第1話 目覚め
初めての作品です。
至らない点も数多くあると思いますが、温かい目で見て頂ければ幸いです。
過去の自分と、目が合った。
向こうの俺は、怒りに満ちた顔で何かを叫んでいる。だが、その声は届かない。
輪郭がぼやけ、存在ごと遠ざかっていく。
それでも、最後まで目だけは逸らさなかった。
その瞳には、怒りだけじゃない、泣きそうな色も滲んでいた。
やがて完全に見えなくなった、その瞬間――
「戦え。戦え。大切なものを守るために」
耳元で囁かれたその声に、俺は目を覚ました。
俺は、「一」と呼ばれている。
“呼ばれている”というのは、俺には記憶がないからだ。
気がつけば、この町にいた。
名前も、過去も、何も分からないまま。
地方都市・神代市。
古い神社や石段の残るこの町は、今や次世代ARシステム『神楽ネット』の試験運用都市として注目を集めている。
現実の風景に、仮想情報を重ねる拡張現実。
便利で豊かな生活を実現するその技術は、今や神代市の日常そのものだった。
そんな町で、俺は周囲の人間に助けられながら生きている。
もし“戦う”とするなら――
それは今日を生きること。そして、失った記憶の手がかりを探し、過去の自分を受け入れることなのだろう。
だが今は、そんなことを考えている余裕はない。
今日を生きるため、俺は仕事へ向かった。
俺の仕事は、この町の“見えない部分”を見回ることだ。
神楽ネットの試験運用では、常に細かな不具合や情報の乱れが発生する。
それを監視し、報告する。
いわば、“拡張現実のパトロール”だ。
記憶のない俺にとって、この仕事は町に馴染むための訓練でもあった。
「A-0、異常なし。A-1、異常なし……」
今日も同じ報告を繰り返す。
端末に視線を落とした、その時だった。
画面の端を、一瞬だけノイズが走る。
――認証エラー。
「……またか」
小さく呟く。
だが次の瞬間には、何事もなかったかのように正常表示へ戻っていた。
最近、たまにこういうことがある。
理由は分からない。神楽ネットの不具合だろうと、自分に言い聞かせていた。
「お疲れ」
声と同時に、何かが飛んできた。
考えるより先に、手が動く。
反射的に伸ばした手で、それを掴み取った。
「毎日よくやるねぇ」
声の主は、近所の八百屋の店主――田中さんだ。
手元を見れば、やっぱりリンゴだった。
「本当は二日に一回でいいんですけど、暇なんで」
「なら今度、配達手伝ってくれや。給料と昼飯、出してやるからさ」
ニヤリと笑う。
その顔は、大抵ろくでもない話の前触れだ。
「給料が商品じゃないなら、ぜひ」
「ちっ、バレたか」
そんな他愛のないやり取りを交わしながら、仕事を続ける。
素性も分からない俺に、町の人間は普通に接してくれる。
それが、どれだけありがたいことか。
この町の空気は、どこか柔らかい。
神社へ続く石段を上る子どもたち。
ARで彩られた祭りの案内。
古い町並みと最先端の技術が、無理なく溶け合っている。
けれど時々、ふと思うことがある。
――この町は、穏やかすぎる。
人も、景色も、空気も。
まるで、最初からそう作られていたみたいに。
そんな考えを振り払うように、俺は小さく息を吐いた。
――だからこそ。
この何気ない日常が、ずっと続くものだと、そう思っていた。
報告を終える頃には、空が赤く染まっていた。
町を包むざわめきも、夕暮れの中で少しずつ柔らかくなっていく。
ありふれた今日が、無事に終わる。
それだけのことが、今の俺には少し嬉しかった。
帰ろう。
そう思った、その時だった。
少女が、そこにいた。
この町の風景に、まるで溶け込んでいない。
周囲の空気だけが、わずかに歪んでいるような違和感。
夕焼けの色すら、彼女の周りだけ少し薄い。
目を離せば、そのまま消えてしまいそうなほど儚い存在。
ぼんやりとした表情のまま、彼女はゆっくりとこちらへ歩み寄る。
そして――ほんの一瞬だけ、目を見開いた。
その瞳が、わずかに揺れる。
「……やっぱり」
「え?」
聞き返す間もなく、少女は静かに告げた。
「始まります」
その声には、どこか諦めにも似た響きがあった。
次の瞬間。
世界が、歪んだ。
視界が、町が、現実そのものが塗り替えられていく。
「来た……」
少女の小さな呟き。
その視線を追う。
そこに現れていたのは、大きな“扉”だった。
神社の鳥居にも似た輪郭。
だが、その奥にあるのは、どこまでも暗い闇。
見ているだけで、胸の奥がざわつく。
音もなく扉が開く。
その先から、それは現れた。
黒い四足の獣。
胴体は不定形にうねり、輪郭が定まらない。
赤黒い目が、ぎょろりと見開かれる。
裂けた口の奥には、二重に並ぶ牙。
現実感がない。
これは、何かのイベントか。
神楽ネットの大規模演出か。
そう思いたかった。
慌ててARをオフにする。
――だが、消えない。
異形と、目が合う。
――合ってしまった。
剥き出しの殺意が、全身を貫いた。
足が、震える。
こいつは、本物だ。
理屈じゃない。
全身の本能が、そう告げていた。
異形は、まっすぐこちらを見据える。
“弱者”と判断したのだろう。
一直線に、突進してきた。
逃げなければ。
そう思うより早く、俺は少女の手を掴んでいた。
咄嗟に掴んだその手は、思っていたよりずっと細くて、小さかった。
「走るぞ!」
だが、少女は動かなかった。
「戦いましょう」
静かな声。
「戦うって……俺は警察でも何でもない! やばいから早く――」
「力なら、あなたはもう持っています」
「はあ?」
その瞬間。
視界に、神楽ネットのARウィンドウが強制的に割り込んだ。
赤い警告表示。
だが、それは見慣れたシステム画面ではない。
黒を基調とした、見たことのないインターフェース。
中央に浮かぶ文字。
――『ライダーシステム』
(起動確認。使用者認証――No.0。認証完了。変身を実行しますか?)
頭の中に、直接アナウンスが響く。
No.0。
その数字だけが、妙に胸に引っかかった。
まるで、自分が何かの“始まり”みたいで。
意味が分からない。
だが――確信があった。
理由なんてない。
それでも、これを使えば、この状況を変えられる。
そんな確信だけが、あった。
だが同時に、理解してしまう。
――これを選べば、もう元には戻れない。
脳裏に、夢の中の声が蘇る。
『戦え。大切なものを守るために』
ためらう俺の前に、少女が一歩、踏み出した。
「変身」
(バージョン1――ラビットムーン)
白銀の光が、少女を包み込む。
月明かりを思わせる装甲が、その身を覆っていく。
その、瞬間。
異形の突進が、直撃した。
鈍い音。
少女の体が宙を舞い、地面に叩きつけられる。
――守られた。
関係もないはずの俺が。
その瞬間、頭の奥で何かが弾けた。
理由なんてない。
けれど、ただひとつだけ分かる。
――守らなければ。
目の前の彼女を。
そうしなければ、自分はきっと壊れてしまう。
意味なんて、分からない。
正しいかどうかも、分からない。
それでも――
戦う理由としては、十分だった。
「あぁもう……!」
腰に、光の粒子が集まる。
ベルトが、形を成す。
同時に、右手には銀色の鍵が現れていた。
見覚えがあるはずのないそれが、なぜかひどく懐かしい。
知らないはずの感覚が、骨の奥から蘇る。
――まるで、ずっと前から知っていたみたいに。
手が、迷いなく動いた。
「変身!」
鍵を差し込み、レバーを引く。
(バージョン1――パワーウルフ)
赤い装甲が、全身を包み込む。
心音が、加速する。
視界が広がる。
音が、匂いが、風の流れが、鮮明になる。
世界の輪郭が、はっきりと見えた。
その中心にいるのは――敵。
異形が、再び突進してくる。
軌道が見える。
呼吸すら、手に取るように分かる。
初めてのはずなのに、体は迷わなかった。
踏み込む距離も、重心の移し方も、まるで最初から知っていたみたいに。
考える前に、体が動いていた。
踏み込む。
地面を砕く勢いで、脚に力を込める。
「――ッ!」
蹴り上げる。
衝撃。
鈍い感触。
同時に、足に焼けるような痛みが走った。
「っ……!」
だが、止まらない。
異形の体は宙を舞い、そのまま地面に叩きつけられる。
霧のように崩れ、消えた。
荒く息を吐く。
勝った。
だが、全然分からない。
何も。
振り返る。
少女は腹部を押さえながら、こちらを見上げていた。
その瞳に浮かぶのは、驚きと――少しだけ、安堵。
「大丈夫か?」
「……平気、とは言い切れないですね」
「説明してくれ。あれは何なんだ? 君は――」
その言葉は、最後まで続かなかった。
殺気。
反射的に構える。
「上か!」
後方へ飛び退く。
直後。
先ほどまで立っていた場所に、槍が突き刺さった。
土煙が舞い上がる。
「早速、新規プレイヤーが二人か……」
煙の中から現れたのは、青い装甲の戦士。
俺と同じような鎧。
だが、その色は深い青。
手にした槍を引き抜き、こちらへ向ける。
「初めましてで悪いが――」
その切っ先が、まっすぐ俺を捉える。
「あんたらには、ここで死んでもらう」
作品としては、不定期にはなると思いますが、これからも連載していく予定です。




