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後編





「──まぁ、アルベルト様!こんなところにいらしたのですね!」


いっそだらしがないほど緩んでいたアルベルトの口元は。

その声が聞こえた瞬間、すっ、ともとの形に戻っていく。

愛おしげにロゼリアを見つめていた瞳は、熱をすっかりなくし、冷やかなものに。

そこにいたのはロゼリアの婚約者のアル、ではなく、ベルディア皇国第三皇子のアルベルトであった。

声をかけてきたのは、この国の令嬢である。

令嬢の周りには同い年くらいの複数の男がおり、令嬢の周りを取り囲むように立っていた。

花が咲いたような笑顔を浮かべた令嬢は、嬉しそうに駆け寄ってくる。

しかしすぐにロゼリアに気がついたのだろう、笑みを消して眉を寄せ、悲しげに足を止めた。


「アルベルト様……!そんな方と、何をされているのです……?」


彼女はこの国の伯爵令嬢。

周囲の男たちは令嬢を優しく見つめ、そしてアルベルトのすぐ隣にいるロゼリアを睨みつけた。

彼らは、ロゼリアと出会う前は友人として親しくしていたものたちだ。

この国の将来を担う、重要人物たち。

宰相の息子、騎士団長の息子、外交官の息子、公爵家の息子、侯爵家の息子。

彼らは皆等しく、この伯爵令嬢に好意を寄せているのだ。

ロゼリアと出会う以前、彼らはよく伯爵令嬢について話をしていた。

曰く、自分の劣等感をときほぐしてくれた。

曰く、トラウマを抜け出す手助けをしてくれた。

曰く、なかなか覚えられなかった外国語を一緒に学んでくれた。

曰く、優秀な弟と比べられ落ち込んでいた時に慰めてくれた。

曰く、自分の価値を見いだせなかった自分に生きる勇気を与えてくれた。

そして口を揃えてこう続けたのだ。

彼女ほど素晴らしい女性はいない、だからぜひ、あなたの妻にして欲しいと。

あなたほどの素晴らしい人が夫となれば、彼女のことを諦められるからと。

それに後押しされる形で、ロゼリアと出会う前、確かに彼女はアルベルトの婚約者候補に選ばれていた。

だからこそ彼らは、アルベルトと彼女が結ばれるのだと、信じて疑っていなかったのだ。

アルベルトの気持ちなど気にもとめず。


ロゼリアと出会う前から、アルベルトは誰かに執着したことも、愛情を抱いたこともない。

自分には愛だの恋だのといった浮ついた感情は存在しないのだと、本気で思っていたのだ。

彼女はそれに気づいたのだろう、少し悲しそうに「じゃあ、わたしと一緒に恋をしましょう?これから知っていけばいいのですわ」と笑った。

彼らが口々に彼女を褒めたたえていたのでどんな人物で、どんな言葉をかけてくれるのかと期待したこともあった。

しかしその言葉はアルベルトの上部の気持ちすらもするりとすり抜け、まるで花が風に揺られる光景を視界の端で見かけた時のように、全くもって心に留まらなかったのである。

つまりアルベルトは。

もともと彼女に対し、何の感情も持っていない。

自国の伯爵令嬢。

ただそれだけの認識だ。

自分に浮ついた感情が存在しないのだという思いは、ロゼリアに出会ったことで消えていた。

アルベルトはロゼリアに恋をしたし、ロゼリアを愛しているし、ロゼリアに執着している。

きっと自分の身も心も、ロゼリアに捧げるためだけに、誰にも何の感情も抱かなかったのだと、今なら胸を張れるくらいだ。


だからこそ──アルベルトは、初めてまともに彼女に目を向けた。

アイスブルーの瞳が彼女をとらえ、何を思ったのか、彼女はぽっと頬を赤らめる。

次いでロゼリアに目を向ければ、ロゼリアの端正な眉はきゅっと寄せられ、口元は不愉快そうにへの字に曲げられていた。

ああ、認めよう。この女は──俺のロゼに不快感を与えているのだと。

ロゼリアが心を動かすなんて。

自分のことだけで、いいのに。


「──無礼者が」


吐き出された言葉は、自分でも思っていた以上に、地を這うように低いものだった。


「アル、ベルト……さま?」


伯爵令嬢は、きょとんと目を瞬かせる。

周りの男たちは不思議そうにアルベルトを見やり。

そして、すぐに気がついた。

ガタガタと、体が意思と関係なく震え始める。


「ひ、ぃ……!」


口から漏れ出た、押し殺したような悲鳴。

それが伯爵令嬢から出た瞬間、ぶわ、と彼らを悪寒と威圧感が襲った。

反射的にその場に崩れこみ、情けなく腰を抜かす。

震える体、ガチガチとなる歯、流れる冷や汗。

まるで首筋に鋭い刃物を突きつけられているかのような、恐ろしい感覚。

それは彼らだけではなく、周囲にも及んでいるのだろう。

どこかから聞こえていたはずの鳥の鳴き声はとっくに聞こえなくなり、美しく咲いていた花たちはすっかり萎れてしまっていた。


「いつ、誰が、貴様らごときがこの場に来ることを許可した?誰が、貴様ごときの発言を認めた?誰が、いつ、どこで、俺のロゼを、()()()などと呼ぶことを許した?───殺すぞ、害虫が」


アルベルトは第三皇子であり、ロゼリアはその婚約者だ。

皇族というのはベルディア皇国にとって大変高貴な存在であり、皇族はこの世の神にも等しい存在とされている。

だからこそ、いつも、お茶会は給仕の侍女も執事もおらず二人きりなのだ。

アルベルトが望むから。

つまり彼らは。

アルベルトの望む、ロゼリアと二人きりの空間をぶち壊した、許されるべきではない存在。

それだけではなく、許可もなくアルベルトの尊顔を見やり、あまつさえ声をかけ、アルベルトの婚約者を貶す発言をした。

国の重要人物の息子たちであろうと。

皇族に不敬を働き、不快感を与えた。

それだけで、このベルディア皇国では、極刑ものである。


「まぁ、アルったら。そんな言葉を使うものではなくってよ」


威圧感と悪寒と殺意の広がる空間で。

平然としているのはロゼリアだけだ。

ロゼリアの言葉に、アルベルトはようやく視線を彼らから外した。


「ろ、ロゼ……その、怒りますか……?」

「怒らないわよ。でも、虫に失礼だもの。虫にも重要な役割があるのよ?そんなのとは違ってね」

「……確かに、それもそうですね」


ロゼリアの言葉に、アルベルトは納得したように笑う。

その身から滲みだす威圧感は消えておらず、しかし、ロゼリアに声を掛けられたからか、先程より随分と緩まっていた。


「……によ、なんなのよ!そんな、女!アルベルト様に、相応しくない……っ!」

「──貴様」


最後の足掻きなのか、伯爵令嬢が、歯の根をガチガチと鳴らしながら怒鳴る。

愛するロゼリアを“そんな女”呼ばわりされた瞬間、アルベルトの視界が怒りで真っ赤に染まった気がした。

今すぐその汚らしい口を閉ざしてやると手を振りあげた、瞬間。


「まぁ、随分と傲慢だこと。まるで、あなたが私よりも格上であるかのような口調ね?あなた如きが、この私を見下すだなんて……随分と偉いのねぇ?」

「ロゼ……!も、申し訳ありませ、」

「いいのよ。アルには怒ってないから。ただ、ね?こんなのを堂々とのさばらせている皇帝とやらに怒ってるのよ。いっそ殺して国を潰してやろうかしら?」


ベルディア皇国にとって、皇族は至高の存在。

ロゼリアの言葉に、腰を抜かしている男たちは、はくはくと口を開くだけであった。


「な、なんて無礼な……!アルベルト様、お聞きになりましたでしょう!?この女は!今!皇帝陛下のお命を狙うと……!」


伯爵令嬢の言葉に、アルベルトは何も反応しなかった。

アルベルトはただただロゼリアを見つめるだけだ。


「それは……ロゼが望むのなら、喜んで皇帝の首もこの国も差し上げますが、それは和平条約に引っかかるのでは?その事でロゼとの婚約がなくなるのは、何よりも避けたいことなのですが……」

「あら、それもそうね。ならやめておくわ」


アルベルトの言葉に納得したのか、ロゼリアはあっさり意見を覆す。

その事にアルベルトはほっと胸を撫で下ろした。

和平条約を破ったとしてロゼリアとの婚約が破棄されるのも、ロゼリアが自分以外の誰かを手にかけるのも、阻止したかったのだ。

ロゼリアが自分以外に気持ちを傾けるなんて、許し難いことである。


「あ、アルベルト様!?なにを仰って、」

「そうです、ロゼ!そんなに皇帝の首を御所望なら、今すぐ私がとってきます!そうすれば和平条約を破ることにはなりませんよ!」


名案だ!と言わんばかりのキラキラした目でロゼリアを見つめるアルベルト。

伯爵令嬢たちは信じられないと、アルベルトをぎょっとした様子で見やった。


「結構よ。汚い男の首に興味はないわ」

「そうですか……。ではロゼにとって美しい首とは?」

「そうねぇ、アルが私以外の誰かに惚れた時は、あなたの首が欲しいわね」

「ああ、ロゼ……!私ごときの首を御所望されるのは大変光栄ですが、私はロゼ以外に惚れるなんて、死んでもありえませんよ?私の身も心も、余すことなく、あなたのものなのですから」


アルベルトはうっとりとした様子でロゼリアの手を取り、その場に膝をつくと、ロゼリアの手の甲にキスを落とした。

皇族がかしずくなど、ありえない。

伯爵令嬢たちは、そこで初めて、アルベルトがロゼリアに対して丁寧な言葉遣いをしていたことにやっと気がついた。

本来皇族が丁寧な口調で話すなど、ありえないのだ。

なぜなら皇族は神に等しい存在。

つまり彼女は──神に等しいアルベルトよりも、格上?


「……によ、……なんなの……?」


ロゼリアはアルベルトの言葉に満足そうに頷き、伯爵令嬢に目を向けた。


「そういえば、紹介が遅れたわね。……私はロゼリア。魔族の王女であり、魔王陛下の娘よ」


伯爵令嬢たちは、そのまま意識を失った。


「やっと静かになりましたね」

「そうね。片付けましょうか」

「ロゼの手を煩わせるまでもなく……。おい!こいつらを片付けろ、今はこの場に現れることを許す」


アルベルトの言葉に、どこかに潜んでいたのだろう騎士達が姿を現す。

アルベルトとロゼリアに恭しく頭を下げてから、命令通り伯爵令嬢たちを回収していく。

彼女たちを見やる騎士達の目はまさしく汚いゴミを見るような、嫌悪感の含んだものばかり。

当然だろう、いくら国の重要人物の息子たちとはいえ、アルベルトとアルベルトの婚約者に対して何度殺しても許されないほどの不敬を働いたのだから。

主に不敬を働いたのは伯爵令嬢だが、彼らこそが令嬢をたしなめるべきだったのだ。

それが出来ずその場に突っ立っていた時点で同罪である。

今後彼らは裁判にかけられることもなく、この国で最も残虐非道と謳われる処刑法で処罰されるのだろう。

同情の余地はない。


「せっかくロゼが喜ぶと思って紅茶と菓子を用意したのに、すっかり冷めてしまいましたね。破棄しましょう」

「……いいわ、このままで」

「しかし、冷めたものをロゼに召し上がっていただくわけには……」


ロゼリアはふっと微笑むと、パチンと指を鳴らした。

途端に冷めていた紅茶からは湯気があがり、温かい菓子は温められ、冷たい菓子は冷やされる。


「これで元通りだわ。さぁアル、お茶を楽しみましょう?」

「……ええ、ええ。ロゼがお望みのとおりに」


アルベルトは心底嬉しそうに笑い、促されるまま席についた。

ロゼリアの美しい指が菓子をつまみ、ロゼリアの愛らしい口の中に消えていく。

いっそ菓子にすら嫉妬を覚えるが、それでもアルベルトは幸せだった。

菓子ではロゼリアに食べられて終わりだが、人であるアルベルトはロゼリアに食べられる以外の価値があるのだと。

ただ望まれるだけに機械的に生きていたアルベルトは、今はロゼリアのためだけに望んで生きている。

例えその思考が若干ズレていたとしても、魔族の王女であるロゼリアにも、神に等しい皇族であるアルベルトにも、物申すものは、いない。

以上で完結となります。

本来は短編として執筆していたのですが、思っていたより長くなったので前後編に分けました。


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