【公的なふたり】
書記官が、ルシアンから小さな革袋を丁寧に受け取り、後ろの職員へと渡す。
受け取った職員も、すぐに袋の封を切って中身を確認しはじめる。
革袋の中には金貨が数枚。金額が大きくなれば、複数の職員で以て確認を行わなければならない。三人ほどで金貨の縁を鳴らし、素早く数を数え終えると、小さく頷いて奥の帳簿に記録を書き込んだ。
「……確かに、金貨十五枚。護衛契約、三か月分の前払いとして受理いたしました」
職員たちからの受領書を受け取り、書記官が静かにそれをルシアンに手渡す。
書記官の口から漏れたのは、滞りなく手続きが済んだ安堵の吐息。改めてルシアンに頭を下げた。
「ご契約、誠にありがとうございます。更新内容はすでにガルドさんの記録と紐付けてございますので、後ほどご確認ください」
そこまで済ませると、納得したかのようにガルドがひとつ頷いて、依頼掲示板のほうへと去っていった。
受付カウンターの裏では、今も職員たちがそっと耳をそばだてている。さりげなく手を止めて、ちらちらと視線をやる者もいる。
「……あの無哭が渋らないで書類書いたぞ……」
「契約も"期限なし"だ……こんなことなかったろ今まで……」
「つか前払い三か月って"最大"だろ……太いなんてもんじゃねぇぞ」
小声での応酬は、ひそかに、けれど確かに職員の間で伝播していく。
遠巻きに様子を見ていた冒険者たちも、子細はわからないまでも"なんかあったな"といった具合でこっそりとカウンターの様子を気にしていた。
「ありがとうございました」
微笑のままにぺこり、と会釈をしたルシアンに、カウンター内の職員たちが慌てて頭を下げた。何にしろ、"冒険者ギルドの冒険者が長期の護衛契約を結ぶ"、というのは、ギルドの信用に大きく係わってくること。ありがたい限りだった。
踵を返したルシアンもまた、掲示板の前に立つガルドのもとへ戻る。赤い瞳がちらりと見下ろせば、それに応えるように銀の瞳が細められる。
――逃がさないよ?なんて聞こえてきそうなその表情に、ガルドはわずかに口角を上げた。
「……北方面の、簡単な依頼あったぞ」
「うん?」
隣から覗き込む眼差しに、無骨な指先が掲示板を示した。夜明けの回廊と同じ方向にある依頼。小型魔獣の調査と鉱石の採取依頼だった。
「夜明けの回廊だけなら、今すぐ出る。他の依頼も行くんなら、全部明日に回して今日は"ゆっくり"だ」
どっちがいい、と、赤い瞳が問う。どっちでもいいぞ、と、瞬きがひとつ。
にこりと笑みを浮かべて、ルシアンが二枚の依頼書を掲示板から引き抜いた。
「"相棒"かな……」
「いや無哭はそういうの作ってこなかったろ……」
「……案外イロだったりしてな……」
「おいぶっ飛ばされんぞ」
ルシアンが受付カウンターで依頼を受注する傍ら、遠巻きの冒険者たちは顔を突き合わせてそんな噂話に沈んでいた。
聞こえてしまったらしい受付嬢が苦々しくそちらに目をやり、目の前のルシアンをわずかに見上げる。
「も、申し訳ございません、後ほど注意を……」
大変に申し訳なさそうにする受付嬢に、ルシアンが眉を下げて笑った。あのような声、なにも今に始まったことではない。
「ふふ、お気遣いなく……きっと聞こえてますよ」
「はい……?」
きょとん、とする受付嬢の視線を、ルシアンが指先で誘導する。
その先では今まさに、掲示板付近に立つガルドが冒険者連中へ睨みを飛ばしており――ビクッ、と肩を跳ねさせた冒険者が、すたこらと散会していくところだった。
ああ……と受付嬢が、同情と呆れを混在させたような表情でそれを見送る。あの無哭がいて、この雇用主がいて……、きっと彼らは、周囲の声など気にも留めないのだ。
「噂話ほど楽しいものはないでしょうしね」
「……痛み入ります……」
受付嬢が、様々な感情の乗った声で頭を下げる。二枚の依頼書にかつ、とギルド判を押し、ルシアンへ。なるほどこの寛容さがなければ"無哭"の雇用主は務まらないのかもしれない――とも思うが、実態のほどはわからない。
「お気をつけて、いってらっしゃいませ」
「ありがとうございます」
カウンターから踵を返すルシアンに、受付嬢が小さく目礼をする。その様が余計に冒険者たちには"特殊"に映ってしまったようで、再び小さなざわめきが生まれた。
「見てよアレ、ギルド側が腰低いじゃない……」
「え、ほんとに貴族とかなんじゃねぇの?」
「無哭を従えてんのか……?いやでもなぁ……逆か……?」
"噂話は楽しい"を見事に体現するかのような空気。ガルドの眉間の皺が深くなるがしかし、ルシアンが隣に並び立って淡い外套の裾が腕に触れた。
「行こうか」
「……ああ」
ささやかに交わされた言葉はそれだけで、けれどもギルドホールの温度をひとつ戻す。
二つの影がギルドホールを出ていくまで、何故か誰も言葉を発せなかった。
街の通りを歩く背は、やはりどこか柔らかい。淡い色合いのクロークが風に揺れるのも、淡紫の髪に陽が当たるのも、どこか計算ずくなのではと思わせるほどに。
「――"無哭"」
その柔らかな気配から零れた声に、思わず――ガルドの視線が飛んだ。
ドキリとした。……その声で、それを呼ばれたのは初めてだったから。
振り返った表情は、どこか揺るぎない笑顔。――視線が縫い止められたかと、思った。
「……"無哭"だろうがなんだろうが、私の行先を切り開いてくれるのは、君だけだと思っているよ」
そうして、間違いないね?と微笑む顔。……先ほどまでの対外的な、柔和な仮面などではない、素の――。
「……、……ふん……」
――どう、思っているのかとは、思っていた。
あまり穏やかではない符丁で呼ばれる、この自分を。
何度もその名を耳にしたはずなのに、一切触れてこなかったそれを。
……しかめた顔は、ただの照れからだった。
「……好き勝手しやがれ」
「ふふ」
返されたその言葉に棘はない。ただギュ、と目を細めたまま、赤い瞳は逸らされない。
不機嫌そうな顔で歩き出したガルドを追って、ルシアンもやがてその背に並んだ。
――自分でも、つくづくずるいと思う。
ルシアンは、隣の護衛をわずかに見上げていた。
信頼しているのは本当だ。それを隠したくないのも自分の性分。頼りにしている、信頼している、信用もしている、けれど自分が誰なのか、一番の根っこは隠している。
(……でも、聞いてこないから心地いい)
ふ、と口の端を緩める。あの赤い瞳に睨まれれば、教えろと言われれば、きっと話してしまいそうな気もする。
けれどガルドは素性を聞かない。ルシアンが求めないことには、必要以上に踏み込んでこない。
それがルシアンにとってどんなに安心できて、心地いいことなのか……恐らくこの護衛はもう知っているのだ。
「今日の夕飯は、お酒が美味しいところがいいな」
柔らかな風に、淡い外套がふわりと揺れた。ちら、と赤い視線が落ちてくる。眉間に皺は寄っているが、怒ってはいない。
「……酔っ払いを宿まで運ぶのァ勘弁だぞ」
短く返すその声は、日差しに溶けるように低く響いた。隣で小さく肩が揺れる。追いついた風が、その笑い声をさらっていく。――やれやれ、と逸らされた視線は、もうなにをどうしても柔らかい。
(……契約、"無期限"だとよ……)
隣の男がどこの誰かなんて、ガルドにはもう重要ではないのかもしれなかった。
――【公的なふたり】




