ふたりきりの休暇
「昨日、窓の外に置いてあったから捨てたのよ。ちょっと、大丈夫?」
リリーは彼女の肩に手を置いて支えた。が、マーガレットはずるずると座り込んだ。
「うっ…は…っ」
呼吸がおかしい。彼女は真っ青な顔で口に手をあてた。
過呼吸だ。リリーは目についたタオルをふくらませて、彼女の口にあてた。
「ゆっくり息をして。大丈夫、あわてないで…」
背に手をまわしてさすっているうちに、次第にマーガレットは落ち着きを取り戻した。彼女はリリーの腕のなかでぐったりと目を閉じ、しばらくそのままだった。リリーはとりあえず謝った。
「あれを捨てたのは私よ。ごめんなさい。驚かせたわね」
彼女は弱弱しく首を振った。
「ちがうわ。あなたは関係ない。これは、これは…」
「何か心当たりがあるの?」
彼女は目を見開いた。青いその目はおびえていた。
「…人間じゃないわ」
リリーは恐る恐る聞き返した。
「それって…この世のものではないってこと?」
彼女はぎこちなくうなずいた。
「そうよ。私にずっと…ずっとついてくるの。いくら謝っても…許してくれない」
また彼女が震えだしたので、リリーは自分のペンダントを外して彼女に握らせた。
「これは…?」
「お守りのメダイ。かしてあげる」
「お守り…?」
「そうよ。母の形見なの。ずっと私を守ってくれたし、これのおかげで私は学校に入れたの。効力はたしかよ」
本当はただの形見のメダイでしかない。だけどリリーは重々しくうなずいてみせた。彼女はじっとそれを見つめてから自分の首にかけた。
「そう、それで大丈夫よ」
彼女は子供のようにうんうんと首をふった。
「さあ、着替えて朝食をもらいにいきましょう? 何か食べれば気分も良くなるわ」
リリーはマーガレットの手を取って立ち上がらせた。彼女はされるがままだった。
結局そのまま休みの間、リリーとマーガレットは一緒に多くの時間を過ごすこととなった。彼女はリリーの都合などお構いなしに部屋に入ってきては、時間をつぶすのだった。
「退屈だわ、冬休みって」
机に向かって予習していたリリーは、目を上げずに答えた。
「じゃあこれが終わったら一緒に自主練しましょうよ」
マーガレットは顔をしかめた。
「また? もうしたじゃない。クリスマスなのに一日中練習なんて」
「退屈なんでしょ」
「でも…もっと楽しいことしたいわ」
「そうねぇ」
リリーは考えた。クリスマスといえば。
「教会に行く? ミサにはもう間に合わないだろうけど」
「嫌よ。教会は寒いわ…でも外に出るっていうのはいいわ。そうだ! デパートに行きましょうよ。久々にショッピングがしたい」
「デパート?行ったことないわ」
「私と一緒なら平気よ」
毛皮のコートに、ふかふかの立派な帽子。手をくるむのは上等のマフ。マーガレットは雪だるまもかくやというほど着込んで出発した。対してリリーはいつものすり切れた外套にプラトークという出で立ちであった。
(私なんかが入っていいのかしら…)
街中にそびえたつ豪奢な建物を見上げてリリーは尻ごみしそうになった。マーガレットは意気揚々と光るガラスのドアをくぐった。赤い制服を着たドアマンが頭を下げた。
「どうしたの、はやくいらっしゃいよ」
「はい、お嬢様」
リリーは付き添いの女中に徹することにした。
入ってすぐ、ずらりとならぶ宝飾品のガラスケースをマーガレットは覗き込んだ。天鵞絨のクッションの上に、輝く指輪やブローチやが並んでいる。すかさず女性の店員がマーガレットに声をかけた。
「いらっしゃいませ。こちらご覧になります?」
「いいわ。今日は服を見に来たのよ」
マーガレットは機嫌よく返し、ふかふかの絨毯がしかれた広々とした階段を昇って行った。新しいマフが目に留まったのか、マーガレットは手袋専門店の前で立ち止まった。
「これ素敵だわ」
またしても店員がやってきて、ああでもないこうでもないとマーガレットは手袋を選び始めた。
リリーは次々と出てくる品物よりも、じっとデパートガールを観察していた。真っ赤に塗られた唇に、コール墨で描かれたアイライン。きっちりとセットされた髪型はその職にふさわしくきりりとして見えた。
(こんな仕事もあるんだな。お給料はどのくらいなんだろう。都会でくらしていけるだけもらえるのかな…。)
そんなことを熱心に考えていたら、マーガレットはいつのまにか買い物を終えていた。
「ちょっと、何ぼんやりしてるの」
「お買い物はお済みで?お嬢様」
「やめてよ、その変なしゃべり方。…ちょっと疲れたからサロンに行くわよ」
マーガレットはもうひとつ上の階に向かって、真っ白な調度品で統一された天井の高い部屋へと入った。
「お茶をふたりぶん。お菓子もね」
ふかふかのソファに座りながらマーガレットはウエイターに言いつけた。
「私はよござんす、お嬢様」
「もう、いいからあなたも座って」
リリーは隣に腰かけた。マーガレットは先ほど購入した手袋が入っている箱を、リリーにずいと差し出した。
「これ、あげる。あなたのよ」
「お嬢様、ご冗談を」
マーガレットの目が吊り上がった。
「もう!ふざけるのやめてちょうだい!バカにしてるの?」
「ごめんごめん。あんまりにもみすぼらしい恰好だからさ。女中ってことにしないと中に入れてもらえないかなって」
マーガレットははっと気が付いたようにリリーの全身を見た。
「たしかにひどい恰好だけど…そんなの気にすることないわよ」
ウエイトレスがしずしずと紅茶を運んできた。行う事は同じでも、田舎の給仕娘とはわけが違う、上品な身のこなしだった。立ち去り方まで完璧だ。
「…ちょっと、何をそんなじっと見てるのよ」
マーガレットが唇をとがらせた。
「いや…ああいう人たちは、どういう出自なのかなって」
「え?」
「都会はたくさん女の人が働いているなって。彼女らはどこから来て勤めて、どう暮らしているのかなって」
「さぁ…。たいていは労働者階級の娘じゃないのかしら。田舎から出てくる子もいるんじゃないの?」
マーガレットはお茶を飲みながら言った。
「じゃ、私と似たり寄ったりね」
俄然、彼女らに親近感がわいた。
「もしバレエで食べていけなければ、デパートガールになるのもいいかも」
リリーは冗談でそう言った。
「ふん。そんなこと思うなんてどうかしてるわ」
マーガレットは尊大に言った。
「マーガレットは卒業したらどうするの?どこかの劇団に入るつもりなの?」
「…考えてないわ。まだ三年も先の話よ」
「三年なんてあっという間よ。でも…お嬢様にはそんなの関係ないか」
「なんのこと?」
「お家のルールがあるでしょ?家業を継ぐとか、婿取りだとか…」
「そんなのないわよ」
「そうなの?親が決めた相手と結婚しなきゃいけないんでしょう?」
ユーナの事が頭に浮かんだ。彼もいずれ嫁とりをするのだろう。
「それは…そうかもしれないけど」
マーガレットはぼんやりと言った。まるで他人事のようだった。
「そんなこと、考えたことなかったわ」
「少しは考えたほうがいいんじゃないの?」
「あなたはどうなのよ」
「私は…この間言ったじゃない。できるだけ良いバレエ団に入って、バレリーナとして生きていくつもりよ」
「結婚は?」




