」
なんとも歯切れの悪い言い方だが、久々の登校から帰宅して飯を食い、緊張の糸が解けてそのまま昼寝をしてしまうという事は、今の稔の中には無いらしい。現代っ子曰く、何もない家次の家で昼食や軽食の後、自然音に囲まれた空間で、畳や縁側に寝転んで微睡むのは仕方が無い、抗い様の無い誘惑で贅沢なのだと、なんともじじくさい事を言っていたのがほんの数か月前の事。そんな稔が眠るでもなく身を横たえているという事は、頭の中が荒れている、気掛かりで止まないことがあるという遠回しな言い方だ。しかも刀也の時の様な八つ当たりではなく、一人静かにしている辺り、自己責任が引き金となった何かがあったと、そう言った所なのだろう。
「お前朝と違って変な顔しよって、二学期早々何やって来たんや。」
「―――ッ!・・・・・なん、でもないよ、何もしてない。」
「なんもしてないんやったら人が作った飯もっと美味そうに食うたらどうや、ぁあ?」
「~~んで、そんな事ないよ!ちゃんと美味しかったって言ってた!」
少しばかり言葉尻を上げた家次の問い掛けに、呼応するように体を起こした稔の顔は少し慌てたような、それでいて苛立った色を見せている。この場で家主である家次に、お節介や鬱陶しい等と言い返す権利は稔には無い、返せるのは相対のみだ。問われた言葉に対して満足の行く返答が出来なければそこまで。事実この場の実権を握っているのは家次だ、稔はそんな相手の満足の行く回答をしなければならない。
「ただ【そう】言うとっただけやろ!こっちはちゃんと美味しい作っとんねんぞ!」
「だから美味しかったって言ってるんじゃんかっ!・・・・・、でも、生返事は、ごめんなさい・・・・。」
「自分で分かっとンやんけ。・・・・・んで、何あったんか、ワシに言うてみろ。」
言い返す言葉も無い、圧倒的な図星。それでもきちんと自らで生返事であったと認めた稔の言葉に、家次は満足そうに一つ頷いて見せてから、稔に話を聞いてやるとばかりに机の上に頬杖を付いた。決して威圧的ではない。時間はあるのだからゆっくりとで良いと言わんばかりに、どっしりと構えるのではなく、ゆったりと落ち着いた動作でそう語る家次の様子に、一瞬稔の視線は泳ぎ、唇を少しの間まごつかせてはいたが、最後には視線を机の上に落としながらも、詰めていた息を吐き出しながら、あのね、と、なんとも子供らしい言い振りで、そっと話を切り出した。
「今日、学校始まるって、朝の挨拶だけだと、思ってて・・・・・、」
「おん。」
「予定表は午前のみで、お昼まで時間は書いてあったけど、提出物出したら10時前には帰れるって思ってて、」
「おう、せやな。」
「だから今日早く帰ってきて、ごはん何かな、何しようかなって、朝から思ってて、」
「お前完璧に休みボケしとったんかい。ほんで?」
「・・・・・そうなんだけど!・・・・・それで宿題出して、帰りの挨拶かなってなって・・・・、」
「なって?」
そこれから先を促す家次に対して、稔は下を向いたまま、ぎゅっと強く唇を噛み締めた。喉に言葉が張り付いてしまった、というのには少し違う、続きを言う事に戸惑い、自らの意思で口ごもってしまっている状態という所か。先と言わんという意志はあるが、言葉が口を突いて出てこないとは、意外と厄介な事だ。さあこの先、どう水を向けるべきかと短い相槌と共に自らも知らず唇を尖らせる家次に、先に口を開いたのは、意思を固めた稔の方だった。
「全教科テストあるから、帰れないって、先生に言われて・・・・・それで、今・・・・・。」
「お?・・・・・・なんや今日テストあったんか、それにしたら帰ってくんの早かったやんけ。」
「・・・・・実力テストで、5教科で1時間のテストで、一学期の範囲だから。各教科ちょっとずつの問題だったんだ。」
「ほな前にやってんねんから大丈夫やろ。・・・・・・あぁ?稔~??」
一学期の成績修め、学年上位者にその名を刻んでいたのだから、特に問題が無かったのか。ならば他にテスト終了後に何か揉め事があった程度だろうと家次はその先を促すが、机を挟んだ向かい側の稔から一向に何の返事も帰ってこない。何だと思って名を呼び、俯いた顔へと視線を向ければ、よくよく見ると耳が赤くなっている事に気が付いた家次は、思わず確信してしまった。
「・・・・・お前テスト出来ひんかったんか!まさかそれで落ち込んどんか・・・・!!?」
「~~~~ッ落ち込んで何が悪いんだよぉ!!!」
拍子抜けとばかりに言葉を言い放った家次に、稔は図星だとばかりに勢い良く顔を上げると、そのまま家次へと食って掛かった。眉間に皺を寄せ目を見開き、大口を開けて怒鳴り散らす少年の頬は真っ赤て、そんなにも恥じる事なのか。頬と言わず額まで赤く染めて、必死で弁明を口にする姿の何と幼い事か。喚く程に際立つ幼さに、一瞬呆気に取られた家次は、ポカン、と口を開けたまま、知らなかったと言い訳を口にする少年の様子を見つめていたが、暫くすると意識を取り戻したと言わんばかりに、ハッ!と一つ鼻で笑って、少年の主張を一掃した。
「お前、しょーもない事で見栄剥がれてムスくれとんか!?なんやしょーもない。」
「しょーもないって何!?しかも2回もッ!!全然しょーもなく無いんだけど!!?」
「たかだか一回のテストで赤点取りました~ってか?下らんなぁ~・・・・なんや心配して損したわ。」
「赤点かどうかなんてまだ分かんないじゃん!そもそもテスト返って来てないし、今から採点だしっ!!」
「採点前にアカンかった思う時点で半分も書けへんかったって事ちゃうんか?」
「っ・・・ぁぅ・・・・・、んな事・・・・・、半分は、書けた・・・・もん・・・・・。」
どんどんと尻すぼみになる言葉と共に、今にも立ち上がりそうになっていた小さな体が、元居た場所に大人しく収まっていく。ぽつり、ぽつり、と視線を合わせないように下を向いて、それでも何とか反論を続けようとする様子を見る限り、余程テストの出来が悪かったのだろう。進学からの一学期末のテストで上位者に名を連ね、それこそ自分は出来る側の人間なのかもしれないと、ある種の万能感を持ちやすい年頃だ。一定期間誰にでも訪れて然るべき、特異な【万能感】。要は自分は特別であると、他人とは一線を画す何かを持っているのではないかと、そう思ってしまっていたのだろう。一学期のまだ学校に慣れていない他の生徒達よりも頭が一つ抜けていると勘違いをしていた、その頭をガン!と強く打たれたような、天狗になっていたのだと、その鼻っ柱を折られて勘違いに気付かされたと、そういった事なのだろう。初めて経験した挫折というよりも、壁にぶつかり大恥を掻いたという事実に自分で自分が恥ずかしく手仕方が無いと、稔の態度は明らかな八つ当たりと羞恥から来た戸惑いによるものか。何にせよ子どもながらに同年代の者たちよりも先に現実を見る機会を得たというのは、間違いなく良い事だ。何よりも当事者である稔自身がそれを感じ、その思考・行動を振り返れているからこそ恥じ、悔いているという事は、大きな経験を得たと云えよう。
「今日出来ひんかったって思っとんのんやろけど、お前原因分かっとんか?」
「勉強してなかった・・・・。宿題とか期末テスト見返したら、全部答え有るって・・・・、」
「ほんならなんで前のテスト良かったんに、今回出来んかったんや?なんで前に結果出して、今回ソレ出されへんかったんや?」
「前は、復習したり、・・・・歴史とかは、一気に覚えてた・・・・漢字は、なんとか書けたけど・・・・。」
「ほんならお前の中に残ってへん、詰め込みやったって事やろ。テストは勉強不足やなくて、お前の中になんも学びとして中身残ってへんかったんや。」
「そんなことないって、思、う・・・・・。・・・・・でもあれだけ勉強したのに!」
「お前夏休みにたったと宿題やって、殆ど毎日遊び回っとったやろ。宿題終わってるってずうっと言うとったやんけ。ちゃうんか?」
ん?と頬杖を付いたまま、クイと顎を動かし問うた家次に、勿論思い当たる節のある稔は、ぎゅっと口を噤んで押し黙る。つい昨日も宿題が終わっていないと夕方になって叫び出した刀也に、自分はもう終わらせてるからと笑顔で稔が言っていたのを家次も確かにその目で見ている。小さな自慢であり、皆が困っている中で自分だけが一つ頭が抜けているという事実は、確かに優越感を得る事が出来ただろう。しかも別にズルをした訳では無い。覚えたことが頭の中に残っているうちに、先んじて事を終わらせたのだから、自らの努力と、一時的とはいえその時に持ちえた知識で終わらせたのだ、自信が付いても仕方あるまい。だがしかし、若い時期の体感時間は長く、新しく得られる知識や興味と言ったものは日々尽きることは無く常に上書きを繰り返している毎日に、テストの前に覚えたと言えど付け焼刃の知識など、身に付いたとは到底言える訳が無い。
「復習して、反復せな自分は覚えて無かった、勉強せな忘れるて分かって良かったやんけ。」
「・・・・・全然良くないよ、だって、僕絶対順位低い・・・・、」
「順位無いとアカンのんか?これから新学期やぞ、そんな今回のテストデカいんか??」
「内申とか、成績には反映無いって言ってた。今の実力見るだけって・・・・、」
「ほな尚更良かったやんけ。勉強せな、内容頭から抜けるんやなぁ~、って分かった、それで仕舞いや。」
「そんなのホントか、分かんないじゃん。成績落ちたら・・・・・、」
「落ちたらなんや、死ぬんか?」
「イヤ死ぬわけないじゃん。」
家次の言葉に返事をするにあたって、どんどんと何時もの調子を取り戻していく口調に、下を向いていた顔が、少しずつ上を向いてくる。確かに表情は暗さを残してはいるが、少しばかり持ち直したのか、虚ろではなくしっかりと前へと向く瞳に、家次はフン、と短く息を吐き出した。
「今回頭打った、そんで痛い目ぇみた。それだけ覚えとったら十分やんけ。」
「・・・・・僕何も覚えて無くて、テスト配られたけど頭真っ白で、殆ど答え分かんなくて、・・・・・凄い、辛かったし、・・・・・恥ずかしかった。」
「そんだけ自分で分かっとったらなんか他にあるか?ワシはえぇ経験や思うぞ。」
「・・・・・恥ずかしいのに、良い経験、なの?」
「自分で恥かいたって思えるんが大事やって話や。恥かいた分、次やろう思わんやろ?」
「そんなの思うわけないじゃん!次あったらちゃんと答え書くし!!」
「せやろ?二の鉄は踏まんって、自分でしっかりするようなんねん。勉強なったな。」
自信を持つことは大切な事だが、慢心に気が付かないまま胡坐を掻いて、足元を掬われる。生きていれば誰もが経験する、それはもうよくある事だ。なんだか全ての物事がトントン拍子に調子良く進むものだからと勢いのまま進んでいったその先で、気が付けばあれよあれよと転落し、気が付いた時には大切なものを無くしてしまう。自分の不注意からの失敗、自分は出来る、特別な存在なのではという謎の万能感に、そこから陥る視野狭窄は、生きている限り常に付きまとう問題だ。だからと言って石橋を叩いてばかりでは先に進めないが、慢心からきた結果による失敗を、自分のせいと受け止めるか、拒否するか。それは稔の様なまだ幼い子供には多少過酷であろうが、この先人間性の成長という部分において大きな影響を及ぼす大切な事象だ。誰のせいでもない、自分自身が招いた避けれたかもしれない結果を目の前に、逃げずに向き合えるか、否か。歳の割に酷かもしれないが、この経験はこの先稔の人生において、絶対的なアドバンテージとなるだろう。
「まだ若いうちに経験出来て良かったやんけ。ソレ大きなってからやったら・・・・・、お前もう、目ぇも当てられんぞ。」
「なんでそんな事言うの!?僕結構ショックなんだけど!!?」
「ショックって、誰が勉強せえへんかってんな。それか一学期の内容ちゃんと覚えとったらなんも問題なかったんちゃうんか?」
「グゥぅ~~~ッ!!!」
「ハッ!!ほれみぃ、図星やんけ!・・・・・次せえへんかったらええんや。」
家次の言葉にもう何も反論できず、空しさから呻き声を上げ、机の上で拳を握る稔の悔しそうな様子に、家次は一笑すると共に、せやろ?と同意を促す様に言葉を続ける。悔しいが事実は事実、起きた事は変えられないという現実に、稔は行き場の無い気持ちをぶつける様に、机に拳を叩きつけるが、今回ばかりは認めざるを得ない。悔しい、悔しいと、何度も口にしながら、それでも最後には一つ大きく息を吸い込んで、天井目掛けて口を開いた。
「ちゃんと勉強しなかった僕が悪いっ!次は絶対!ちゃんと満点取ってやるんだっ!!」
「大きぃ出たなぁ~。流石に満点は欲張り過ぎてへんか?取られへんとカッコ悪いぞ。」
「ッ~なんっで!そうやって!余計な事言うのっ!!せめて意気込ませてよ!!」
気持を新たに、此処からやっていくと高らかに宣言をする稔の意気込みに、確りと水を差し、目の前でぐわんぐわんと体を大きく揺らしながら抗議をする少年の姿に、家次はそれはもう楽しそうに、冷やかし笑いを繰り返す。
「調子乗ってたらまた同じ事なるからな。あんま力入れんな、普段通りにやればええんや。」
「・・・・・うん。」
軽い口調で言った言葉に、こくり、と小さく頷いて返す姿に少年の、素直な姿勢の返答に、家次は満足そうに己も小さくうんうんと頷きながら、それよりも、と、頬杖を付いていた腕を机に、グイ、とその身を机の上に乗り出して、稔の方へと詰め寄った。急に前方から近づいてきた家次の身体の迫力に、思わず稔は体を後ろへと引きながらも、控えめに、どうかしたのかと問いかける。
「・・・・・今日の昼飯、何が一番美味かった?」
「へ?昼飯・・・・今日のおかずの事?」
「それ以外何があんねん!どれがいっちゃん美味かったんか聞いてんねん?」
「えぇー・・・・・、僕の事よりもご飯なの・・・・、んー、そ、うだなぁー・・・・。」
まだ幼気な少年が、初めて感じた強い挫折感に打ちのめされていたというのに、その悩みを下らないと一掃する大人の、なんと無慈悲で、寄り添いの心が無いのだろう。恥を掻いたのだと、悔しかったのだと、自分なりの目一杯の感情をぶつけた筈なのに、稔の懸命な訴えも、家次にとってはなしのつぶてという事らしい。目の前にどっしりと座ったまま、一切此方の感情を汲み取ってくれないふてぶてしい様子の家次に、自責の念が渦巻いていた筈の稔の胸が、気が付いたころには悲しいよりも、怒りの感情が沸き上がってきて仕方がない。
「・・・・・今日は、白和えが良い感じだった・・・・、かな?」
「どこがや、どこが良かったんや、ぇえ??」
「めんどくさいなぁ・・・・・、お豆腐が水っぽくなくて、でもキメが細かかったとこかな?あ、食感が無かった訳じゃなくて、凄い食べやすかった・・・・・ッだぁぁあ!!!!」
最後まで稔が言い切る前に、スイ、と手が伸びてきたと同時に、勢い良く跳ね上がる右中指が弾かれた。パァンッ!!と部屋いっぱいに広がる音は、まるで破裂音というよりは、ドラマなんかの劇中でよく聞く、銃声に近い音を奏でている。驚きに目をしばたたせる稔であったが、一拍を置いてじんわりと点から面へ、そしてその奥へと鈍く広がっていく痛みに、生み出されるソレに抗う様に弾かれた額を懸命に摩りながら、強烈な一発を見舞ってくれた家次を睨み付ける。そう感じる事の無い痛みに、防衛本能から瞳に涙が滲んで来るが、視界の先捉えた人影は、乗り出していた体を元の位置へと戻した上に、それは満足そうに腕組をして深く何度も頷いてを繰り返していた。
「いったッ!いったいッ!!何考えてんだいったいなぁあ゛!!!!」
「我ながらよう出来とったな・・・・・。おい稔、お前にワシから100点やるわ。」
「何の点数!?僕に対するテストの当てつけ!!?いったぁー・・・・っ!!」
腕を組んだまま、鼻高々と言わんばかりに満足気にそう言って胸を張る家次に、痛いわ嫌味を言われるはで、災難だとばかりに、稔は未だ痛みの引く気配の無い額を摩り続ける。
「もうそんなんどうでもええから、遊ぶぞ稔。今日はやらんなならんもんがある!」
「僕の悩みってそんな大事じゃないの!?・・・・家次さん勝手だよォ・・・・・。」
何を言ってももうこの話は終いだと言った様子で、自らの傍にある小さな棚を漁り出した家次に、稔は未だ胸の中燻ぶる様に残る自らに対する嫌悪を、そっとそのまま静かに握りつぶす様に隠しながらも、そのまま抱えていくことにした。嫌な事がもう一回は、嫌だから。もう一度繰り返してしまわないようにと、じくじくと痛むこの額の傷みと共にちゃんと覚えておこうと、稔は思った。そんな初秋の始まりだった。
・稔くん
新学期早々に実力テストという名の抜き打ちテストがあるなんて思ってもいなかった、残暑にも負けない元気な男の子。前日刀也に向かって一学期の内容簡単だったじゃんと軽口を叩いていた所に降ってわいてきたテストに冷や汗ダラダラ、数式は忘れてるわ社会の暗記はすっぽり抜けるわ、英語の単語や漢字は何とかなったが、生物に至ってはもうここまで出てるのに出てこない状態で気が付けばテスト時間が過ぎていた。最終的に点数は中の上には入れてはいたが、自分で自分が恥ずかしくて悔しくてのどうしようも無い。家次に言おうも、もっと親身に相談に乗ってくれるとか、話を聞いてくれるのかと思っていたら、話は聞いてくれないはデコピンは食らうわ遊びに付き合わされるわで災難だった。でもコレのお陰でそんなに中二病にはなりにくそうで実は黒歴史が少なくて済む、そんな結果を後々得る事になる。ちなみにデコピンの痕は腫れたし三日は痛かったが、内出血にはならなかった。
・家次さん
面倒見ているガキンチョが、早めに頭打って調子のらんで良かったわと安堵した、明日筋肉痛になるおじさん。子供特有の謎の万能感からおかしな行動を落とす前に、どっかで頭打たせなアカンと思っていたら、他のガキよりも少し早く現実になって良かったなと思っている。自分で自分が嫌だと思えたなら、そこからずっと覚えていればもう二度とやらんだろうという事で、一つ手間が省けたと儲けもんだと思っている。それよりも一品増やした白和えがやはり上々の出来だったことの方が重要事項な自分中心マン。稔の昼食用に焚いた雑穀米に残っているひじきを混ぜ込んで、ひじきおにぎりを作ったので、今日の晩御飯にソレと漬物を食べようと思っている。
・ケンちゃん
野球を辞め、それまであった友達付き合いは無くなったが、それでも遊ぼうと言ってくれる子たちと楽しく遊んだり、新しく出来た友達と遊んでいたら殆ど宿題を残して休み明けを迎えた。休みに兄が帰ってきて、話を聞いてもらったり、自分の寝た後に代わりに代弁として親との話し合いをしてくれて、少し嬉しかった。とりあえず野球はやりたくないならやらなくて良いと決着したが、宿題が残っていたことを知った母親に怒られながら、何とか埋めれる限りは埋めてとプリントを片付けた結果、実力テストで上の下に入る事が出来た。初めて運動以外で褒められた事が嬉しくて、自分は文系なのか、理系なのかが知りたくてうずうずしては、幹君にダルがらみしている。
・幹 陽太 くん(みき ようた くん)
中学に入ってから稔に出来た新しい友達であり、現在の刀也の遊び相手をしてくれている。白くてもっちもちの肌に、くりっと大きな目をしているが、それをにーっと細めて柔らかく笑う優しい男の子。ほっぺたがもちもちで、家次さんには『大福』と言われている。基本他人に興味がないが、家次さんが学校に来た後から稔に積極的に声を掛ける様になって、話し相手になった。妹が一人おり、大事に育てている。一緒に変身ごっこもしてくれる良い兄。休日は地域に一つだけあるハンドボールチームのジュニア部門に所属しているので、大会の開催されている地域の体育館に行けばプレイを見ることが出来る。ポジションはキーパー。負け越している時や試合の終盤、または余裕のある時に、一気に前線に上がるのが、最高にゾクゾクして堪らないらしい。肩が強い。




