3. 美春と芳助
美春と芳助
私と彼は、要領よくやれるタイプの人間じゃなかった。
だから、お互いもやもやとした気持ちを抱えてた期間が長くて、それで今でも、あの時間がもったいなかったな、なんて思っちゃうんだ……
—— って言うと、みんなして私のこと、「オノロケさん」ってからかうんだけどね。
———
美春は悩んでいた。芳助への抑えがたい恋心に、心身ともにくたくたになっていた。
「誰かを好きになると、雲みたいに軽くなる」
親友の菜々子はそう言っていたが、美春にはそうは思えなかった。雲みたいに軽くなるのではなく、雲みたいに膨張して、地に足がつかなくなるのだ。—— と、そんなふうに美春は、言葉を弄んだ。
***
美春は訊いた。「芳助って普段、どんな感じ?」
美春にとって、芳助のことが好きだというのはまぎれもない事実だった。しかし、美春は芳助のことをたいして知ってはいなかったのだ。知りもしない相手を好きでいるなどということを、美春はどうしても許せなかった。
美春からこの問いを受けた青年は、相沢といった。相沢は芳助と仲がいい。だから、芳助に関わることであれば、何かしらの情報はつかめると考えたのだ。
美春の問いに、相沢はにやりと、ねちねちした気味の悪い笑みを浮かべた。
「どうしてそんなことを訊くのかな」
「それは ——」
「俺と芳助の仲がいいから。そして、そんな芳助をお前は……」
そこまで言って、相沢はわざとらしい演出の間を作り、美春の動揺を楽しんだ。美春は、芳助がこんな面倒くさい男とつるんでいるというのが気に食わなかったが、それを言ってしまえば、美春が親友と称している菜々子も、なかなかの変わり者ではある。それにしても……
「気にかけているわけだ」
相沢の嫌らしい笑い方は、どう考えても癇にさわる。
「キューピッドというのは、目隠しをしているらしいな。つまり、恋をすると目が見えなくなるってことだ。そこで、その目っていうのは何か。理性だの良心だの、いろいろな解釈があるとは思うが、俺はもっと単純に、景色を見る目ん玉のことだと捉えたいね」
「何が言いたいの?」
「まあ、難しく考えないことだ」
このままでは埒があかない。そう考えた美春は、菜々子のところへ行くと言って相沢と別れようとしたが、「ああ、もう少し」と引き止められ、こんな長話を聞かされた。
「とは言っても、愛には様々な形があるからね、理性の目を失わせるロマンスというのも実際にはある。こないだ読んだ小説がまさにそうだった。『私は手段を選ばない。どんな手を使ってでも、あなたを助けられれば、それで良かった』うろ覚えだがね、ヒロインの言葉だよ。ああ、俺の芝居が下手くそなのは勘弁してくれよ、実際に役者が演ずるとなれば、感動的なセリフになると思うからねえ。まあとにかく、愛の形は千差万別ということだ。お前たちが永遠にハムレットごっこをやっていたとしても、それはそれで、一つの愛の形。周りがとやかくいうことじゃないからねえ。目が見えないのなら、見えないなりに楽しむってのもありっちゃありなんだよなあ……」
***
菜々子のところへ行く途中、美春は芳助とすれ違ったが、言葉は交わさなかった。実際、すれ違った相手が芳助だったと気づいたときには、彼はすでに遠ざかりつつあって、そうとわかってからは、「なぜ、もっと早く、すれ違う前に気がつかなかったのだろう」という問いが美春の思考を支配して、芳助に言葉をかけることを思いつく間もなかった。
***
「芳助くんのことなら、私も少しは」
菜々子はなぜか、笑いをこらえながら言った。
「まあ、似た者同士ってとこかなあ」
「……誰と?」
美春が問うと、待ってましたとばかりに菜々子は笑みを浮かべた。
「美春と」
「え、私……?」
「まあ、私から見て、だけど。でも少なくとも、当人同士よりは真実が見えているのかもね」
「当人って?」
「美春と芳助くん」
「……」
美春は、芳助と「当人同士」という言葉で括られることに違和感があった。
菜々子は美春のぽかんとした表情を見て、嬉しそうに笑う。そこで美春は初めて、この無邪気にさえ見える彼女の笑みが、実はあの相沢のあからさまな嫌みたらしい口元よりもタチが悪いのではないかと疑った。美春としては認めたくはなかったが、相沢と菜々子はまさしく「似た者同士」だったのだ。
黙考する美春を見て、菜々子はまた笑った。
「美春と芳助くんは、おんなじことをしてる」
「え……?」
「文字通り、おんなじこと」
「それは……」
「私はね、相沢くんのことは何も知らないよ……付き合ってるけど」
と、ここで菜々子は相沢との交際関係を打ち明ける。果たして、目の前の美春は驚きの表情を表す。
「その顔が見たかった」菜々子はころころと笑う。
「さっき、相沢くんから連絡があって……美春から相談を受けたって。『俺は芳助とは親友のつもりだが、適当なことを言って帰したよ』っていうから、私のとこにも芳助くんが来たって話をしてね、二人で盛りあがってたの。『お二人さん、お互いに知りたがりで、石橋を叩いて、中の様子を確かめたがるんだなあ』ってさ」
菜々子による相沢のモノマネはなかなかのクオリティだったが、美春はそれどころではなかった。
「待って、芳助が?」
「つまり、美春のことを教えてくれ、って」
「それは、えっと……」
「似た者同士ってことだよ」
菜々子の笑みは、親友としての優しさに満ちたものにも思えたが、ただのからかいの笑みでしかないようにも思えた。そして、そんなことはどちらでもいいという気さえ起こさせるものでもあったから、とてつもなく不思議な感覚だ。
———
その後も、しばらくの間は、私と芳助の関係は変わらなかった。
菜々子から、「芳助くんも相沢くんから聞いてると思うよ」とは言われていたが、二人して沈黙を守った。
相沢と菜々子は、相変わらず恋人同士には思えなかった。言われてみれば、菜々子はよく相沢のいるほうに目を向けてはいるが、それはどこか、風景画を眺めるような目つきにも似ていて……、とにかく、あまり深い間柄には思えなかった。
そのまま二月が経って、私と芳助はようやく、お互いの思いを打ち明けた。
そうして晴れて、私たちの恋人としての付き合いが始まったのだ。
拙作短編『相沢と菜々子』より、タイトルロールのお二人に登場してもらいました。