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【182】価値観の相違

※この話には虐めの描写が含まれます。


「ツェツィーリア、大事な話をしよう」

 ティールームに移動して、窓際の席に座る。

 王都の屋敷のティールームは白い壁と金の燭台で纏められた豪奢な部屋で、花瓶には黄色とオレンジ色のバラが生けてある。明るい色調が目に痛くて、なんだか落ち着かない。

 温かい紅茶がカップに注がれる。

 メイドたちはやっと私たち夫婦に慣れたようで緊張した様子が抜けてきた。

「以前から感じていたことだったんだけど、ツェツィーリアは、何かあった時に自分の意見を取り下げることが多いよね? それはなんで?」

「そうでもないですよ? 屋外トイレ問題とか、母乳とか……きっぱりお断りしていますし」

「僕に対してはそうかもね。でも、ツェツィーリア、今日の少年たちもそうだけど、どうして、君は嫌なことが起きた時に怒らないのかな? 君が全体主義的な思考が強いのは知っているし、それは美徳ではあるけれど、でも、それだけじゃないよね?」

「怒るのが苦手なので」

「……君は確かに、かなりおっとりしているけど、本題はそこじゃない。寧ろ、僕の目から見ると、君は……大人になるまでの過程で、怒るって行為を学べないまま来てしまったんじゃないか?」

 言葉に詰まった。

 本当のことだったから。

「以前、ニーナに、僕が不細工だって言われた時にも怒ってはくれたけど……明らかに慣れていなかった。怒ってはいるし、それを表明してはいるけど、その後、どうして良いか途方に暮れているようにも見えた。君はあの時、僕のために怒ってくれたし、竜の首を持って謁見の間に来てくれた時も……僕が鎖で拘束されていることには一瞬だけ怒りを露わにしていた。だから、怒りという感情がない訳じゃない。だけど、君は……ツェツィーリア、君は、君自身のために怒ったことはある?」

「あります」

「僕に対してだけじゃないの? 他の誰に?」

「そ、れは……」

 力が抜けて、カップを取り落としそうになって、ソーサーに置いた。

 カチャ、と音を立ててしまって、ああ失敗した、なんて関係のないことに思考を飛ばしてしまう。明らかな現実逃避。

 アルバンはじっと、私の返答を待っている。

 ゆったりと、穏やかに。

 答えなくちゃ。

「……怒っても、意味がない、ので」

 今度はアルバンが黙り込む番だった。

 信じられない、そういう顔をしている。

「どうして、そう思うの?」

「ぁ、お、怒っても、誰も聞いてくれない、から」

「誰も? 僕以外の誰も聞かないってこと?」

「いいえ。アルバン様も、ニーナも、騎士団も、フリートホーフの屋敷の人たちも、モニカさんやカテリーナさんも、ちかっ、近頃、近くに居る人たちは、みんな、聞いてくれる、と、思います。ガブリエラさんも」

「そうだね。君の話を、ちゃんと聞く人は今、大勢居るよ。議会も、それから国王陛下もね。でも、ツェツィーリアの人生には、聞いてくれなかった奴らが大勢居るんだね?」

 頷く。

 声が出ない。

 意見を聞いてくれる人たち、私ときちんと、丁寧に話をしてくれる人たちが大勢居る。恵まれている。幸せだし、これは幸運なことだと知っている。

 でも、そうじゃない人の方が、多いから。

「ああ、そうか。意見の話とかじゃないのかな? もっと根本的な問題……君が、嫌だって言っても聞いてくれなかった奴ら、かな?」

 言葉が突き刺さって、心臓が止まるかと思った。

 アルバンはあくまでも穏やかで、この上なく優しい声と表情で、愛おしいものを見る目で、私を見た。

 話して、ってアルバンは言ってくれている。

 全部聞くよ、教えて、って。

 許して貰えるかも。

 受け止めて貰えるかも。

 でも、駄目。

 言っちゃいけない。

 いけない、のに。

 口からポロッと、本当のことが、飛び出してしまった。

「お、抑え、つけ、られて、む、虫を、くち、口の中に……なんにも分からなくて、でも、嫌で、やだって、ぃ、言ったのに、やめ、やめて、くれなかった、から」

「うん」

「ゎ、たし、むか、昔、子供のころ、自分とか、なくて。よく分からなくて。お、お祖父様と、ちょっとだけ、少しの言葉だけでお話ししてて。だ、だから、喋るの苦手なんです。う、うまく、出来なくて……フィリップが、私の頭とか、肩とか、つ、掴んで。痛くて。わ、私、ぼんやりしてて。頭が。言葉、すぐ、出てこなくて。でも、痛いって、言った、言ったのに……痛いだけじゃ伝わらなかったみたいで。ニコラウスが、く、くち、私の口、あけて、おっきい虫を……ど、どんなのか分からなかったけど、なんで嫌なのか分からなかったけど、でも、凄く、嫌で。だから、嫌って、はじ、初めて、言ったん、ですけど、だ、だめ、ダメだった……!」

 がたん! と、椅子が鳴るくらいの勢いでアルバンが立ち上がって、つい、ビクッとしてしまった。

 アルバンは無言で立ち上がって、それから、私の隣に来て、床に膝を着いて、そっと、暖かくて大きな手で、私の手を握った。片手でさりげなく、ティーセットの乗った丸テーブルを少しだけ押し除けて、向かい合うような形になる。

 そんなことをされた私のような存在を、アルバンがどう判断するか分からなくて、怯えていた。

 だから言ってはいけなかったのに。

 私はだって、従兄弟という身内からだって、そういう風に扱って良い存在なんだから。価値がないことを、取るに足らないものだってこと、アルバンにだけは知られてはいけなかったのに――!

 でも、アルバンは、ひとつだけ頷いて、それから、すとんとした声でこう返した。

「そっか。だから虫が苦手だったんだね」

 軽蔑が微塵も混じっていない、ただただ、事実を、情報を受け止めて、納得した、というだけの響きしかなくて。

 酷く安堵して、泣いてしまった。

「初めて会った時の君は、虫を全然怖がっていなかったから、変だと思った」

 言われた途端、私の頭が壊れてしまった。

 涙も言葉も止まらない。



「ひ、悲鳴、上げて。お母さまが気付いて、フィリップとニコラウス、あ、い、従兄弟なんですけど、お母さまが、止めてくれて。ほ、本当に食べては、なくて。吐き出して、それで、済んではいて」

「それからしばらく、従兄弟とは会わなくて済んで。それでもう、忘れてはいたんですけど」

「パーティーとか、お茶会とか、行くようになったら、従兄弟じゃない、知らない人も、同じ感じで」

「なんでなのかよく分からなくて」

「でも、魔力無しのくせに、って。気味が悪い髪だって、言われたから、あっ、そうなんだって」

「貴族なら魔力が強くて当然なのに、私は庶民並、どころか、庶民以下。魔力がひとカケラもなくって、役立たずだから」

「体も弱いし、学校に行けなかったから、学もない。だから仕方ないの」

「パーティーで頭からワインぶっかけられても」

「噴水に突き落とされても」

「会場に立っているだけでクスクス笑われても」

「足引っ掛けられて転ばされても」

「しょうがないんです。私には価値がないから」

「意地悪な人はどこにでも居て、みんな同じような顔をしているんです。形としては違うのだけど、表情とか、目の奥にあるものがみんな同じだから」

「意地悪でない人は“お気の毒に”って。いつも」

「哀れみか嘲りを浴びるしかない。だって、私にはそれだけの理由が揃っていたし、それ以外には何もないから」

「私を哀れまず、嘲らずにいたのはイザベラ・トゥルペだけ」

「両親も普段は気にしていないけど、私が頭からワインを掛けられたりしたら、痛ましいものを見る目で私を見る。死にかけの家畜や愛玩動物に向けるみたいな目」

「きっと“そんな体に産んでしまってごめんなさい”って言い掛けてやめてたんですよね」

「両親が、お母さまが、やられたら反撃しなさいって言ったんです」

「嫌って、やめてって、言っても聞いてくれないから。ああ、確かにそうだなって。だから、ワインかけられたら同じようにすることにしたんです」

「頭からワインを掛けられると、次の日にはワインが触れたところが赤く腫れて寝込むんです。相手はきっと、服に汚れが付くだけで終わりなのに、本当に嫌で。自分の体」

「体の外側も内側も弱くって、筋力も体力もない。免疫力も低い。外に出るとすぐに風邪を引く。手間ばっかりで、申し訳なくて。ずっとずっと、早くに命が終わった方が、両親はどれだけ助かるだろうって、薄ぼんやりと考えてて」

「ごめんなさい」

「アルバン様はずっと優しいから。もうどこにも行きたくなくて。私、なんにも出来ないのに」

「いっ、言った、のに。はじめに」

「そ、それでも、いいって、あなたか、言う、から……だから、私、ずっと、ズル、してる……!」



 説明にもならないただの感情の吐き出しかそこで止まって、やってしまったという事だけは理解しているのに混乱していて、ぐちゃぐちゃで、どうしようって言葉だけでぐるぐるして。

 でも他に今は何も出来なくて、ボロボロ無様に泣いていたら、アルバンは「うん」と頷いて、ポケットからハンカチ取り出して、私の顔をそっと拭ってくれた。

「ツェツィーリア」

「ぅ、はい……。」

 ちょっと理性か戻ってきた。

 め、面倒なメンヘラ女でごめんなさい。

 離婚されてもしょうがない。申し訳なさすぎる。こんな支離滅裂な自分語り、双方にとってメリットがないし、なんなら、私がどれだけ駄目なのかを暴露しているだけなので、完全なる自爆である。

 もう駄目だぁ。おしまいだぁ。

 諦めてグリンマー領に帰ろう。そして一人で暮らそう。あっ、ニーナは付いてきてくれるだろうから、お給料さえ払い続けられるなら、死ぬまで寂しくなくて済みそう。

 とか、考えていたのだけど、アルバンはじっと、私の目を見て告げた。



「ツェツィーリア、僕が君に、誰もが君の話を、言葉を、きちんと聞く世界をあげる」



 何言ってんだこの人?

 言われたことの意味が分からなくて、でも、アルバンは物凄く真面目な顔で。

 涙も引っ込んでしまった。

「生き物はさ、自分か快適に過ごせる環境を整えるものなんだよ。営巣、所謂巣作りなんかはまさにそれだね。前提として、その種族にとって快適な地形を選ぶっていうのはあるけど、巣の中や巣の周辺に関しては自分の使い勝手が良いようにカスタマイズするものなんだ」

「そうなんですか」

「うん。で、人間はさ、その最たる例。他の生き物との最大の違いは、自分たちの都合が良いように家や街を作る。国とかもその一環。果ては地形まで変える。トンネル掘ったり水場を埋め立てしたりね。他の生き物よりもカスタマイズする幅が広いから、選択肢が段違いに多い。それに、うちの国と、西や東は全く違うでしよ? だからね、同じ人間って種族でも、取る手段、方針が違うからそのコロニー内でのルールも違ってくる。文化の違いはその累積だね」

 駄目だ。泣いたせいで頭がボーッとしている。

 アルバンの話に付いていけてない。

 聞いた内容を理解するので精一杯。どこに着地しようとしているのか予測出来ない。そこまでの余裕がない。

「で、人間って生き物はさ、そのコロニーの中で体が強い個体、または待っている権限が強い個体の意思が優先してルールに組み込まれ反映されるという性質がある。黒髪が不利なのは前者の理由からだね。単純に戦闘能力が劣るから軽視される。野生の、極めて本能的な判断基準だね。人間も単なる魔獣の一種でしかないという証左と言えるかも知れないけれど、でも、僕としては、本能を乗りこなして理性で判断するっていうのが人間の証明だと思う」

「本能も人間の一部なのでは……?」

「それも真理。生き物って枠組みの中に僕らは居る。ただし、その本能ってものを理解して、観察して、習性を学んで、人間は人間という生き物の癖を乗りこなすべきだと僕は思う。でないとこんな生き物、長所ないからね〜」

 頭の上にクエスチョンマークか乱舞。

 アルバンはノリノリで明るく話してくれるが、しかし、何が言いたいのか分からない。

「話を戻すけど、人間は要するに、個体として強くて、既に一定の権限を所有する個体の意思が国というコロニーのルールに反映される。そして、僕は既に、国内で最大面積を誇る広いナワバリのボスで、既に食糧生産なんかを始めとして好き勝手、自由自在にやれている」

「そうですね」

 それはそう。

 アルバンは有能なので、国内最重要地点であるフリートホーフ辺境伯領をバチバチに繁栄させている。

「フリートホーフ領は国土面積で見れば約六分の一強。僕はそれを余裕で回してる。だから、うん……本気を出したら、国だって余裕でカスタマイズ出来るんじゃないかなって、そう思わない?」

「えっ、あの、すみません。まさかと思いますが玉座狙ってます?」

「面倒だから狙わない。でも、アレクが興味無さそうな分野なら裏から手を回したり話し合いでケリ付ければスルーされるだろうから、アレクが譲歩したくない分野以外なら僕は全部自分の好きにやる」

「なにがあなたをそうさせるんですか……!?」

「ツェツィーリアが幸せに、安心して暮らせるようにするため」

 にこにこ。子供みたいなポワポワした感じで呑気に笑っているアルバンはなんかやたらと幸せそうだ。

「君は、僕のためなら、命だって捨ててくれるんだって、僕はもう知っているよ。君みたいな素晴らしい存在が、全部投げ捨ててでも、僕を生かそうとしてくれるんだって。もう、君の心も、体も、命だって、全部、全部僕に捧げてくれたんだって、分かっているから」

「だって、それは……私よりアルバン様の方がずっと、価値があるので。命は等価ではないのですから」

「考え方の違いだね。ツェツィーリア、生き物って、命って、単なる現象でしかないんだよ。命は等しく無意味だ。ただ、個体それぞれが価値を勝手に決めるだけ。だからね、僕にとって、この世で一番素晴らしい命はツェツィーリア。君だから。最も素晴らしいものが、僕のことを最優先にしてくれる、全部くれたってことだから、僕は君に、僕の全部を使ってお返しがしたいよ」

 よく分からない。

 まだずっと混乱している。

 アルバンの思考や価値観は私には難解過ぎる。

 理屈は分かっても、飲み込めない。だって、駒の価値はそれぞれ違うし重要度も違うのに。視点が超然とし過ぎていて、なにが、なんだか。

「君がその真っ黒な髪と瞳を、顔を上げて過ごせる世界を僕が作るよ。すぐには上手くいかないとは思うけど、でも、僕らの人生の終わりにはきっと、間に合うと思うから、だから……待っていてくれるかな?」

「アルバン様の無駄遣いでは……?」

「うん? それはツェツィーリアの価値基準の話でしょ? 僕はそうじゃないから」

「あっ、ハイ。すみません。失礼しました」

 とりあえず、アルバンの人生をアルバンがどう使うかは本人の勝手なので、私が無駄遣いどうこう言う立場じゃないな?

 少なくとも、没落した実家という特大のコブ付きである私という人間を娶って養ってくれる約束で結婚したのだし、普通に、いや、嘘ですめちゃくちゃ好きだしメロメロなので、私の人生は既にアルバンのものなのだけど……とりあえず、私に住み良い環境をくれると言うのなら、貰っておこう。あんまり期待はしていないけれど。

「じゃあとりあえず、アカデミーの運営と教師の質が落ちてるところだし、新しく作るツェツィーリアの学校が成績と実績でアカデミーの横っ面をブン殴れるように、僕も頑張るねっ! どうする? 魔植物学の教師としてスヴィンとか、優秀な学者を引き抜いて来ようか? コネならあるよ!」

「け、権力の濫用……!」

「ふふっ、ツェツィーリア、僕は金と権力しか取り柄のない男だよ?」

「うぅん、そこも価値観の違いですかね? アルバン様にはお金と権力だけでなく、明晰な頭脳と優しい心と強い体と魔法と、かっこいい容姿があると思うのですが」

「僕のことを衒いなくかっこいいって言うのは君ぐらいだけどね……でも、ありがとう。嬉しいよ。ところで、今すごく愛おしい気持ちになったから、ベッドに行ってベタベタしない?」

「エッチなことです?」

「エッチなことはしないよ。横になってくっつくだけ。抱き上げてもいい?」

「良いですよ」

 ヒョイっと猫の子のように抱き上げられて、そのまま寝室へ。

 ポフっとベッドに寝かされて、添い寝の形で二人してお布団被ってぎゅ〜! と抱き締め合ったりして、ぬくぬくほかほか。泣いて疲れたのもあって、即落ち。

 お昼寝タイムを終えて起きたらまたいつも通りに戻れたし、アルバンも通常運転だったので、ホッとした。



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