私たち敵同士
彼女は持っていたお菓子の紙袋を慌てて後ろに隠そうとした。リリーはそれを見なかったことにした。
「偶然ね。まだ帰ってなかったの?」
何も声をかけないのも不自然だったので、リリーはそう言った。だがマーガレットはぶすっとしたままだったので、そっとしておこうと踵を返した。
「ちょっと、待ちなさいよ!」
「なに?」
振り返ったリリーに、マーガレットは袋を押し付けた。
「これあげるわ」
「いらないよ。だってあなたのでしょ」
リリーは受け取らなかった。
「何よ、いい子ぶっちゃって。私の事バカにしてるんでしょ」
今日の彼女は、いつも以上に気が立っているようだった。
「してないよ。好きなもの食べればいいじゃない。クリスマスなんだし。私お腹すいたから帰るね」
触らぬ神にたたりなし。リリーは背を向けたが、彼女はつかつかと隣に並んだ。
「ならいいじゃない。食べなさいよ、ほら」
マーガレットはぐいぐい袋を私に押し付けてくる。
「なんで? 自分で食べるために買ったんでしょう。理由なくもらうの悪いわ」
「私はもう食べたからいいの。それとも何? 体重を気にしてるの?」
バレエの技を行うには、当然体が軽いほうが有利だ。なので学校には厳しい体重制限がある。オーバーして一定期間戻らなければ、自己管理ができていないとみなされ退学となる。
「そんなことないけど…」
「ならいいじゃない。あなたも少しくらい、太ればいいのよっ」
リリーはあきれた。が、断るともっとめんどうなことになりそうだ。
「わかったわ。じゃあ一緒に食べましょう?それでいい?」
「一緒にって…こんなの持って帰ったら怒られるわ」
リリーは道のベンチの雪をどけて、座った。
「ここでいいじゃない、ほら」
「寒いわ」
文句をいいつつも、彼女も腰を下ろした。
「あなたいつ帰るの? 今日の列車、間に合うかしら」
リリーがそう聞くと、マーガレットは顔をしかめてうつむいた。それで、帰らないのだとわかった。しかし彼女が居残り組とは、意外だ。何か事情があるのかもしれない。
「そっちも帰らないんでしょ、どうせ」
マーガレットがそう言ったので、リリーはあっさりうなずいた。
「家がないから」
「勘当でもされたの」
「そんなものね」
「家族は…いないの」
「弟が一人。もう会う事もないでしょうけど」
リリーはそう言ってぼんやりと雪のつもった地面を見た。外へ出ても、違う人と話していても、結局彼の事を思い出してしまう。忘れたいと思っているのは本当なのに、それができない自分が情けなかった。
「なにそれ。会いたいなら会いにいけばいいのに」
マーガレットはふんと顎をそびやかしてそういった。その金の髪と睫毛は、冬の空気の中で神々しく輝いて見えた。リリーは思わず見とれた。彼女は正直者だ。自分の気持ちを偽ることなど、考えもしないのだろう。真似なんてできないが、もし自分に少しでもこの強さがあれば、弟との関係も今とは違っていたかもしれない。
「…あなたがうらやましいわ」
「なにそれ。バカにしてるの?」
「ううん…本心よ。あなたは、私にない物をもってる」
「えっ?」
彼女が怪訝な顔でこちらを見た。リリーは肩をすくめた。
「なんでもないわ、忘れて」
彼女は突如怒ったように菓子の袋を押し付けた。
「た、食べなさいよっ」
「ありがとう」
言われるがままに、リリーは焼き菓子をほおばった。
焼きたてなのか、まだ少し温かい。どっしりとしたスポンジに濃厚なカラメルがしみ込んでいて、香ばしい匂いが口中に広がった。スポンジの中にはクリームがはさんであった。甘く軽やかで、天使の羽のようにふわりと舌の上でとろけるクリームだった。
さらにその下に、リリーの好きなさくらんぼのジャムが忍ばせてあった。リリーは目を白黒させた。
「こんなもの初めて食べた」
反対にマーガレットは浮かない表情で、どうでもよさそうに言った。
「そう」
「おいしい」
「そう?」
「うん、すごくおいしい」
リリーは味をかみしめるように一口づつ食べては目を閉じた。都会にはこんなすごいものがあるのか。いつか自分の稼いだお金で好きなだけ食べれるようになりたいと思うと、先ほどの情けない気持ちが薄れて、力が湧くようだった。
「…いいわね。そんなことで喜べるの。うらやましいわ」
「なぜ? おいしいじゃない。だから買ったんでしょ?」
「だって…甘いものは太るわ」
体重制限など、この素晴らしい焼き菓子を前にしたら逆に罪な気がした。
「いいじゃない、休暇なんだし。気になるんなら帰って運動すればいいわ。それにしてもおいしい」
マーガレットはバカにするようにリリーを見た。
「そんなもの、大したお菓子じゃないわ。あなた普段何を食べてきたの」
「甘いものなんて……ジャムくらいしか、食べたことないわ」
リリーは苦笑いした。だけど、それは特別なジャムだったのだ。母と2人の生活は決して裕福ではなく、田舎ということもあり甘いものなどめったに食べられなかった。
母の好物であったさくらんぼのジャムが、唯一の甘い食べ物で、たまに出されるそれにリリーは目がなかった。母はさくらんぼのジャムを出すたびに言った。
「一度、パパとさくらんぼ畑に行ったことがあるの。赤い果実が宝石みたいに鈴なりになっていてね、あ
たり一面、甘い蜜の匂いがするのよ。天国みたいな場所だったわ…」
それを想像するたびに、リリーも幸せな気持ちになった。そして行ってみたいと思った。だから実際のさくらんぼの木を目にした時はすこしがっかりした。
そして、きっと母の言うような場所は現実には存在しないんだと気がついた。母の思い出の中にしかない、美しい場所なのだ。
が、そんな事をマーガレットに言っても仕方がない。
「もっとすごいお菓子があるの? いいわね。いつか食べてみたいわ」
マーガレットは少し得意そうに顎を上げた。
「いくらでもあるわよ。私の誕生日には、三段重ねのケーキが出るのよ。たっぷりチョコレートクリームが乗ってて、その上にいちごとさくらんぼがどっさり飾ってあって、そりゃあ美味しいんだから」
そう自慢する彼女の横顔は、子供のように無邪気だった。
リリーはしみじみ言った。
「あなた、お姫様なのねぇ」
「なによ、バカにして。お姫様なんかじゃないわ」
「そうね、あれだけのダンスできるものね。ただのお姫様じゃないわ」
彼女の踊りは、本調子でないとわかるときでさえ水際立っていた。体調のすぐれない中このレベルを維持しつづけるのは相当な努力があるはずだ。
「でも体調はどうなの? 私、まだあなたの万全の踊りを見たことがないわ」
マーガレットはうつむいた。
「どこか痛めてるのを隠してるの? 早めに治療したほうがいいよ。…わかってるとはおもうけど」
「…治療して治るものでもないわ」
リリーは慎重に聞いた。
「それって不治の病とかじゃ…ないわよね」
「ちがうわよ、そんなんじゃないわ。でも…」
「でも?」
マーガレットは鬱陶しそうに首を振った。
「詮索しないで。どうでもいいじゃない、私のことなんて」
「私たちペアなんだから、心配くらいするわ」
「心配? バカね。私たちは敵同士でしょ」
「ライバルだけど、仲間でしょ。みんな同じ目標をもって来ているんだから」
その言葉に、彼女は肩をいからせてきっとこちらを睨んだ。その青い目には鋭い光があった。
「自分以外は皆敵よ! 私より上手い子が現れれば、その子が選ばれて私は負ける。皆私が負けるのを今か今かと待ってる。仲間なんかじゃないわ。私はあなたに負けたくない。あなたが消えればいいって思ってるわ!」