89.影を背負った男は自称しおれたもやし
あれから数日、毎日温室に通ってみたが、グルメマスターを見つけたのは最初の一日だけ。
それ以降は普通に食堂での食事会を開催しているか、婚約者である王子様との昼食を楽しんでいる。
グルメマスターは普段通りだが、一緒にご飯を食べている王子の顔と言ったら少し表情が和らいでいるように見える。些細な違いで、じっくりと見なければ分からないほどだが、端から見てもやはり彼がグルメマスターに思いを寄せているのは明らかだった。
けれどそれ以外の収穫は特になく、帰ってきたガイナスさんからお土産と土産話を気かせてもらった後で早速切り出した。
「ねぇ、学園の温室って知ってる?」
「学園七不思議の?」
他国の話題からいきなり学園七不思議に話題転換されたことに目を瞬かせるガイナスさん。
確かに気になるからとはいえ、いきなりすぎた。
少しガイナスさんの不在期間中の話題を挟んだ後で切り出すべきだったかもしれない。
やってしまったか……。
反省しつつも、ここから巻き戻しても怪しいだけなので、このまま続行させてもらうことにする。
「うん。選ばれし者しか入れない温室ってどんなのか気になって」
「師匠が温室に興味を持つなんて意外だな。俺がいない間に何かあったのか?」
首を傾げながらも、鋭い指摘を飛ばしてくる。
けれどここで温室でグルメマスターに会ってね~なんて素直に話しても信じてもらえないだろう。
それにガイナスさんもグルメマスター信者。
気軽に持ち出すべき名前ではないのだ。
「そう? 私、これでも薬草系には詳しいのよ? ポーション作りとか得意だし」
「それは薬代が浮きそうだな」
「めっちゃ浮く。浮いた分はご飯に回せる」
私自身あまり回復することがないので、薬代を気にすることはない。
けれど薬草系に詳しいのは嘘ではない。
疑われて話が進まないのも困るので、拳を握りしめながら全力で話に乗っかることにする。
「そう言われると師匠らしいな。だが俺もあんまり詳しくないんだ。こういうのはラングが……明後日屋敷に行く約束しているから一緒に行くか?」
ラングさんが?
オカルト系の話題に詳しいとはちょっと意外だ。
ただ在校歴が長いから知っている情報が多いというだけかもしれないが、今は鮮度の高い情報なら何でも欲しい。身を乗り出して「行く!」と返事したい所だが、相手はまだ一度しか会ったことのない、知り合い程度の仲。さすがに明後日いきなりガイナスさんに付いて……なんて迷惑ではないだろうか。浮き上がった腰を一度下ろして、冷静になる。
「私もお邪魔しちゃっていいの?」
「直接聞いた方がいいだろう? 一応今日聞いておくが、どうせ俺も本渡すだけだし断らないだろう」
「無理だったら遠慮なく言ってね?」
「気にしすぎだ」
呆れたように笑ったガイナスさんの言う通り、すんなりとアッカド家訪問は決定した。
授業終わりにグルッドベッルグ家の馬車に乗せてもらってガタガタと揺られること数十分ーー私達を出迎えてくれたのは影を背負ったラングさんの姿だった。
「えっと、今日は出直した方がいいかしら?」
あまりの暗さに思わず一歩退いて、ガイナスさんに助けを乞うように見上げてしまう。
けれどガイナスさんはケロッとした顔で「ほら頼まれていた本」とラングさんに本を突き出した。
幼なじみとして冷たすぎやしないか。
若干引き気味な視線へとシフトチェンジを決め込むと、しばらく不思議そうな視線で見つめ返された。
純粋な視線が怖いんだけど……。
これが男同士の付き合いというものなのだろうか?
前世も今世も連続で女に生まれ変わったから、男同士の友情に詳しくはないのだ。
ここは私もスルーするべきなのだろうか?
脳内を高速で疑問符が周回していると、ガイナスさんはぽんっと手を打った。
「ああ、これならいつものことだ」
「いつものことって……」
「いつものことじゃない! 今日は30分だ、30分!」
「計ってたのか?」
「分かるくらいに短時間だったんだ……。やはりそろそろどうにかしなければ婚約を……」
ここまで聞いて、私もようやく『例の婚約者さん絡み』かと理解する。
前回の話で彼が婚約者へ片思いをしていることは十分理解したが、まさかいつもこの世の終わりのような影を背負っているとは思わなかった。想像を遙かに超えるほどの重症だ。年を増すごとに深刻化しているのだろう。
私とは違って、すっかり慣れているガイナスさんは躊躇なく疑問を投げつけた。
「この前師匠から教えて貰った話はどうしたんだ?」
「それが、なぜか話し出してすぐに機嫌を悪くしてしまって……。何が悪かったんだろうか」
しょんぼりとうなだれるラングさん。
つい少し前に『いい話が聞けた! ありがとう!』と喜んでいた姿を見ていただけに、心が痛む。
けれどそんな幼なじみにガイナスさんが投げた言葉は辛辣だった。
「俺に女心が分かる訳ないだろう」
そこは誇る所じゃないだろう……。
それにラングさんだってはなから正解を教えて欲しかった訳ではないのだろう。
「ああ、もう駄目だ。レオンの話を禁じられれば俺みたいなしおれたもやしは捨てられるんだ……」
悲しみのループに突き落とされたラングさんは頭を抱えて、泣き言を繰り返す。
婚約者さんのことをよく知らない上、憶測にすぎないので伝えることははばかられるが、体格云々以前に頼りないところが良くないのではないだろうか?
男らしく! とは言わないが、すぐにネガティブモードに突入する所は改善した方がいいだろう。
でも改善と言ってもどうするべきか。
婚約者さん相手に話を聞くのが一番なのだろうけど、30分で婚約者宅を出て行ってしまう令嬢に話を聞く機会なんて早々あるはずが……。
「なら今から俺達が聞いてきてやろう」
「え?」
「だからリーリアに、ラングをどう思っているのか聞いてきてやる。師匠と一緒に」
「私も!?」
「他人や、同性だからこそ打ち明けられる話もあるかもしれないだろう?」
「まぁそうだけど……」
占い師相手でもあるまいし、いきなり初対面の相手に婚約者をどう思っているか話せとかハードル高すぎない?
「せめて約束を取り付けて後日……」なんて私の抵抗も虚しく、温室の情報を聞き出せないまま、私達はラングさんの婚約者、リーリアさんのお屋敷へと向かうのだった。




