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処刑待ちの悪名令嬢ですが、冷酷皇帝に「ずっと探していた」と抱きしめられました  作者: しげみちみり


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第21話 帝国議会の嵐と、戦の誘惑

 帝国議会の扉の前に立ったとき、ひどく場違いな場所に来てしまった気がした。


 高い天井。

 ぐるりと半円を描くように並んだ席には、軍服や礼服に身を包んだ貴族たちが座っている。


 胸元の勲章が、窓からの光を受けてきらりと光った。

 そのどれもが、この国を支えてきた年月の重さを物語っているようで、足がすくむ。


「アリア」


 隣に立つレオンが、小さな声で名を呼んだ。


「ここにいるのがつらければ、退室してもいい」


「……約束しましたから」


 自分でも驚くくらい、はっきりと答えられた。


「真実を、一緒に見るって」


 レオンの青い瞳が、わずかにやわらぐ。


「そうだったな」


 それ以上何も言わず、彼はわたしを議場の隅、柱の陰に近い席へと案内した。

 議論に直接加わるわけではないが、すべてを見届けることができる位置だ。


 腰を下ろした途端、ざわめきが静まり、視線が一斉に玉座へ向かう。


 レオンがゆっくりと壇上に立つ。

 その背筋はまっすぐで、冷たさと威厳をまとっている。


「本日の議題は一つ」


 低い声が、よく通る。


「十年前の王国王宮大火と、そこにおける王妃の関与についてだ」


 短い一文が、重く議場に落ちた。


 前列の将軍たちが、わずかに身体を乗り出す。

 貴族たちは顔を見合わせ、ざわりと空気が揺れた。


 老宰相が立ち上がり、諜報機関からもたらされた証言と、資料庫の記録を、淡々と読み上げていく。

 王妃が命じた儀式。

 炎に包まれた孤児棟。

 紅い瞳の少女。


 わたしの胸の奥で、古い傷がずきりと疼く。


 でも、目は逸らさない。

 膝の上で組んだ手に、少しだけ力を込める。


「王妃が、他国皇族の血を持つ子一人を消すために、大勢の命を犠牲にした――以上が、現時点での確実な情報である」


 宰相の言葉に、しばし沈黙が続き……やがて、低く押し殺した声が上がった。


「つまり、王国は帝国皇族の血を狙ってきた、ということでしょうな」


「王妃個人の暴走にしても、見逃せぬ暴挙だ」


「これは戦の口実に足る」


 ささやきはすぐに膨らみ、やがて一人の将軍が立ち上がる。


 灰色の髭を蓄えた大柄な男。

 戦場で数々の武勲を挙げてきた、主戦派の代表格だと聞いたことがある。


「陛下」


 彼は胸に拳を当て、朗々と声を響かせた。


「今こそ、正義の鉄槌を下すときにございます」


 議場の空気が、少し熱を帯びる。


「王妃の行いは、もはや一国の不始末では済まぬ大罪。

 このまま放置すれば、帝国の威信は地に落ちましょう」


 誰かが「うむ」と低くうなずき、別の軍人が机を指先で叩いた。


「十年前の大火で失われた命。

 そして、陛下の婚約者殿を狙った毒。

 これだけの挑発を受けてなお沈黙すれば、諸国は我らを臆病者と見るやもしれませぬ」


 ちらりと、将軍の視線がこちらへ向いた。


 その一瞬の重さに、息が詰まりそうになる。


「炎から生還した“紅眼の皇女”を旗に掲げれば、民は奮い立つでしょう。

 王妃の所業を世に暴き、王国へ攻め入り、罪を血で贖わせるべきでございます」


 議場のあちこちから、「そうだ」「それが正義だ」と賛同の声が上がった。


 紅眼の皇女――


 言葉だけは、どこか物語めいて、美しく聞こえる。

 けれど、その裏にある意味を思うと、手足が冷えていった。


 わたしは、旗ではない。

 誰かが振りかざすための、飾りではない。


 そう思う一方で、「もし自分が大義名分として役立つなら」と一瞬考えてしまう自分もいて、胸が痛んだ。


「愚かだな」


 隣から、ぽつりと呟きが落ちた。


 レオンはまだ、席を立っていない。

 それでも、厳しい横顔からは、明らかな不快が読み取れた。


「戦を望む声は、いつの時代もよく響く」


 誰にともなく言った言葉が、わたしの耳にも刺さる。


 そのとき、慎重派の貴族が立ち上がった。

 穏やかな目をした中年の公爵だ。


「陛下。諸将の怒りはもっともにございますが……戦は、民の血と暮らしを削るものでございます」


 静かな声だが、よく通る。


「王妃個人の罪と、王国全体を同一視するのは、いささか短絡ではございませんか。

 王妃の暴走を止められなかった王家の責任は問われるべきとしても――」


「甘い!」


 先ほどの将軍が、机を叩いた。


「王家が知らぬはずがない。

 儀式の準備には、多くの人員と資金が必要だ。

 王妃一人の思いつきでできることではない」


「しかし――」


「なればこそ、我らは剣を取るべきだ!」


 議場の温度が、どんどん上がっていく。


 わたしは柱の陰から、その光景をじっと見つめていた。


 自分の名前も、瞳の色も、知らないうちに「戦の道具」として計算されていく。

 口々に発せられる「正義」という言葉が、だんだん怖くなっていった。


 いつか王妃が言った、「必要な犠牲だ」という言葉と、どこか似ている気がして。


『必要な犠牲だ』


 孤児も、女官も、数にして計れば一つの数字。

 わたしもまた、数字の一つとして炎に投げ込まれそうになった。


 同じことを、今度は帝国側がしようとしているのだとしたら――


「……アリア」


 小さく名を呼ばれて、はっと我に返った。


 いつの間にか、両手が膝の上で固く握られていたらしい。

 指先が白くなっているのを、レオンに見られてしまった。


「大丈夫だ」


 誰にも聞こえないような小さな声で、彼が囁く。


「君を、再び炎にくべる真似はさせない」


 その一言に、胸の奥の恐怖が少し和らいだ。


 やがて、議論がひと段落したところで、老宰相がレオンに向かって深く頭を下げる。


「陛下。

 ここまで、主戦論と慎重論が出そろいました。

 最終的なご判断を、賜りとうございます」


 議場の視線が、一斉に玉座へ集まる。


 レオンはゆっくりと立ち上がり、ぐるりと全員を見渡した。


「……よく意見を述べてくれた」


 まず、そう言ってから、口を開く。


「王妃の所業が、許しがたい大罪であることに、異論はない」


 低く、しかしはっきりとした声。


「自国の民を犠牲にし、他国の皇族の血を狙い、罪を隠蔽する――それは、一国の王妃が決して犯してはならぬ罪だ」


 主戦派の顔に、満足げな色が浮かぶ。


 だが、レオンの次の言葉は、その期待を軽く裏切った。


「だが」


 短い一言で、空気が張り詰める。


「私は、彼女を再び“口実”として炎に投げ込むつもりはない」


 議場に、ざわりと大きな波が立った。


「陛下、それは――!」


「紅眼の皇女を掲げ、王妃の罪を叫び、戦を始める。

 確かにそれは、民の怒りを利用するには分かりやすい方法だろう」


 レオンは、ちらりとこちらへ視線を向けた。


 その青い瞳に、わたしの姿が小さく映っている。


「だが、それは十年前と同じだ」


 静かな怒りが、言葉に混じる。


「自分の欲と正当化のために、ひとりの少女を炎の中心に置き、周囲を巻き込んで燃やすやり方だ」


 将軍の顔色が変わる。


「私は、王妃と同じ方法を取るつもりはない」


 ひとつひとつの言葉が、石のように重く落ちていく。


「戦は、最後の手段だ。

 出すときには、出す。

 だが、それは“他に何も選べない”ときだけでいい」


 慎重派の席で、誰かがほっと息をついた気配がした。


「まずは、大陸協議会を開く」


 レオンは、迷いのない声で続ける。


「各国の代表を呼び、証人をそろえ、王妃の罪をあらゆる証拠とともに晒す。

 彼女に弁明の機会を与えた上で、それでも罪が明らかなら、各国の合意のもとに裁きを下す」


「しかし、それでは時間が……!」


 先ほどの将軍が叫んだ。


「その間にも、王妃は手を回し、証拠を消し――」


「証拠は、すでに押さえつつある」


 レオンの声が、容赦なく切り捨てる。


「諜報機関は今も動いている。

 王国の内情については、いずれ詳しく報告する」


 一瞬、将軍の目に焦りが走ったのを、わたしは見逃さなかった。


 その変化は、ほんの小さなものだったけれど、胸騒ぎのような違和感を残す。


「何より」


 レオンは、ゆっくりと言葉を継いだ。


「私が選びたいのは、“誰の罪か”をはっきりさせる道だ」


 青い瞳が、議場を一巡する。


「王妃の罪を、王国すべての罪にしてしまえば、王国の民も、帝国の民も、憎しみに飲み込まれる。

 それでは、十年前と変わらない」


 わたしの胸で、何かが静かに反応した。


 王妃がいつもしてきたことを、レオンは真っ向から否定している。


 誰か一人の罪を、誰かの存在全体に被せること。

 「お前がいるから」と、全てを押しつけること。


「私は、二度と“必要な犠牲”という言葉を使いたくない」


 その言葉を聞いた瞬間、喉の奥が熱くなった。


「戦を望む者には、はっきりと言おう」


 レオンの視線が、主戦派の将軍たちへ向けられる。


「私が守りたいのは、君たちの“武勲”ではない。

 帝国に生きる民と、ここにいる全ての者の命だ」


「陛下、それでは、我ら軍の存在意義が――」


「ある」


 きっぱりとした否定。


「戦わずに済む方法を探し、最後の最後に剣を抜くとき、その一振りで全てを終わらせるためにこそ、君たちは必要だ」


 将軍は言葉を失い、徐々に視線を伏せた。


 そのとき、別の席から、低い声が聞こえた。


「……陛下は、その女に惑わされておられるのでは?」


 発言したのは、中堅どころの貴族だった。

 以前、毒事件の際に「穏便に」と提案していた男だ。


「炎から生還した紅眼の皇女とやらに、心を動かされるのは分かりますが――」


 視線が、はっきりとこちらを刺す。


「一人の女の感情に引きずられて、帝国の進む道を誤られては困りますな」


 その瞬間、空気がひやりと凍った。


 レオンの顔から、すっと表情が消える。


 青い瞳が細められ、その奥に冷たい光が灯るのが分かった。


「……今、何と言った」


 静かな問いかけなのに、足元からぞくりとするような気配が立ち上る。


 貴族の男が、わずかに肩をすくめた。


「い、いえ。

 陛下のご判断が、婚約者殿への情に傾きすぎては――という、一般論でございます」


「一般論」


 レオンはゆっくりと、その言葉を繰り返した。


「よく聞け」


 次の瞬間、声の温度が一段下がる。


「二度と、彼女を侮辱するな」


 議場が、ぴたりと静まり返る。


「彼女は、王妃に命を狙われ、炎に投げ込まれ、なお生き延びた。

 そして今、自らの過去の罪ではないものまで背負おうとしている」


 レオンの視線が、男の額を貫く。


「それを“惑わしている”と呼ぶなら、君の眼は濁っている」


 男の顔が、真っ青になる。


「いいか」


 レオンは、一語一語を噛みしめるように続けた。


「アリアは、私が守ると決めた帝国の民だ」


 胸の奥が、強く揺れた。


「彼女を利用しようとする者も。

 彼女を侮辱し、傷つけようとする者も。

 私は、誰一人として許さない」


 言葉の鋭さとは裏腹に、その背中からは不思議な温かさが伝わってくる。


 わたしは、議場の隅で小さく息を吸った。


 守られる側だという事実は、正直、まだ慣れない。

 王国にいた頃、わたしはいつも、守るべきものではなく“処分すべき厄介事”だったから。


 今でもときどき、「わたしなんかのために」と思ってしまう。


 それでも――


 戦の旗としてではなく。

 罪の象徴としてでもなく。


 一人の人間として、「守る」と言われたことが、心のどこかを静かに救ってくれているのも確かだった。


 この温度を知ってしまった以上、もう二度と、あの冷たい鎖には戻れない。


「以上だ」


 レオンは最後にそう告げた。


「大陸協議会の準備を進める。

 王妃への裁きは、まず言葉と証拠で行う」


 彼の声に、老宰相が深く頭を下げる。


「ははっ。

 陛下のご意志、確かに承りました」


 慎重派の者たちは安堵の息を漏らし、主戦派の中にも、複雑そうな表情を浮かべながらも沈黙を選ぶ者が多かった。


 ただ一人、先ほどの将軍だけが、悔しげに唇を噛んでいる。

 その瞳の奥に浮かぶ色が、どこか、純粋な怒りとは違うように見えたのは――きっと、気のせいではない。


 議場が解散に向けてざわめき始める中、レオンがこちらへ歩いてくる。


「……疲れただろう」


 すぐ目の前まで来て、低く問いかけてくれた。


「いえ。

 大丈夫です」


 本当は少し足がふらついていたけれど、正直に言う勇気は出なかった。


 その代わりに、胸の内を一つだけ伝える。


「戦を選ばないと聞いて、ほっとしました」


 レオンの眉が、わずかにゆるむ。


「そうか」


「でも……」


 言いかけて、言葉を選ぶ。


「わたしのせいで、陛下が“甘い”と言われてしまうのではないかと、それは少し怖いです」


「甘い、か」


 レオンは小さく笑った。


「帝都の子どもたちは、私を“血も涙もない征服王”と呼ぶらしいが」


「え、と」


「ようやく、腹に据えかねている者たちもいるだろう。

 好きなように言わせておけばいい」


 その言い方が、あまりにもあっさりしていて、思わず肩の力が抜けた。


「君を利用して戦をしたがる者たちよりも、君を守ることで私を“甘い”と笑う者たちの方が、まだ救いがある」


 冗談めかした色を含みながらも、彼の瞳は真剣だった。


「アリア」


 少し真面目な声に戻る。


「戦を望む声は、この先も出るだろう。

 王妃を裁く道のりは、決して楽ではない」


 それでも、と続けるように、彼の手がそっとわたしの手首に触れた。


「それでも君が、“戦の旗ではなく、一人の人としてここにいる”ことを選ぶなら――私は、その選択を守る」


 胸の奥で、ゆっくりと何かが温まっていく。


 わたしは、握られた手を、今度は自分から少しだけ強く握り返した。


「わたしも……」


 声が、自然と出た。


「わたしも、陛下が選んだこの道を、間違いだと思いません」


 戦をしないことは、臆病ではない。

 剣以外の方法で裁こうとすることは、弱さではない。


 そう思わせてくれたのは、他でもない、この人なのだから。


「一緒に、見に行きたいです」


 大陸協議会。

 王妃の裁き。

 その先にあるもの。


「戦ではなく“裁き”を選んだ結果が、どんな未来につながるのかを」


 レオンの青い瞳が、静かに細められる。


「……ああ」


 短くうなずいた顔は、不思議と穏やかだった。


「ならば、なおさら負けられないな」


 そう言って、彼はわずかに口元を上げる。


 その表情を見て、わたしもつられて笑ってしまった。


 戦の誘惑が渦巻く議場の真ん中で。

 誰かを焼き尽くす炎ではなく、誰かを守ろうとする意志に、そっと手を伸ばしたくなる夜だった。

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