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【012】怪物の恋

 疲れていたのだろう。

 ツェツィーリアは、横になって数分で気絶した。

 無理もない。これまで馬に乗ったこともないようなご令嬢が、こんな強行軍に耐えられる訳がない。

 むしろ、よくここまで耐えてくれた。

 弱音の一つも吐かず、文句も言わず。恐ろしいだろうに、その様子も見せず、毅然とした態度で臨んでいた。余裕なんてないだろうに、こちらのことを気遣うことまでやってのけたのだから驚きだ。

「ツェツィーリア様はどうですか?」

 鍋が出来上がったらしい。

 ハインリヒが肉ばかりのスープを注いだ皿を手渡してくる。

「眠ったよ。殆ど気絶だけどね」

「そうですか。それほどお疲れだったというのに、あのなさりよう……素晴らしい奥方を迎えられましたね」

「ああ。僕が、ずっと焦がれてきた女性だ。不本意な結婚だというのに、文句ひとつ言わない」

「アハ。個人的な所感ですが、ツェツィーリア様の方も、アルバン様のことが好きっぽいですけどね」

「適当なことを言うな」

「正直な感想ですよ〜!」

 アッハッハッハ、と軽い調子でハインリヒが隣に座る。

「でも、ツェツィーリア様が末長く、あなたと共に居てくれると良いと願っているのは本当です」

「へぇ……お前も女嫌いだと思っていたんだけど」

「そりゃ、夫となる男の主君を悪し様に言う女なんて、こっちから願い下げですよ。オレが嫌いなのは、あなたを不当に侮辱する輩だけです。ツェツィーリア様はそれとは違うじゃないですか」

 ハインリヒには、五年前、婚約者が居た。

 辺境伯領の分家筋にあたる男爵家の三女で、結婚すれば、そのまま奥方の血筋と併せて、騎士爵を与えて独立させる予定だった。

 話は順調に進んでいたが……ハインリヒは、ふとした時に婚約者が溢した言葉に激怒した。

 それは僕の容姿を見て「あんなの、まるで怪物じゃない」と罵ったから、という理由だった。見なくてもわかる。きっと、正直な感想だった筈だ。人は飛び抜けて醜いものを目にすると、嫌悪に表情を歪める。生き物として当然の反応だ。特に、傷跡のある同族の姿というのは近くに危険があることを示唆するのだと、人は本能的に理解する。その危機が遠い昔に過ぎたのだとしても、生理的な防衛本能から、普通の人間はそれを避けようとする。

 仕方のないことだった。

 だが、ハインリヒは婚約者であったはずの女性に向かって、剣の柄に手を掛けたのだ。

 慌てて、近くに居た仲間の騎士が止めたので抜刀までは至らず、事件にこそならなかったが……結局、婚約は破棄。破談となった。出世の道を閉ざされたにも拘らず、あっけらかんと笑っている。

 見た目は絵本に登場するような完璧な騎士だが、僕からすれば狂人だ。

 主君の悪口、それも単なる素直な感想でしかないそれに、そこまで反応する必要はない。聞き流しておけば損をしなかったのに、と思う。

「ツェツィーリア様は、我が騎士団が剣を捧ぐに相応しい方です」

「……。」

 ハインリヒは誰もが認める美男子だ。

 ツェツィーリアも、もしかしたら、いや、きっとハインリヒのような美形を好きになるだろうと思っていたが、彼女は興味を示さなかった。むしろ、苦手としているような素振りがあって、ハインリヒが急に距離を詰めると、僕の服の裾を掴んでくる程だ。

 彼女がハインリヒよりも僕のことを頼ってくれているというのが喜ばしく、安心し切っていたが、ハインリヒの方が彼女を気に入ったのなら、どうなるのかはわからない。

 もしかして、と考えていたら、いつものようにあの食えない笑顔で先手を打たれた。

「アルバン様、オレたちは騎士です。形が変わろうが、騎士であることに変わりはありません。あなたの奥方となる方が、どのような方であれ誠心誠意お仕えすると決めていました。例え、あなたを憎み、罵るような方であってもです」

 ハインリヒは知っている。

 僕が、彼女を渇望し、彼女以外に妻に迎えるなどあり得ないと決めていたことを。

 僕はツェツィーリアを金で買った。

 他に方法が見付けられなかった。僕は自分が金と権力以外には取り柄のない、つまらない男であるという自覚が嫌というほどあった。醜い傷に覆われた顔と、常軌を逸した魔力保有量をして、あらゆる人間が「怪物」と呼んだ。

 醜い、恐ろしい、怪物辺境伯。

 それが自分だと受け入れていた。改めるつもりもない。弁明したところでキリが無い。非効率的だ。そして、怪物という評価は紛れもない事実だ。

 だから彼女も、きっと、自分を金で買った下劣で醜い男を前に、怒り、嘆き、罵り、嫌い抜くだろうと覚悟していた。

 ハインリヒが辺境伯という存在を半ば信奉しているのは知っていた。婚約者に纏わる一連の事件でそれは明確であったし、僕の元に嫁がされた彼女が僕を侮辱したら……そう考えると、ハインリヒに説明しないわけにはいかなかった。

 金で彼女の人生を買った。

 僕には、ツェツィーリアの人生に対する責任がある。

 何をおいても、彼女の安全を確保しなくてはならない。国内外の情勢、魔獣の討伐、財産の確保。僕が死亡した場合に彼女がその先も不自由なく暮らせるだけの遺産相続のための手続き。

 そのうちの一つが、ハインリヒの説得だった。

 万一にでも、激昂したハインリヒがツェツィーリアを殺害することがないよう、事前に説明をした。

 好きな女性を金で買って妻に迎えると決めたこと。その人以外に、辺境伯夫人はあり得ないことを伝えた。

 ーーもし、いつか彼女が、復讐のために僕を殺したとしても、彼女を守るようにと。

「でも、ツェツィーリア様はそうではない。少なくともあなたに対して歩み寄っていますし、我々を始め、領地のために努力しておられます。何より、他者に対して人としての礼儀を持って接することが出来方です。真実の意味でこれが出来る方は、なかなか居ない」

「……ツェツィーリアがお前と手を組んでクーデターを起こしたら、彼女が領主に成り代わるかも」

「アハハ! それは無いですね! なにしろ、ツェツィーリア様はあなたを愛しておられますから」

 そんなこと、ある訳がない。

 僕のような、醜くて恐ろしくて陰気な男に、金のために結婚させられて、抱かれなくてはならなくて、好きでもない男の子供を無理にでも産まなくてはならないっていうのに。

 あり得ない。

「……ほ、本当に、そう思う?」

「アハ。本当ですって〜」

「ない、とは思っている。が、もし、そうだったら……。」

「どうするんです?」

「どうするって……?」

 考える。

 もし、万が一。

 何千何億分の一の確率で奇跡が起きて、彼女が、ツェツィーリアが、僕のことを本当に好きになってくれていて、心から愛してくれるのだとしたら……。

「……どうしよう?」

 アッハッハッハ!

 ハインリヒが大笑いした。

「煩い。黙れ。ツェツィーリアが起きてしまう」

「す、すみません。でも」

「あ?」

「嫌われてなくて、良かったですね」

「……。」

 勘違いでなければ、思い込みでなければ、仲は悪くない。

 僕の好意に対して、ツェツィーリアは一歩引いた様子を見せることが多いが、一方で、手を取ったり、抱き締めたりすることには嫌悪感を示さない。

 会話も、想定していたよりもずっと多い。

 彼女は好奇心旺盛で、わからないことがあると口に出してくれる。知っている範囲のことなら答えるし、聞けば感心して理解が合っているかの答え合わせもする。僕が知らない事柄であっても、そこから更に会話を発展させてくれるので、ツェツィーリアは慈悲深い。

 大人の女性にしては幼い所があるので、たまに美味しいものを食べさせると「好き」と言われたりもするが、あれは意味合いとしては「ありがとう」に等しいものだろう。

 理解はしているが、僕が一方的に愛しているツェツィーリアからの「好き」を得られるのであれば、意味がどうであれ、迷う理由はない。味の良い食事を手配することを続けるだけだ。

「嫌われていないのは認める。ただ……僕ではく、僕の提供する生活、を、ツェツィーリアは愛しているのかも……。」

「アハ。世の中そんなもんですって!」

 ハインリヒが背中を叩く。

 普通の人なら咳き込む程の力だが、僕に対しては問題ない。他の誰かにやるなよ? と思うだけだが、適当な慰めにも、不思議と苛立つ気持ちは起きなかった。

「まあ、いいか……金と権力だけでも、好かれないよりは良い。ツェツィーリアは幸い、責任感が強いから……離婚しない限り、ずっと真面目に辺境伯夫人としてここに居てくれそうだからね」

「オレらからもお願いしま〜す! もうツェツィーリア様以外は嫌なんで!」

「そりゃ、お前は騎士制度復活賛成派のツェツィーリアがいてくれた方が都合が良いからでしょ」

「もちろん! 法的にも騎士に戻れるなら戻りたいですからね!」

 全く、なんでこんな奴が僕の手駒の中で一番強いんだろう……?

 釈然としない気持ちのまま、スープに口をつける。

 汁を啜って、食べ終わろうとした時、風が吹いた。

「来ましたね」

 ハインリヒが立ち上がる。

 優秀な猟犬のように、殺意に満ちている。

 僕は眉を寄せる。

 どうにも、ハインリヒの魔力は騒々しい。

 仕方なしに、ハインリヒを抑えるよう、腕で制して腰を上げる。

「僕が仕留める。ハインリヒ、お前はツェツィーリアを守れ。あくまでも静かにだ」

「アハ。珍しいですね。アルバン様が出るんですか」

「ツェツィーリアが起きない内に片を付ける。やっと眠れたのに……起こしてしまうのは可哀想だ」

 眠るツェツィーリアの上にかけた軍服を掛け直す。

 僕の上着を被せると、ツェツィーリアは頭から爪先まで隠れてしまう。

 すやすやと眠る顔が、疲れ果て、窶れているのに余りにも愛らしくて、つい頬が緩んでしまう。

 離れていた方が、ツェツィーリアは安全だろう。

 大体の当たりを付けて、ワイバーンが滑空してきやすそうな場所を見定めてそこまで歩く。

 兵士たちが指示を求めてくるが、対比するように手で合図を出せば、知った者から順に黙って傍の森の中へと退避していく。

「見えないと面倒だな。一旦照らす」

 ワイバーンの体色は黒に近いが、正確には黒ではない。

 赤褐色、或いは濃紺のようなものまで幅があり、大体において「黒っぽい」と形容されるため、記録としては体色は黒と明記されるのが大半だ。しかし、実際には黒に近い体色の個体でも、漆黒ではなく、灰色混じりの黒だ。

 だが、漆黒ではないおかげで、暗闇の中で違和感なく夜空に溶け込むことが可能となる。

 少なくとも人間にとっては、大きな風が巻き起こり羽音がしても、多くの場合、自分がワイバーンに狩られるまで視認できないということだ。

 対処法としては、ワイバーンは剣や槍などの武器を見ると、鉤爪ではなく牙での攻撃に切り替える習性があるため、闇の中で反射するワイバーンの牙を見て位置を把握し、応戦するというものだ。

 だが、それはあくまでも夜の闇の中の話に過ぎない。

 明るい場所では、その保護色も意味を成さない。

 手のひらを上に向け、魔力を練り、火球を作り出す。

 時間経過で自動回転し、直径1メートルほどまで膨張するように設定してから、そのまま真上に打ち上げる。

 ワイバーンが魔法攻撃であると判断して、こちらに向かってくるのを視認し、位置を確認したと同時に、細いワイヤー状に成形した空気の糸を使って、括り罠のような環状にし、首を切断する。

「あっ、いけない。落下音がうるさいか」

 仕留めたワイバーンが地面に叩き付けられる前に、一旦、風魔法で浮かせて、首と胴体、それぞれをゆっくりと着地させる。

 首を検分し、これまで発見された獲物の残骸に残っていた噛み跡と照らし合わせ、差異が見られないことを確認した。

「うん。間違いない。この個体だ」

「アルバン様、お見事です。やはり、こいつでしたか?」

 片付いたことを知って、すかさずハインリヒがやって来る。

「歯形の特徴が一致する。この個体だ。それで、ツェツィーリアは?」

「まだ眠っておられます」

「良かった。じゃ、片付いたし、僕も寝るから……火の番をする奴らで、ついでに肉の処理でもしといて。雄の方と同じように、腹だけ残しておいて。明日の朝、ツェツィーリアが食べるものがないと困るからさ」

 そろそろ僕も寝たい。

 まだ無茶が出来る体調ではあるが、討伐が済んでからも無駄に頑張る気は起きない。

 折角安全になったんだし、僕も寝る。ツェツィーリアのかわいい顔を見ながら寝る。

「……あぁ、そうか。終わったんだし、家でも建てるか」

 空から襲ってくるワイバーンをいち早く察知するためには、天幕であっても邪魔だったので使っていなかったが、倒したのならむしろ、屋根や壁があった方が良いだろう。

 魔獣でなくとも、稀にではあるが毒蛇や毒虫も居る。

 秋の終わりだから少なくはあるだろうが、念を入れて損はない。

 ツェツィーリアを起こさないよう、最低限の魔力を練って、ゆっくり、そっと、彼女の寝ている地面のあたりをベッドのように変化させ、その周りを囲むように土壁と屋根を作って、簡単な小屋にした。

 ドアにあたる部分は、入ってから中で塞ぐことにする。

「じゃ、後はよろしく。お前たちも当番以外は各自休息で」

 小屋に入って、入り口を他の壁と同じように土魔法で塞ぐ。

 寝るのに窮屈だからベルト類を緩めて、自室のベッドと同じくらいの大きさに作った寝台に移動する。

 普段は魔力に敏感な筈のツェツィーリアは、僕が魔法を使っていても目覚める気配がない。ついでに、彼女の服も少しだけ防寒着の襟元を緩めておいた。

「おやすみ、ツェツィーリア」

 体を横にすると、土の台でしかない簡易ベッドは硬く寝心地が悪いが、寒さは感じない。ツェツィーリアの寝顔を眺めながら、僕も眠った。


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