24話「ネバダ③」
「«八咫烏»」
ネバダがそう言うと、シロハを中心に計十五枚の札が展開された。五枚一組が三セットで、それぞれの組は正五角形を描くように配置されている。それぞれ一つ置きに線分で結べば五芒星が三つ出来上がる。
「これって……」
「五芒星・三重結界。一の障壁は物理的な攻撃を無効化し、二の障壁は魔力を用いた攻略を無力化し、三の障壁は霊力を吸収する。この封印から逃れることは不可能」
シロハは【硬化】を解除し、脱出を試みた。
だが同心円状に展開された三つの陣の、一番内側の障壁に拒まれる。
(くそっ、そう来るか!)
シロハがネバダの行動に対し、何もしなかったのは守りに徹していたからだ。彼女は今«斑鳩»を喰らったばかりであり、不意の攻撃を警戒せざるを得なかった。そのため自身を神代文字で強化し、籠城をかましていたわけだ。
それに対してネバダの行動は攻撃を仕掛けるのではなく封印。籠城していつでもかかってこいと思っていたら、四方を火で囲われたようなものだ。端的に言って、シロハにとって想定外だった。
「ネバダ、あなたはどうしてそこまで終焉に拘るの」
「先にも言ったでしょう。この世界は失敗作、だから壊す」
「……私はさ、芸術家じゃないからわからないんだよね。なんでわざわざ失敗作を壊したがるのか。捨てるなり、放置するなりすればいいじゃん? どうして己の手で壊す事に拘泥するの?」
ルミナスの傍観主義はある種の放置と言える。
ルミナス本人も気づいていたのかもしれない。取り返しのつかない失態を犯してしまったことを。
それならば、ルミナスが壊さなかったのは何故か。
「……ルミナス様は、この世界を壊せない。傍観主義とは言え、あの方は優しすぎる」
ネバダの脳裏に、ルミナスの優しさが蘇る。罪を犯したネバダでさえも抱きしめる、聖母の優しさだ。
結局のところ、ルミナスは甘かった。その甘さの代償が、この惨状だとネバダは考える。
「ルミナス様は創造神。汚れ役は似合わない。担うは私、邪神ネバダただ一人」
「あなたは、この期に及んで」
「言ったはずよ。理解は求めない。これは私の戦争。私の選択」
「……良く分かったわ」
シロハが下を向く。
前髪が瞳を隠し、その表情はよく見えない。
しかし、その後すぐに面を上げ、キッと鋭い視線を寄越す。
「ただしっ! あなたがやりたい放題やるっていうなら、私もやりたいようにさせてもらう!」
第一障壁に手を翳し、シロハは霊力を注ぎこむ。
できるだけ鋭く、なるたけ利く。
障壁は悲鳴を上げ、雷光が轟く。
それは可視化された霊力だ。
しかしその溢れた光は第三障壁によって吸収される。
「無駄よ。この結界は全てを拒む。すぐに終末を迎えるから、それまでおとなしくしてなさい」
「残念ながら、戒律は破っても根付いた性格は変えようがなくてね。私は諦めが悪いのさ!」
シロハが出力を上げる。雷鳴はのたうち回り、結界を喰い破ろうとする。それでも刃は届かない。
「結界の許容量は底なしよ。飽和させようとしても無駄」
「……本当に、そうかしら?」
この世界の物質は、何かと安定を求める。
例えばイオン化する原子。これらは不安定な部分を取り除き、あるいは取り入れて安定状態を求める。
例えば二原子分子。これらは互いに手を取り合うことで安定を保とうとする。
そしてそういった安定を求める働きは、霊力という力にも適用される。
「術式付与«早贄»ッ!!」
シロハが迸る光子の膜に、血文字で術式を書き込んだ。霊力を豊富に孕んだその光は、厳かに主の命を遂行する。
「貫けッ! «穿天燕»!」
「なっ!」
指向性を持った霊力が、結界の一点に向かって飛び込むのを、シロハの貫手が後押しする。
その貫手は第一障壁で押し止められるが、稲妻には十分の運動量を叩き込んだ。
霊的なエネルギーと、物理的なエネルギー。
その両方が一箇所に集中したことで結界に亀裂が入る。
「もう! いっちょ!」
全てを穿つ矛と、全てを拒む盾がせめぎ合う中、シロハはもう一方の手で«穿天燕»を放つ。
それが決定打だった。
一箇所ばかりに負荷のかかった結界が、悲鳴を上げて崩れ去る。
そして、一箇所だけでも崩れれば十分だ。
崩れた一番外側の結界を補うために、結界の形が歪曲する。
札の位置が制御を失ったロボットの様に暴走し、あるべき姿を留めない。
「術式還元」
そうなれば、あとはただの霊力だまり同然だ。
シロハがそう唱えれば、術式は砕かれシロハの糧となる。
結界はガラスの様に砕けた。
パラパラと星明りを周囲に散らしながら、シロハの周囲にまばらに落ちる。
シロハはネバダに背を向けたまま語り掛けた。
「どう、やればできるもんでしょ」
「偶々上手くいっただけでしょ。失敗すれば、ただただ結界を強化するだけに終わっていた。そんなの、馬鹿げてる」
「だけれど、それもまた一つの可能性よ」
シロハが振り返る。
笑顔とも泣き顔とも選を異にする表情は、「もうやめにしよう」と訴えていた。
「世界は可能性で満ちているでしょ。これから訪れる絶望と同じだけ、希望が訪れる可能性もあるんだよ」
「歴史は繰り返されるわ。勇者と魔王だってそう。もうどれだけ彼らは争ってきた。あとどれだけ争えば気が済む。どれだけの人が、彼らの闘争に巻き込まれる」
「勇者を慕う者がいる。魔王を慕うものがいる。闘争に巻き込まれる者がいるように、巡り合わせに幸いを感じるものがいる。あなたがやろうとしてるのは、希望の芽を摘む事だ!」
「っ! うるさい! うるさいうるさい!」
ネバダは激怒した。憤懣遣る方なく、怒髪天を衝く。
「ならどうすればいい! 口だけならどんな綺麗事だって言える! でも、それじゃ意味がないんだよ! 祈ったって届かない、願ったって叶わない! 私はどうすればよかった!」
「誰もあなたが間違っていたなんて言ってない! 善も悪もありはしない、私だってその程度の事は学んだ。あなたが人を思うがために行動を起こしたことも知ってる。だから、別の形で思いやることだってできるでしょう?」
ネバダは感情的になっている自分を、どこか他人事のように見ていた。シロハの言葉を咀嚼して、砕いて飲み込んで。慎重に言葉を選んだ。
「もう、無理よ。私は穢れ過ぎた。愛され方も、愛し方も忘れてしまった。毒となって毒を制す以外の生き方を知らずに成長してしまった」
「それなら、これから育んでいけばいい」
シロハの顔がフッと緩んだ。
ネバダは、不要なしがらみから解放されたような気がした。
「星から私の事はどれだけ読み取れましたか? アリサ姫のことは読み取れましたか?」
シロハが一歩、ネバダに歩み寄る。
カラカラと、下駄と土の擦れる音がする。
ネバダが一歩退くより早くシロハが口を開く。
ネバダは退くタイミングを失った。
「私が犯した罪は、殺人。殺さなければ、生き残れなかった。それでも、私が罪人であることに違いは無い。そんな私の事を、必要としてくれる人が居たんですよ」
――私にはシロハさんが必要です。
そんなアリサの声が反響する。
一歩、また一歩と。シロハはネバダに歩み寄る。
「帰りを待ってくれる人がいるんです。こんな私にも」
「それは、あなたが巫女の頃の知り合いだったからでしょう? 私を知る者はもういない。時の彼方に、置いて来てしまった」
「だから、ここに一人いるじゃないですか」
やがてネバダの前に辿り着いたシロハがネバダを抱き寄せた。
瓜二つの少女。
まるで双子同士。
はじめから一個の存在だったかの様に、二人はそこに在る。
「あなたが私の過去を覗いたように、私もあなたの過去を見てきたんですよ。気づきませんでした? 『そろそろ行かなくちゃ』って、あなた以外が知るはずないですよね」
「……ぁ」
ネバダはシロハの過去をおおよそ正しく把握していた。それでもこの世界で一瞬の出来事である歴史の追体験は、星をもってしても知ることはできなかった。それゆえネバダは、シロハが自身の過去を知っていることを読み解けなかったのだった。
「あなたを邪悪と呼ぶならば、私にも同じ血が流れてる。きっと私たちは分かり合える。だから、ね?」
優しく抱きしめたまま、シロハはいう。
ネバダは、熱い何かが込み上げてくるのを感じた。
「――一緒に、帰ろ?」
「あ、あぁぁ! あぁ!!」
ネバダが夜空に慟哭する。
産声を上げる赤子の様に。
*
もう、ずっと昔のことだ。
ネバダがその異変に気付いたのは。
まだネバダが小さく幼い頃。
自分が違う存在なのだと知った。
「私のお母さんはどこ? お父さんは?」
ネバダは貧民街で育った。
より正確に言うならば、貧民街を流れる下水道。
そこで雨風を凌いでいた。
物乞いに街に出歩けば、自分と同じくらいの背丈の子を見かけた。ネバダが自分たちの様に背の低いものの事を子供という事を知るのは、少し後のことだ。
そして、ネバダが子供という単語を知った頃のことだった。子供は親に育てられるという事を聞いた。
たおやかな存在を母親、ますらな存在を父親という。
自分にも親がいるのかと、探し回った。
貧民街の物知りな爺さんに訊ねた。
返ってきた答えは、幼いネバダには残酷だった。
「あぁ? お前さんは孤児だろう。孤児に親なんざいねえよ」
ネバダはそれを、この街にはいないという事だと思った。
そうと分かれば行動は早かった。
親を探すために町を出た。
別の町に着いたら「私のお母さんはどこですか?」と尋ねた。そこでは孤児ではなく迷子と呼ばれた。意味は解らなかったが、親がここに居ないことは分かった。ネバダはまた旅に出た。
そんな生活をしばらく続けていると、嫌が応にも思い知る。自分の親が、この世界にいないことを。
それからしばらくして、ネバダはとある集団に拾われる。後に原初の巫子と呼ばれる者たちだ。ネバダは親の代わりをそこに求めた。人手の欲しかったその集団は、ネバダを受け入れた。
それが愛ではないという事を知ったのは、さらに後のことだ。
畢竟、ネバダが求めていたのは愛だった。
それを求めて、ネバダは我が身を切り裂いてでも、踏み出した。
巫女を守るために破戒巫女になったのも、その為だ。
必要とされれば、愛されると思った。
そのために腕を振るった。
いつしかみんな、離れて行った。
そんな彼女が愛を知るのは、ずっと先の事。




