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24 沢の異変 3

植物鑑定が反応しないことは、これまでなかった。


 未知の植物でも、名前や性質の一部くらいは表示される。情報が少ない場合でも、何らかの反応はある。


 けれど、目の前の苔には何も出ない。


 まるで、鑑定そのものを拒まれているようだった。


「オルガさん。この苔、鑑定できません」


「触っていないね?」


「はい」


「なら、無理に調べるんじゃない」


「でも――」


「リゼット」


 今度の声は、いつもより強かった。


 私は口を閉じた。


 青い苔は、ゆっくりと明滅を続けている。


 その光を見ていると、なぜか意識が引っ張られるような感覚があった。


 もっと近くで見たい。


 葉の形を確かめたい。

 

 なぜ光っているのか知りたい。



 そう思った瞬間、ダリオが私の肩をつかんだ。


「おい、下がれ!」


 ぐっと後ろへ引かれる。


 次の瞬間、私が立っていた場所のすぐ前で、水面が大きく揺れた。


 青い光が、一つ、強く明滅した。


 少し離れた場所でも、別の苔が明滅する。


 さらにその先でも、青い光が灯った。


 まるで何かが水の中を進んでいるのを追いかけるように、苔の光だけが沢の中を移っていく。


「……今、動いた?」


 私が呟くと、オルガが杖を構えた。


「苔が動いたんじゃない。水の下に何かいる」


 水面の下を、巨大な影が横切った。


 魚ではない。


 蛇のようでもあり、根のようでもある。


 影は沢の底を這うように進み、青い苔の群生の下へ潜り込んだ。


 すると、苔の明滅が一斉に強くなった。


 青い光が、水面の下で揺れている。


 しばらくして、その光が少しずつ弱くなっていった。


 水面の揺れも、少しずつ小さくなる。


 そして。


 沢が、静まり返った。


 あまりにも唐突な静けさだった。


 水音さえ、遠のいたように感じる。

 

 私は帳面を開き、震える指で記録する。


『北西の沢・上流付近』

『青色発光苔を確認』

『鑑定不能』

『水中に生物、または植物に類似した何かの存在を確認』

『苔は周囲の接近に反応する可能性あり』


 そこまで書いて、筆が止まった。


 最後に、もう一行。


『この苔は、ただの植物ではない可能性がある』

 

 書き終えた瞬間、沢の上流から、低く長い音が響いた。


 ごうん、と。


 遠くの水面が、大きく膨らんだ。


 その瞬間、樹々覆われた上流の水の中で青い光が一斉に強くなる。


 水面を透かして見えるその光が、まるで水底から浮かび上がってきたように見えた。


「……今のは?」


 ダリオが声を低くする。


 私は答えず、上流を見つめていた。


 青い光は、すぐに弱くなった。



 


「……帰るぞ」


 ダリオが掠れた声で言った。


「まだ水の採取が――」

 

「帰るぞ!」


 今度は怒鳴り声だった。

 

 私は反射的に沢を見た。

 

 青い苔はもう光っていない。

 

 けれど鑑定結果は変わらなかった。

 

 情報は何も表示されない。

 

 オルガが私の腕をつかむ 

 

 「走るよ!」

 

 しばらく走ったところで、ようやくオルガが足を止める。


「……ここまで離れればいいだろう」


 オルガは沢の方を振り返った。

 

 

 「オルガさん…」

 

 「なんだい」

 

 「走れるんですね」

 

 「なめるんじゃないよ」


 水の流れる音は、まだ聞こえている。


「……上流の水を採りたかったです」


「何だい、急に」


「上流へ続いている方です」


 私は振り返って、沢の方を見る。


「青い光があったので、あちらの水を調べたかったです」


「今日はもう帰るんだよ」


「わかっています」


「なら、諦めな」


「……調べるために必要です」


「……」


 オルガは深くため息をついた。


「沢のすぐそばでは駄目だ。ここならいい」


「はい」


 私は荷物から密閉瓶を取り出した。


 沢へ戻ることはせず、流れが緩やかになっている場所から、慎重に水をすくう。


 瓶の中へ入った水は、見たところ普通の水にしか見えなかった。


 


 私は瓶を傾けた。


「……少し、変です」


「何がだい?」


「水が、少しだけ重い気がします」


 瓶をゆっくり回す。


 水は普通に揺れた。


 けれど、流れるというより、わずかにまとわりつくような感覚がある。


 私はもう一度、瓶を傾けた。


「粘り……でしょうか」


 オルガが瓶を覗き込む。


「見た目じゃ分からないねえ」

 

「飲んでみても…?」

 

「リゼット!」


「持ち帰って調べます」


「それなら、しっかり蓋をしな」


「はい」


 私は密閉瓶の蓋を閉めた。


 これで、少なくとも村より上の水を調べることはできる。


 私は瓶を大切にしまった。


 そして、もう一度だけ沢の方を見る。


 青い苔は、もう光っていなかった。

 


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