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【167】メラニーの顛末



 嫉妬に狂った醜い女。それが私。

 でもだって、アルバンと別れたくないのだもの。

 あの女が悪いんだもん!

 ごめんなさい。

 あの元乳母が悪いのは確かだが、暴力に訴えて虐待をしたのは紛れもなく私。間違いない。私は性格が悪く暴力的な人間。

「ツェツィーリア……えっ、ど、どうしたの……?」

「私は醜い人間です」

 人様に三回もビンタかまして、その後。

 怒ったらなんだか物凄く疲れてしまって、寝室に戻ってお昼寝。目が覚めたら強烈な自己嫌悪で動けなくて、起き上がれなくて、布団の中で亀のように丸まっているしかなかった。

 諸々件の乳母の解雇の手続きをしてくれていたらしいアルバンが戻ってきて、布団の塊となっている私に対して戸惑いつつも聞いてくれたのだが、もう本当に「醜い人間で大変申し訳ございません」という気持ちしか出てこない。

「醜くないよ〜! おっきな丸い、フカフカのパンみたいだね。ツェツィーリア、僕は君のことが大好きだよ〜!」

「うぇえ……! う、うそだ。私は暴力的で野蛮な人間です。アルバン様の妻に相応しくありません」

「相応しくなくても離婚してあげないよ。君の判断とか気持ちとか関係なく、決定権は僕にあるからね。お墓まで一緒に行こうね〜!」

「せ、世界の損失……!」

「ツェツィーリアの人生が僕一人のために費やされるのは確かに世界の大損害かも」

「なんで笑ってるんですか!」

「ごめんね。嬉しくなっちゃって。ツェツィーリアは本当に僕のことが好きだし、他の誰にも渡したくないんだなぁって思って。僕は君のことが大好きだから、君がヤキモチ焼いてくれると嬉しくなっちゃうんだ」

 アルバン、呑気にニッコニコ。

 こ、こ、この、この野郎……!

 好きだが憎い。俄に憎たらしい。わ、私がどんな気持ちでアルバンのことを好きだと思っているんだ。魔力無しの黒髪の分際で、アルバンほどの男性の奥さんやるの、結構度胸が要るんだぞ!?

 いやもうね、人を叩いたことなんてないから、すごくドキドキした。心臓バックバク。

 ビンタであっても、当たりどころが悪いと鼓膜が破けたりするって聞くし、もしそうなったらどうしようとか、やってる時に色々考えていたし、今もまだ「だ、大丈夫かな……!?」なんてハラハラしている。落ち着かない。やらかした感というか、やってしまった感が凄まじい。

 でも、多分だけど、立てなくなるぐらいまで鞭で打つとかよりはビンタのほうがまだマシかもだし、あの場でアルバンは打ち据える気満々だったから、痛め付けるのは確定路線。グーよりはパーの方が痛くなさそうだし、あれが最低ラインだった筈。きっと。間違っているかもだけれど。

 ビンタはまだ喧嘩の域だけと、鞭で打つとかになったらそれはもう紛れもない拷問。

 拷問とか何それ怖い。

 この世にあって欲しくないものランキング上位に君臨する概念である。なるたけ見たくない。

 加えて言えば、女の人を鞭で叩くアルバンの姿、私が見たくない。きっとアルバン自身もやりたくなきだろう。だって基本的に親切で善良な性格だから。

 私を差し置いて辺境伯夫人になりたいとか言って、しかも無断でアルバンに触れて、かつ子供たち三人もややこき下ろすみたいな発言となると、まあ刑罰ものである。

 解雇してそのままポイ、なんていうのは辺境伯家の威信に関わるため、そのままどこへなりと行け、は使えない。見せしめのために痛い目に遭わせねばならないが、相手は女性だし、まだ生まれて間もない子供も居るし……で、捻り出したのが鞭打ちだったのであらう。鞭は痛いし痕が残るが、数発なら死なないで済むので……いやまあ、アルバンはグリズリーの頭を握り砕けるぐらい力が強いので、鞭打ち一発で殺してしまえるかも知れないが、殺したくなんてないだろう。

 アルバンは強盗とか殺人とかの凶悪犯罪には厳しいし、その手の犯罪者は大嫌いだからサクッと処刑する方針を取ってはいるが、あの元乳母は凶悪犯罪に手を染めてなどいない訳だし……さりとて、自分に粉かけまくってくるよく知らない女性、きっとアルバン的にはトラウマ喚起案件でもあろうから、生理的嫌悪によって加減を間違えそうでもある。

 事情を軽く聞いて状況を観察するに、あの元乳母、ガチのガチでアルバンに対して私と離婚して自分と結婚して欲しかったんだな〜、と思った。

 いや分かる。

 アルバンは完璧。

 大きくて強くて賢くて優しい。愛妻家で子煩悩。まさに理想的な王子様である。顔に傷はあるものの、長所の方が遥かに多い。

 そんな人と結婚したいな、というのは分かる。

 結婚相手に求める条件全てを搭載しているのがアルバン。私は本当にラッキー。でも、その私の元に舞い込んできた幸運を横から奪おうとする輩、断じて許容出来ぬ。

 わ、私んだぞ……!

 や、やんのか……!?

 寝取られ、拒否。絶対。無理。勘弁して。

 死守したい。この正妻の座。

 危機感と嫉妬と、プラスして「これ女の人を鞭で打ったらアルバンそれなりに後からダメージを受けるんだろうな」という根拠の薄い未来予測を前にして、思い付いてしまったんだなコレが。

 ……これ、私が直接ぶん殴った方が早いな?

 という訳で、善は急げ。

 ムカつきと衝動そのままに、心臓をバクバクさせつつもビンタをかました訳だが……相手に思ったよりガッツがあった。頬を叩かれても元気よく言い返してきたので「大人しくして貰わなくっちゃあ困るんだよォ!」という気持ちで二発、三発。

 あの時には、よくばりで意地悪だったらなんだってんだよぉ、ぐらいの謎の開き直りで乗り切ったが、今はもう、グッズグズである。

 不安。

 私があの元乳母が言う通り、見てそのまま欲張りで意地悪なことが、アルバンに、バレてしまった……。

 布団被ったまま起き上がって、じっとりアルバンを見詰めるが、機嫌が良過ぎる。

 なんだ罠か?

 これから離婚を言い渡されんのか?

 誰だって優しくて性格の良い人と暮らしたい。夫婦の場合、嫌になった離婚。それが道理。

「……私が、欲張りで、意地悪でも、良いんですか?」

「僕はそうは思わないけど、ツェツィーリアは自分のことをそうだと思うの?」

「事実なので」

「そっか。僕とツェツィーリアだと、使ってる単語の意味する範囲が違うのかも知れないね。君は真面目で、義理堅くて、愛情深い人だよ。おまけに優しい。感覚の違いを否定する気はないけど、僕はそう認識してるんだ。それと、君が欲張りで、意地悪な人だったとしても、僕は君が好きだよ」

「嘘。嘘です。欲張りで意地悪な人が好きな訳ありません」

「ツェツィーリアは僕のことが好きだよね?」

「はい。大好きです」

「僕は性格が悪い」

「……そうでした」

「僕の性格が悪くても、ツェツィーリアは僕のことを愛してしまっている。何も矛盾しないよ。お茶にしようか」

 嫌いな奴が苦しむさまを見て酒を飲んで大笑いしたいとか言っちゃうのがアルバン。確かに、私の目から見ても弁護が難しいレベルで性格はよろしくない。

 が、慈悲深く優しいのもまた事実ではあるし、私はそんなアルバンのことが好き。

 人間って複雑。

 ボサボサの頭のまま起き上がって、二人でティータイム。やや拗ねた気持ちのまま座っていたら、アルバンが手早く髪を梳かしてくれた。優しい。クソッ、好きだ……!

 暖炉横の丸テーブルに、メイドさん達がお茶を用意してくれる。

 暖かく香りの良い薔薇のフレーバーティーをストレート砂糖なしで。ついでに、口寂しいかもと思ったのか、甘さ控えめのクッキー。生地にココアが入っていて、角切りのダークチョコレートとピスタチオが入ったやつと、真っ白なポルボロンがそれぞれ二個くらい。晩御飯前なのでお上品な量である。

 美味しい。

 私はどこまでいっても食い意地の張った現金な人間なので、食べるとやさぐれとか不機嫌がすぐ行方不明になってしまう。アルバンも既に私の扱い方が極めて簡単だと理解しているため、私がサクサクもぐもぐ食べて気持ちを落ち着かせるさまを穏やかに見守ってくれている。

「これから、さっきの乳母を紹介した産婆に話を聞くことになったんだけど……ツェツィーリアはどうする?」

「私も行きます」

「分かった。じゃあ、お茶が済んだら客間に行こうか」

 と、いう訳で、ゆっくり飲み食いして気持ちを落ち着けたところで、客間に移動。

 かかりつけの産婆、ヴァンダよりやや若いかなぐらいの年齢の産婆が呼ばれてやってきた。

「メラニーは、あたしが取り上げた子です」

 我が街の産婆は、今回の件を聞いて駆け付けてきたようで、意気消沈という様子だった。俯いており、椅子にも座ろうとしない。勧めはしたのだが、首を振って断っていた。

「メラニーの子を二度、中絶したのもあたしです」

 一言目では、ああ、自分が取り上げた子だから情があって推薦したのか、と思うだけだったが、二言目で、息を呑んだ。

「メラニーの父親はろくでなしで……酒に溺れていました。二度の中絶は、どちらもその父親との子で……その父親がやっと死んで、商家と結婚が決まって……ようやく、と思いました。メラニーはあの通り、結構な美人でしたから、結婚してすぐに妊娠を。あたしも、ようやくメラニーの子を取り上げてやれると安心してたんですが、酷い痣が……背中だけでなく、腹の近くにも……。」

「それで、僕に離婚させるために、推薦したと?」

 無言の肯定。

 気持ちは分かるし、私だって、事情を聞いてしまったら、どうにかしてやりたいと思ってしまう。

「利用しようとしたのか。一介の産婆が」

「……返す言葉もありません」

 気持ちは分かるが、しかし、庶民が辺境伯、領主に対して絶対にしてはならないことだ。領民の個人的な思惑に領主が踊らされてはならない。

 秩序を保つためには必要なこと。

「ローザのことがあったので……まさか、メラニーがこんなことをするとは……申し訳ありません。あたしのせいです。お手打ちにされても仕方がないと思っております」

 言うなり、産婆はその場に跪いた。

 本気で殺されても文句が言えないと思っているのだろう。

 まあ、他のところの気性が荒かったりプライドが高い領主様なら当たり前に首チョンパコースだとは思うが、アルバンはただ不可抗力でムキムキになってしまっただけのマイルドかつ理性的な文化系なので、そんなことはしない。

「メラニーは……殴らない家族が欲しかったんでしょうか」

 正直に言うと、私には想像も出来ない。

 優しい甘やかし両親のもとで何不自由なく育ち、優しい甘やかし夫と結婚した私には。想像を超える。

 父親に関係を求められるとか。その上に妊娠するとか。中絶手術をするとか。結婚して、夫に殴られたりする、妊娠しても暴力を受けるとか。全部、私には想像するのだって難しい。考えたくない、というのが正直なところで……最も信頼するべき家族からそういう扱いを受ける。それはどんなに怖いだろう。

 服を脱がせようとしない父親が、暴力を奮ってこない夫が欲しい。

 それは当然の欲求だと思う。

 もしかすると、渇望だったのかも知れない。

 アルバンは既に証明しているから。子供の面倒をしっかり見て、娘に、アマーリアに対してもそういう感情も衝動も持たない。健全な父親で。

 強くて大柄で、だけど、その力を家族には向けない。

 妻を殴ったりしない。妊娠中も、出産後も、そうでない時も、体を気遣って健康を願って、労ってくれる。

「分かりません。ご領主様を見て……メラニーが何を思ったのか……。」

 おとなしい娘だと、そう思っておりました……。

 と、産婆は語った。

 ううん、お、思っていたより、これはかなり可哀想な境遇かも。

 ビンタしちゃった……。

 改めて罪悪感に襲われるが、しかし、アルバンは腕を組んで、心底不思議そうに首を傾げた。

「境遇は理解した。それで? ツェツィーリアに対する侮辱に、なんの関係があるというのだ?」

 一刀両断。

 え、お、鬼……?

 演技でもなんでもなく、アルバンは完全に「意味がわからない」という態度である。

 いやあの、動機はその、察せられると思うのですが、えぇ? 人の心がないのか……?

 うん。ないかも。

 いや正確には、人の心はある。私や子供達の身に何かあると不眠になるぐらいある。あるけど……身内と認めた人間以外に対する共感能力が低めなのがアルバン。元々の性格が優しいからこその心の防衛策ではあるのだろうけれど、この鋼の理性よ。

 間違ってはいない。

 不幸な境遇と犯した罪に関しては切り離して考えるべきだとは思う。思うが、この世には「情状酌量の余地」という言葉と概念があるのもまた事実。

 酌量するつもりが……皆無!

「不幸だったというのは認める。だが、それとこれとは全くの無関係だ。ツェツィーリアが、我が妻があの女を不幸にした訳ではない」

 断言しつつも、アルバンから不機嫌がやや抜けた。

 うーん、情けを掛けてやるつもりはないよと伝えつつも、何かの納得をしたんだな?

 というか、これはあれかも知れない。

 人間は強いストレスに晒されると、感情の制御が出来なくなったり、生きることがままならなくなったりすることがあると聞く。戦場から戻ってきた騎士や兵士が、発狂の末に自殺してしまったり……といった記録もある。

 要するに、人の頭は壊れるように出来ている、ということなのだ。

 アルバンは合理主義者なので「罪は罪として精算するから割引はしないよ」と「まあでも、頭がぶっ壊れているならそうはなるよね」という二つの結論を導き出したのであろう。

 この間聞いたばかりではあるけれど、アルバンはその、王宮管理官の差金で、知らない女性にそういうことをされた末にしばらく壊れていた時期があったらしいし、教育虐待をしてくる母親が居たりとかもするし。

 なんていうか……ややメラニーと境遇が似ている部分はあるが、やはりメラニーの方がアルバンよりも地獄の数がちょっと多いので、実はそれなりに哀れんではいるのかも知れない。

 いやしかし、発言からしていっちゃってるな、とは思ったが……ううん、やっぱり精神疾患ですね。

 なまじ大人しくて周囲からは無害に見えたので、だからぶっ壊れてしまっているのも分からなかったのであろう。

 本来なら庶民向けの修道院に入れてゆっくり休養しつつ社会復帰を目指してね案件なのだが、やらかしの内容が内容なのでそうもいかない。甘くし過ぎると我が家が貴族からも平民からもナメられてしまうので、厳しくしなくてはならぬのである。

 やらかす前にメラニーの壊れっぷりが露見していたら打つ手もあったのだが……後の祭りである。

 アルバンは間違ったことは言っていないし、批判する理由もない。

 仲介だったこの産婆に対してはクレーム入れたし、早急にかわりの新しい人、くれぐれも問題のないまともな人を寄越してね、で終わりである。だってそれ以外に要求出来ることがない。

 だが、メラニーのやらかしはすぐに街にも広まるだろう。

 アルバンは人望のある領主様なので、うちでやらかした人が放流されたら、虐め殺されてしまうかも知れない。これが凶悪犯罪者であれば、アルバンも私も「あっ、お好きにどうぞ」でスルーするのだが、罪状としては凶悪犯罪とかじゃないし、精神疾患があるっぽい人だし……で、ちょっと、いやかなり処理が厄介。

 虐め殺されてしまわないようにどこか遠くの土地へ、というのもアリっちゃアリだが、私たちがそれをやると根も葉もない噂が発生し、尾鰭背鰭胸鰭まで付きそう。新たなトラブルの種になるのはもう考えるまでもなく分かるため、それは出来ないし。

 悩んでいたら、力強いノックの音が響いた。

「どうした?」

「おう、ちょっといいか?」

 ひょっこり顔を出したのはオラシオさんだった。

 軽い調子だが、室内の重苦しいどんよりした空気を悟って「あー、今、大丈夫か?」と気まずそうに聞いてくる。

「すみません、オラシオさん。少々立て込んでおりまして。騒がしかったでしょうか?」

「あー、まあ、な。噂だけ聞いたわ。さっき街から帰ってきたトコなんだけどよ、ここの門の前に座り込んでる女が居るんだが……。」

「ええと、緑の髪の、小柄な女性でしょうか?」

「そうそう。座り込んでるし、服が土まみれでよ。物乞いかと思ったんだが、死にそうな顔して俺の服を掴んできた。んで、子供を返してくれって言ってんだが、あんたら、何をしたんだ?」

 まさか本当に、母親から子供を攫って取り上げたんじゃないだろうな? という緊張感のある問いだった。

 うう、漏れ出る魔力でピリピリする。

 オラシオさんは平民にしてはかなり魔力が強いので、殺気だっていると急に、なんかこう、刺さるというよりは沁みる。沁みる系の魔力。

「めんどくさ……。うん。今ちょうど、その話をしてたとこだよ。座って。説明はするから」

 かくかくしかじか。

 こういうことがあって、と私とアルバンが説明したところ、オラシオさんはすぐに殺気を引っ込めた。

「つまり、あの女はあんたを寝取ろうとして失敗して奥さんにビンタされて追い出されたんだな? 雇われの身でやらかしてんだから追放されて当然だな。だが、そんなら子供は返してやれよ」

「結論から言うと、返せない。ナースメイド……育児係から報告が上がっていてね。あの女は、他の子供の面倒は見るが、自分の子供の面倒は見ないようだ。精神疾患の疑いも強い。返したところで育てられないだろう」

「返さねぇって選択肢があんのか」

「まあね。子供に罪はないし、頭のおかしい母親に虐待されて育つよりは、どこか孤児院に入れるか、適当な農家の養子として縁付かせるかかな。もしどこも縁がなかったら、うちでついでに育てるしかないかもね」

「あー、まあ、ここで育てるってんなら、そりゃ良いだろうな」

 なんだかんだアルバンは善良で面倒見が良いので、うちの子供達の従僕候補として一人ぐらい養ってもいいか、と考えていたようだ。甲斐性の塊。子供一人育てるぐらい痛くも痒くもないという事実。加えて、我が家は規模が大きいので……将来的に一人ぐらい使用人が増えても誤差だし、現在進行形で人手ならあるので、大勢の大人達がそこそこの距離感で育ててくれそうではある。

「……その子供ってのは、男か?」

「確かそうだった筈だ」

「悪ぃ。ちょっと行ってくるわ」

 言うなり、オラシオさんはスタスタ部屋を出て行ってしまった。

 え、どういう展開……?

 戸惑いつつも、時間を無為に浪費するのもどうかと思い、アルバンと二人で産婆に対して、補充要員としての乳母の当てがあるかどうかを聞き、色々と条件を出すなどした。

 産婆の話によると我が家の乳母の待遇は知られているらしく、志願者は多いらしい。アルバンが次の補充要員に希望する条件としては、子供が二人以上居て、かつ上この子と下の子の年が離れていること。子育ての経験がある程度あって、精神的に安定しているペトラのような人材が良い、というリクエストである。

「もし条件に満たない候補しか見つからなかった場合、妥協して入れる乳母に加えて、ペトラに戻って来て貰えないか打診しよう。乳の出が悪くなってきたという話だったが、今はとにかく安定させることを優先したい。多少割り増しで雇っても良い」

「私もそれが良いと思います。ペトラは小麦農家ですし、人手がないと長期のお勤めは大変でしょうから、戻ってきてくれるかは分かりませんが……。」

 明るくてきっぷが良くて、サッパリした性格で、テキパキ働くペトラは子供部屋のムードメーカーでもあった。見たところ、リタは常識的で真面目だし、ローザは優しくて思慮深いので、そこはとても良いのだが、ペトラが居ることでバランスが取れている部分はあったし……あの二人、今頃ガンッガンに落ち込んでいそうだからなぁ。ペトラを投下して中和しておきたい。

 面倒を見てくれる乳母たちが落ち込んでいると、子供達にもあんまし良くなさそうなので。育児チームのメンバーにはいつも元気に満腹、快眠快調であって欲しい。

「おう、邪魔するぜ!」

 そんなことを話していたら、オラシオさんが戻ってきた。

「子供、俺が引き取るわ」

 突然の養父宣言。

 何が起きた!?

 戸惑い絶句する私たち夫婦を前に、オラシオさんはそれが当然のことであるかのような態度である。

「母親の方とは話付けてきたぜ。なんでも、暴力野郎と子供が似てて、可愛いと思えないっつー話だ。育てる自信もないってことだったから、俺が引き取って育てるわ。それぐらいの稼ぎはあるしよ」

「……意味がわからない!」

 半眼になったアルバンが理解を明後日の方向にぶん投げた。

 分かる。私も背後に宇宙を背負ってしまう。

「あんたに言われて考えてたんだけどよ、俺はまあ、恋人が欲しかった。結婚もしたかったしよ。んで、なんでそんなに恋人が欲しいんだっていったら、まあ好奇心だな。大半は。で、なんとなーく、恋人の次は結婚だろと思ってたんだが、なんで結婚したいかっつーと、俺は一人前の男ってやつになりたかったんだ」

 お、ぉお?

 なんかよく分からんが、私の知らない所でオラシオさんとアルバンは男子トークしてたっぽいな?

 しかしなんというか、オラシオさん……正直だな?

 恋人が欲しいという願望の大半が好奇心だったと、自己陶酔せずに自覚出来るのはかなり凄いのでは? 流石冒険者。謎の冷静さがある。

「で、よくよく考えてみると、俺にとって一人前の男っつーのは、子供を育てて、背中を見せてやって、生きる術を教えてやることなんだわ。イシドロのおっさんはそれをやった。俺を養って槍を教えて、一端の冒険者にした。だからまあ、なんつーか、小っ恥ずかしいが、俺もそれをしなけりゃ、と思ってんだ」

「もしかして……冒険者の間では、孤児を引き取って養育するというのは、珍しくないのですか?」

「ああ。結構あるぜ。出世したA級冒険者が、親をダンジョンでなくしたガキを育てるとか、奴隷のガキを買って、自由民にしてから養子に入れるとかな」

 おお、当たった。

 聞く限りでは西の国、かなり貴族の腐敗が激しくて、行政が余り機能してるとは思えなかったので……それでもまだ国として成立しているということは、代替となる何かしらが存在してるのかなと思ったら……なるほど。冒険者が冒険者遺族の子供を育てるという文化があるのか。

「ええ……? それ、子供なんて育ててたら、冒険者自身がダンジョンに長期間潜ったり出来なくなるんじゃないの?」

 非合理的だなぁ、という感想をそのまま出力するアルバンはもうやる気がない。異文化コミュニケーションがダルくなったのであろう。感覚が前提として違い過ぎるので。

「ああ。そうだ。どんな凄腕の冒険者でも、子供を拾って育てたら仕事が絞られる。イシドロのおっさんもそうだった。元々A級冒険者で、名前が売れ始めた時に、俺の親父とお袋が目の前で死んだから俺を養って、簡単な依頼しか受けられないのが何年も続いて、B級に降格した」

 ハキハキ喋っている。

 物怖じしない冒険者、私が知らない人種。

 胸を張っている。

 目の中に光がある。

「子供を拾った冒険者は出世が遅れるか躓くかだ。そんなこたぁ、みんな分かってんだ。けどな、それでも、イシドロのおっさんや、その他の同じことをやってる冒険者の奴らで、本気で後悔してるって奴を見た事はねぇ。人一人食わせて生かしてってのは、本当に強い冒険者じゃねぇと出来ねぇからだ。だから子供を拾って成人まで育てた冒険者は尊敬される」

 冒険者は基本的に、身一つで危険なダンジョンに入って仕事をする。魔獣を相手に戦って生き残り、依頼を達成して稼ぐ。実力がなければ食べていけないし、子供を育てるのなら、稼ぐことに加えて、必ず生きて帰らねばならない。

 いつでも生還する冒険者が一番良い冒険者、ということなのだろう。

「だからよ、まあ、恋人だとか嫁、居りゃ良いんだろうけどな、俺がイシドロのおっさんに拾われてんだ。俺がガキだけ拾って育てんのは妥当なトコだろ?」

「理屈は分かった。でも、乳飲み子を連れての国境越えは無理だ。気持ちは有り難いけど……。」

「おう。無理だ無理。赤ん坊なんて触ったこともねぇからよ。あのシケたツラした母親の方も連れてくわ」

「……はぁ?」

 あっけらかんと言われてしまって、アルバンが心からの「はぁ?」を出している。私は何とか耐えた。

 が、もう目が虚無になっていることだろう。

 なんだこの超展開は。

「えっ、あの、すみません。オラシオさん、メラニーと結婚するんですか?」

「しねぇよ。まあ結構な別嬪だとは思うけどな。それでも、あんな辛気臭いツラした景気の悪い女に興味ねぇよ。ただ、ここにゃもう置いとけねぇだろ? どこ行けば良いのかわかんねぇって顔してたし、俺のボウズの面倒見るやり方とか教える奴が必要だから、連れてくわ」

「す、既に自分の息子カウントなんですね……?」

 意外や意外。オラシオさんはお父さんになりたいタイプの男性だったのか。

 というか、イシドロおじさん……私が認識しているよりも立派な人だったんだな……?

 なるほど、イシドロさんというモデルケースを見て育ったから、オラシオさんの中での男らしさ、子供を養って育てるということになるのか。

 というか、母親が要らないって言うなら貰いますね、の決断が早過ぎる。見切り発車過ぎる気がしなくもないが、しかし、なんとなくだけどオラシオさんならどうにかなりそう。

「連れてくって……袋に詰めて持ってく訳じゃないんだからさ……。」

「おう。もう話付けたぜ。どっちみちあんたここには居られねぇんだろ、って言ったらベスティアまで行っても良いっつーからな」

「行動が速いな……? あー、うん。もういいや。全部任せた。あとよろしく。ただし……子供については君、扱いとかかなり不安だから、もう何日か滞在してうちのナースメイドとか乳母から色々教わってから出発しなよ」

 西の国ベスティアと我が国との間には荒野と砂漠があるため、旅路は厳しいだろう。冒険者であるオラシオさんやイシドロさんなら平気なのであろうが、ごく普通の女性であるメラニーや、生まれて一年も経たない赤ちゃんには条件が厳し過ぎる。確かに、こちらとしてはメラニーもその子供も纏めてベスティアという異国に、というのなら角が立たないし、万々歳ではあるのだが……無茶されて赤ちゃんの命が失われてしまったらいけない。せめて育児を一通り習ってから出発して欲しい。

「教えて貰えんのは助かる。ありがとよ」

「当たり前のことだからね? それと……好奇心で聞くんだけど、子供の性別、何か関係あるの?」

「男の方が気が楽だろ」

 オラシオさんは、メラニーの子供が男の子でも女の子でも育てるつもりではいたらしい。

 が、オラシオさんのところは男所帯だし、やはりベスティアは余り治安が良くないので、女の子を育てる場合は何かと気を張らねばならない場面が多いとのこと。オラシオさん自身も、女性を口説くとかは平気だが、育てるとなると自信がないということだった。要するに、男の子ならまだいける、と思ったらしい。自らの性格をきちんと把握している辺り、偉い。

 それから、オラシオさんは一週間ほど、我が家の乳母とナースメイドから育児の心得と技をみっちり仕込まれた。

 意外にもオラシオさんには育児適性があったらしく、モタモタしたり色々汚したりしつつもオムツ替えやら沐浴やらを習得した。オムツ替えの時にウンチ爆弾飛ばしても素早く避けて「あぶねっ!」とか叫ぶぐらいだし、夜泣きが酷く激しくても全くイライラした様子がなかった。

 その間、メラニーは産婆の家で預かって貰い待機。

 屋敷の中では、オラシオさんが下した漢気があり過ぎる大胆な決断が噂として巡りまくり、口説かれたけれどノーセンキューと断ったメイドの一部までもが「やっぱりあの時、断らずに頷いていても良かったかも。キャッ!」みたいな感じになっており、俄かに株を上げていた。

「えっ、なに? 嘘……? こ、子供? いきなり? 引き取る……? オジサンもうこの楽園に骨を埋める気満々だったんだけど……?」

 イシドロおじさんは、温泉浸かって温室で日向ぼっこして、というのを繰り返して、すっかりおじさん通り越して引退後のおじいちゃんみたいな生活を謳歌していたのだが、遅れてオラシオさんの下した決断の内容を聞いて、夢から覚めた人みたいな顔をしていた。

 いや待ってください。あなた、死ぬまで我が家に居候する気だったんですか……?

 一部ふざけて発言はあったものの、事情を聞いて深く長くため息を吐いて、背中を丸めに丸めてから、イシドロおじさんはヨロヨロ立ち上がって、くたびれ果てた凪の表情を見せた。

「ま、決めちゃったんならしょうがないよねぇ……赤子連れて砂漠越えか。馬車とラクダ必須だし、どっかで路銀稼がないと」

 くたびれ果てつつも、即座に解決のためにやるべきことをやるため動こうとするあたり、なるほど、これが冒険者。肝が据わっている。

 オラシオさんもイシドロさんも、引くほど器がデカいな……?




 

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― 新着の感想 ―
冒険者コンビ、そりゃ株上がるわな。 子供がどうなるかも気になっていたので、ホッとしました。
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