3-3 セノ・カンナ
セノ・カンナ。
私は彼女に救われた。
私は十歳の頃、キュービット塊の転落事故により頭部に重傷を負った。当時の容態はそれは凄惨なものっだったそうだ。頭蓋はひしゃげ、身体はぴくりとも動かず、糸が切れた人形のような私は黄泉の客となってしまったのではないかという有り体だったそうだ。
実際、私はその時の記憶がごっそりと抜け落ちている。そのため、彼女に救われたという事実は後付けで聞いたものであった。
曰く、死骸同様であった私の頭を蘇生させた手腕はこうだ。
粉砕骨折により防護の機能を失った頭蓋ごと冷凍、呼吸器に管を繋ぎ、薬液ポッド中に浸漬。半冷凍状態の脳漿から血腫や骨片を除去。脳を圧迫する髄液は彼女が選択した比重が軽い溶液で置換。ダメージを負った脳機能は脳味噌を電極越しに医療用コンピューターへと導通させ、山勘と最低限のトライアンドエラーで信号を補正し、機能を肩代わりさせた。破砕した頭蓋も含めて傷口を縫合したら、レントゲン室に隔離された私をスコープ越しに第二手術を行う…と、繊細かつ大胆な選択を瞬時に組み立て、それを寸分の狂いもなく実行してのけた。
私もヒナゲシ区で病院に従事していた時は、手術のような事を行ったりもした。だがそれはコンピュータが出すカルテに従い、その通りに実行するだけ。カンナが行った事に比べれば児戯に等しかった。
「ぶっ!?」
私はカンナのストレートな飛び蹴りを受け、鞠のように跳ねた。がしゃん!ごろ、ごろ、と音を立てて転がっていった私は、奇しくも病棟の中で患者となったのだ。言わずもがな、疾病名は打撲である。
「おい、エス」
「は、はひ」
手痛い歓迎を受けた私は真上に向き直る。そもそもが歓迎などされていない気もするが...
「何でお前がここにいるんだ!?お前はヒナゲシ区から出てこれないだろ!!」
カンナは私のフードをがっしと掴み、自分の目線まで持ってくる。その目には憤懣に満ちた火照りが映っていた。
「えーっとね?カンナ、とりあえず落ち着こって」
「私は理由を聞いてるんだよおいコラ」
ちなみにカンナは、怒ると怖い。
「カンナさん!?ど、どうしたんですか!?」
後ろから同僚であろう茶髪のナースに声を掛けられる。鬼気迫る形相だったカンナはふーーっ、と息を吐くと、私をぼとりと床に落とし、右手をサムズアップの形にした。だがそれは決してgoodの意味ではない。
「積もる話もあるだろうからよ、とりあえず、裏、来い」
「は、はい」
彼女が人目につかない場所で好き勝手やるために、私を連行する方角を指すサインであった。
****
エスが前触れもなく飛び出し、ディエゴとライムがイトスギ区の活気ある幅広な往来に取り残された。
「期せずして飛んで行った。気でも触れたのか、あいつは」
「あら、エスちゃんは戦いに行ったのよ。この街に住む男たち全員を相手してね」
「...何だと?」
「彼女と私のメガスロットは一心同体。エスちゃんの考えてる事は手に取るように分かるもの」
ライムがディエゴの目の前へとぷかぷかと移動する。キュービットで擬態をしているため、正体を知っていなければ通り過ぎてしまうだろう。
「放っておけ」
「ちょっと!?ジョーダンよ!彼女のメガスロットとは簡単な通信しか出来ないし、彼女が考えてる事なんて分かる訳無いわよ!?」
ディエゴは興が冷めたようにライムを静観する。
「そも、アタシはエスちゃんに用はあっても、アナタの事はどうでもいいのよ」
「今更か、そんな事」
一人と一基の間に緊張が走る。傍目から見たらディエゴが虚空を見つめているようにしか見えないが、彼の常人離れした風貌がその場に超然とした雰囲気を与えた。
「お前の目的が謎だ。なぜあいつに付いてくる?」
「そっくりそのまま返してやるわよ!べー!」
ライムは器用にもキュービットで突き出した舌を象った。ディエゴは特に気を害した様子も無く、淡々と語った。
「世界を変える力を得る。国や連合の軛には収まらない、圧倒的な力がこの場所のどこかにある。それを探す」
「...ふーん、気が触れてるのはアナタの方かもしれないわね」
ディエゴの険がある顔のうち、左眉だけがぴくりと動いた。それにも動じずにライムは続ける。
「世界を変える、なんてね。少年か政治家の世迷い言よ。それでも、アナタの言う世界を悪い方向に変える方法は、この場所には存在するけど...」
「教えろ」
ライムに向けて伸ばされたディエゴの手が空を切った。
「フン!今朝のようにはいかないわよ!だぁれがアナタなんかに...」
「頼む、教えてくれ」
強硬な態度を取っていたディエゴだったが、何があったのか、人が変わったように片膝を地に付いた。まるで騎士が忠誠を誓うようなポーズで俯いていた。
「...アラ、アナタでもへつらうことは出来るのね」
ライムが声のトーンを落とし言う。
「思えば、アナタは切羽詰まったような感じだった。何を考えてるのかは知らないケド」
ライムは上昇し、ディエゴの3mほど上で停止する。そしてそのシルエットは、地上から見上げるとこの街のシンボルと重なっていた。
「あの一番高い建物に行きなさい。そこにはこの区を統括する人間がいるはずだわ」
****
「...男を追って、飛び出して来ただと」
「違う、これは私の意思」
カンナは何か曲解しているようだが、私がヒナゲシ区を出た理由は正しておきたかった。
自分の未来を惨めな死の未来になんかさせない。その意思で私は、自らの脚で古巣から飛び出した。
私がなぜイトスギ区にいるのかという理由を、彼女に説明している最中だった。脱出の柱を倒した所までは怒りの色を残していたが、アダムと出会い、ハッターに捉えられそうになってからは目の色が変わっていった。




