【取扱説明書】
「君は、身体の敏感なところを教えろと言われて、素直に教えるのかい?」
「……っ……ぐ……いや……」
直後返ってきた言葉に、ガルドはぐうの音も出なかった。
むしろ、やはりそういう解釈で取ってしまっていいのか、と、どこかで思ってしまった。
「……差し支えるだろうが!なんかの時、そこしか接触できなかったらどうするんだ」
「ふむ……」
くるり、とその手の中で、水のグラスが傾いた。表情は依然、微笑みを湛えたまま。
やがて視線を少しだけ窓の外に流して、またテーブルに戻した。
「そうだね、身体の構造的には理解してもらえたかと思う。正直これ以上の情報が必要かどうかはわからないけど、護衛を続けるにあたって必要ならば仕方ないね?」
こくりと頷いて、ルシアンが、革鞄から手帳を取り出した。
開いた空白のページに、細いペンを走らせる。
「まず、ただ触れる。これは大丈夫。ただ拒否はするよ。昨日の酔客はそれ」
「……その後宿屋で、俺がさすったのは……」
「そう、ここだね」
触れる:拒否
――と。
さらりと、接触レベルと備考が書かれていく。
「次、強くしっかり触れる、もしくは掴む。これは……ちょっと困る。魔力の乱れが起こって、余裕がなくなる」
強く触れる:魔力乱れ・硬直
――これは、これは言わせていいのだろうか。
ガルドの視線が、次第に手帳から離せなくなる。――振り払えない、力が入らない、と、さらに備考が記入される。
「最後に強い衝撃や、強く抱えられる。これはもう体勢の維持が難しい。魔力核が揺らされて、反射で動けなくなる」
衝撃・抱え込み:核揺れ・行動不能・
……最後に、思考乱れ、も書き加えられて、ペンが止まった。
一番に負荷がかかる位置づけに、今日の”抱えあげ”が据えられている。
ピリとページが破られ、微笑みとともに、ガルドの前に明け渡された。さながら、取扱説明書のような。ただし、ごく危うい。
「これでいいかい、護衛殿?」
ガルドは、受け取った紙から目が離せなかった。
――“触れる”……“掴む”、“行動不能”――“核揺れ”。
整った筆致で、あまりにも冷静に書かれた言葉たち。内容は冷静どころではない。
「……っお前な……」
紙を掴んだ手が、わずかに震える。
顔が熱い。指先が熱い。思考が、まとまらない。
「……こんなん……お前……」
これを受け取って、今後どうすればいい。
歩くたびに腰を見るのか。接触するたびにこの紙を思い出せと?
それとも、最終的にどこまで触れてもいいか、許可を求めるための資料か?
まるで、許可証のようで……いや違う、これは、境界線だ。
「……どうすればいいか分かんねぇだろうが……っ」
ぼそりと呟く声は、明らかに狼狽していた。だが破ったり、放り出したりはしない。
どこか慎重に、紙を半分に折りたたみ、懐に仕舞った。
「……くそ、わかった。……踏み込まねぇ。……それでも、必要なら……触るぞ、いいな」
その言葉にルシアンが何かを答える前に、静かなテーブルに料理が運ばれてきた。
上がる湯気にほっとしたのか、ガルドはどこか力の抜けた声で、呟いた。
「……食う。今それしかできねぇ……」
「……ふふ」
真正面、結ばれた口から、小さく笑みがこぼれた。
ガルドが見上げれば、おかしそうに笑っている。――微笑ではない。
「違うよガルド、君ね、勘違いをしてる」
「……なに?」
テーブルの上では、料理が待っている。
じゅうじゅうと音を立てるグリルチキン。みずみずしいサラダ。
それらをルシアンは、丁寧に受け取る。
いつもの通りに切り分け、自分の適量を取り、残りをガルドへ――と、皿を渡しながら、銀の瞳が、赤を見据えた。
「いくら私が誰彼構わずにこにこしようがね、触らせる人間くらい選ぶよ」
ひく、とガルドが固まった。
目の前の魔術師は、ごくいつも通りの微笑みを浮かべている。
「昨夜、さすってくれと頼んだのは私だろう?君を信頼しているから頼めるんだ。さっきのメモはね、あくまで君以外の話」
「……な……にを」
「言っただろう、情報の開示が必要かどうかわからないって。君ならなんでもいいからだよ。だって――わざと触れたりはしないだろう?」
ざわり、とガルドの背筋に震えが走った。
それは、ある種、何よりの信頼の形なのでは――と、柄にもなく思ってしまう。
「まぁ、掴まれたら崩れてはしまうだろうけど、それで拒絶したりはしないよ。緊急ならね」
ガルドの手は、止まったまま動かなかった。
肉を切るはずだったナイフが、皿の縁に触れて、カチンと小さな音を立てる。
「…………」
赤い瞳が、皿の上のグリルを見つめたまま、動かない。
ルシアンの言葉の意味が、脳に追いつかない。
いや、理解はしている。ただ、処理ができない。
君なら、なんでもいい。信頼してるから頼む。触らせる人間は、選ぶ。
そんな言葉を、真っ向から、笑って言われて。
護衛なんて、本来掃いて捨てられてもおかしくないようなものを。――信頼してる、と。
「……お前な……」
口から出た言葉は、それだけだった。それ以上を出すには、感情が邪魔をして、喉が通らなかった。
けれど、ナイフを再び持ち直すと、いつもの調子で無言で肉を切り始める。
「……余計なことばっか言いやがって……」
ぶつぶつと、文句をこぼす。それでも、どこか安心していた。
この魔術師を、これからも守っていけると。たとえ、境界線の紙なんかなくても。
――触れるかどうかじゃない。守るかどうかだけだ、と。
口数の少ない護衛は、無言でまた肉を噛み切った。それを見てルシアンも、また小さく頷く。
「じゃあ折角だから、余計な事ついでに、その理由に関しても説明しておくけれど」
食事を一口、口元に運びながら、ルシアンはガルドに安心の滲む笑みを向けた。
「君が私の護衛だからだよ」
少しも揺らがない声の、それ。
ガルドの赤が、ルシアンを見据える。眼光鋭い眼差しを真正面から受けて、それでも微笑みは崩れない。
「私を見ても、好奇の目を向けず、対等に会話をして」
「なんの得にもならない旅に、黙って同行してくれて、文句も言わずに剣となり、盾となり」
「不審者極まりない私を深く詮索せずに、ただの”ルシアン”としてくれる君だから、信頼しているんだ」
言い終えて、一口、また食事を口へ運ぶ。
「……お前ってやつはよ……」
そう言いながらも、ガルドの口元が、かすかに緩んでいた。
小さく漏れた舌打ちの音も、怒りよりも照れが勝ったときのもの。
赤い目が横に流れる。――正面から見ていられなかった。
静かに、けれど揺るがぬ声音で語られた言葉のすべてが、一つひとつ、胸の奥に静かに沈んでいく。
――得もなく、過去も探らず、それでも“彼を彼として”扱う自分を、信じて、託して、任せてくれている。
「……好奇の目は、とっくに諦めたわ……」
低く、ぼそりと呟いた。それは、照れをごまかすような、軽口。
素性もわからず、常に優雅で、おかしなことに首を突っ込み。
整えられた場がどこまでも似合いそうなのに、街の小さな料理屋で食事をする、奇妙な男。
その姿には、どこか格があった。
――かと思えば、「あ」と小さく呟いて、いたずらな笑顔を向けてくる。
「で?君の性感帯はどこなんだい?私ばかり不公平だね?」
それは彼なりの、この場の収め方だったのかもしれない。
ガルドも小さく舌打ちをしたが、苛立ってはいなかった。
「……誰が答えるか、バカ野郎」
皿の上のポタージュを、無言ですくって口に運ぶ。
それを見て、ルシアンの銀の瞳が、明らかに愉しそうに揺れていた。
ふ、と一つ息をつき、スプーンを置いたガルドが、ゆっくりとルシアンのほうを見る。
その赤が、ほんの少しだけ、揺れていた。
「名前、呼ばれんのは……弱ぇ」
――ぽつりと、落とされたその一言に、ルシアンの笑みが、ふわりと柔らかく変わった。
照れを隠すように、ガルドは水をぐいと呷る。
火照ったままの耳を、窓から吹き込んだ夕暮れの風がそっと撫でていった。
――【取扱説明書】




