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天才AIエンジニア、異世界でエモいAIと魔法を科学する  作者: 有馬零
第一章 始まりの大地

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第十一話 白の極致、影なき領域

 魔導天秤を直してから数週間が過ぎ、禁忌の森の木々はわずかに葉の色を変え始めていた。

 レインの身体の動きは、エルシアの観察と模倣を繰り返すことで、かなり効率化されていた。命令の伝わりにくい右手は依然として細かな作業を受けつけなかったが、左手で大半の日常動作をこなせるようになっていた。


 言葉の習得も順調だった。

 単語を並べるだけでなく、短い文を組み合わせて意志を伝えられるようになっている。


「レイン、座れ」


 昼食を終えたあと、エルシアが珍しく改まった声で言った。

 木製の丸テーブルの上に、布に包まれたいくつかの道具が並べられている。


「お主がこの森で生きていく以上、自分の身体の理を知らねばならん。今日は、お主の魔力を測る」


「……まりょく」


「そうじゃ。世界に満ちる大気や土地のエネルギーを『魔素』と呼ぶ。生物はそれを呼吸とともに口や鼻、皮膚を通して取り込む。……ここまではよいか?」


 レインは小さく頷いた。エルシアは人差し指を立て、自らの胸元を指す。


「取り込まれた魔素はな、『魔素脈』という管を通って体内へ運ばれる。そして行き着く先にあるのが『魔器』じゃ。魔器は、魔素をその個体固有の『魔力』へと変換し、蓄積し、全身を巡る量を調整する」


「……まき。ちょうせい」


「うむ。わらわたちの血液と血管と同じじゃ。魔器で変換された魔力はな、『魔力脈』という別の経路を通って全身を巡り、生命維持に使われる。変換前の魔素を運ぶ『魔素脈』と、変換後の魔力を循環させる『魔力脈』じゃ。これらを『魔脈』といい魔器と魔脈のつながりで魔力が全身に回り、人は生き、魔法を扱えるのじゃ」


 レインの頭の中で、概念が構造図として立ち上がる。

 未加工の環境リソース(魔素)を吸気ライン(魔素脈)から吸い上げ、変換器と流量レギュレーター、そして蓄電池を兼ねた中枢ユニット(魔器)で、実行可能な独自規格のエネルギー(魔力)へ変えて充放電する。それを配線系統(魔力脈)で全身へ供給する。

 きわめて合理的で、完成された生体循環システムだった。


「さて、そこでお主じゃ」


 エルシアは布をめくり、手のひらほどの青銅の円盤を取り出した。

 表面には五色の小さな鉱石が環状に埋め込まれ、中心から外側へ向けて回路のような幾何学記号が刻まれている。


「この星に生きる生物はな、木・火・土・金・水の五行魔器を最低でもひとつは必ず持っておる。魔法を使えぬ平民とて、針の先ほどの小さな魔器をどれか一種類は持つ。魔素の満ちるこの世界で魔器を持たぬなど、肺を持たずに呼吸しようとするようなものじゃからな」


 エルシアは円盤の五色の石を指先でなぞった。


「中には複数の魔器を持つ者もおる。魔器の数は最大で六つじゃ。五臓──肝、心、脾、肺、腎の側以外に、脳の奥へ光闇の魔器を宿す者がおる。ただし光と闇は互いを拒絶するゆえ、ひとつの身体に両方は宿らん。ゆえに六つが絶対の上限じゃ。多属性は王族や上院の貴族連中に多いが、それでも三つか四つ、多くて五つ。……わらわとのように、五行すべてに闇を併せ持つ『全属性』など、世界中にも数えるほどしかおらん」


 エルシアはそこで言葉を切り、青銅の円盤をレインの前に滑らせた。


「まずはこれでお主の魔器を見る。左手を真ん中に乗せてみよ」


 レインは言われた通り、よく動く左手を青銅の円盤の中央へ置いた。

 ひやりとした金属の冷たさが伝わる。


 だが──青銅の円盤は、何も起こらなかった。

 五色の鉱石はひとつとして光を帯びず、鈍い鉱物の色のまま沈黙している。


「……やはり無反応か」


 エルシアは目を細め、瞳の奥に淡い魔力の燐光を灯してレインを見つめた。

 生体内の魔脈と魔器を暴く、彼女の魔眼だ。


「わらわの魔眼で見ても、お主の五臓には魔器の脈動がまるで見当たらん。生物なら絶対にひとつは持っていなければならぬ五行の魔器が、お主の身体には最初から存在しておらんのじゃ」


「ない……?」


「うむ。……だが、おぬしの頭の中に、大きくはないが魔器が存在する。五行の土台を持たず、光闇属性を持つものなど前代未聞じゃが……それがおぬしが生命を維持できる理由じゃ。次は循環量じゃ」


 エルシアは青銅の円盤を下げ、細いガラス筒のような器具を取り出した。

 側面には繊細な目盛りが刻まれており、基部には幾何学記号が巡らされている。


「体内の魔力脈を巡る、お主の魔力の流量を測る。この筒の端を握れ」


 レインが左手でガラスの端を握ると、筒の底に溜まっていた淡い気体が、わずかに揺れた。

 目盛りの一番下、かすかに指一本分ほど持ち上がったところで、完全に停止する。


「……無属性。かつ、極小じゃな」


 エルシアは呆れたような息を吐いた。


「魔器が五臓付近にないせいなのか、魔脈が細いのか、理由はわからんが、おぬしの循環する魔力量はとても少ない。生活用の小さな灯火ひとつ灯すことすら叶わん量じゃな」


 魔素を変換・蓄積する魔器が小さく、全身をめぐる魔力脈内のエネルギー量も極小。

 数値だけを見れば、この世界における完全な「落ちこぼれ」の判定だった。


 しかし、エルシアの眉根は険しく寄っていた。


「……解せぬな。体内の循環がそれほど微弱なら、世界樹の濃厚な魔素を浴びた時点で死んでおるはずじゃ。魔器で変換しきれぬ魔素が魔素脈からあふれ出し、血管を内側から焼き切る『処理超過型の魔素酔い』を起こす。……なぜお主は、平然と息をしておるのじゃ?」


 エルシアは立ち上がり、棚の奥から古びた小さな木箱を持ってきた。

 中から現れたのは、鶏の卵ほどの大きさがある、透き通った無色の結晶だった。


「これは『空の魔石』じゃ。魔物の体内で余剰魔力を蓄積する魔石から、魔力を完全に抜き取ったものじゃな。これなら、お主の魔脈から流れ出る魔力の『純度』と『密度』を直接量れる」


 エルシアは結晶をレインの前に差し出した。


「お主の魔力を、手先の現象化点へ集め、この結晶に注ぎ込んでみよ。……天秤の記号をなぞったとき、わらわが魔力を流した光景を覚えておるな? あのときの感覚を頭に思い描くのじゃ」


「……ん」


 レインは左手で結晶を包み込んだ。

 右眼の奥が、かすかに熱を持つ。


 ──魔力。

 エルシアの全身を巡っていた、あの淡い青紫の力。

 天秤の回路を駆け抜け、狂った傾きを正した、あの見えない流体。


 脳の奥、微弱に点滅しているという小さな器官を意識する。

 身体の内側から、かすかな流れを手先へと手繰り寄せた。

 回路へ電流を流し込むように、無色透明の結晶へと意識を接続する。


 直後。


 結晶が、仄かに白く輝いた。


「……やはり光属性じゃな……!? ……」


 エルシアの驚愕の呟きは、そこで途切れた。

 彼女の魔眼が、信じがたい体内現象を捉えていたからだ。


 レインの脳の奥にある魔器は、確かに芥子粒のように小さい。

 だが──それを全身へ繋ぐ『魔力脈』が、通常の魔脈とは比較にならないほど太く、強靭に張り巡らされていた。

 そしてその極小の魔器から、およそサイズに見合わない途方もない質量の魔力が、魔脈へと雪崩れ込んでいた。

 それは流れ出ているというよりは、何十倍、何百倍にも圧縮を重ねて押し込められていた超高圧のエネルギーが、外への抜け道を見つけ、一気に解き放たれて噴き出しているようだった。


(な……何じゃ、この奔流は……!? 魔器の大きさからはあり得ん! まるで圧縮に圧縮を重ねた塊が、急に解き放たれたかのような──っ!?)


 太く強靭な魔脈を伝い、超圧縮された光が左手の指先へと津波のように押し寄せる。

 それが魔石へと注ぎ込まれた瞬間──白い光は、瞬く間に光量を増していった。


 いや、光量が増しているのではない。

 光の「濃さ」が、桁違いの速度で凝縮されていくのだ。


 結晶の内部を満たした白は、牛乳のような濁った白へ、陶器のような硬質な白へ、そして──光そのものが圧力を帯びたような、見たこともない純白へと変貌していく。


 ギィ……と、テーブルの木材がきしむ音がした。

 熱も風もない。ただ圧倒的な「密度」が、周囲の空間を押し広げていた。


「止めよ! 魔石が耐え切れん!!」


 エルシアが息を呑み、叫んだ。

 しかし純白は、極限まで圧縮された結果、すでに光の限界を超えていた。

 白の奥から、色が消える。

 白を通り越した「無色」。


 レインの手元から、影が消えた。

 影が消えたのではない。光と闇の境界そのものが塗りつぶされ、テーブルの木目も、壁の輪郭も、すべてが絶対的な無色の透明度の中に沈んでいく。


 部屋全体の影が、消失していた。


「止めよ! レイン、魔力を引け!!」


 エルシアの鋭い怒声が響いた。

 同時に、彼女の細い指がレインの手首を掴み、結晶から引き剥がした。


 回路の接続が断たれたように、無色の領域が一瞬で収縮する。

 結晶から光が抜け、カタリと音を立ててテーブルへ転がった。


 部屋に、元の影と静寂が戻る。


「はぁ……っ、はぁ……っ」


 エルシアが荒い息を吐いていた。

 その額には、びっしりと冷や汗が浮かんでいる。


 彼女の視線は、テーブルの上に転がる透明な光で満たされた魔石と、呆然と左手を見つめるレインを激しく往復していた。


「……あり得ん。なぜあれほどの噴出が起きる? あの芥子粒ほどの器には、あれほどの魔力を蓄積できるはずがない……!?」


 エルシアの手が、かすかに震えていた。


「白の極致……属性の限界を超えて色すら失うほどの超高密度魔力。それに、あの太く異常な魔脈……。あんなもの、わらわの二百年の生でも一度たりとも見たことがない。……規格外じゃ」


 エルシアは乱れた銀髪を乱暴にかき上げ、レインの肩を両手で強く掴んだ。

 その真紅の瞳には、かつてないほどの真剣さと、わずかな畏怖が宿っていた。


「よいか、レイン。今の魔力の出し方は、決して外の者の前で見せるな。誰の前でもじゃ。……お主のその身体は、何かが根本から狂っておる。世が知れば、魔王の落とし子か神の奇跡かと騒ぎになり、即座に生きたまま解体されるぞ」


 レインはエルシアの張り詰めた双眸を見つめ、小さく頷いた。

 解体、という単語の意味は理解できた。かつての開発環境で、エラーを起こした基板が分解廃棄されるのと同じことだ。


「……わかった。みせない」


「……まったく、とんでもないものを拾ってしまったわい」


 エルシアは深々とため息をつき、頭を抱えた。

 だが、その唇の端には、困惑を越えたかすかな笑みが浮かんでいた。


「五行魔器なし、魔力脈を流れる魔力量は最低、だが魔脈は規格外に強靭で、蓄積している魔力量は神話級……。呆れて物も言えん。……決めたぞ。明日から、お主に魔法の基礎を叩き込んでやる。魔素の安全な逃がし方から、魔力の正しい移送、現象化の術式じゃ。暴発して森ごと吹き飛ばされてはたまらんからの」


 エルシアの言葉に、レインは自分の左手を見つめたあと、顔を上げた。


「……うむ。わらわに、教えてくれ」


「くくっ……まったく、その口調だけは一人前の年長者じゃのう。直す気はさらさらないと見える」


 エルシアは呆れたように笑い、レインの頭をくしゃくしゃと撫で回した。

 怒っているのではないことは、その手の温もりで分かった。


 窓の外では、禁忌の森の枝葉が夕暮れの風に揺れていた。

 未知の物理法則と、それを解明するための理論。

 レインの胸の奥で、かつて感じたことのない静かな高揚が脈動していた。



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