【再開の焚き火】
――明け方、焚き火が爆ぜる音でガルドは目を覚ました。
はた、と気が付く。いつの間にか眠っていたのか、やはり香りを”落ち着く匂い”としてしまったのか。
ゆるく振り返れば焚き火のそばにルシアンはおらず、……少し離れた林の淵で、野草を興味深げに見ていた。
あいつ、勝手に――とも思ったが、ガルドの目の届くところにいたのでよしとする。
のそりと起き上がり、焚き木を足す。夏の朝の空気は涼しく、澄んでいた。
「おい、火に当たっとけ」
寝起きの掠れた声で呼べば、振り返ったルシアンがにこりと笑って戻ってくる。
「おはようガルド。初めて見る草があったから」
「……研究者かお前は」
ガルドの小言に小さく笑い、ルシアンは大人しく焚き火の前に座りなおした。手帳を開いて何事かを書き込みながら、先ほど見ていた野草をまた眺める。
「……朝からんな頭働かせてたら、疲れんぞ」
「趣味だもの、楽しいよ」
そう言って広げて見せたページには、簡単なスケッチとともに野草の種類や特徴が描かれていた。
恐らく、後で冒険者ギルドの書庫で照らし合わせるのだろう。そうして彼は、少しずつ知識を増やしていく。
「……ったく」
鼻を鳴らして、水袋を傾ける。まだ火は安定しきっておらず、煙が時折くすぶるように上がっていた。
朝露に濡れた草の香りとともに、淡い木と花の匂いがまた、そっと漂ってくる。
ガルドは再び視線を逸らし、焚き火を見つめ直した。
(……清拭の匂いも……混じってる)
我ながら、これはちょっと……と苦い顔を浮かべる。こうなってくると鼻が利きすぎるのが悪いのではなく、それを分析しようとする姿勢が問題のような気もする。
額を抱える護衛と、それを見て首を傾げる雇用主の図が出来上がる。朝の風が、焚き火の煙をわずかに揺らしていた。
野営地を撤去し、荷物をまた背負う。ガルドが焚き火の跡を踏み鳴らし、ルシアンは山道を眺めていた。
魔獣の痕跡調査の目的地……依頼書にあった峠道までは、あと少し。
そちらに視線をやっていたルシアンの胸元に、またガルドの頭が近づいた。
「わ、びっくりした」
咄嗟にルシアンの肩が揺れる。くん、と匂いを嗅がれる。……もはや遠慮もない。
どこか、半ば吹っ切れているような気配すらある。
「なんだい、毎朝嗅ぐの?そんなに匂いが気になるならやめようか?」
声は、笑いながら言っていた。慣れない街でもすぐに美味しい料理屋を見つけられる、この護衛。鼻は人一倍利く方だ。……ルシアン自身、この香油の香りが気に入っていたが、人の嗅覚の邪魔をしてしまうのは本意ではない。
「やっぱりちょっと匂い強かったかい。君が嫌ならやめるよ?」
「……、やめんな」
一拍置いて、ガルドの低い声が返る。ぴく、と本人ですら驚くほど、確かな口調だった。
「……あ、いや……別に、気になるとかじゃねぇ。……いい匂いだっつってんだろ」
眉をしかめて視線を逸らし、荷の帯を掴みなおす。焚き火の煙も、朝露の匂いも残る空気の中で、それでも確かに香る……木と花、そしてルシアン自身の体温が混じったような香り。
「……つか、なんでつけんだ。……風呂入れねぇ時の匂い消しでそういうのつけるやつもいるが……」
「ああ、うん……匂いが、気に入って……」
「…………」
ガルドは一拍、言葉を探して、一歩だけ街道に足を進める。視線はまっすぐ前を向いたまま。
……わざわざつけなくても、とか、いつもいい匂いだとか、常に清潔だろうとか、今の自分が口を開けば妙なことを言いそうで、それきりガルドは口をつぐむ。
「ともかく……やめんな。いい、別に」
かろうじて、ぼそりと繰り返す声だけが、風に乗って残った。
そこから、少し進んだところに、その峠道はあった。
魔獣の目撃情報あり、と依頼書にあったため探す必要があるかと思ったが、……どうやら討伐対象は留まってくれていたようだった。
岩のような身体と長い尻尾を持つ犬型の魔獣。体長は少し大きめの野犬程度だった。
名前はそのまま、ストーンテイル。尾を地面にたたきつけて威嚇。石を転がしてくる。群れで行動するが、頭はよくはない。……要は、ガルドにとっては準備運動にもならなかった。
「全部で四匹だね」
「……三十秒で終わる」
凄んだ声、ではなく、どこか気の抜けた声でガルドが呟く。ルシアンは、そう?と笑って近くの岩に腰かけた。
「願いの叶う泉、どこかなぁ」
涼やかな声が一つ。……目的地の更新が、すでに行われていた。
ガルドが小さくため息を一つ。吠えるような声を上げて突っ込んでくるストーンテイルたち。
そのうちの一体が尾を振り上げ、地面を叩きつける。石が跳ね、砂が舞う。
「…………」
一閃。……大剣の重みがそのまま、獣の首を打ち据えた。まるで岩を割るような鈍い音が響き、魔獣の身体が地面に転がる。
その隙を縫って、二体が左右から跳びかかるが――ガルドは振り返りもせず、足をするりと滑らせて地面に膝をつき、大剣を水平に払う。
ガギッ……と破壊音がして岩石質の皮膚が裂け、重たい身体が連鎖するように崩れ落ちる。
最後の一体が尻尾を振り回し、明らかに怯えた様子で距離を取った。それを見て、ガルドが舌打ちをひとつ。
「……逃げんな」
大剣を背に戻すことなく、歩を進める。魔獣が振り上げた尾が空を切る瞬間、その真上から叩き落とされた剣が、一撃で沈黙させた。
「……、数えてなかったな」
「二十七秒くらいかな」
ルシアンの声に、ガルドが肩をひとつ回しながら大剣を背に戻した。岩に腰かけていた淡紫が、すとん、とそこから立ち上がる。
彼の視線はもう、峠の向こう――泉のありそうな方角へ。
「守護獣の後じゃあ、運動にもならないね」
「……レベルが違うだろアレはよ」
そうぼやきつつも、ガルドは歩き出す。……口の端には、ほんのりと笑み。
護衛の仕事はもう終わった。次は、魔術師の“寄り道”に付き合う番だった。
――【再開の焚き火】




