ガラスの蝶 2
よろしくお願いします。
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カウンターテーブルに並べられたたくさんのガラス細工を、フィオとアイリは眺めていた。ほの明るい店内に蝶のシルエットが浮かぶ。
ふふっ、とフィオは微笑んで、
「気に入ったものがあったら、言ってね」
アイリはこくりとうなずいて、興味深いふうに作品を見つめた。指でそれをつまみ上げ、明かりに透かしたり、ときには指を表面にはわせたりしていた。
フィオも蝶のブローチを取り上げて触れてみる。いま手に取っているものでありながら、幻であるようにさえ思える。凸凹のない表面はなめらかで、硬いガラスであるのに、やわらかく、あたたかく感じる。
先生の作品と自分のものを思い比べて、やはり先生はすごいな……――と息をもらした。
「それで、いいもの見つかったかな」
「ううん」
アイリは煮え切らないようすで応えた。ブローチを置くと、かたり、と音が立った。まゆがハの字になって、とても困っている。真剣に悩んで、また何かを心配しているようだった。
フィオはテーブルを見やった。ブローチの蝶は、いまにもとんで行ってしまいそうだった。羽を広げた姿は、優美そのものだった。
大きいものでこぶし一つくらい、小さいものだとおはじきほど。一つひとつ手作りであって、まったく同じものはない。それぞれが違った雰囲気をかもし出している。
蝶と言うと、アゲハチョウが思い出されるだろう。大きな羽に調和した美しい模様は、春の風物詩とも言える。花にとまり、またひらひらととぶその優雅さを、ガラスの内に閉じこめたように、アゲハをモチーフにしたブローチは、目を引いて華やかだった。
しかし、すべてがこう派手なわけではない。地味な、目立たない蝶だっている。
たとえば、モンキチョウ。橙黄色の羽には模様と言えるものはあまりない。けれど、その素朴さが純粋で、かわいらしく目に映る。
モンキチョウをモチーフにしたブローチは、小ぶりな分、落ち着いていた。光を通して浮かぶ黄色は、上品に輝いている。
フィオがテーブルの上を目でなぞっていると、ひょいとアイリは一つのブローチをつかんだ。
「これに、似ていたかもしれません」
「これ?」
アイリが持っていたのは、モンキチョウのブローチだった。
「はい。……もう少し大きかった気がしますけど」
そう言いながら、もともとあった場所へ戻した。……と、フィオは首をかしげる。
「アイリちゃんは、その、探しているブローチをどこかで見たの?」
何の気なしに彼女は尋ねた。アイリは目を背けて、気まずいような表情を見せ、言った。
「……はい。見たことがあります」
「どこで、見たの」
「……お家で」
すっ、とほほを涙がつたった。いきなりのことで、フィオは声が出なかった。しだいに涙の粒は大きくなって、とめどなく流れていく。
「なくし、ちゃったんです。わたし、せっかくもらったのに」
ふるえる声で、アイリはかろうじて言った。
回転椅子に座らせてから、彼女はしばらくのあいだ泣いたままだった。
ようやく涙がおさまり呼吸が落ち着いたところで、
「ごめんなさい」
とアイリは頭を下げた。目元はまだ赤くはれている。もともと白い肌のせいでよりはっきりと見えてしまう。
「いいよ。……落ち着いたみたいだね」
「はい。泣いてしまってごめんなさい」
アイリはぎこちなくうなずいた。その様子を見て、不安は残るがひとまず胸をなでおろした。
「それで、アイリちゃん。聞きたいことがあるんだけど」
「ブローチのこと、ですよね」
フィオはうなずいた。
ふうっと呼吸をととのえて、口をひらいた。
「今日の、お昼過ぎのことです――」
わたしがお昼ごはんを食べ終わったとき、お母さんはわたしに真っ黒な箱を見せてくれました。つやつやと光っていて、きれいな箱でした。
笑いながらわたしにそれを手わたして、お母さんは言いました。
「アイリ、これを、あげるわ」
わたしはそっと箱をあけました。中には、きらきらとしたガラスの蝶がありました。羽は淡い黄色で、小さいものだったけど、わたしはうれしかった。……これが、わたしの探しているブローチです。
「ありがとう!」
うきうきした気持ちが、おさまりませんでした。手のひらにのせて見ていると、
「大切にするのよ。――」
と言って、お母さんはお台所に行ってしまいました。
友だちに見せたい。すぐにそう思いました。でも、つけ方がわからなかったから、両手で包みこんで持っていこうとしました。
それがだめでした。
友だちは丘の上にある公園の方で遊んでいると言っていました。わたしの家は住宅街にあるので、けっこう離れています。それにこの街って坂が多いですよね。
それで、早足で向かっていると、足がもつれてしまいました。
勢いよく転んでしまって、そのときに――
「落として、割ってしまったんだね」
フィオは相づちをうった。それならば、彼女がブローチを探していたこと、その理由を話したくなかったことに合点がいく。秘密にしておきたかった気持ちも、理解できる。
でも、それじゃ……――と、フィオが言いかけたそのとき、アイリはぶんぶんと首をふった。
「たぶん、割れてはいません。たぶん」
「えっ?」
「だって、……とんで行ってしまいましたから」
少しのあいだ、フィオは動けなかった。驚きが彼女を包んでいた。
とんだ? ――。
「アイリ、ちゃん、それって」
かろうじて出した声は、とぎれとぎれだった。
「そのブローチが、硝子生命だった。と言うこと?」
フィオの顔を見て、アイリは小さくつぶやいた。
「硝子生命?」
きょとんとして、彼女はフィオを見上げた。