2-2 壁の穴
私はチャンと名乗る男性と邂逅し、外の世界に存在するという危険の片鱗に触れた。三十二人もの犠牲者が出たという凶事。いかに危険とはいえ、無知のままではいられなかった。
「全然景色が変わらない...」
現在小走りで一本道を進んでいるが、左右は絶壁に挟まれ、周囲の風景を確認することはできない。キュービットの操作で昇降板を作ることも可能だが、私の背中を押す追い風のせいで転落に繋がる恐れがあった。
「ディエゴとライムはどこにいったし...」
一応私の同行者である謎の少年ディエゴ。持ちつ持たれつの関係だと私は自負しているが、仲が良いかと聞かれると首を縦には振れない。
もう一人、と言っていいのか分からないが、メガスロットのライム。カード状の機械が女性と男性が入り交じったような声音を出すのは奇天烈極まりない。明け透けな性格とは裏腹に、どのような意図を持ち駆動しているのかは察しえない。
「このメンバーでは私が普通枠かぁ...」
正直、コミュニケーションやグループワークなどが得意ではない気質なのだが、後二人があまりにも異質すぎる。私はため息をつき、走るスピードを上げる。
違和感を捉えたのは、更に二百メートルほど進んだ時であった。
「すんすん、何この臭いは...」
鼻腔が捉えたのは、微かな焦げ臭さであった。前に進むほど臭いが強くなるように思えるが、突如として焦げ臭さは薄れていった。
「これでも、臭いの感知には自信があるから。私の鼻は誤魔化せないよ、ふっ」
誰が聞いてる訳でもないが、独りでにカッコつける。後ろ歩きで来た道を数十メートルほど戻り、左手の壁に目線を凝らす。
視界の左下に映る4620という数字は今は無視だ。臭いの元は壁に空いた小さな穴だった。よく見ると穴は複数個あり、凝視しないと見つけられない程であった。試しに壁を叩いてみる。中はどうやら空洞のようだ。
「変なものだったらどうしよ...」
言葉とは裏腹に、私の手は電子板を呼び出しコンソールに指を添わせている。壁をどかすよう操作したところ、奇妙な壁はキュービットの単位となり四散していった。
「うそ...何で?」
視界に入ったのは、皓皓と燃える炬火であった。猛る炎は壁の中に空いた洞を照らしている。
私が反射的に身を竦ませてしまったのは、火を盾にするよう人が居たからだ。それも複数人。
それは向こうも同じだったようだ。いきなり現れた私に、警戒の色を示している。ある者は怯え、ある者は身構えている。私と彼らは一瞬のうちに緊張の糸で繋がってしまった。
「わ、私悪い人じゃないよ〜はは...」
情けない声を出しながら、私は一歩後ずさる。だが、白髪混じりである初老の男性の顔が火に照らされ、口の動きが見て取れた。
「...アンタ、何でもいい。も、燃えるものを用意してくれないか?」
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「お茶会ってモダンな椅子と木目調のテーブルが必須じゃん?でもさ、ここじゃあ植物由来の素材は貴重品なんだって〜白けるよね〜」
目線の先、距離にして10メートルは離れたところ。そこには女が立っていた。
明るい色彩を丁寧に重ねたような衣服で華奢な身体を包んでいる。誇張しすぎない光沢が照り込むクリーム色の髪は、絢爛な装束に負けず存在を主張していた。以前出会った時とは違い、頭頂までその髪を露わにしている。
今回も、眼から真意を読み取ることは出来なかった。黒地に色彩が雨滴のように染められた包帯は、女の目元を保護するように覆っている。包帯は眉まで続いているので、表情から意図を察することは不可能だ。
「...ミクリ、だったか」
名前が直ぐに思い出せたことに、俺...ディエゴは自分に少し驚く。それもそのはずだと合点した。ミクリと名乗った少女は、この世界に来たばかりの俺を待ち構えていたように鉢合わせ、何者であるかを看破したのであった。それでありながら俺の利になる行動をした───四角いキュービットを灰塵にする事が出来る杖を寄与してくれたのだ。まだこの世界のことをよく知らないが、この杖は唯一無二であり複製ができない技術である事は推測できた。
「へぇ、名前覚えてくれてたんだ。ドキドキしそう」
口元の表情を変えずにミクリが言う。その手に持ったボトルをからからと揺らし、中に入った赤橙色の液体が重力に逆らう挙動をする。
「お前に用はない。俺が知りたいのはただ一つだけだ」
俺が言葉を口にした途端、ミクリの手からボトルが滑り落ちる。ぼとっ、という音を反響させたボトルは、中に入った液体を漏出させる。
「はぁ〜...減点減点。アタシだからいいけど、女子の前でそれ言うのドン引くよ?デリカシーなさすぎって」
ミクリの言葉はどうでもいい。実際、俺は一つの事柄にしか執着が無かった。
「世界を変える」
ミクリの包帯で隠された目が見開いたような気がした。彼女は上唇を舐めると、おどけた態度でこう言った。
「そりゃキミは変えちゃったもんね、世界を。おっきい事するの、中毒になっちゃった?」
「...そうか、お前もここに来たのか」
確信を得ることが出来た。この女は警戒すべき対象だ。彼女は俺が何者であるかを知っている。その事実はヒトの印象が変わるなどと言うものではない。流布する事で、俺は大衆から外れる事となる。未だ真っさらなこの土地で。
俺は一歩、右足を後ろに引く。連動するように全身の筋肉が強ばる。そして手に杖の柄をあてがえ───
「隠してもバレバレ。思い出したでしょ?アタシがその杖をプレゼントした事。思い出したってのは忘れてたって事実の裏返しなの。...もっとリアクションに気をつけたら?」
きっとこの状態で組み合えば、目の前の女を制圧することが出来るだろう。だがそれは悪手であると理解出来たうえ、女の底が知れなかった。
俺に恐れるものは何も無い。だが、蛮勇は破滅を招く事を理解していた。
「お前は一体、何者なんだ?」
ミクリはくすりと笑い、口元に右手の親指を持って行った。
「あら、やっと興味を持ってくれた?なら初めましての挨拶からね。」
ミクリはヒールを支点とし、くるっと180度回転した。そして眼帯で隠された左目をこちらに向けた。
「私はミクリ・ラバーズ。キミより二個上の19歳。そしてキミと同じ、エルサルバドルが生まれの地よ」
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「燃えるものって...」
私、エスは困惑していた。
闇の中で唯一輪郭を持たない炎は、命を持たないにせよ猛々しい存在感を放っている。
その炎を盾にするよう隠れる衆人たちは、対照的に己が存在を慎ましげに押し殺そうとしていた。
「そんなことよりっ、早く壁を塞いでっ!奴がくるって!」
「ああまずい!あの化け物に見つかったら為す術もない!」
喜劇のようなやりとりで彼ら彼女らは慌てて穴を塞ぐ。必然、私の後ろには元の変哲もない外郭が作られる。
男性四人に女性一人。年齢は20から40の幅とみなせたが、彼らの共通点は揃って憔悴し、壁に空いた一点の穴に怯えている所であった。
「そんな世界が終わったような顔しなくたって、いい事ありますって」
私が呆れたような顔で零すと、男の一人が食って掛かってきた。
「ふざけるなっ!俺たちが何のためにここに篭っているのか分かっているのか!?」
「えぇ...?」
私は一歩後ずさり、輝きを失った男が持つ眼窩に目線を向ける。
よくよく考えたら、彼らはなぜこんな所に篭っているのだろうか。身なりのくたびれ様からして、数日ほど当該の洞で団子になっているようだった。つまりこの洞から出ることができないと。
不意に先程出会った偉丈夫、チャンの言葉が蘇る。
「惨殺されたのだ。悪意あるものによって多くの人間が」
「いるのっ!?この近くに!」
主語がない私の動揺を聞き、その場の人間は首肯を返した。
心臓の鼓動が加速していくのを感じる。つまりだ。
先ほどチャンが指していた、32人もの人間を殺害した何か。
それはこの近辺で放縦を振るい、篝火の向こうに佇む彼らは、それから身を守るため隠れていると。
そして伝聞の通り、キュービットをを自在に操る怪物であると。
「メガスロットだ...!」
一人でな合点は、奥で萎縮している彼らには通じない。
「あの怪物は火を嫌うんだ。だから俺たちは火を絶やさない。死なないためにだ」
この密閉空間で火を焚いている理由が分かった。
極端とも思える手の施しようだった。自分の生存の為にはここまですると言われれば、首を横には振れないのかもしれないが。
「私と同じ、怪物...」
さもありなん、自分が怪物であるとは思っていないが、同類であるという認識があった。
頭より身体が先に動くのは私の悪い癖だ。コンソールを呼び出し、軽快に指を叩く。
傷口が閉じるように塞がれた背後の壁を、再び開く。暗闇を刺してきた光にもめげず、文字通り風穴が空いた壁の縁に手を掛ける。
「なっ、何をしている!?」
「私なら止められるかもしれないから!こう見えても!その怪物とは他人じゃないの!」
私の目線は遥か遠くを見据えていた。夜のとばりは降り、世界は明瞭さを増している。
後ろからの制止の声をほどき、私は一歩飛び出した。
人の命を奪う怪物。それが私の脳にあるメガスロット。
実際に己の目で確かめ、言葉を交わし、自分だけが持つ力で御する。それができなければ安寧であり無感動であった住処から飛び出してきた意味がないと思ってしまったのだ。
人殺しの怪物と相対する。その行為は疎外からやってきた人間に出来る唯一性であり、それを特別性と履き違えているということを、何も知らない私では至らなかった。




