第12話 本当に聞きたい事
銭湯から帰ると、里緒菜がお茶を淹れていた。
紅茶かと思ったらウーロン茶だ。
「アルカリイオン水で淹れました。苦みが少ない物です。」
と言う里緒菜を見ると、ビジネススーツのような普段着の姿ではなく、和服ドレスに身を包んでいた。
「アイルがうるさく言うのです。アルカリイオン水で淹れて欲しいと。」
「健康に気を使っているのですね。」
「ええ。とある人と出会ってから急に。もう大変よ。」
里緒菜は「ふふっ」と微笑みながら言う。
「2023年6月3日。あの日が、アイルにとっての転機であり、ルナにとっての旅の始まりだったな。」
エレナもニヤリと笑って言った。
「今、霧積博士とネルラがお風呂に入ってます。」
「そうですか。でも、お仕置きは―。」
「しません。いたずらも。」
エレナと里緒菜の夫婦の会話が羨ましい。
今の私はいつも一人。
願いが叶うならば、この世界にずっと居たいのだが、それは無理な注文だろう。
「一緒にお風呂に行って何の話をしたのですか?」
里緒菜が私に振る。
「いや、この世界の摂理?倫理?そんな話を―。」
「ゲホッ!」とエレナが私の横で咳き込んだ。(違うだろう)と言いたげにも見えたが、何か別のことを求めているようにも見えた。
エレナは少し考えたが「お腹痛い」と言って、席を立った。
里緒菜の目がキラリと光ったが何も言わなかった。
エレナが席を立つと里緒菜は、私にやさしく微笑んだ。
「自分の分身のような、或いは自分を鏡で見ているような存在のエレナだからこそ、聞きたい事があったのでしょう?でも、怖くて聞けなかった。そんなところでしょう?」
里緒菜が言うのに、私は黙って頷いた。
そして、アルカリイオン水で淹れたウーロン茶を口に含む。
「里緒菜さんは、エレナさんの世界の事を―。」
「聞いてますよ。2035年の並行世界。つまりルナの世界から来たことはね。」
里緒菜は(なんだ、そんな事か)と拍子抜けしたように言う。
「あの―。」
私は怖い。
でも、里緒菜はやさしい微笑みを浮かべている。
「何か音楽を聴きましょう。まぁ、夜ですからあまり大きな音では無く。」
里緒菜は言いながら、蓄音機に向かうとゼンマイを巻いて、トレース(針)をレコードに落とす。ホーンを調整してあまり大きな音が出ないようにしたが、流れている曲は分かった。
ヨハン・パッヘルベルのカノンだ。
「エレナも好きなのよ。」と、里緒菜が言う。
ルナが研究室に逃げ込んだシーンでは「2001年宇宙の旅」を見ていたエレナのイメージから、「美しく青きドナウ」が好きでは無いかと思ったのだが。
「意外ですね。」
と、私は言う。
「そんな姿に描いたのは誰?」
微笑む里緒菜。
私は言葉を失った。
まだ何も求めていないようだった。
まずは、私を落ち着かせようとしているようだった。
「私はしっかり者に見えて、実はエレナに甘えてばかり。夜になると、孤独な宇宙を漂って行くのが怖い。星の世界を見るのは好きだけど、そこに吸い込まれるのが怖い。重力星雲が見つかった時は、本当に怖かった。そのまま、星も無い、真っ暗な世界へ吸い込まれてしまうのではないかって。暗黒星雲を見るのも嫌。だから、エレナに甘えてしまう。でも、そんな弱い自分を見せないように、明るい時間はしっかり者として振舞っているわ。」
「-。」
「きっとエレナもそれを分かっていて、私に甘えたい時に甘えることなく、研究室に籠ってしまうのでしょう。」
里緒菜はどこか遠くを見るような目をして言った。
蓄音機のレコードを変える。
バッハ「主よ人の望みの喜びよ」が流れ始めた。
「未来を知りたい。」
小さな声で言った。
「未来?」
「はい。私は今、2026年に生きております。エレナさんは、2035年のルナの世界―。つまりは、私の世界からこの世界へ転移したという設定です。」
「-。」
「私は、世界が壊され、生きる望みも無く、苦しいのです。未来は明るいよとか理想主義者共は言いますが、根拠のない理想的な話なんか、信用できません。」
「-。論理が先に来るから。」
「-。」
「数学と物理で育ったが故の悲劇ね。」
里緒菜は項垂れる。
それでも、微笑みを絶やさない。
「未来の話、未来から来たエレナさんから聞きたいのです。」
「-。」
「でも、怖くて言えないのです。」
「-。」
「里緒菜さん。何か聞いていませんか?」
里緒菜の眼鏡の向こうの瞳が、悲しく何かを照らした。
「やめておこう。」
後ろから、チェロのような声。
エレナだった。
「どうして?お願いです!教えてください!私の世界はどうなるのですか?今、私の世界は、戦争が―。第三次世界大戦が今にも起きそうな状態なのです!米大統領の暴挙、中東情勢のとばっちりで日本はエネルギー危機が!燃料が!ガソリンが無ければ、私の生活は終わります。つまり、世界の終わりです。2035年―。日本は、私の世界がどうなってしまうのか、教えてください!」
私は半分、泣き叫ぶように言った。
「聞いても無駄だ。」
エレナは冷たく言う。
「どうして―。」
「-。未来は、教えられるものではない。教えることで、世界そのものが壊れてしまうこともあるからだ。」
エレナはそれ以上語らなかった。
「ヤマト。」
里緒菜が後ろから私の肩に手を置いた。
「貴方も数学と物理で育ったなら、分かるでしょう?」
里緒菜の言いたい事も分かった。
「私は死神。世界の破壊者となり―。いや、世界の破壊者となりたくない。」
エレナも恐怖で震えているようだった。
「ヤマト。貴方は私に何と言わせた?」
里緒菜の口調が、叱る物になって来た。
「行き過ぎた知能は世界を破壊する事もあります。ルナにとって真実は、原子爆弾よりも恐ろしいものにもなりえます。そうなった時、エレナはルナにとって、オッペンハイマーやアインシュタインのような存在になってしまうでしょう。」
「スペーシアクロスロード」の、里緒菜のセリフが脳裏を過った。
自分の行動は、エレナを世界の破壊者としてしまいかねない。
違う。
エレナではない。
エレナから聞いた知識を、私の世界に持ち帰ることで、私は私の世界そのものを破壊してしまう力を持って、この世界から帰る事になってしまう。
つまり、私が世界の破壊者となってしまうのだ。
「決して、「スペーシアクロスロード」を含む、ハイカラルートシリーズの物語を、戦争に使ってはならない。」という私の考えに、相反してしまう。
「分かるよ。ヤマト。貴方は今、戦っている。世界の破壊者と言うべき存在と。」
「-。」
「辛いでしょうね。でも、この世界を戦争に巻き込んで欲しくない。分かるでしょう?この世界を貴方の孤独な戦争に巻き込むことはどういうことか―。」
そう。
この世界を、私の戦争に巻き込む事。
それは、今目の前に居る里緒菜やエレナ。
そして、霧積博士とネルラ。白百合姉妹をも戦争に巻き込むだけではなく、私の理想を集めて作った私の世界を、私の手で壊してしまうのだ。
そんなこと、私は望んでいない。
(すまない。でも、これはこの世界を守るためではない。君自身を守るためなのだ。そして、君が元居た世界で戦争をして、元居た世界を破壊すれば、この世界が無くなってしまうのだよ。なぜこの世界が滅亡に向かっているか、頭を冷やして考えてくれ。)
エレナの悲しい目は、私にそう言っているようにも見えた。
エレナは、何も言わなかった。




