七話 府釣間神社の大宴会 "Who is that party for?"
美月山に現れたと噂される虎調査。灯子と己は山へと踏み入れた。
人が踏み込まぬ山中。目指す場所はいつの間にかたどり着くと灯子は言うが……。
十一時ごろ、紅月の屋敷を出た灯子と己は美月山へと足を踏み入れていた。
灯子の言う通り、入り口の三本鳥居を超えた先は道と言う道がほとんどなく、江戸時代にはあった人が立ち入ったはずの痕跡は影も形もない。
幸い灯子が目指そうと歩いている場所はなだらかな斜面で草も背の高いものが無く、灯子の着ている着物や己のスーツなら、まだいけそうな雰囲気であった。
ちなみに灯子の後ろを歩く己は草履を履いてスイスイ進む灯子を見て、美月山の山登りに慣れていることを知る。干し芋干し柿に一升瓶は己が持っているが、山に入って数分、灯子の着物が汚れる気配はいまのところない。
「斑六郎右衛門狸といったか。そいつぁどんな奴なんだ?」
「どんなって言われても、狸よ?」
白鞘仕立ての刀を左手に持つ己は、周囲を見回しながら灯子に話しかける。何の木かはわからないが冬でも葉を散らさない種類のようで、陰る山中の気温は低い。地面にはもっと上にある木が散らした枯れ葉で敷き詰められている。
己が見る限り鳥のわずかな泣き声意外は動物の気配がなく、灯子が言うところの狸がいるようには見えなかった。
「狸ったって、その斑って奴は名前が付くほどの奴だろう?他の雑多な狸よりかは特徴があるんじゃないのか?」
「まぁそうねぇ。とりあえずでかい」
「あるじゃねぇか特徴。で、どのくらい?大型犬ほどありゃぁ驚きだか」
「朝立ち寄った喫茶いなばらにある神社の本殿くらい?」
「随分と盛った話だな。からかってやがるのか?」
「からかってるように見える?」
「……稲見菊中稲原神社の社殿は高さで五、六メートルくらいか?横は十五メートルは超えてるはずだ。それぐらいにでかいってことでいいんだな?」
「座ってるところしか見たことないけど。立ったらそれくらいじゃない?」
「そいつぁ神様って言うよりは妖怪狸じゃねぇか」
「間違いないわね。でも、妖怪だからこそ神格化するのよ」
灯子は振り返って己に指を一つ上げる。誰かに何かを説明する時の灯子がよくやる仕草で、その顔はとても得意げになる。己は、煙草に火を着け、白煙を吐いてから「それで?」と促した。
「陸生の哺乳類において寿命百年を超えるのは人間以外には珍しい。昔においては、百の齢を重ねると妖力か神通力を持つなんて言われている。九尾の狐伝説はご存じ?」
「なんとなくだがな。たしか百を超えた狐は美人になるとか。そいつが九尾の狐って言われてるんだったか?」
「そ。同じように動物は長く生き、長く修行をすることで人知を遥かに超えた力を持つことができる。千年を超えれば人を化かすこともなくなり天へと至る。それを人が神様だと崇めれば神格化する。動物由来の神様ではよくある話」
「で、その斑ってのは三百を超えた古狸ってわけか。なんとも作り話くさい話だな」
「疑うなら実際に会ってみて判断したら?」
「ああ。そうする」
「ありゃ驚くから、今のうちに心の準備しとけよー」
灯子はにっと笑みを浮かべて軽やかに山道を歩きだす。今から会いに行くのが神様狸だということしかわからない己はため息を白い煙と一緒に出して、灯子の後ろをついていく。己にはまだまだ聞かなければいけないことが多いようで、山道に息を切らさない灯子を見て会話を続ける。
「それで?その斑はこの山のどこに居る?」
「神様狸と言うが如く。この美月山にある寺社の一つに居座ってる」
「場所はわかってるってことか。まぁ迷う心配がないならいいが」
「いや、まぁ、なんとなくよ?」
「なんとなく?場所を知ってるんじゃないのか?」
「場所はね。ただ目印もない山中だから道中は結構適当に」
「おい待て灯子。そりゃぁ迷う奴の典型的な文句じゃねぇか」
「大丈夫。大丈夫」
「そいつも大丈夫じゃねぇ奴が吐きそうな言葉だ」
「ちゃんとした用事で山に入れば絶対に行けるようになってるから」
「迎えでも来るのか?」
「そういうときもあれば、偶然着いちゃうときもある。帰りも一緒で、案内がある時もあるし、気が付いたら下山できてる時もある。逆に用事が無いと絶対迷うし、絶対にたどり着けない」
結界か。己がすぐに思いついたのはそれだった。すぐに灯子の軽い口調を聞きながら周囲に気を張る。だが、それらしい気配はなくただ普通の山中にしか見えない。
灯子の言ういまだ存在もわからない神様狸の仕業と考えるよりは、山に立ち入らせない九重の家族側の能力の方が考えやすい。結界を張るということが立ち入らせないために人を騙したりする能力と考えればもしかして、萩原家の能力か?己は目の前にいる灯子を見た。
「いや、考えすぎか」
「なに?なんか言った?」
「迷わねぇならいいが」
「大丈夫だって。ちゃんと紅月の旦那から許可取ってあるし、あと数分歩き回ればなにかしらあるから」
「それならいいが」
「っとそうそう。歩きながらだけどもうちょい斑の事言っておかないと」
「でかい以外に何かあるのか?その狸」
「秋ちゃんとかだったら言わないつもりだったけど、あんただから言っておく」
「俺だから?」
「そ、"元極道"だから」
背を向け歩きながら口にする灯子。己はその言葉を聞き、わずかに目を細める。足を洗ったとはいえ、誇れるようなことではないし、指も肌も奇麗だとは言えその経歴にシミを作った事には変わりない。
灯子は己の経歴に気にしないとばかりに触れてくることがあるが、己からしたら少し避けたい話題でもあった。
「……それと狸になにかあるのか?」
「最近の極道ってどうなのかわかんないけど、隠神刑部って知ってる?」
「ああ、オヤジから聞いたことある。四国の化け狸物語で。八百ほどの子と、その親分である隠神刑部で松山城を守っていたとかなんとか。抗争とか戦争が題材らしく、それをモチーフに極道の映画まであったそうだな」
「稲生物怪録っていう江戸の妖怪物語の中で描かれてるんだけど、四国最強のたんたん狸として君臨した隠神刑部、結局最後は仲間もろとも封じ込められちゃうって話」
「その隠神刑部と斑になんの関係が?」
灯子は振り返ることなく後ろにいる己に向けて、両の手で六を作り見せる。それが意味するのは、
「斑は隠神刑部の六番目の子」
「……ほぉ」
斑六郎右衛門狸。昔において、名前には生まれ順が付くのが一般的であった。それを見ても斑が六番目の子供であることは見て取れる。
ただし、本当に斑が隠神刑部の子であったかどうか確かめたことはないし、その術もないと灯子は付け加えた。
なるほどねぇ。と己は白煙を吐き、灯子の言わんとしているところがわかってくる。元極道の己に対し、抗争、戦争を仕掛けた狸の子。つまりそれは似た者同士。
「それで灯子。つまりその斑ってのは山ん中にいる極道。とでも言いたいってことか」
「大らかな性格と言えば聞こえはいいけど、正直強かな裏心がちょくちょく見える」
「あまりよくねぇ話だな」
「ま、普通にしてれば問題ないけど、己、何をしても誘いには乗らないでね?」
「言わずもがな、だ」
「ただでさえ、美月山はせんそ―――」
灯子が言いかけて足をぴたりと止める。美月山に入りもう数十分と言ったところだ。会話に気を向けていたのかふとあたりを見ると、周りには背の高い草が生えそろっていた。こんな道通ったか?と己が後ろを振り向くと、日中だというのに世闇のように暗い。
「灯子」
「なるほど。今日はこういう趣なのね」
「じゃぁこれが迎えって奴か」
「かもね」
「で、これからなにが起こる?」
「耳、澄ませてみて?」
灯子に言われ煙草を消し、目を閉じて耳を澄ませる己。ふと、笛と太鼓の音が聞こえてくるのがわかった。だが、方向まではわからない。
「お囃子か?」
「縁日だから酒盛りしてるんでしょうね?お、このあたりかなー」
何かに気が付いた灯子が、二度三度足を踏み鳴らす。それは土を踏む音ではなく、平らな石を踏む音だった。目を落とせば、枯れ葉の絨毯の下に隠れて、苔の生えた石畳が僅かに見えた。
同時に己も不意に現れた気配に気が付き視線を向ける。その先には二匹の狸がいた。千鳥足で御猪口を両手で持って。顔は毛に隠れているのに赤いとなぜかわかる。
『飲まばソンソン、食べにゃソンソン。踊らば踊れっ、そーれぽんぽんぽんっ』
『お腹を叩けば音が出る。飲んで食べては膨れた腹さ。叩いた音はぽんぽんぽんっ』
灯子と己の前に現れたのは子供の狸。ひっくひっくと呂律も回らず歌いながら器用に前足で御猪口をぐいっ。左によたよた木にぶつかって、右によたよた地面にばたん。二匹仲良く足をバタバタさせてはいるが、実に気持ちよさそうに見えた。
「灯子、なんだ?あれは」
「見ての通り狸じゃない」
「酒を飲んでるぞ。喋ってるぞ」
「みりゃわかるわよ。斑も喋るんだから子狸が喋ってもおかしくないでしょ」
「いや……ん?俺がおかしいのか?夢か?」
「夢ぇ?夢かしらねぇー?」
灯子は意地悪そうに己の横にぴったり体をくっつけて、その四角い顔の頬を指で軽くつねった。離せとばかりに目線をサングラス越しに向ける己。悪戯好きめと思いながらも、痛みはあるので夢ではない。
「ま、斑の神通力の側にいれば子狸だって喋り出すわよ」
「そう言うことにしておこう。で、この子狸がその斑ってとこへの案内約か?にしちゃ、随分と酔っぱらって頼りねぇんだが」
「まぁ見てなさいって」
「案内させられるのか?」
「楽勝だって」
灯子は、酔っぱらう子狸の前に出ると、視線を下げるようにしゃがみ込む。酔っぱらった狸は立ち上がってふらふら歩き、灯子に気が付くことなくぶつかった。『あひゃう』なんて声があがる。そのままコテンと転び、何が面白かったのか笑いだした。
『酔った酔ったでよったよた。木にでもぶつかりゃ天地もひっくり返る。はーひゃっひゃっひゃ』
『酔った狸に笑う狸。酒が入ればご機嫌だ。はーひゃっひゃっひゃ』
「ちょいとこっち見な狸さん。用事を一つ聞いとくれ」
リズムを取る狸に合わせ、灯子もリズムを取りながら話しかける。子狸二匹は酔っぱらっていい気分なのか、人である灯子に警戒することなく言葉をだす。
『狸に聞こえる声三つ。仲間の狸が迎えに来たか?』
『およよ寄ってぼやける狸が増える。用事の一つも聞こうじゃないか』
「山を登ってここにきた。狸じゃないさ、よく見なよ」
灯子に言われ、頭をぶんぶん振って子狸は立ち上がる。首を傾げながら目の前にいる灯子を見ては前足で目をぐしぐし擦り、じっと顔を近づけてさらによく見る。それでようやく灯子を人間だと認識する。
『ほぉあ!?人間が出てきた。驚きビックリ!』
『人間が何の用だい!?お酒は絶対あげないよぅ!』
「私はお酒はいらないよ」
『なーら人間が狸に何の用さ?』
『人間が狸に用事?どういうことさ?』
「斑の親分に会いに来た。宴会なんだろ?案内してよ」
『狸の宴会に人間が?どうするどうしよ?どうしよう?』
『案内したら怒られる?僕らも宴会戻るし。困ったね』
「酒と肴はいらないかい?」
『案内いたします人間よー!』
『ついてくるがよいでございますぞ人間よー!』
灯子が己に持たせている紫の風呂敷。そこに包まれた干し芋と干し柿に目をキラキラさせながら狸はどうぞどうぞと二人の前を歩き出す。灯子はそのまま振り返ると、どーだ見たかとばかりにピースサインを己に向けた。
「へっへっへ。ほら楽勝」
「芋と柿と酒で釣れるか。随分とわかりやすい奴らだな」
「そう言わない」
「それと、俺ぁ喋る狸っていうのはもっと可愛げのある姿を想像していたんだが……本当に見た目はただの狸なんだな」
「え?なに?ゆるキャラみたいなの想像してた?」
「そこまで型崩れしてねぇが……漫画とかのデフォルメって言ったか?想像していたのはそういう感じだな」
「そんなのがいたら私が見たいわ。ま、とにかくついていきましょ」
子狸はよたよたしながらも灯子たちの前を歩き、時折、灯子と己(の持っている芋と柿と酒)がついてきているか確認するように振り返る。
尻尾を入れても五十センチあるかどうかの小さい狸二匹で、ふと目を離すと見失いそうになる。歩けば歩くたびに周囲は昼間だというのにさらに暗くなっていき、だんだんと近づいてくるお囃子の音だけが迷っていない証拠だと信じてついていった。
『つきましたよ、人間よ』
『人間よ、つきましたよ』
ふっと、足を止める子狸二匹。リズムのないその言葉に、ハッとして灯子と己が子狸から視線を上げる。すると目の前には二十段ほどの急な石階段が現れていた。周囲は暗闇に包まれているのにその石段の向こうに見える赤鳥居の先だけが誘うように明るい。
いつの間にか周囲には幾万もの紅葉がユラユラと舞い落ち、ここが山中であることを忘れるようなどこか不思議な空間に二人はたどり着いていた。
「灯子、子狸がいなくなってるが?」
「……そうね。役目を終えたんでしょ。行きましょうか。斑が待ってる」
灯子は何が起こっているのかまだ理解できていない己に、手のひらで石階段の端へ行くよう指示する。ここがたどり着くべき斑の居場所、寺社の一つであるなら石階段は参道。参道の真ん中は神の通る道だ。
灯子も己とは逆の端により、二人で紅葉の降り注ぐ石段を一歩一歩進んでいく。そうして登り終え、鳥居をくぐった瞬間。視界は一気に広がりお囃子の騒ぎ聞こえる境内へとたどり着いていた。
「着いたってことでいいんだな?」
「ええ。ここが美月寿水郷・府釣間神社。そして――――」
灯子と己の真正面にある神社の社殿。その社殿の前に体を倒して寝ながら、周囲の宴会の狸を楽しそうに見ている巨大な狸の姿があった。
灯子の言う通り社殿が隠れるほどの巨躯は、ゾウとどちらが大きいかと考えてしまうほど。器用に前足で杯を空けるその巨躯の狸の黒い眼差しが、ゆっくりと二人を捉える。
「あれこそが、美月山に生きる二頭領の一匹。斑六郎右衛門狸」
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