地下倉庫の最後のご馳走
地下倉庫の夜は、いつもより静かだった。
石壁に反射する炎の揺らぎだけが、薄暗い空間に命を灯している。
いつもなら、リゼットの鼻歌や、ザックの豪快な笑い声が響いているはずなのに――
今夜は、火の爆ぜる音だけがやけに大きく聞こえた。
その沈黙を破ったのは、ザックの低い声だった。
「――おい。明日、俺はここを発つ」
鍋をかき混ぜていたリゼットの手が、ぴたりと止まった。
木べらから滴るスープが、ぽたりと音を立てて落ちる。
「……そっか。ザック、もともと王都の人じゃないもんね。次はどこへ行くの?」
努めて明るく言ったつもりだった。
だが、鍋の湯気に紛れて、ほんの少しだけ震えた声が漏れた。
ザックは火の前に腰を下ろし、背中の荷物を軽く叩いた。
「北だ。珍しい獲物が出たって噂があってな。
……それに、王都に長居すると、あの太った料理長に目をつけられそうだ。お前を巻き込むわけにはいかねえ」
「大丈夫よ。私がここにいられるのは、料理長さんが置いてくれてるからだもの。
……それに、ザックと出会えたのも、この場所だったから」
リゼットは振り返り、はにかんだ。
その笑顔はいつも通り明るいのに、どこか胸が締めつけられるような儚さがあった。
ザックはしばらく黙っていた。
火の粉がパチパチと弾ける音だけが、二人の間を埋める。
「……いいか、お前は無防備すぎるんだよ」
ザックは立ち上がり、リゼットの前に歩み寄った。
その手には、白い布――さらし。
「俺がいなくなっても、人前では絶対に外すんじゃねえぞ。
誰かに何か言われたら、『魔力を抑える拘束具だ』って言い張れ。いいな」
「うん、わかってるわ。ザックがくれた大事な『装備』だもんね」
リゼットはさらしを抱きしめるように胸に当て、
気合を入れるように頬をぺちんと叩いた。
「よし! じゃあ今夜は最後のご馳走ね!
ザックさんが北へ行っても、私の料理を思い出してヨダレが出ちゃうくらいの、とびきりのやつを作るわ!」
その言葉に、ザックは思わず吹き出した。
「……お前ってやつは、本当に……」
だが、その声には、どこか名残惜しさが滲んでいた。
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やがて、二人の前に並んだのは、
禁断のスパイスを惜しみなく使った「魔物肉の香草焼き」と、
滋養たっぷりの「黄金スープ」。
リゼットが祈りを込めて仕上げた料理は、
地下倉庫の空気を一瞬で満たすほどの芳香を放った。
「……うめえ。やっぱりお前の飯は、体の芯から熱くなる」
「ふふ、でしょ? 祈りをたっぷり込めたんだから!」
ザックは無言で肉を咀嚼した。
この数週間、この地下で食った飯が、自分の体を変えた自覚がある。
傷の治りは早くなり、魔力の巡りはかつてないほど滑らかだ。
そして――
目の前の「ただの料理番」だと思っていた小娘が、
どれほど規格外の聖女であるかも、嫌というほど思い知らされた。
(……こんな逸材、王都に腐らせておくには惜しすぎる)
だが、口には出さない。
出したら、きっと連れて行きたくなるから。
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夜が更けるまで、二人は笑いながら、
そして時折これからのことを語り合いながら、
残りの肉を平らげた。
やがて、火が小さくなり、
地下倉庫に静けさが戻る。
ザックは荷物を背負い、鉄扉へ向かった。
振り返らない。
振り返ったら、きっと足が止まるから。
「……じゃあな、リゼ。生きろよ」
その背中が闇に溶けていく。
リゼットは、胸にさらしを抱きしめたまま、
まっすぐにその背中を見つめていた。
「……さよなら、ザックさん。ありがとうございました!」
その声は、静かな地下倉庫にいつまでも響き、
やがて火が完全に消えるとともに、
ゆっくりと石壁に吸い込まれていった。
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