8 魔物と毒草
ある日、いつものように薬草を探して森を歩いていると、茂みの向こうで枝が揺れた。
私は足を止めた。
もう一度、葉が揺れる。
何かいる。
私はそっと身を低くした。
茂みの奥から現れたのは、灰色の毛に覆われた小さな魔物だった。
大きさは、私の腰より少し低いくらい。
四本の足は短く、身体に比べるとしっかりしている。灰色の毛はところどころ黒く、背中に向かうほど濃くなっていた。
丸い耳が頭の上でぴくりと動く。
その下にあるのは、ちょこんと尖った小さな鼻だ。黒く濡れた鼻先が、こちらの匂いを確かめるようにひくひくと動いている。
淡い金色の瞳が、じっとこちらを見ている。
鋭い牙は見えない。
爪も、それほど長くはない。
「かわいい…」
思わず頬がゆるみかけた、そのときだった。
「ヴぇ……ゴホン、エッヘン」
体の小ささに似合わず、低く湿った地鳴りのような声が漏れた。酒と煙草を長年嗜んできた熟練の鉱夫が、作業の手を止めて痰を切ったかのような、あまりにも生々しいダミ声だ。
私は思わず一歩、後ずさった。
「……」
見た目と声のギャップが凄まじい。こんなに愛くるしい毛玉の中に、頑固なおじいさんでも潜んでいるのだろうか。
こちらを見て、魔物も動きを止める。
「……」
「……」
しばらく見つめ合った。
やがて魔物は鼻をひくつかせると、足元に落ちていた赤い実を拾った。
そして、ぱくりと食べた。
私は赤い実に目を向けた。
鑑定を使う。
――毒性あり。
私は少しだけ目を見開いた。
けれど、魔物は何事もなかったように、もう一つ赤い実を食べている。
「……毒があるのに」
魔物は平然としていた。
苦しそうな様子もない。
私は魔物と赤い実を交互に見た。
少し考える。
そして、地面に落ちていた赤い実を一つ拾った。
鑑定では、やはり毒性ありと表示されている。
けれど、私に毒は効かない。
「……少しくらいなら」
私は赤い実を口に入れた。
甘くもない。
酸っぱくもない。
ただ、妙な渋みが口に残った。
「……美味しくない」
目の前の魔物は、そんな私を気にする様子もなく、また赤い実を食べている。
どうやら、この魔物にとっては食べても平気らしい。
私は赤い実をいくつか採取し、収納魔法へ収めた。
やがて魔物は興味を失ったように顔を背け、そのまま茂みの向こうへ歩いていった。
「……行っちゃった」
私はしばらく、その場所を見つめていた。
その日の採集を終え、村へ戻る。
薬師店に着くと、私はオルガに今日あったことを話した。
「森で魔物を見ました」
「魔物?」
「はい。灰色の毛で、小さくて、丸い耳がありました」
「近づいたんじゃないだろうね」
「近づいてきたのは向こうです」
「そういう話じゃないよ」
オルガは呆れたように息を吐いた。
「村の近くに出る魔物は、人を襲わない。だからって、近づいていい理由にはならないんだよ」
「わかりました」
「それで、その魔物は何をしてたんだい?」
「この実を食べていました」
私は収納魔法から赤い実を取り出した。
オルガは実を見て、眉をひそめた。
「……紅霞の実じゃないか。毒があるだろう」
「はい。鑑定でわかりました」
「それを魔物が食べてたのかい?」
「はい。何個も。そんなにおいしくないのに。すごくおいしそうに」
「……なんだって?」
オルガの眉がぴくりと動いた。
「すごくおいしそうに食べてたんです」
「そうじゃなくて」
「私も食べてみたんですが、あんまり美味しくなかったです」
「……あんた、食べたのかい」
「はい」
「あんたは魔物じゃないだろうに⋯」
「でも、私も平気でした」
オルガはため息をついた。
「魔物によっては、人間には毒になる植物を食べても平気なものがいるのかもしれないね」
「興味深いです」
「だからって次から何でも食べるんじゃないよ」
「……」
「そこは即答!」
私は赤い実を見つめた。
この世界には、まだ知らないことがたくさんある。




