03.辺境聖女のこぶしは三度まで_後編【騎士団長令息ヴァルターの場合】
女相手だと調子に乗り過ぎじゃないかな?
慢心と傲慢を隠すことのない、ヴァルターの顔を見上げる。
厳しい修行によって騎士を多く送り出すリスト家も、末っ子には甘かったのかもしれない。
そうだとしても、シシーとて末っ子だ。
末っ子が馬鹿だなんて思われるのは心外である。
シシーがヴァルターの立場であったら、相手の言うことなど了承しないだろう。
だからこそ都合が良いわけだけれども。
ファスベンダー辺境伯家は、ヴァルター・リストとの婚約継続など少しも望んでいない。
婚約者であるシシー達に冤罪を被せて、口封じとばかりに国外追放まで言い渡そうとした輩達の一人なのだ。
許されると思っているところが図々しい。
本来ならば有責での婚約破棄を言い渡して、高額な慰謝料の請求が妥当なはず。
だが、それを口にしてしまうと、首謀者である王太子の立場が危うい。
王となる資質が問われてしまい、場合によってはいらぬ後継者争いが生まれる可能性がある。
つまりは国政に一波乱が起きてしまう。
そんな王家ならば滅亡しろというのがシシーの持論だが、王太子の婚約者であるグリゼルダが仲裁に入った。
ファスベンダー辺境伯家の要求を呑めたならば継続できるように取り計らうと、救いのあるような甘い言葉で惑わせて、シシーに仕返しの為の機会をくれたのだ。
静かに祈りの言葉を神に捧げる。
口にし慣れた言葉は、地域によって多少の違いがあるが、それは些末なことである。
この世界での人ならざる力は、全て神によって与えられるもの。
だから言葉が変わろうが、神に祈るだけでいい。
日々祈る身としては、奇跡というものは思ったよりも安易だと思うが、それでも際限なく湧き出る魔獣との戦いには必要で、辺境の民として感謝を忘れることはなかった。
体中で温かな血液が流れ始める感覚と、内側から溢れる形容しがたい何か。
これで強化の祈りは完了だ。
軽く腕を回して、力が行き届いているかを確認する。
問題無い。
「ヴァルター様、お気持ちの準備はよろしいですか?」
「いつでも構わない」
シシーが問えば、小馬鹿にした笑みを浮かべるヴァルター。
それではと、シシーが手慣れた仕草で半身を捻りながらこぶしを握った時に、初めて片方の眉が怪訝そうに上がった。
が、もう遅い。
軽く、そのくせ鋭く空を切る音と、遅れて届いた破裂音にも似た音。
悲鳴は聞こえなかった。
確かにシシーの前にいたはずのヴァルターの姿は無く、横を向いた彼女の視線を追えば、壁にめり込みそうな人間の体だけが確認できる。
「これで一度目」
ファスベンダー辺境伯家の面々以外から聞こえる、動揺の声や悲鳴を気にせず、軽やかな足取りでヴァルターであるものに近づく。
強化も祈りならば、治癒も祈りだ。
言い慣れた言葉を口にしながら、ヴァルターの体を壁から引き剝がす。
見る間に傷が塞がっていく大きな体を、彼の両親の傍に放り投げてやれば床に転がり、また一つ悲鳴が上がった。
既に体は治癒しきっているというのに、ヴァルターは受け身一つ取れずに転がっていく。
ゆっくりとシシーが歩み寄れば、よろめきながら上半身を起こし、呆然とシシーを見上げている。
いや、呆然としているが、瞳にありありと浮かんでいるのは恐怖だ。
──これだから王都の騎士なんて。
同じ型の剣技だけを修得して満足し、大きな怪我のないように木剣を振るうだけの試合。
殺すための技も無ければ、剣を喪った場合の対処すらない。
常に携えている剣が、血や何かわからぬ体液に塗れることなど、ほとんどないのだろう。
「それでは二度目といきましょうか」
シシーがそう言った途端、制止するようにヴァルターの両手が上げられた。
「ま、待ってくれ。肉体の強化をこちらも行う!」
どうぞ、とシシーが返せば、慌てた様子で祈るヴァルター。
初めて見る真摯な顔がこんな時かと呆れながら見ていたが、祈りに保身や見栄が垣間見え、増々ヴァルターに対しての嫌悪が募るばかり。
これは何としてでも婚約破棄に持ち込まなければならない。
やたらと長ったらしい祈りが終わった後、きちんと祈りが届いて身体を強化されたのを確認したヴァルターが立ち上がる。
「お前が強化の祈りを、それなりに扱えると思っていなかったからな。
少しばかり慢心したが、さすがに次は無い」
どうやら長ったらしい祈りは、相応にヴァルターの体を鋼にでも変えたのかもしれない。
だが、時間をかけたのは失敗だ。
シシーは一度目と同じように構えながら、ヴァルターに声をかける。
「ところでヴァルター様、私が辺境で聖女と呼ばれているのを知っていますか?」
多分知らないだろう。
目の前の男は王都で過ごすことに満足して、辺境伯領については人の噂程度にしか知らない。
そもそも辺境伯領に来たことがない。
「そう難しいことではありません。単純に、強化と治癒の祈りが得意なだけだからです。
どちらも辺境領の兵士には必要な事ですから」
そして、と言葉を続けた時に、ヴァルターが不安気な表情に変わる。
最初に見せていた傲慢さは影を潜めていた。
「私の祈りは時間経過で効果が上がっていきます」
再びヴァルターの体が消えて、シシーの周囲で風が広がった後、すぐに壁の方から大きな音が聞こえる。
さすが王城。
壁の中に鉄板でも入れていたのか、ヴァルターの体を受け止めていた。
もっともヴァルターの体は受け止められただけで、無事かと聞かれれば否だったが。
いいパンチだと囃し立てるシシーの家族と真逆に、ヴァルターの家族は悲壮な顔で息子の名を呼び、騎士団長夫人は失神したらしく運ばれていった。
めり込むこともできなくなった壁にもたれるようにして、まだ原型を留めているヴァルターに治癒の祈りを施す。
すっかり体は元通りだが、ヴァルターは浅い呼吸を繰り返し、ガタガタ震える体は立ち上がることすらできないでいた。
「さあ、ヴァルター様。三度目といきましょう」
シシーが優しく声をかければ、ビクリと体が跳ねる。
「い、嫌だ。まだまだ強化されているんだろう。
俺は殺されたくない!」
最後は乙女のようなか細い悲鳴だった。
ヴァルターの読みは当たっている。
この三度目のこぶしは更なる強化によって、大きな魔獣ですら一撃で屠る武器となる。
ヴァルターが、というより人間が耐えられるものではない。
だが、それを口にせず、シシーはヴァルターの近くで屈んだ。
そろそろ仕上げだ。
「たとえ、ヴァルター様が壁のシミとなっても、祈りによる治癒は可能です」
そしてシシーは、学園で男子からうけの良かった、愛らしい笑みを浮かべながら小首を傾げてみせた。
「生きていればですが」
この時のヴァルターは死に至る、自分の未来予想図が見えていたのかもしれないとは思う。
「こんなの無理だ! 婚約継続なんてできるか!」
人に冤罪を吹っかけてきた時だって、一度も見せなかった土下座。
「俺の有責でいいから婚約破棄してくれ! 頼む!」
涙と鼻水を垂らしながら、地面に頭を打ち付けるような土下座を披露したヴァルター。
シシーが彼の父である騎士団長を見れば、大きく溜息を落とす。
「婚約継続の申し出は辞退させて頂き、こちらの有責にて婚約破棄を進めさせて頂きたい。
ただ、これはあの事件によるものではなく、婚約継続中に起きた不和ということにして頂きたい」
さすがに王家への忖度だとしても無理がある気がしたが、きっと大人は上手く誤魔化すのだろう。
これでシシーは自由を手に入れた。
ここからは親の役割だ。
満足気な父、ファスベンダー辺境伯はシシーの頭を撫で、それから「たんまり慰謝料を毟ってやるわい」と豪快に笑った。




