04.向けられる悪意はお互い様_前編【商会子息フェラートの場合】
2026/3/6 フェラート父の台詞を少し修正しました。
王太子の計画した断罪劇は失敗した。
フェラートの読みでは、婚約者であるカレン・ネッカー子爵令嬢と、親しい令嬢達に情報を流していたフェラート以外は、逆に断罪されるはずだった。
だが結果として、大抵の家が婚約を継続したのは予想外ではある。
フェラートを信用しきっている婚約者を除き、どの令嬢も愛情など無さそうだったから、てっきり婚約解消するかと思っていたが。
とはいえ、王太子を虜にした乙女が修道院へと送られるのは、令嬢達との打ち合わせ通り。
後は乙女を自分の手中に収めるだけだ。
少しばかり予想外のことはあるが、概ねフェラートの計画に沿って進んでいる。
家族と夕食を囲む中、普段は陽気な家族の表情にも、僅かに緊張と不安が入り混じっていた。
ルーファー商会は国内有数の大きな商会であるとはいえ、特権階級を見上げる一介の商人に過ぎない。
この国の貴族という立場を手に入れるため、動き出すのはこれからなのだから。
「フェラート、ネッカー子爵家の様子は変わりないの?」
母親が神経質そうに指でテーブルを叩きながら、フェラートへと問いかけてくる。
わざわざ子爵家からお迎え付きで、招待された理由が気になるのだろう。
「問題無い。あの断罪劇失敗で、我儘娘がすっかり俺に惚れ込んでいるって話だったから」
そう答えてから、フェラートの唇が歪な笑みを作る。
「可愛い一人娘がそこまで惚れ込んでいるならば、と子爵夫妻達も結婚を早めたいらしい。
一月後には子爵領へとバカンスだとさ。
親父が潜り込ませた奴のおかげで、俺に取り入る使用人達は掌握済。全て順調だ」
ここでようやく家族の表情に、余裕が戻ってくる。
二人の兄はフェラートの背中を叩き、父親は手近な酒瓶を引き寄せて蓋を開けば、ウィスキー独特の強い香りが、フェラートの鼻腔へと届く。
まだ成人したてのフェラートには、馴染みない匂いだ。
「お貴族様だからと用心したが、なに、噂通りの善良な人物だったみたいだな」
すっかり上機嫌になった父親が、手酌で杯を重ねていく。
いつもであれば誰かが杯に酒を満たしてくれるのだが、この場での話は、使用人であっても聞かれるわけにはいかないのだ。
「フェラート、例の品はニコラスが入手済だ」
ニコラスはフェラートの叔父だ。
彼を見れば、ニッと笑って小さな小瓶を懐から出した。
「この国ではまだ認められていない薬だ。
名前は眠り姫。お前の可愛いお嬢様も、眠るように死んでくれるだろうさ」
手に取って照明へと透かし見る。
茶色の遮光ビンの中で、色のわからぬ液体が揺蕩う。
「段取りの再確認だ」
ビンの中を眺めるフェラートを置いて、父親が口を開く。
「フェラート。お前はネッカー子爵令嬢との婚礼準備のため、二人で領地に向かう。
屋敷に着いたら、早々に薬を飲ませろ」
兄が王都から子爵領までの地図を広げ、そこに母親がイミテーションの宝石を置いた。
「後を追う子爵夫妻は馬車での移動中、子爵領に入った所で不幸な事故によって死亡する」
母親が次の宝石を置いたのは、山の麓沿いにある道で、人目が届きにくい場所だ。
そこで彼らを処分するのだろう。
「ネッカー子爵令嬢を支えるために、結婚式だけは急ぎ執り行われる。
こうして、若くして子爵となったフェラートは、喪に服すために夫婦揃って王都に行くのを控えることになるだろう。
子爵令嬢はすっかり気落ちして、体を壊してしまうな。
領地での療養が必要だと、こちらで手配した医者に診断される手筈だ」
父親の手にある杯が傾き、中に残った酒が地図にある子爵領を染めていく。
「これで子爵家は我々のもの。
フェラートはあの娘を迎え入れればいい」
** *
一ヶ月後の出立は慌ただしかったが、それも当然ともいえよう。
ネッカー子爵家とは卒業前から結婚式の準備をしていたが、それでも貴族というのは煩わしいもので、しきたりという名の形式的なやり取りがいくつも行われる。
ただ、他家への挨拶は後回しで構わないと言ってもらえたので、僅かながらにも手間は省けたが。
今は婚約者であるカレン・ネッカーと、馬車に揺られての道中だ。
子爵領までは一週間程。
気は乗らなかったが、媚を売るのも後少しだ。
「子爵領に入りました。
屋敷に着きますのは、これより2時間ほど後になるかと」
旅の最終日に昼を摂る中、同行する使用人からの報告に、カレンは素っ気なく「そう」とだけ返し、フェラートへと笑顔を向ける。
「フェラートは王都から離れたことないのだったわね。
田舎で驚いていないかしら?」
「まさか。確かに王都のように建物だらけじゃないけど、穏やかな風景が落ち着けるよ」
これだから貴族は。
この風景がフェラートのものになる、ただの商人の息子では手に入らない豊かな土地だ。
気に入らないわけがない。
自分のものにケチをつける忌々しい女だと思ったが、まだ名義上は彼女の父親のものだ。
屋敷に着いて事を終わらせるまでは油断も慢心も許されない。
「それにしてもフェラートが、同行する使用人を指名するなんて思わなかったわ」
何気ない言葉に反応しそうな表情を抑え込んで、フェラートも笑顔を浮かべた。
「ネッカー子爵家に婿入りするのだから、名前をちゃんと覚えていると知ってほしくて」
「良い心掛けだわ」
カレンが上から目線の返事をしながら、反吐が出るくらい優雅な所作でナイフとフォークを置く。
王都であれば、どこででも見かけそうな佇まいの宿屋だったが、子爵家がよく利用するのか、ちゃんと給仕が一人付いてくれていた。
そういえばどこで出された料理も、それなりにお上品だった気がする。
フェラートも子爵家に婿入りするので一通りのマナーは身に付けているが、気を使い過ぎて何を食べているのかわからなくなる時がある。
特にカレンはマナーについて口喧しい。
それに比べて乙女は、大きな口を開けて美味しそうに食べていた。
そういったことに好感を持てるのは、同じ平民同士だからだろう。
つらつらと考える間に再び馬車に乗り、適当な相槌を返していたら、見えてきたのは大きな屋敷だった。
王都にある屋敷だって広かったが、比でないくらいの広さだ。
領地を持つ貴族達は、王都のタウンハウスは大きくないとは聞いていたが、フェラートには実感の伴わない話だった。
今はそのリアルが視界一杯に収まらずにいて、フェラートは驚きを隠せないでいた。
出迎えてくれる使用人の数も多く、手早く大きな荷物を運び込んでいく。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
穏やかな風貌をした若い男性が二人を出迎え、カレンがカントリーハウスでの家令だと教えてくれる。
どうやらタウンハウスで家令をしている男の息子らしい。
「さて、お嬢様。お部屋はいつでも使えるように整えております
フェラート様には客間をご用意いたしました。夕食まではまだお時間はありますが、今日は調理長が腕を振るっております。
ですからどうか、軽く何か召しあがられるのも、お控えになりますよう」
「まあ、嫌だわ。まるで私が食いしん坊みたいじゃない」
田舎者とも思えぬ優雅さで、カレンがエスコートされていく。
何度となく練習したが、フェラートでは身に付かなかった所作だ。
客室で別れたフェラートに、同行していた使用人が後ろから近づいた。
「……あいつは説得済なのか?」
フェラートの視界に映るのは、背の真っ直ぐに伸びた、カレンを先導する男の姿だ。
「ご安心を。あれは長らくお嬢様の我儘に突き合わされ、辟易としていました。
計画にも協力的で、自らお嬢様が死へと旅立つ為の飲み物を用意するのだと、張り切っていたとか」
フェラートにだけ聞こえるように潜められた声に、だが振り向くことはない。
「ならいい」
フェラートは自身の上着の内側へと手を入れ、小さな瓶を取り出す。
「これを混ぜさせろ」
後ろへ差し出せば、手の中にあった冷たい感触がすぐに消えた。
「……確かに。これによって、私達を新しい当主様の側近に取り立てて頂く約束をお忘れなく」
小さく頷くだけにと留めれば、息を吐くような笑い声が微かに聞こえた。
「本当に恐ろしい婿殿だ」
すぐに後ろにあった気配が消えていく。
他の使用人が荷物を運び入れる中、フェラートは「主人を平気で裏切る奴を信用できるかよ」という言葉を口の中で転がした。
こんな簡単に主を裏切る人間など、一人も信用していない。
子爵夫妻を襲った賊達が、金目当てに屋敷にも押しかけ、邪魔をする使用人達を殺してしまう筋書きだ。
結婚式を挙げる若い二人は、使用人達の献身と尊い犠牲によって助かることになっている。
全てがフェラートの、ルーファー商会の計画通り。
どいつもこいつも馬鹿ばかりだと、荷物の運び込まれた客室にフェラートは入っていった。




