2-5 戦いを終えて
私エスは焦げ臭い残滓が残る建物を後にし、少し離れた場所にいた。
「何とか、身を守れたけど...」
悪意を持つ敵との戦い。それは私の心を酷く焦燥させた。
もう一度あのキュービット、ロンと戦えと言われても、私にはもうできる気がしない。
身体に残る痛みが警鐘を鳴らしていた。
「アダム、か...」
私は檸檬色のパーカーから順に服を脱ぎ、今まで相対したメガスロットに思いを馳せる。
外は危険だと私を引き止めたアダム、未だ掴みどころのないメガスロットのライム、そして人間を殺すことに執着し、私の命を奪いかけたロン。
私は紺色じみた黒と色素を失った白の髪を分割するヘアゴムを外し、服をてきぱきと脱ぎ四角い箱に入れる。一つ嘆息した後、全裸のままキュービットでできた箱に入る。
肌を微細なプラズマが撫で、表面の汚れを炭化させる。その後、霧状になった水が天井から噴霧され、汚れを洗い落とす。
シャワーボックスと呼ばれるこの代物は、電子板より呼び出せる。私の主治医はこれを「いつでもどこでもシャワーに浴びられる画期的なものだ」と評価していた。私にはその良さが分からなかったが、シャワーを浴びた後は、洗浄と乾燥が完了した衣類を身につける。髪の表面をキュービットが撫でると、振動数が増えた水分子が自然に揮発していった。
「また、戦うのは嫌だな...」
膝を抱え込み、私は誰もいない荒野で吐露する。
危険を顧みず区を飛び出してきた事には後悔はない。しかし、死にかけるという経験は鮮烈なものであった。
裸のまま横手を見る。そこにはひし形の立体が回転していた。
私は電子板より回転を止め、中のものを取り出す。そこには先程まで着用していた衣類が入っていた。水と回転の力で汚れが除去されたパーカーは、水を吸い重くなっていた。本来ならそこから乾かすところだが、私はお構い無しに衣服を身につける。
ショーツ等肌着から順番に身に付け、ベルトがいらないジーンズを着用する。お気に入りのパーカーを頭から通し、最後に長袖のシャツを腰に巻くことで普段の格好となる。
「さすがにびちょびちょで気持ち悪い...」
肌をまとわりつくような不快感はあるが、それを振り払うよう髪を一纏めする。道など見当たらない白磁の荒野を気にせず進む。
どこに向かおうかと思案していたところだが、すぐにあっけなく足を止めることになった。
「おや...あの時の少女。濡れ鼠なのは滝行であるか?」
「いや、シャワー浴びてただけです。チャンさんこそどうしたんですか?こんな所で」
時間にして半日ほどだろうか。先程出くわした敬虔味のある男、チャンが対向から歩いてきたのだ。
チャンは白色のターバンを目深に被りなおし、背中に背負っていた大理石をドスンという音とともに床に置く。
「人を探している。この辺りにはもう誰もいないようであるからな」
「そりゃそうですよ、だってここには…」
残忍なメガスロット、ロンがいるのだから。
「痛っ…」
先ほど相対したメガスロットの姿を思い浮かべると、負傷した部分の痛みが主張するようにぶり返してきた。先ほどの激闘の名残など風に吹かれてしまったように、辺りは静かであった。打撲による傷は実際大したものではないのだが、焼けるような痛みはしばらく治まらないであろう。
「どこか痛むのか、少女よ」
「私はエスって言います。実は…」
私はチャンにこの場所で起こった仔細を伝えた。チャンは眉一つ動かさず私の話を聞き終えたのち、おもむろに口を開いた。
「そのメガスロットを拙者は知っている」
「え!本当ですか」
私は食いつくように聞き返す。たった今メガスロットについて説明したところだが、分からないところの方が多いのだ。私にとってメガスロットとは、自分の生命を維持するのに必要不可欠な器官であり、それ以上でもそれ以下でもない補助器具でしかないという認識であった。今やそれが意思を持ち、私を襲い、激闘を繰り広げることになるとは夢にも思わなかったが…
「まあそう逸るな。エスよ、腹が減っているだろう。私が少し馳走してやろう」
「む、確かに…」
そういえば、区を出てから一度食事をとったが、それから半日の間なにも口にしていない。周りを渦巻く異常事態に当てられ、緊張からか空腹の存在を忘れていた。
心身ともに疲労困憊している私をよそ眼に、チャンは食品を取り寄せる。
どこからか取り出したのか、鉄製のフライパンをキュービットで作った枠の上に拵え、やってきた小麦色の塊をフライパンの上に置く。
「ここでは食の発展が何べんも遅れている。食と人は切っては切れないものと思うのだがな…」
チャンがひとりでに呟いた言葉は、私にはよく分からなかった。なにか食事に不満を抱いているようだが、私は生まれてこのところ困ったことはない。
現状、チャンが行っている料理は滅多に行う人間がいない。なぜならボタンを一つ押すだけで、完成された食品が届くのだ。わざわざ余計な手間をかけて食事を作る事は無為だ、それが私たちの持つ共通認識である。
「うーん、食事なんて食べれればなんだって同じじゃないですか?」
「否、否である。食は命の交換なのだ。生命を屠り食らう対価として、我々は人間としての活動を世界に主張せねばならぬ。貴重な食文化を粗末にはできぬな」
チャンは不思議な価値観の持ち主なんだと思った。彼の見ているものは巨視的で、精神だけどこか別の場所に在るような印象を覚えた。
「あのメガスロットは卑屈な精神性を持っている」
そういいながら、チャンが白い短冊状の食べ物を手でほぐしながらフライパンに加える。
「性格…っていうか、なんでメガスロットは喋ったりするんですか?機械が自分で喋ったり怒ったりするのって変ですよね?」
「分からぬ」
「分からぬかぁ…」
私はがっくりと肩を落とす。メガスロットの正体はともかく、どういう意図で行動しているのかが知りたかった。
「ただあの機械…メガスロットはな」
チャンがフライパンの下に手を通す。同時にカチッという音が聞こえた。
「火を恐れていた」
フライパンを支える枠組みから、ぶわっという音とともに炎が広がった。
「そう、そうですよね。火が見えたらどっかに行っちゃって…」
火を絶やさず燃やしていた集団。彼らからのヒントを元に、私は2km先の炎をキュービットでパッケージ、高速で土壇場に取り寄せロンの撃退に成功した。
神業ともいえる技術だったが、私には「空間を自分の尺度で把握できる」という謎の特技があった。要は立体感覚が優れているということだ。数十メートル先ほどであれば、自分の腕何本分という尺度ではあるが正確に距離を測ることができる。とはいえ、今回はさすがに賭けだったが...
「完全無欠であるはずの機械人格が、火が怖いという蛇足にも程がある欠点を持ち合わせていた。その事から何か分かるだろうか?」
「うーん...」
実際に相対した人間として、ロンの言動からは感じ取れる所があった。それはつまり。
「記憶があるってこと...?」
チャンの目線がこちらを向いた。火が怖いというのは昔に大火傷をしたからではないのだろうか。
「記憶...良いところを突いているな」
人工知能(と推定する)であるメガスロットにネガティブな記憶を所有させる理由は果たして何か。いずれにせよ、分からないことだらけであった。
いつの間にかフライパンの中身はぐつぐつと音をたて、色素が薄いピンクから飴色に変わっていた。香ばしい匂いが私の鼻孔に伝わってくる。
「誰も彼も、まともに在れるというわけではないのだな」
チャンはそう言うと、フライパンと匙をあぐらをかいている私の前に置いた。
「食べるといい。私の好きな味だ」
「ありがとう、いただきます」
人を襲うキュービット、ブラックボックスである中身には何が詰まっているのだろうかと思案しながら匙を口に運ぶ。
直後、口に入れたものを明後日の方向に吹き出す。
「ぶっ...辛っ!なんですかこれ!」
「食の可能性は無限なのだ。よく咀嚼するといい」
私はチャンを半睨みにする。辛いことは辛いが、お腹が空いていたので匙を運ぶ手は止まらない。
「さて、私は人を探さねばならぬ。この辺りで生きている人間を」
「ん...それなら、ここから2km先の荒地に火を焚きながら隠れている人達がいましたよ。」
「左様か」
私は辛味が強い食事を平らげ、フライパンを返却する。最初の数口は刺激が強かったが、なんやかんやで美味しく感じることができた。
「うぬとは、また必ず相対することになるだろう」
「そうなったら良いですけど...、道中気をつけてくださいね」
そう返答を返すと、チャンは私の示した方向に去っていった。
ぽつんと私一人残された場所は、夕刻の仄かな赤みに照らされ一日の終わりを告げていた。光というのはその色合いで私たちを安心させる。薄く水に溶かしたような朱が時を小刻みに隔て深い紫紺に染まっていくのは、ヒナゲシ区でもこの場所でも変わらなかった。
「人間としての活動、か...」
先程チャンが発した言葉は、私の器量には収まりきらなかった。瞼を閉じても消えない数字。視界の左端には4426と表示されている。可視化された命は、死にかけた経験の後には私が生きているという証明に思え、一抹の安心感を覚えた。
殺風景な辺りには無数のキュービットがまばらに散り、風の音のみが響いていた。
「全く、ディエゴとライムはどこに行ったんだか...」
ヒナゲシ区から出てきた際に二人いたはずの同行者はどこかに消えてしまった。別に無理に探す必要もないため、意識の慮外に置いている。
「あれ...これは」
ふと、私は足元に意識を拠る。
キュービットによる洗浄システムで綺麗に洗われたフライパンと匙が床に置いてあった。
「忘れ物してるよ、チャンさん」
私は頭を掻き、調理器具を手に取る。使い古された器具には掌に沈み込む鋳鉄の重みがあった。
「やることもないし、届けに行こう」
実際問題、私はこれからどうすればいいかを決めかねていた。なので、チャンが向かった方向に歩を進める事にする。
傷を負った体を労りながら、私は来た道を戻ることにした。
「そういえば、チャンさんは何で人を探していたんだろ?」
チャンは人を探していると言っていたが、なぜ探していたのかは言っていなかった。
昼間と比べ明度と彩度が落ちた荒野を進む。夜の帳は、とっくに辺りを包んでいた。




