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『美しき吸血鬼王は、灰銀のハンターに檻へ落とされる』  作者: なつめ


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第27話 禁じられた血



 王城の書庫には、触れてよい記録と、触れてはいけない記録があった。


 触れてよい記録は、棚に並べられている。


 王族の婚姻。


 血族間の契約。


 夜血の儀の手順。


 王城の建築記録。


 古参吸血鬼たちの功績。


 美しく整えられた過去。


 触れてはいけない記録は、棚には並ばない。


 壁の奥にある。


 封印扉の向こうにある。


 黒い鎖で綴じられ、赤い封蝋を重ねられ、読む者の血を求める。


 王城は、醜いものを隠す時ほど厳重だった。


 普段は他人の血を床に零しても知らない顔をするくせに、都合の悪い紙だけは宝石より大事にしまい込む。記録管理だけ立派でも、倫理は育たない。残念な城である。


 夜血の儀を翌日に控えた朝、クラウディオは再び東翼の書庫にいた。


 昨日読んだ記録だけでは足りなかった。


 稀血。


 王血稀血。


 吸血衝動。


 暴走飢餓。


 血を餌にする者は、自分が餌であることを忘れるな。


 カルゼンの言葉が胸に残っている。


 奪う者になる。


 前夜、そう書いた。


 その言葉も血の底に沈んでいる。


 なら、知らなければならない。


 吸血鬼にとって、奪ってよいものと、奪ってはならないものの境界を。


 王城の者たちは、その境界を都合よく動かす。


 保護と称して囲う。


 祝福と称して血を求める。


 儀礼と称して値踏みする。


 だが、彼らですら口にしない言葉がある。


 同族喰い。


 キンイーター。


 古い教会文書では、もっと重く、同族喰らい、ブラッドデヴァウアと記されることもある。


 吸血鬼が、吸血鬼を喰う。


 その禁忌。


 クラウディオはまだ、それを深く知らなかった。


 言葉だけは聞いたことがある。


 王城の廊下で、古参吸血鬼たちが一度だけ声を潜めていた。


 誰かが「同族喰いの疑い」と言い、別の誰かがすぐに「その言葉をここで出すな」と遮った。


 その時の空気を覚えている。


 怒りではない。


 恐怖でもない。


 もっと深く、濁った沈黙。


 まるで、床の下に死体があることを全員が知っていて、それでも絨毯の模様を褒めているような空気だった。


 だから、クラウディオは調べることにした。


 書庫番は、年老いた吸血鬼だった。


 名は、サロモン・レイス。


 枯れ枝のように細い男で、薄い灰色の髪を首の後ろで束ねている。瞳はくすんだ緑色。吸血衝動の赤は見えない。


 彼はクラウディオが求めた記録名を聞くと、長い沈黙を置いた。


「その記録は、夜血の儀に直接は関係ございません」


「関係があるかどうかは、読んで決める」


「閲覧には許可が必要です」


「王血を持つ者が、夜血の儀前に血の禁忌を知るためでもか」


 サロモンは黙った。


 沈黙が答えだった。


 許可は必要。


 だが、完全に拒める内容ではない。


 クラウディオは続けた。


「それとも、王血を持つ子に知られて困る禁忌なのか」


 サロモンの緑の瞳が、ほんの少しだけ動いた。


 今の言葉は効いた。


 王城の者たちは、王血という言葉に弱い。


 便利だった。


 同時に、腹立たしいほど滑稽だった。


 サロモンは、深く頭を下げた。


「……一部のみ、閲覧を許可いたします」


「全部ではなく」


「すべてを読むには、陛下の直接許可が必要です」


「では、一部を」


「ただし、写し取りは禁じられております」


「覚えるのは?」


 サロモンは顔を上げた。


 その目に、わずかな警戒が浮かぶ。


「それを禁じる術はございません」


「なら、問題ない」


 クラウディオは微笑んだ。


 サロモンは、それ以上何も言わなかった。


 書庫の奥へ進む。


 黒い書棚の間を抜け、壁に見える黒石の前で止まる。サロモンが指先を噛み、血を一滴、石の溝へ落とした。


 石壁に赤い線が走る。


 封印がほどけ、音もなく扉が開いた。


 中は狭い部屋だった。


 閲覧室というより、墓に近い。


 壁は黒。


 床も黒。


 中央に石の机が一つ。


 その上に、鎖で繋がれた記録書が置かれている。


 部屋に入った瞬間、空気の匂いが変わった。


 古い血。


 乾いた革。


 封印蝋。


 それから、焦げたような苦い匂い。


 火刑台の煙とは違う。


 だが、禁じられたものを焼いた後の匂いに似ていた。


 クラウディオは、その匂いを胸の底へ沈めた。


 サロモンは記録書の前で立ち止まる。


「こちらです」


 表紙には、題がない。


 ただ、王家の紋と、赤黒い封印がある。


 サロモンは封印の一つだけを解いた。


 鎖は外れない。


 開けるページも限られている。


 記録書は、自ら許された範囲しか開かないように作られていた。


 紙の端には、古い血の線が走っている。


 クラウディオは席についた。


 サロモンは少し離れた場所に立つ。


 マルタは入室を許されなかった。


 この部屋には、クラウディオと書庫番だけだ。


 最初のページには、古い文字でこう書かれていた。


 同族の血を糧とするな。


 同族の血を王座の近道とするな。


 同族の血に己の飢えを沈めるな。


 同族を喰らう者は、血族より名を削られる。


 短い。


 だが、重かった。


 クラウディオは、その文字を見た。


 吸血鬼は血を飲む。


 人間の血。


 獣の血。


 儀礼血。


 王血を薄く混ぜた血酒。


 血は彼らにとって食事であり、力であり、記憶であり、契約だ。


 その吸血鬼が、同族の血を禁じる。


 完全に飲まないわけではない。


 親が子へ血を与えることはある。


 王が臣下へ血を分けることもある。


 伴侶同士が血を交わすことも、古い記録にはある。


 だが、それらと同族喰いは違う。


 ここに記されているのは、交わす血ではない。


 奪う血。


 相手を血ごと喰らい、己のものへ変えようとする禁忌。


 クラウディオは、次の行を読んだ。


 同族喰いは、殺しでは終わらぬ。


 そこから先の数行は、黒く塗り潰されていた。


 古い墨ではない。


 血で消されている。


 読むことを禁じるために、上から血を重ねて焼いたような跡だった。


 詳細は見えない。


 だが、見えないことがかえって恐ろしかった。


 殺しでは終わらぬ。


 では、何が続くのか。


 血の記憶か。


 王権か。


 名か。


 魂か。


 クラウディオは、指を紙から離した。


 触れすぎない方がいい。


 この記録は、ただの紙ではない。


 次のページには、名前の一覧があった。


 しかし、多くは削られている。


 黒い線。


 赤い線。


 焼けた穴。


 名前があったはずの場所に、何も残っていない。


 サロモンが低く言った。


「同族喰いを行った者は、血族記録より名を削られます」


 クラウディオはページを見たまま聞いた。


「殺された者ではなく、行った者が?」


「はい」


「死刑か」


「多くは」


「多くは、ということは、違う例もある」


 サロモンは答えなかった。


 答えない。


 つまり、ある。


 クラウディオはそれを覚えた。


 同族喰いを行った者は、名を削られる。


 死ぬ者もいる。


 死なない者もいる。


 だが、記録から名を消される。


 吸血鬼にとって、名を消されることは死に近い。


 いや、時に死より重い。


 血族は長く生きる。


 長く生きるからこそ、記録と名を重んじる。


 その名を削られるということは、夜の中から存在を切り取られることだった。


 次のページには、古い教会文書の写しが挟まれていた。


 そこには、吸血鬼側の呼び方とは違う語が使われている。


 同族喰らい。


 ブラッドデヴァウア。


 人間の文字で書かれたそれは、恐怖と憎悪が混ざっていた。


 だが、教会の記録にしては、妙に慎重だった。


 この者らは、吸血鬼を喰う吸血鬼である。


 夜の秩序を破り、血の位を乱す。


 人間を襲う獣より、吸血鬼社会はこれを恐れる。


 それは、血の内側から生まれる災いだからである。


 クラウディオは、その一文で目を止めた。


 人間を襲う獣より、吸血鬼社会はこれを恐れる。


 吸血鬼が、人間への害よりも恐れるもの。


 それが同族喰い。


 外の敵ではない。


 内側から血の秩序を壊す者。


 血の位を乱す者。


 同族の血を奪い、自らの血へ取り込む者。


 詳細は書かれていない。


 書かれていないからこそ、余白が濃い。


 サロモンの声がした。


「その先は、閲覧不可でございます」


 クラウディオは顔を上げた。


「まだ読んでいない」


「読まれてはなりません」


「なぜ」


「知識は、時に欲を作ります」


 サロモンは言った。


 その声は静かだったが、恐怖が混じっている。


「同族喰いの記録は、手順を伝えるためではなく、禁じるために残されております。詳細を知れば、近づく者が出る」


「王城の者でも?」


「王城の者だからこそ」


 クラウディオは黙った。


 王城の者だからこそ。


 その言葉はよく分かる。


 王座に近づくため。


 血術を強めるため。


 王血を奪うため。


 稀血を取り込むため。


 そういう理由で禁忌へ手を伸ばす者がいるのだろう。


 だから記録は消される。


 詳細は黒く塗られる。


 名は削られる。


 誰かが同じ道へ行かないように。


 いや、違う。


 完全には違わないが、それだけではない。


 王城は隠す。


 都合の悪いものを隠す。


 同族喰いを恐れるのは、道徳だけではない。


 それが王座へ繋がる可能性を知っているからだ。


 クラウディオは、開かれたページを見下ろした。


 同族の血を王座の近道とするな。


 最初の文。


 王座の近道。


 つまり、同族喰いは、王座に関わる。


 関わったことがある。


 クラウディオは胸の奥で、その言葉を冷やした。


 奪う者になる。


 前夜、そう書いた。


 王座を奪うと決めた。


 だが、ここには奪ってはならない血が記されている。


 奪うことにも境界がある。


 その境界を越えた者は、名を削られる。


 血族から消される。


 恐れられる。


 しかし。


 名を削られるほどの禁忌は、つまり、それだけ力があるということでもある。


 クラウディオは、その考えが自分の中に浮かんだ瞬間、静かに息を吐いた。


 危ない。


 今の思考は危ない。


 記録が欲を作る。


 サロモンの言葉は正しかった。


 クラウディオはまだ、同族喰いの詳細を知らない。


 知らないのに、禁じられる理由から、力の匂いを嗅いでいる。


 それが危ない。


 彼は顔を上げた。


「サロモン」


「はい」


「同族喰いは、血術か」


 サロモンの顔が強張った。


「お答えできません」


「吸血衝動か」


「お答えできません」


「王権に関わるのか」


 沈黙。


 今度は、答えがなかった。


 だが、沈黙が濃すぎた。


 関わる。


 クラウディオはそう理解した。


 サロモンは低く言った。


「クラウディオ様。どうか、その先へは」


「行くなと?」


「はい」


「私はまだ何も知らない」


「知らぬまま、遠ざかるべき禁忌もございます」


 クラウディオはページへ視線を戻した。


 同族喰い。


 キンイーター。


 同族喰らい。


 ブラッドデヴァウア。


 血族より名を削られる者。


 王座の近道にしてはならぬ血。


 彼は、ゆっくり記録書を閉じた。


 鎖が、かすかに鳴った。


 部屋の空気が少し軽くなる。


 サロモンは明らかに安堵した。


 クラウディオは立ち上がった。


「十分だ」


「……左様でございますか」


「詳細は読んでいない」


「はい」


「だが、重大な禁忌であることは分かった」


「それで十分でございます」


 本当にそうだろうか。


 クラウディオは思った。


 十分ではない。


 だが、今読むべきではない。


 それも分かる。


 今、詳細を読めば、心のどこかに道ができる。


 奪う者になると決めたばかりの自分には、危険すぎる道だ。


 王座への近道。


 禁じられた血。


 奪ってはならない血。


 その言葉が、血の底に沈んでいく。


 書庫の封印室を出ると、マルタが待っていた。


 彼女はクラウディオの顔色を見て、少しだけ不安そうにした。


「クラウディオ様」


「戻る」


「はい」


 彼女は何を読んだのか聞かなかった。


 賢明だった。


 しかし廊下を歩いている途中で、クラウディオは言った。


「マルタ」


「はい」


「同族喰いという言葉を聞いたことはあるか」


 彼女の足が止まりかけた。


 明らかに反応した。


「……ございます」


「どういうものだと聞いている」


 マルタは青ざめた顔で、慎重に答えた。


「吸血鬼が吸血鬼を喰らう、最も重い禁忌の一つと」


「それだけか」


「それ以上は、侍女の間でも語りません」


「なぜ」


「口にすれば、血が穢れると」


 迷信。


 だが、迷信が生まれるほど恐れられている。


 クラウディオは歩き出した。


「誰も語らないのか」


「古い方ほど、語りません」


「古い者ほど知っているからか」


 マルタは答えなかった。


 答えられないのだろう。


 クラウディオはそれ以上聞かなかった。


 部屋へ戻る途中、廊下の向こうにアドリアンがいた。


 彼は窓のない壁際に立っていた。


 まただ。


 どこにでも現れる。


 この兄は本当に、王城の影か何かなのだろう。


 アドリアンはクラウディオを見ると、微笑んだ。


 だが、いつもより少しだけ目が鋭い。


「禁書を読んだ?」


 クラウディオは足を止める。


「兄上は、何でもご存じですね」


「書庫番の顔が青かったから」


「見ていたのですか」


「見えた」


 便利な言葉だ。


 クラウディオはアドリアンを見る。


「同族喰いについて、兄上はどこまでご存じですか」


 アドリアンの微笑みが消えた。


 はっきりと。


 これほど分かりやすく表情を変えたのは、珍しい。


 クラウディオは、それだけで同族喰いという言葉の重さを再確認した。


「その言葉を廊下で出すのは、やめた方がいい」


 アドリアンの声は低かった。


「兄上でも?」


「僕でも」


「怖いのですか」


「怖いよ」


 即答だった。


 クラウディオは少しだけ目を細めた。


 アドリアンが怖いと言った。


 からかいでも、演技でもなく。


 少なくとも半分は本気だ。


「人を殺す吸血鬼より?」


「比べるものじゃない」


 アドリアンは近づかなかった。


 距離を保つ。


「同族喰いは、血の秩序を壊す。殺しとは違う。奪うものが違う」


「何を奪うのです」


「それを聞こうとするのが危ない」


 アドリアンの声が少し硬くなる。


「クラウディオ。今のお前には、特に危ない」


「なぜ」


「お前は奪うことを覚え始めているから」


 沈黙。


 アドリアンは、やはり見ている。


 紙を見たわけではない。


 それでも分かっている。


 クラウディオが奪う側へ回ろうとしていることを。


 アドリアンは静かに続けた。


「奪うことと、喰うことは違う。混ぜるな」


 その言葉は、意外だった。


 忠告。


 利用のためかもしれない。


 敵を失いたくないだけかもしれない。


 あるいは、同族喰いそのものへの恐怖かもしれない。


 だが、今の言葉は覚える価値があった。


 奪うことと、喰うことは違う。


 混ぜるな。


 クラウディオは言った。


「兄上は、私がその禁忌へ近づくと思いますか」


「思いたくないね」


「答えになっていません」


「近づく理由はある。稀血、王血、後継争い、王座への野心。お前の周りには血の誘惑が多すぎる」


 アドリアンは少しだけ目を伏せた。


「だから、今のうちに言っておく。近道に見える禁忌は、近道じゃない。落とし穴だ」


「経験者のように言う」


「王城には、落ちた穴の記録がたくさんある」


 クラウディオは黙った。


 それ以上聞くな、という空気だった。


 アドリアンは最後に言った。


「明日の夜血の儀では、血がよく見える。お前の血も、他人の血も。欲しいと思う瞬間があっても、覚えておけ」


「何を」


「同族の血は、王座の階段じゃない」


 アドリアンはそう言って去った。


 クラウディオは廊下に残された。


 マルタは後ろで完全に黙っている。


 同族の血は、王座の階段ではない。


 また一つ、言葉が増えた。


 部屋へ戻ると、クラウディオはすぐ机へ向かった。


 床下の帳簿ではなく、まずロウェナの記録の隣に新しい紙を置いた。


 禁じられた血。


 そう書く。


 そして、続けた。


 同族喰い。


 キンイーター。


 古い教会文書では、同族喰らい、ブラッドデヴァウア。


 吸血鬼が吸血鬼を喰う禁忌。


 同族の血を糧とするな。


 同族の血を王座の近道とするな。


 同族の血に己の飢えを沈めるな。


 行った者は血族記録より名を削られる。


 殺しでは終わらぬ、と記録にあった。


 その先は黒く消されていた。


 詳細は読めない。


 読むべきではない。


 クラウディオは手を止めた。


 読むべきではない。


 そう書ける自分がいることに、少しだけ安堵した。


 知りたい。


 だが、今は知ってはいけない。


 その判断が残っている。


 まだ、すべてを越えてはいない。


 彼は続きを書いた。


 同族喰いは、力があるから禁じられている。


 だが、力があるからこそ近づいてはならない。


 奪うことと、喰うことは違う。


 アドリアンがそう言った。


 同族の血は王座の階段ではない。


 これも覚える。


 クラウディオはペンを置いた。


 自分で書いた文字を見つめる。


 奪う者になる。


 前夜、そう書いた。


 今日は、奪ってはならない血を知った。


 王座のためなら何でも奪う。


 そう書くこともできた。


 だが、そうすれば自分は本当に王城の怪物になる。


 あるいは、王城より悪いものに。


 クラウディオは、ロウェナの紙片を見た。


 また来てね、クラウディオ。


 彼女なら、何と言うだろう。


 同族喰いのことなど知らないだろう。


 けれど、きっと同じように言う。


 それはだめだよ、と。


 そんなものに近づかなくてもいいよ、と。


 だが、彼女はもういない。


 だから、彼女の代わりに自分で線を引くしかない。


 クラウディオは、新しく一行を書いた。


 俺は奪う者になる。


 だが、喰う者にはならない。


 その文字は、まだ誓いというには危うかった。


 未来の自分が守れるかどうかも分からない。


 それでも、今は書いた。


 書く必要があった。


 境界を作るために。


 夜、黒硝子の前に立つ。


 瞳は琥珀色だった。


 だが、胸の奥で血が重く沈んでいる。


 同族喰い。


 その言葉は、血の底に触れる。


 禁じられている。


 恐れられている。


 詳細は消されている。


 吸血鬼社会全体が、そこから目を逸らしながら、決して忘れていない。


 クラウディオは、黒硝子に映る自分を見た。


 まだ子どもだ。


 だが、もう知らなかった頃には戻れない。


 王座へ向かう道には、血がある。


 正しい血も。


 汚れた血も。


 欲しがられる血も。


 禁じられた血も。


 その中で、どれを使い、どれを越えずに済ませるか。


 それを決めるのも、自分だ。


 王城は教えてくれない。


 教えるふりをして、都合のよい檻へ入れようとするだけだ。


 クラウディオは、小さく息を吐いた。


「同族の血は、王座の階段ではない」


 アドリアンの言葉を繰り返す。


 嫌な兄だ。


 危険で、面倒で、何を考えているか分からない。


 それでも今日の言葉は、記録する価値があった。


 黒硝子の中の瞳の奥に、ほんの少しだけ赤が滲む。


 吸血衝動ではない。


 血術でもない。


 禁じられた血という言葉が、血の底を揺らしただけだ。


 クラウディオはすぐに目を閉じ、赤を沈めた。


 戻れる。


 まだ戻れる。


 戻れない者にはならない。


 明日、夜血の儀が始まる。


 そこで王城は彼の血を見る。


 彼もまた、王城の血を見る。


 だが、今日知った。


 どれほど王座が近く見えても、踏んではならない血がある。


 その境界を越えた者は、王ではなく、名を削られるものになる。


 クラウディオは、硝子の中の自分へ静かに告げた。


 奪え。


 だが、喰うな。


 その言葉は、夜血の儀前夜の、最初の戒めになった。


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