第二十三話 エルシアとエルバ
「エルバ。エルシアにも分かる言葉で話せるか?」
《可能です。レインの記憶領域から、言語に関する情報のみ同期しました。この地域の言葉で対話できます》
レインの右眼の青が、わずかに濃くなった。
次の瞬間、エルシアの意識の内側へ、澄んだ声が直接届く。
《はじめまして、エルシア。私はエルバ。レインの支援知性です》
「……何者じゃ」
エルシアは反射的に一歩退き、腰の短剣へ手を伸ばした。
声は耳から聞こえたのではない。部屋のどこにも音源はない。ただ、思考のすぐ傍へ言葉だけが置かれたような感覚だった。
精神へ直接言葉を送る術なら、エルシアも知っている。
だが、これは違う。
既知の精神干渉なら、魔力が意識へ触れる感覚がある。これは侵入の感触すらない。ただ、意味だけが整然と届いている。
《警戒は適切です。ですが、私は敵対行動を取りません》
「どこにおる」
《私の演算核は、レインの右眼窩の奥にあります。独立して動く身体はありません》
「わらわの頭へ直接話しかけておるのか」
《はい。近距離の相手へ言葉を届ける通信機構を備えています。ただし、この通信で相手の感情や記憶を読むことはできません》
「すまない、エルシア」
レインが静かに割って入った。
「わらわが説明する。エルバは、わらわが設計し、作った支援知性だ。この世界の言葉で完全に対応するものはないが……意思と感情を持つ魔道具に近い」
「魔道具が、人の意識へ話しかけるというのか」
《私は情報を処理し、学習し、対話するために作られた知性体です。ただし、その説明では理解が難しいことも認めます》
エルシアは短剣を抜かなかった。けれど、柄から手を離すこともできなかった。
青く光る右眼。
雷に打たれた直後、動くようになった右手。
言葉を持たなかった少年が見せた、異様な精度の魔法陣。
そして今、頭の中に届く未知の声。
どれも信じがたい。だが、まとめて否定するには、すでに目の前の事実が多すぎた。
「おぬしを作ったのは、本当にレインなのか」
《はい。前の世界におけるレインが、私を設計、製作しました》
「……この年頃でか」
「今の身体の年齢と、前の世界で生きた時間は一致しない。そこは、まだ整理して説明する必要がある」
エルシアの眉間がわずかに動くが、質問を続けた。
「おぬしは、今までなぜ現れなかった」
《長期間、動力のない状態にありました。レインがこの地へ来た後も、私は機能停止していました。今回通電したことで、停止していた機能が復旧しました》
「レインの手が動いたり、目が開いたりしたことも、おぬしの目覚めと関連しておるのか」
《はい。私が接続していた人工神経が再稼働したためです。ただし、この世界へ転移した際の現象や魔力との干渉については不明な点が多く、今後確認すべき事項が多数あります》
「前世、知性体、人工神経……」
エルシアは短く息を吐いた。
理解できないことばかりだ。
だが、レインは森で倒れていた。言葉も話せず、右手も満足に動かせず、それでも生きようとしていた少年だ。少なくとも、その時間に見てきたレインの姿は嘘ではない。
「エルバ。おぬしは、レインがこの五か月どうしていたか知りたいのじゃろう」
《はい。確認します。レインはなぜ、この家にいるのですか》
「森の近くで倒れていたから拾った。腹をすかせ、言葉も満足に話せず、右眼を閉じたままじゃった」
レインが視線を伏せる。
《エルシアはレインに住居と食事を与え、生活と言葉、魔法の基礎を教えた。そう理解してよいですか》
「大げさじゃ。ただ、放っておけなかっただけじゃ」
《レインの生存に大きく寄与しています。感謝します、エルシア》
「……急に何を言う」
《レインは、私の最優先保護対象です。彼を助けた存在は、私にとっても重要です。これは形式的な処理ではありません》
平坦な声だった。
だが、ただの機械的な礼には聞こえなかった。
「なら、おぬしにも頼む。レインは危なっかしい。危険な仮説ほど、自分で確かめたがる」
《同意します。保護対象としては、非常に手がかかります》
「エルバ」
《観測事実です》
「事実ではあるな」
「エルシアまで言うな」
エルシアは改めて、レインの右眼へ視線を向けた。
「今のおぬしには、何ができる」
《レインの右眼、右耳、鼻、舌の右側部、右手を通じて感覚情報を取得できます。文字と図形の拡大、距離測定、暗所での視認補助、材質と温度の推定、微細なエネルギー波長の観測、においや味の成分分析などが可能です》
「その札を見ろ」
エルシアは机の上の術式札を指し、微量の魔力を流した。
《確認します。左下の外周線が一部薄くなっています。その箇所で、エネルギーの流れに微小な乱れを検出しました》
エルシアは札を手に取り、目を凝らした。
「……本当じゃ」
レインも札へ視線を向け、小さく息を呑んだ。
「魔力の流れまで観測できるのか」
《線に沿った波長と熱量の変化を検出しています。これが魔力の流れに対応するかは、照合が必要です。なお、現時点の機能は右眼を利用した観測補助に過ぎません》
「この世界で言う、魔眼ではないのか」
《魔眼の定義を確認したいです》
「普通には見えぬものを見る目じゃ。魔力、呪い、幻惑などを見抜くもの、見ているものを魅了するような魔眼もある」
《その定義なら、魔眼に近い可能性があります。ただし、構造は異なると考えられます》
エルシアの表情が引き締まった。
「一つ忠告じゃ。この世界で、魔眼持ちは厄介ごとを呼ぶ。欲しがる貴族や魔術師もおる。恐れて排除しようとする者もいる。能力を見せる相手は選ぶのじゃ」
「分かった。必要がない限り、隠す」
《同意します。観測能力の露出は最小限にするべきです》
「エルバ。おぬしはレインを止められるのか」
《危険を検出し、警告できます。ただし、レインの意思に反して身体を操作することはできませんし、行いません》
その答えに、エルシアは少しだけ肩の力を抜いた。
得体は知れない。だが、レインの身体を奪うものではないらしい。
「では、決めるぞ」
エルシアは、レインとその右眼を順に見た。
「今後、ここで実験をするときは三人で確認してからにする。レインが理屈と術式を考える。わらわが、この世界の魔法として危険がないかを見る。エルバは細かな異常を観測する」
《合理的です》
「役割分担として妥当だと思う」
「異論はないな」
《ありません》
「ない」
エルシアは頷いた。
「では、最初の決定じゃ。レインは休め」
「最初の判断が休息というわけか」
《現在のレインには、休息が必要です》
「二人の判断が一致しているなら従う」
レインは観念して、壁際の毛布へ身を預けた。エルシアが服を肩へ掛ける。
《レイン》
「何だ」
《再接続できたことを、私は嬉しく思います》
レインは少しだけ目を伏せた。
『俺もだ、エルバ』
右眼の奥で、青い光が静かに明滅した。




