第36話 港町への帰路
新都の駅で私達は無事に汽車に乗って港町への帰路についた。
「全然観光できなかったわね、せっかく新都まで来たのにごめんね」
「別に」
そっけなく答えたエルストナーは車窓から外を眺めていた。都会的な景色はすでに後方へ飛び去っていて、今はのどかな農村部や畑が時折見えるのだった。
エルストナーがふっと息を漏らした。かすかに上がった口端から察するに、笑ったようだった。
「そういえばお前、子どものときに林檎の樹から降りられなくなったことあったよな」
「私が?」
「そうだよ、俺が下ろしてやっただろ」
「?」
何の話か分からなかった。
「助けてくれるとしたら、レイじゃないの?」
「レイじゃない。俺が助けてやったんだ。その時はレイも子どもだったからどうしようもなくて、助けを呼びに来たんだよ。ワーワー泣いたお前にしがみつかれて大変だったんだから。ちょうど今のエリーくらいの歳だったんじゃないか?」
「私、子どもの頃あなたに会ったことあったの?」驚いて尋ねる私に彼は肩をすくめた。
「呆れたな。まあ、そんなもんか。別に期待などしないが」
「何の時?」
「祭りで俺達がそっちに遊びに行った時だよ」
「あなたって子どものときにお祖父様の館に来たことあったのね。レイしか来てない印象だったから」
「片手で数えるほどだけどな。俺は一番早く家を出たから」
「……何歳で?」
今になって気がついたが、私はエルストナーのことを全然知らなかった。
「士官学校に入った十四のときから。学校は長期休暇があったが、正式に軍に配属された十七以降は滅多に祖父母のところへは行ってないな」
「バルト兄様は?」
「バルトはもっと行ってないだろ。行っていたとしても、お前が生まれる前だよ。バルトはお前と何歳差だ? 俺とお前が十離れているんだから、十五歳差か。ほとんど接点ないだろ」
旧都へ来るまでエルストナーには会ったことがないと思っていた。
だって、エルストナーは祖父母の葬儀にも来なかった。軍務だから仕方ないと皆が言っていた。
あのとき、私は顔も知らないエルストナーを薄情に感じたのだった。
”いくら仕事だからといっても、祖父母の葬儀なのに休めないの? 仕事を理由にしているだけじゃないの?”
レイが旧都から駆けつけてくれたのはもちろんのこと、もっと遠くの港町にいるバルト兄様は第一子のエリーの誕生を控えていたにも関わらず来てくれたのに。
実際のエルストナーを知った今、彼のことを薄情だとは思わなかった。むしろとても責任感があって誠実な人だ。
本当に軍では自己の都合で急な休みが取れないんだろう。お悔やみの手紙さえ届かなかったのは、彼は文字が苦手で手紙を書かないから。そして彼は非難を避けるために雄弁に語ったりしない。自分の行動に責任を持つ性格だから、言い訳しなかったんだろう。
でも少し不思議だ。エルストナーなら空いた時間に弔問に来てくれそうなものなのに。さっきの口調からは祖父母や田舎を嫌がっていたようには思えない。そう考えていて突然思い出した。
――そうだ。彼は葬儀ではなくて、少し経ってから来たんだ。
馬に乗った赤毛のとんでもなく長身の人。
祖母と聖堂近くで話しているのを見かけて、私がお茶を用意したのに館の中にも入らずにすぐに立ち去った。
なんで忘れていたんだろう。記憶にある彼の訪問は、多分祖父の亡くなった時だ。きっと彼は祖母の時も後で弔問に行ったのだろう。祖母の葬儀後、私はすぐに館から祖母の故郷にある宗教施設へ身を寄せたから、すれ違いになったのかもしれない。
今の今まですっかり忘れていた。エルストナーに直接そのことを責めたことはなかったけれど、あのとき勝手な思い込みで誤解した自身を私は恥じた。
――こんなに助けてもらうことになるなんて、あのときは思いもしなかった。
「……ねえ、私にもエル兄様って呼ばれたい?」
突然の問いに、エルストナーは眉根を寄せて訳が分からないという表情を浮かべた。
「”エルおじちゃま”は嫌だって言ってたから」
「俺はお前の従兄であって叔父じゃない」
「そんなこと分かってるわよ。ただ、”エル兄様”の方がいいのかと思って」
「今更何を……お前に『エル兄様』なんて呼ばれたら気持ち悪いだろ」
「レディに気持ち悪いって酷いわね」
彼は鼻を鳴らした。
遠慮なくあけすけに言い合う私たちは子ども同士の兄妹みたいだった。それは、穏やかで大人の余裕を感じさせるバルト兄様とも、優しく可愛がってくれるレイともまた違った関係だった。




