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ルシアンの物見遊山【つづきはIIへ】  作者: フジイさんち
セレフィーネ

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【壁画調査】


焚き火の熱と、毛布の暖かさと、左側のぬくもりにまた少しの眠気を覚えながら……眼下に広がる村跡を、ルシアンはぼうっと眺めていた。


徐々に太陽が昇ってくる。世界は目覚め始めているのに、この村はずっと眠ったままだ。

そしてそれすらも――美しいと思ってしまう。


珍しい花や、幻想的な地底も魅力的ではあるが……過去を思い起こさせるような消えた営みの痕跡にも、ルシアンはどうしても心惹かれてしまう。



――が、ふとその銀の眼差しが変わった。

すくりと立ち上がる。肩にかけていた毛布が足元に落ちた。

ガルドが一瞬ルシアンを見て、即座に周囲に視線を投げる。


「っなんだ、何かいんのか」


同じように立ち上がり、ぐるりと回りを見たのち――何も異常がなく、ルシアンに視線を落とした。


「……おい、なんだ、どうした」

「……ああ、ごめん……、あの壁画、ここから見える景色と一緒だね」


静かに落ちたルシアンの声に、ガルドが改めて村跡を見やる。

崩れかけた石垣、家々の基礎跡、段々に積まれた畑の名残。

そして背後、一番上に位置する石碑――。


ガルドの視線が、ゆっくりとその配置をなぞる。

昨日の調査で浮かび上がった壁画の構図と、今目の前にある地形とが、脳内で重なっていく。


「……なら、人間は下からこっちを見上げてたか」


口に出して言った瞬間、寒気とも違う何かが背筋をなでた。

やはり描かれていたのは、何かの"歴史"なのかもしれない。この村で、かつてあったなにか。


ガルドは肩越しに、幕で覆われた石碑を振り返る。

その上部、苔に覆われた"台形"の文様が、昇る朝日に照らされ、わずかに金を帯びていた。


「何を見上げてたんだろう」

「…………」


呟きながら村跡を見下ろすルシアンの、その隣に立つ。

先ほどまで毛布の中で感じていたぬくもりが、朝の冷気の中にほんのり残っていた。




無言のままに、ルシアンが踵を返して壁画へと向かう。止めもせず、ガルドも黙って後を追う。


そうして――今一度、壁画に相対する。木々と共に描かれた、在りし日の村の簡易な景観。

顔を持たない、しかし祈るような姿勢で立ち並ぶ人々。

台形の――……。



「……、……蝶……かな」



無数の蝶が、天へと昇っていく様子。


今にしてみれば――、一見幻想的な壁画にも見えるそれは、筆が荒く、願いの強さが滲むようだった。仕上げを急いだのか、描かれた当初の緊迫感さえ感じる。

そのせいで、蝶のような複雑な模様が、風化とともに台形状に見えてしまっていた。


「おい」


壁画の周辺を歩いていたガルドが、低い声でルシアンを呼んだ。

ルシアンがその隣へ行くと、壁画の側面、崩れかけた箇所に、碑文のようなものが彫られている。




『たましひの還るところ かみのひざもとにぞ

われら此処に 火と水と風を閉ざし

その子ら やすけく眠らんことを』




「…………」


ルシアンは、一言も発さなかった。


赤い瞳が覗き込んでくる。それに気づいて、小さく笑った。


「……どうかしたか」

「ううん……恐らく、疫病か災いから子どもたちを守ろうとした人々が、疫病が封じられることを祈って描いた壁画だろうね。この碑文は、その名残かな」

「……そうか」



……もう一度、壁画の前に戻る。


家々の屋根から、蝶が天に昇っていく絵。

蝶は時に魂として描かれることもある。


描かれた屋根の一つが、崩れている描写もある。



――"守り切れなかった"という痛みの記録にも、見えた。



「……記録をして、行こうか、ガルド」


振り返らずに言うルシアンの声色は、どこか静謐(せいひつ)だった。

けれどその背は、何も背負ってはいない。


すぐに返事ができず、ガルドは言葉よりも先に一度深く息を吸い込む。

湿った土の匂いと、風に揺れる草の音。そして、風化した岩肌に残された祈りの形。


そのすべてが、今だけは妙に重たく、胸に沈みこんできた。


「……おう」


短く返して、その後は黙って横に立つ。影にならぬよう位置を調整しながらも、周囲の警戒は怠らない。


ルシアンがペンを走らせるたび、ほんのわずかに幕が揺れる。

風が舞えば、上空の木々の枝がかさりと鳴き、蝉のような声がひとつ、遠くでかすかに聞こえた。


蝶の群れが昇るその構図を、ルシアンが静かに写し取っていく。時折、手が止まる。

指先が、一拍沈黙する。だがすぐにまた、再開される。


「……祈りか」


ガルドがぽつりと呟いた。


「もう、それしか……なかったんだろうな」


その声は壁画に向けられていた。決して、全てを汲み取れたわけではない。

ただ、かつてこの村で何があったのか、そしてそれが何を遺したのか――それを受け止めた、今を立つ者としての言葉だった。


静かな時間が流れる中、細い筆致(ひっち)が、蝶の姿を一つずつ紙の上に落としていく。


その動きは、まるで魂をすくい上げているようにも見えた。




依頼名:村跡旧壁画の保全調査

●構造概要

・旧村跡地、東側丘陵に面した石造祠

・壁画幅:約三メートル×二メートル半

・岩肌へ直接描かれた彩色表現あり。構図の半数以上に劣化進行中


●魔力干渉による色素反応

・魂を象ると思われる蝶群、および空部にて微弱な光彩変化を確認

・術者の魔力属性により反応度は変動する可能性あり

・蝶群は"上昇方向"を示す描線構成。象徴的意図を含むと推察


●描写内容の分析・所見

・中心構図は村落と複数の人物影。いずれも顔は描かれず、頭上を見上げる姿勢

・人物の上空には蝶、蝶は屋根部より天へと昇る構成

・背景には意図的な"空白"あり。魔力反応でごく薄い光線軌道が確認された

これにより、魂の上昇/死後の昇華を主題とする描写である可能性が高い

壁画は、村の終焉と祈りを記録する鎮魂儀式の一環であったとも考えられる


●石碑下部の彫文

〈たましひの還るところ かみのひざもとにぞ〉

〈われら此処に 火と水と風を閉ざし〉

〈その子ら やすけく眠らんことを〉

災厄から子を守るための"封鎖と祈り"の文言か

疫病または災害による村落全体の喪失と、魂の慰撫(いぶ)を願った痕跡と推定




記録を終え、ルシアンが踵を返した。野営地では、ガルドが拠点の撤収作業を進めている。

赤い瞳がこちらを見た。……応えるように、ルシアンも微笑む。


「手伝うよ、ガルド」


その柔らかな微笑を受け、ガルドもまた何も言わず、手元の荷を少しずらして空けた。


「……じゃあ、そっちの杭、抜いとけ。幕も忘れんなよ」


命じる口ぶりでありながら、語調はどこか緩やかだ。淡紫の影がそちらへ歩み寄るのを確認し、再び手を動かす。

焚き火の灰を土で均し、痕跡を残さぬよう、整えていく。


野営地を整えるのと同じように、過ごした時間もまた、丁寧に仕舞われていく。

ただの旅の通過点――のはずなのに、妙な名残惜しさがあった。

ガルドが最後に荷紐を締めながら、ぽつりと呟く。


「……、……ま、悪くはねぇ」


それはただ、隣の旅人に投げた静かな言葉。

銀の眼差しが一度だけガルドを見て、音もなく笑った。


村跡に背を向けたふたりの足取りは、重くはないが、静かだ。


振り返ることもない。

けれど遠く肩越しに、あの幕の奥で眠る蝶の群れが、まだ空を舞っている気がした。

これからまた三日ほどをかけて、次の街へ向かう。この村を、ここに置き去りにして。


けれど、手元に残された記録が、確かにこの場所に人々の営みがあったという証になるのなら。




静かな旅路も、悪くないかと思えた。






――【壁画調査】

たましいは かみのもとへ かえるでしょう

わたしたちが ここに わざわいと やまいと えきをふうじ

おさないこが やすらかに ねむれるように

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