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【183】奥様には内緒


 抱き締めてベッドに入ると、ツェツィーリアはすぐに眠った。

 ほんの僅かに隙間のあいた、小さな唇にキスをして、そっとベッドから抜け出した。音を立てないように部屋を出る。

「レストランはキャンセルする。ただし、キャンセル料ではなく正規料金を支払うように。それと、夜の予約の取り直しが可能かどうか確認を」

「かしこまりました」

「それと……ミステル子爵家の内情を調査しろ。過去の取引を遡って、事業内容の詳細と現状を調べておけ。特に次男と三男の素行調査は徹底するように」

「承知致しました」

「ニーナはどこに居る?」

「ニーナ様は庭で鍛錬をしております」

「訓練が終わったら着替えてツェツィーリアの側に。それまで、メイド以外ツェツィーリアに近付けるな。起こさなくていい」

 廊下を歩きながら執事たちに指示を順番に出していく。書斎に戻ったら、まずグリンマー家に宛てて手紙を書く。

 ミステル子爵家とグリンマー子爵家の現在の関係性について確認する必要がある。

 ツェツィーリアは温厚で寛容な性格だし、家族や身内に対して甘い。実利を取る性格でもあるから、もしかすると切り捨てられない理由があるのかも知れない。見極めは難しい。あちらの家に直接聞いた方が早いだろう。

 便箋を取り出して手紙を書く。

 どう纏めて良いか分からず、筆致が乱れて一枚無駄にした。

 ひとまず、ツェツィーリアから、幼少期に何があったのかを知った旨を書き、そのような事件があって後も何故、グリンマー家がミステル家と表立って対立しなかったのかを問い合わせる内容にのみ留めた。この問いには正統性がある。グリンマー子爵家の跡継ぎ候補は現時点ではオーギュスト。その父親である僕には知る権利がある。

 次に、議会に宛てての手紙。アカデミーの現状に対する報告と批判。

 昨日、ガブリエラを女子寮の前まで送っていった際も同じような体験をした。

 アッヘンバッハは王妃を輩出した公爵家。いわば、現時点では国内で最も力のある貴族家であり、ガブリエラは婿を取って家の実権を握る立場であるというのに……対応が悪かった。ガブリエラも大人しい性格で、不満があったとしても騒ぎ立てるようなタイプではないからだろう。公爵令嬢たるガブリエラに向かって、寮母でしかない女が「急な外出申請は困ります」と鬱陶しそうに言った。言葉だけなら大したことじゃない。生徒と寮母の、日頃からの信頼関係があるなら僕もそこまで咎める気はない。

 だけど、先だって判明したアカデミー女子寮の食費の横領事件はついこの間のこと。今居るのは新しい寮母であり、ガブリエラに確認したところ、寮の運営スタッフが繰上げで就任したという話だった。

 質が悪い。

 恐らく、狭い学校という空間で、本来なら顔を真正面から見るのも憚られるような高い身分の貴族令嬢に対しても説教が出来るという立場を勘違いしている。

 証拠に、僕がガブリエラにお土産を渡すために近寄っていったら、あからさまに大人しくなった。

 ガブリエラも温厚だけど、賢いから……すかさず「ありがとうございます、お兄さま」と付け加えて釘を刺していたけれど……ガブリエラと僕が兄妹だということは別に隠してはいないし、国が誇る王立学園のスタッフがそこまで情報戦に弱いのは問題だ。その能力がないという事に他ならない。

 今日のツェツィーリアに対する態度も最悪だった。

 昨年の王宮での出来事は新聞にも載ったし、かなり話題にもなった。

 本人はそういうことに感心がないし、注目を浴びることを楽しむような性格じゃないからあまり意識していないようだけど……ツェツィーリアは時の人だ。領主たる夫を救ける、勇敢な貴婦人の鑑として一目置かれているし、実際、パーティーなんかでも明らかにツェツィーリアへと向けられる視線の質が変わったと思う。

 前は、やっぱり黒髪が珍しいからそこに関しては珍奇なものを見る目で見られていることが多かった。ただ、隣に僕が居ることで、どちらかというと注目はこっちに集まっていたから……ツェツィーリアは良くも悪くも、僕という白銀の添え物としてしか認識されていなかったんだろう。

 ただ、今回の式典やパーティーなんかは明らかに違う。畏怖、尊敬、警戒、崇拝、羨望、興味。そういったものが直接、ツェツィーリアに向けられていることが多かったように思う。

 あの素晴らしい美貌に気が付く人間も増えた。

 以前は、背の高い真っ黒な服を着た、得体の知れないものとしか認識していなかった癖に……男の何人かは、既婚者と知っていても値踏みするような視線を向けているあたり、本当に不愉快だ。

 ツェツィーリア本人は男にモテることに対して無頓着だし、むしろ、そういう意味では僕以外に全く興味がない貞淑さ。前に「アルバン様以外とは無理です」なんて言ってくれていたし、そういう意味では潔癖というか、なんというか。

 要するに、ツェツィーリアは心から信頼した一人のみが許容範囲、ということなのだろう。

 それは僕にとっては都合が良いことだけど、でも……世の中には夫と不仲で、退屈さから火遊びに走る貴婦人の話も聞くから、どこかの馬鹿が強引にツェツィーリアに迫らないとも限らない。僕は客観的に見ても女性に好まれる御面相ではないから、僕たちのことも不仲だと勝手に解釈する奴も出てくるだろう。ニーナを付けているから心配はないと思うが、そこも今後の課題ではある。

 ツェツィーリアは人見知りで、ヴェールがあった方が安心するとも言っていたから、今後も着用可能な場面では着ける方針でどうにか凌ぎたい。

 それくらい、領地では勿論、貴族の社交界でもツェツィーリアは人気者。

 だというのに、アカデミーの対応は理解に苦しむ。

 今回の見学に関しては議会からも正式に依頼があったというのに、ツェツィーリア本人を殆ど無視していた。

 国で唯一、王族貴族を教育する機関という事実にあぐらを掻いて、時勢を読む能力が欠落している。

 つまり少なくとも、教師側がそうであるのなら、生徒がそれを学ぶ機会がない。教える側にその能力がないのだから。自分が在籍していた頃は、そちらに関しては全く期待していなかったし、早々に飛び級して院に入ってしまったから意識していなかったけれど、レベルが低い。院に関しては一定のレベルが保たれているし、研究内容の質や教授陣の実力は申し分ないと知っている。

 でも、今日、よりにもよってツェツィーリアにちょっかいを出したあの男子生徒たち。一般生徒があのレベルであるのなら、貴族の子息として余りにも幼稚で考えが足りない。愚かとしか言いようがない。恐らく、諌める教師が存在していないし、殆どあのまま成長せず卒業することになるだろう。

 では何故、あの馬鹿な子供はあんな真似をしたのか。

 アカデミーはツェツィーリアを無視したのか。

 そもそもがアカデミーは魔力の強い王族や貴族の子供を教育し、そのコントロールを学ばせ、国土や領地の防衛、及び、統治者として土地を富ませることを目標として設立された。要するに理念として魔力至上主義。

 だからこそ、魔力を持たない黒髪蔑視が強くなる。

 酷く原始的な価値観だ。

 僕は知らなかった。

 いや、知識としては知っていたけど、実感は無かった。

 白銀として生まれて、四属性全ての魔法は使えて当たり前だった。同じ白銀のアレクサンダーやアロイスと一緒に育って、魔法で遊ぶのが普通だった。危険な高難易度魔法でも、三人揃っていれば、失敗した時のカバーやフォローも容易だった。魔力保有量の多い王族のために、王宮のスタッフもそれなりに魔法に覚えがある人材で固められていて、魔法が使える、魔力が多くある、というのは、僕に取って当たり前のことだった。

 僕たち白銀はその気になったらこの国を瞬時に焦土に変えられる。でも、それがなんだっていうんだ。

 僕に出来ることはアレクサンダーにもアロイスにも出来る。なんなら、僕たちでなくても、魔力保有量の多い王族や高位貴族が数名揃って協力すれば、僕たちよりは小規模になるだろうけど、やれない程ではない。実行可能か否かどれくらいの時間とコストが必要かは別として、それは「人が可能な範囲」だから、別に特別でもなんでもないんだろうなと、そう思っていた。

 だから……僕は魔法で、武力で解決できないこと。学問や研究や政治、各分野で成果を挙げている人々に興味を持った。それは生まれついての才能や素質ではなくて、努力によって成立するものだったから。

 ツェツィーリアは天才だ。

 彼女の亡き祖父が卓越した人材であったのも大きいのだろうが、十歳前後まで言語に依らないコミュニケーションと思考回路を形成したあたり、並大抵のことではない。本人の素質が偏っていたというのもあるのだろうが、それでも、学校に通わず、自宅学習のみであのレベルに到達するのは尋常ではない。もし、ツェツィーリアが僕たちと一緒に、幼い頃から王宮で最上級の教育を受けていたら……今とは全く違った人物になっていただろう。それこそ、この国はもう、彼女のものになっていたかも知れない。

 ――いや、それはないか。

 ツェツィーリアは優しい性格だから、別に国なんて欲しがらないだろう。

 穏やかでありながら勇敢。優しくて冷酷なまでに合理的に動く、その思考。かわいい女の子って入れ物の中身がそれだから、僕はそのギャップにも惹かれるんだけど……。

 他の駒を守るために、勝つために、自分という駒を費やすことを躊躇わない。悲しまず嘆かない。目的を達成するために、勝利のために一心不乱に向かっていける。行動を起こす。そんな人を僕は他に知らない。

 高潔、というありきたりな言葉で括ってしまうのは余りにも乱暴だけど、一番近いのはそれで。

 そんなツェツィーリアが、なんで他の奴らから見下されて、雑に扱われなくちゃならないんだろう?

 僕の大切なツェツィーリア。

 あの時、謁見の間にやって来た君を見て、僕は、気が狂いそうなぐらい嬉しかったんだ。

 君は僕のために死ぬんだ、って。

 本当はそんな事、考えてはいけないのに。

 君は僕のもの。君の人生も、君の命も、全部、何もかも。君は僕なんかのことを好きになっちゃって、僕が死ぬかも知れないってなったら、迷わず駆け付けてくれて、自分の命と引き換えでもいいから、助けたいって、そう思ってくれているんだって。君はもう僕のことを愛してしまったんだって、物凄くよく分かったから。

 あの時まで、きっと心のどこかで疑っていた。

 僕はどうしようもないコンプレックスの塊で「こんな子が僕のこと好きなってくれる訳ない」って、そう思っていたんだ。

 でもツェツィーリアは本気だった。

 僕が駒としてこの世という盤面で重要だというのが大きな理由だろうとは思う。でも、顔を上げたあの瞬間、僕の手に繋がる鎖を見て、黒い瞳の奥が、怒りで光ったように見えた。燃える星のようだった。

 普段は、夜の泉のような静謐さの目。僕を見上げて笑う時にだけ、夏の銀河のように煌めく。この世で一番、あなたが大切、って、雄弁に語る、蕩けるようなあの視線。それしか知らなかった。でも、あの時、一瞬、ほんの数秒だけ、ツェツィーリアの中に激しい感情があった。

 それから、ツェツィーリアは戦いを始めた。そこに到着するまでも戦いだったろうに、たった一人で王の前に立って、何人もの男たちを相手に、退かずに言葉での戦いを始めた。

 勇しい女神みたいだった。

 でも、なのに、僕が駆け寄ると、すぐに、いつものツェツィーリアに戻った。心から僕が心配だって、会えて良かったって、そんな顔で……幼い女の子みたいな無防備な顔で僕にしがみ付いた。頭がおかしくなりそうなぐらい魅力的だった。

 ツェツィーリアは綺麗だ。どこまでも。

 そんな人が、どうして他人から心無い言葉をぶつけられなくちゃならないんだろう。どうして、非道な扱いを受ける必要が?

 賢くて優しくて、綺麗な、可愛い、愛しい、僕の大切なツェツィーリアが、なんで?

 大方、想像はつく。

 五歳の頃からツェツィーリアは、びっくりするくらい、綺麗で可愛い女の子だった。無口で、感情なんてないような、お人形みたいな子で……そんな子を虐めて泣かせて、悲鳴を上げさせるのは、下劣な悪ガキ共にとっては最高の娯楽だっただろう。きっと蝶の羽根を毟ったり、花を踏み躙って笑ってるような、理解に苦しむ悪趣味で低脳な奴らだ。知っている。そういう無象無象は世間に溢れている。

 知能が低くて品性に欠ける奴らは馬鹿だから、綺麗で尊いものを壊すことしか娯楽を知らない。

「……胃の中がいっぱいになるまで毒虫を詰め込んで殺してやりたいな?」

 グリンマー夫妻に宛てた手紙を書きながらも、憤りから一本、ペンを握り壊してしまった。

「それか、アラクネの巣に生きたまま叩き落としてやろうかな?」

 そうだ。それがいい。

 アラクネは人間の三倍はある巨大な蜘蛛。大きな巣を作り、かかった獲物を糸で拘束して、牙から毒を注入して血肉を溶かして食い殺す。獲物は毒を注入されてもすぐには死なずに長時間苦しむことになる。今度、アラクネが現れたらしばらく取っておいて、その時ついでに処分したら丁度良い。

 ツェツィーリアには黙ってやろう。

 いや、でも……ツェツィーリアは戦術マニアの癖に、現実に起きる酷いこと、虐殺や拷問なんかの、残酷なことは大嫌いだし抵抗感が強いみたいだから、もし、僕がやったって知られたら、今度こそ嫌われるかも……?

「やっぱり、じわじわ苦しめる方が良いかな?」

 子爵家の次男坊と三男坊なら、幾らでもやりようはある。生温いしありきたりではあるけれど、経済的に困窮させて落ちぶれるのを見るのも良いかも知れない。それなら、痛いことではないし、奴らが勝手に商売に失敗したって形を作れたら、ツェツィーリアだって自業自得だと判断して哀れみをかけたりはしないだろう。

「夫婦円満の秘訣は奥さんの心に可能な限り寄り添うことだって、コンラートも言ってたけど、良い夫になるって、結構、大変かも……。」

 はぁ。

 めんどくさい。

 裏で手を回して捕まえて、適当に罪をでっち上げて、処刑のついでに秘密裏に拷問してそのままっていうのが一番早いんだけど、それだとツェツィーリアにバレちゃうし。

 可愛くて賢い自慢の奥さんだけど、そこに関してはちょっと、手間がかかるっていうか、こういう案件については結構、面倒だけど……でも、やっぱりツェツィーリアは世界一だから、あんな最高な女性と結婚できて僕って幸せ者!

 手紙のついでに仕事の書類と指示書を幾つか片付けた所で、メイドが「奥様がお目覚めになられました」と伝えに来た。

 執事からはレストランの夜の予約が取れたという知らせがあったので、これならどうにかなりそうだ。

 きっとツェツィーリアは昼を抜いてしまってお腹が空いているだろうから、夜はディナーついでにデートにしよう。そうしよう!

 おはようってキスしたら、起きたばかりのツェツィーリアが、モジモジしながら不安そうに「わ、わたし、子供の頃とはいえそういうことがあったのですけど、良いんですか?」なんて聞くから、返事の代わりにもう一回、もっと深くキスをした。



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従兄弟は元々、評判悪いっぽいことは言われてましたし、割とグリンマーの血筋を重要視してる中央のオジサンズから、親がどっちも兄妹という血の近さにも関わらず、中央サイドから次のグリンマーに従兄弟を据えるとい…
前話で 従兄弟共終了のお知らせ〜 と思いましたが思ったよりも穏便な対応で済みそうですね。 コンラートさんグッジョブです。絶対知ったら奥様凹みますから。 いや心情的にはアルバン様の思うように始末つけて欲…
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