【美しいもの】
地獄のような五日間が終わり――ルシアンは、大変満足をしていた。
面白いものを見た。ただそれだけの、純粋な充足感。
石塀脇に歩み寄ってきたガルドの横に並び立ち、塵のついた肩口を軽く払ってやる。
「ふふ、とても満足したよ、ガルド」
「……ふん」
笑うルシアンの表情を見て、ガルドもまた"しまい"だと悟る。そのまま連れ立って、ギルド建物内、受付へ向かった。
〈訓練観察記録の補助人員〉――そもそもの発端だった依頼の報告のためであったが、ギルド職員もほぼ毎日進捗を見てきたために、手続きもすぐに終わった。その流れで、受付嬢がにこりと笑う。
「ルシアンさん、今回の依頼でDランクへの昇級が認められました。おめでとうございます!」
「……Dランク……?」
――沈黙。
ガルドの目線が、ちらりと隣を見る。
揺らがぬ柔和な笑みでそこに立つ男は、ほんの一拍だけ銀の瞳を細め――、
「……それは、何か意味があるのでしょうか?」
まるで興味がない声で、それだけを答えた。受付嬢が、ぐっと胸を押さえる。
一見、罪をも許すような笑みと穏やかな物腰で、全てを受け入れるようでいて、けれども悪気なくあらゆるを斬り捨てるような彼。
……その対応に、秘かに中毒を覚える者も少なくはなかった。
「っは、はい……!依頼を受けられる範囲が広くなり、書庫の閲覧制限も緩和されます……」
「書庫」
そんな単語に柔らかに咲いた笑顔に、それが見えてしまった職員らが同様に胸を押さえた。
どこかから、飲み物をむせるような音すら聞こえる。
「それは素晴らしいですね。考えておきます」
「ま、窓口ですぐにお手続き可能ですので、お時間あるときにいらしてください……!」
「ええ。よろしくお願いいたします」
その笑顔のまま、礼は丁寧に、だが深すぎず、過不足なく。
――後ろのガルドもそっとルシアンを見やり……まぁ当然だな、というように眉を上げていた。
「では、行こうかガルド。お腹空いたね」
「……ああ」
連れ立って、ふたりが踵を返す。昇級の手続きはいつでもできる。
今はただただ、腹が減っていた。
「……今日は肉だな。脂のあるやつ」
呟くガルドに頷きながら、ルシアンもカウンターを離れていく。夕焼けが差し込むギルドホールを抜けていく影が二つ。
淡紫の髪が緩やかに揺れ、足取りはどこまでも軽やかだった。
「……んで、楽しんでたな、お前」
誰にも聞かれないような声で、ガルドが呟く。
ルシアンはその隣で、可笑しそうに肩を揺らしながら何も答えない。
それでもその仕草ひとつが肯定に思えて――ガルドはかすかに鼻を鳴らした。
――通りへ出て、いつものように並んで歩く。
石造りの冒険者ギルドを背に、夕刻の喧騒に満ちた街路へと。
陽が傾いた空気は幾分か涼しく、熱気の残る地面を照らす橙の光が、ふたりの影を長く伸ばしていた。
通りがかった屋台で串肉を買う。
郷に入っては郷に従え……ではないが、そのまま串にかぶりつくガルドを見て、ルシアンも隣でそれに倣った。街ゆく人がちらちらと視線を投げてくるが、気にすることもなく。
そういった数多の視線がガルドの一瞥で静かに散っていくのもまた、いつものことだった。
街中の風に、ふわりとルシアンの外套が揺れる。
思わずガルドの視線がそこへ……腰元へ、のびる。が、すぐに逸らす。意識も逸らす。
思考の先は、――ひとまずここ数日の、訓練場の地形変化に。
「……地属性に、水属性に氷属性。お前何種類魔法使えるんだ」
「ふふ、でも楽しかったでしょう?」
「……あいつらは泣きを見てたがな」
ため息混じりにガルドが返す。……それとなく、主語を逸らされたのがわかった。
防御魔法。回復魔法。それとは別の、各属性の魔法。
一般的な魔術師のことはよくわからないが、火や水など、使えても三属性程度じゃなかったか。
……だが、それらの属性魔法は、総じて攻撃に転ずることがほとんどだ。
それを、逸らされた。
(――話すつもりがねぇんだな)
ふん、と鼻を鳴らす。ルシアンにその気がないのなら、踏み入るつもりもない。
串に残った肉を、がぶりと食いちぎる。
「……明日、昇級の手続きに行くのか」
横目で淡紫のつむじを見ながら、そんなことを尋ねてみる。ふ、と銀の瞳が見上げてきて、細められた眼差しがにこりと笑った。
「そうだね。Dランクになれば、多少は雇用主として体裁が保てるね」
「……体裁……。はっ、……今さらだな」
串を咥えたまま、ガルドが小さく笑う。
隣の男は涼しげな面差しのまま、残りの肉を口元に運んでいる。串焼きひとつにもなぜか品が宿るのが、不思議なようでいて、どこか可笑しくて。
夕暮れの通りを眺めるふたりに、行き交う市民たちの視線が再びちらほらと寄せられる。
ひと目見れば只者ではないとわかる並び。けれど、その緊張感を打ち消すようにルシアンはどこまでも柔らかで、ガルドはどこまでも無愛想で、妙な均衡がそこにはあった。
「――ま、いいんじゃねぇか。Dランクの方が、依頼受ける時もやりやすいだろ」
「うん、そうだね」
ガルドが空になった串を片手に、肩をぐるりと回す。
連日の訓練と指導。肉体的な疲れよりも、精神的な疲労の方が大きかったかもしれない。
「……にしても、五日も続けるとはな」
呟くがしかし、不満はない。ふっと、隣を見る。ルシアンは肉を食べ終え、布で指先を拭っていた。
動作は優雅。けれど、目の前の男は間違いなくあの"地獄"の共犯者だった。
赤い眼差しを受け、その動きがぴたりと立ち止まる。何も言わず――ふわりとだけ微笑んだ。
ただ楽しげに。それだけで全てが余興だったのではと錯覚するほどに。
ガルドは呆れたように目を細め、そのまま串を近くの屑かごへと放り込む。
「君も楽しんでいたくせに」
「っせぇ。……綺麗なもん見に行かねぇで五日潰れたぞ」
ルシアンの串も受け取り、ガルドがそれも屑かごに放った。ルシアン本人の意向といえど、ここ五日間ずっと訓練場にこもりっぱなし。街の外にすら出ていない。
――護衛とは、と……己の存在意義が少しだけ揺らぐ。
だがルシアンは、それすら楽しそうに微笑んだ。
「そんなことないよ」
「ああ?」
「いいものは見れた」
返事は、たったそれだけ。
ガルドが訝しげにするが、気にせずにルシアンは近くの露店の商品を覗き始める。
瞳は店先に。けれど、記憶の中を眺めていた。
戦いの中でこそ、ぎらつく瞳、躍動する巨躯。
理性を持った獣のような、愉しげに歪んだ顔。
十分に――"美しいもの"だった。
「明日は休みにしようか、ガルド。私は昇級の手続きをして、そのままギルドの書庫を覗いてみるよ」
「……あぁ」
「旅の支度をして、明後日には次の街へ向かおう。それでいい?」
「……、構わねぇ」
短く答えながらも、ガルドはわずかに視線を落とした。「それでいいか」と問われること自体が、ほんの一瞬胸に響く。
護衛相手に、命令でも指示でもない確認の言葉。それが当たり前のように交わされる関係になっている。
ルシアンはというと、露店の香草棚に手を伸ばし、ひと房を摘み取って鼻先へ。物珍しげに匂いを嗅いでみれば、店主がにこやかに声をかけてくる。
それを見やるガルドもわずかに慣れたように、ひとつ隣の露店に背を預けていた。
「……じゃあ明日は、街の外にも出ねぇで済むな」
ふと、そんな呟きが漏れる。
あくまで休息日として。けれどそれ以上に、"何もない日"として。
「次の街は、このまま西でいいのか?」
「うん、そうだね。西には何があるんだい?」
ルシアンが問いながらも隣を見上げると、ガルドは視線を宙に彷徨わせ、ひと呼吸、わずかに間を置いて頷いた。
「セレフィーネっつう街だな。大河と、海に挟まれてる」
「水の街かい?……魚介類が美味しいかな」
「……まぁ、間違いねぇだろうな」
視線が交差する。綺麗な景色の次は、美味いものかと。
段々と、この奇妙な男の好みがわかってきた。ガルドがやや、口角を上げる。
「……街道を歩きで五日だ」
「……それはいいね」
返ってきた答えに、ふ、と小さく笑みすら漏れた。
きっと、どうせどこぞに寄り道をするのだろう。だがそれすら、楽しみに思えてしまう自分もいた。
「……俺は甲殻類が好きだ」
「おや奇遇だね?私もだよ。白身魚も好きだね」
「そりゃいい」
穏やかに交わされる会話の中、夕陽は今日も、静かに沈んでいった。
――【美しいもの】




