ガラスの蝶 4
よろしくお願いします。
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ほどなくして彼女たちは丘の公園に行きついた。
海岸沿いをたどると、少し海にとび出た場所があり、そこには灯台が立っている。眼下には一面に海が見える。頭上には大きく空が広がっている。
街の東側に位置するその公園には正式な名称がある。しかし、この街において、公園と言えるものがほとんどないことから、ここはたいてい「丘の公園」、もしくは「丘の花園」と呼ばれている。
花園と言われるゆえんは、そこの庭園に咲く花が美しいことからだそうだ。季節によりさまざまな花が咲いている。いまだと菜の花や芝桜が彩っているようだ。
すでに陽は水平線に半分を沈めようとしていた。凪の時間帯だった。
遊歩道の両わきに菜の花が花を並べている。二人は足もとに気をつけながら歩いた。同時に頭上にも目を配る。
しばらく歩いて、アイリはぽつりと言った。
「いませんね……」
アイリの声と表情からは、あきらめがうかがえてしまう。フィオは気を取りなおすように口をひらく。
「こっちに来たと思うんだけど」
それでも、彼女は焦りを隠せなかった。
もし見つからなかったら――そんな考えが脳裏をかすめる。彼女は自分のほほを、ぱちっ、とたたいた。あきらめたら、だめだ。自分に言い聞かせる。
ふと後ろをついているアイリに目をやると、彼女はぴたりと歩みとめていた。少し離れた場所で、まっすぐに立っている。
「どうかしたの?」
フィオが尋ねると、アイリは目をそらした。応えをまっていると、ふいに彼女は頭をさげた。
「ごめんなさい……」
消えてしまいそうな声だった。その言葉の意味を、フィオはうまくとらえられずにいた。
「もう夜になってしまいます。きっともう見つからないんですよ。……手伝ってくださって、ありがとうございました。わたしはお母さんに、正直に話します。『なくしちゃった』って」
無理に笑顔を作っているのが、薄暗いなかでもわかる。言葉尻がふるえている。この子は、蝶のブローチのために何度泣いただろう。彼女が手に取った時間は少なかったかもしれない。それでも彼女は大切に思っていた。母にもらったブローチを。
「ごめんなさい。迷惑をかけてしまって」
そう言って、アイリはフィオに背を向けた。そのままかけて行く。
すでに空の夕焼けは夜に溶けこんでしまっていた。
「おかえりなさい、フィオちゃん」
フィオがお店のドアをあけると同時に、彼女の先生、サフィー・スターレットは彼女に声をかけた。ふわりと心を包みこむような、ゆったりとしたやさしい声。
「ただいまです」
言いながら見せた笑顔は、ぎこちない。アイリが気になって仕方がなかった。
アイリと別れてからも、フィオは日が暮れるまでブローチを探していた。懐中電灯で空を照らしたが、そこには月しかなかった。東の果てからのぼり始めた月は、しるべとなるかのように明るかった。
しかし、ついに見つけることはなかった。家に帰ることも忘れ、虫取り網、虫かご、リュックサックと言う出で立ちでお店に入っていった。
「どうしたの? その格好」
「蝶を、探していたんです」
「蝶……?」
「はい。三時くらいに来たお客さん、アイリちゃんって言うんですけど、その子が探すのを手伝っていました。グラシィのブローチです」
「蝶のブローチ、ねぇ……」
とつぶやきながら、サフィーはカウンターテーブルにあるカップに口をつけた。澄んだ紅色の紅茶があざやかだった。穏やかな香りが、ほのかに感じられる。
目をとじて、またカップをかたむけた。
「フィオちゃん」
「はい?」
とつぜん呼びかけられて、彼女はまどった。
「そのブローチは、もしかして黄色い蝶だった?」
「え……あっ、はい。そうです、黄色い蝶でした」
予想通りと言ったふうに、ぱちん、とサフィーは手を打った。
「やっぱり!」
ふわりと微笑む。優美な茶の髪が肩のあたりでゆれた。
「やっぱりって、やっぱりサフィーさんの作品なんですか?」
とフィオが問うと、彼女の予想に反して、サフィーは首を横にふった。
「いいえ、私ではないわ。私の先代の作品よ」
そう言って、少女のように純真な目を、細めた。
「もっとも、彼女が最初から作ったわけではないらしいけれど、ね」
私も実際に見たことはないけれど、先代からこんなお話を聞いたの。
……もう何十年も前、彼女がまだ有名ではないころ。そのころからこのお店には名前がなかった。だから、お客さんもあまり来なかったそうよ。
そんなある晴れた春の日のことだった。珍しい、と言っては何だけど、お客さんがやって来たの。
こころよく迎えると、その方はとても困ったふうにしている。
「どうなさったのですか?」
と尋ねると、お客さんは手のひらの上を彼女に見せた。
「この子が、ケガをしているみたいなんです」
その手の上には、蝶のグラシィがいた。羽には引っかかれたような傷がたくさんついていた。
このころはすでに、グラシィを人の手で作れるとわかっていたけれど、やっぱり野生なものは高価に取引されていた。禁止されていても、罠か何かでつかまえようとする人は絶えなかった。
「治せませんかね」
心配そうに言うお客さんに、先代は一つだけ条件を出して、治すと約束した。
「あなたがこの子を大切にするなら」
と、ね。お客さんはためらいなく受けいらてくれたそうよ。
少しして、その蝶のグラシィは回復した。先代はお客さんにその子を渡すとき、ブローチとして使えるようにしたそうよ。
「ブローチに?」
どうしてブローチにしたのだろう――と、気になってついフィオは口をはさんだ。
「ブローチにすると、ピンをつけるでしょう。ピンは、グラシィが所有されていることを意味するの。つまり、誰かの持ち物、野生ではないと言うことを。二度と狙われないように、先代はつけたのでしょうね」
フィオは思わずため息をもらした。しかし、同時に心が苦しくなる。
「そんなにも大切なものを、私は『探そう』って言って、結局見つけられませんでした……」
目をとじる。夕焼けのなかで浮かべた、アイリの悲しげな顔が思い出される。
「まだあきらめるのは早いと思うよ」
椅子から立ち上がり、サフィーはフィオの頭に、ぽん、とふれた。
「……」
「グラシィには帰巣本能があるって、知っている? あの子にとってのお家は、アイリちゃんの家ではないかな?」
「あっ」
ぱっ、とフィオは顔を上げた。そのままの勢いでドアへとかけて行く。
「サフィーさん、少し出かけてきます」
「いってらっしゃい」
にこりとサフィーは微笑んで、手をひらひらとふった。