Case1:
「すまないが、きみとの予定はなかったことにしたい。詫びは後日にでも」
そんな言葉と共に置きざりにされた。
庭園を見ないかと誘われたはずなのに、その園の入り口でラヴィニアはひとりぼっち。一緒に回るはずだった相手は誰だか知らない女性と腕を組んで、楽しげに遠くを歩いている。
ざわりざわりと心が揺れる。けれど口はぴったり閉じたまま、何も言葉が出てこない。しばらくその場に立ち尽くし、ラヴィニアは家路へと着いた。
その晩、ラヴィニアは久しぶりに日記帳を取り出した。誕生日プレゼントとして両親からもらったものの、うまく書くことができず途中から真っ白になっている日記帳だ。だいぶ飛んでしまった日付けを記入したあと、ため息をひとつついてペンを動かす。
『今日、約束を突然キャンセルされた。嫌な気持ちになった。でもそれよりも嫌だったのは、嫌って言葉しか思いつかなかったこと。あの人に何も言えなかったこと』
変わりたい、と強く思うには十分に悲しい日だった。
◇
ラヴィニアは裕福な商家のひとり娘だ。父親は豪気で快活、母親もそんな父に負けない元気な人。そんなふたりから生まれたのが内気でシャイなラヴィニアなのだから、人生とはわからない。両親がいくらすごい人でもそれが子どもにも受け継がれるなんてことはないと早々に気付いたラヴィニアは、せめて立派な婿をとって両親に親孝行したいと思っていた。
だから、と言っては乱暴だけれど、ラヴィニアは十六歳にして婚約者の候補がいる。
家を継ぐことができない男性からするとラヴィニアは美味しい結婚相手だ。自身に才覚があればさらに商売を盛り立てることができる。もしかしたら貴族の称号も手に入るかもしれない。
彼らは条件に惹かれているだけなのでラヴィニアの容姿や気立てなんて関係ないだろう。そのほうがラヴィニアも気が楽だった。よっぽど変ではない限り、相手から断られることはない。
……だから、断られるということは、そのよっぽどがある場合だ。ラヴィニアはそれが心底怖かった。
面と向かって断りを入れてきたあのトーマスは、今のところ婚約者最有力候補だった。ラヴィニアにとってトーマスは条件のいい人。明るく社交的で見た目もいい。貴族の三男坊であるのでその辺りのパイプも持っているだろう。きっと両親から引き継ぐことになる商会もうまくやっていける。……気が弱くて引っ込み思案なラヴィニアと違って。
ただ彼は生粋の貴族であるので、裕福とはいえ平民のヒューズ家を下に見ている節があった。彼らの感覚からすれば当たり前のことかもしれない。けれど両親を尊敬するラヴィニアからすれば気持ちのいいものではなかった。
「――その魔術師、しょっちゅう行方をくらませるらしい。優秀なんだが扱いが難しいらしくてな。探しに行く人間が毎回汗だくで町中を走り回っているという噂だ」
「まあ、それは大変」
父と母の会話が聞こえてきてはっと我に返る。
今は夕食の時間だ。あわててナイフとフォークを動かし、ムニエルのかけらを口へ入れる。
「その魔術師を探す道具はないかと言われたよ。はてそんなものがあったかと考えていくうちに、ラヴィニアは昔から探し物が得意だったなあと思ってちょっと懐かしくなってね」
「本当ね。ふふ、私の大事な万年筆を見つけてくれたこともあったわ」
こんなふうに両親はことあるごとにラヴィニアを褒めてくれるのだが、それは我が子が特別可愛いく感じるからであって、他人と比べて本当に優れているわけではない――と、思う。父も母も本当に愛情深い人だから、少しばかり大げさなのだ。
商会は主に魔術に関する道具を扱っているため、王立魔術師団はお得意様となる。実は婚約者候補であるトーマスも魔術師団を目指して奮闘していた時期があったらしい。しかし素養がなく入団は叶わなかったとか。
先日あったトーマスとのことは両親に言えていない。
相談した方がいいのかもしれないが、それを考えると気持ちが重くなるのだ。結婚は大事なことだからゆっくり考えていいと両親は言ってくれる。まだ十六歳なのだから焦らなくていい、自分の気持ちを第一に考えなさいと。ラヴィニアに気を遣ってくれているのがわかって嬉しい反面、余計に口が重くなる。どうしてそう思うのかはよくわからない。
浮かない顔をしていたのを見られていたのだろう。母が少しだけ眉を下げた笑みを浮かべる。
「ねえラヴィニア。街にね、凄腕の占い師がいるんですって。悩みの相談にも乗ってくれるらしいの」
優しい声音に涙が込み上げそうになる。
「あなたはもう年頃だし、私たちに言いづらいこともあると思うわ。でもひとりで抱えこまないでね。かわいいラヴィニア。いつだって私たちはあなたの味方よ」
悩みというにはごく個人的で情けないものだけど、両親には見透かされていたようだ。やはり父と母はすごい人だなと、改めて自分の不出来さを情けなく思った。
◇
外は気持ちのいい天気だった。街路樹が並ぶ石畳みの通り道。あちこちに露店が立って、元気のいい掛け声がラヴィニアにもかけられる。
今日のお目当ては例の占い師だ。決まったお店を持たず、けれどもその昔から困った街の人たちを助けてくれたのだとか。噂によるとかなりご高齢のお爺さんらしい。
探し物上手というのは両親の誇張だけど、ラヴィニアなりに必死で探してみた。露店の店主にそれっぽい人を見かけなかったか聞いて、警備隊にも同じく聞いてみたり。けれどそういう話はまったく出てこない。
一度立ち止まり、目を閉じて深呼吸。
頭のなかの雑念を払って、占い師はどこだろうと考える。これまでの情報をもとに自分なりに考え、ラヴィニアはぱっと顔を上げた。なんとなくここではないかという場所を思いついたので、あとはひたすら目的地を目指して足を動かした。
そこはとある雑貨屋の二階。きしむ外階段を登った先は文字のかすれた小さな看板と古びた扉。ドアノブを握ろうとして緊張で手が震えていることに気付いた。目をぎゅっと閉じ、ノックを二回してから思い切ってドアを開ける。
「こ、こんにちは! あの、わたし――」
「あ?」
途端に部屋の奥から聞こえてきたのは妙にガラの悪い声。
姿は見えないが男性のようだ。
「なんでここがわかった」
「えっと、」
「おかしい。術は効いてるはずなんだが」
どう考えてもお爺さんの声ではない。もっと若くて、もしかしたらラヴィニアと同世代くらいに聞こえる。
そして歓迎されていない雰囲気を察知して早くも気持ちが折れそうになっていた。
思わず一歩後ずさる。同時に、暗がりから現れたのはひとりの青年だった。占い師というより魔術師のような姿。歳はラヴィニアよりもいくつか上かもしれない。
フードがはらりと落ち、現れたのは端正な顔だった。しかしわかりやすく不機嫌そうに眉が歪んでいる。その迫力に思わず涙がにじんできた。
「なんか用?」
「あ、あの、わたし、占い師の方に話を聞いてもらいたいことがあって、それで」
上擦った声で必死に弁明をする。
ぜったいに開ける扉をまちがえた。すぐに謝って出て行かないと。怖い。どうしようどうしよう、迷惑をかけてしまった。そんな思考が次から次へラヴィニアを襲い、恐怖から小鹿のように震えてしまう。それを見て男は小さくため息を吐いた。
「……ジジイとの約束だ。この店に用があって来たやつの話は聞くこと。仕方ねえ、ちょっと待ってろ」
そう言って踵を返す男。呆気にとられている間に再び部屋の奥へと行ってしまった。
(話を……聞いてくれる?)
緊張でがちがちに固まっていた体から、少しだけ力が抜けていった。




