第六十六話 開戦工作Ⅰ
魁世は南奧州政庁、執権執務室を訪れる。目的はドラクル公国との戦争計画の提出と発表だった。
「——以上になります。えー何か質問はあるでしょうか?」
部屋の主である伊集院雨雪は黒檀の机に腰掛けて言った。
「確認だけれど、私たちで決めた目標をそれで達成できるの?」
魁世は即答する。
「もちろん達成できる」「そう、わかったわ」
執務室には二人以外にも人がいる。雨雪の元で文官として働く芹沢伊予と斎藤操、書記部の朽木早紀、監察官の新田昌斗の四人である。
「えーこの作戦では昌斗も指揮官として参加するので、その辺よろしくお願いします」
戦争には政治的にしろ国土戦略的にしろ基本何かしら目的がある。相手国領土への希求であったり、戦争行為それ自体に意味があったり、この世界の、帝国といった国々は王侯貴族の思想や感情だけで簡単に兵を起こしたりもする。
群蒼会は“やられる前にやる”という動機と“まずは一戦して異世界合同委員会の一角を崩して実力を示す”という腹積もりで戦争を仕掛けようとしていた。
群蒼会すなわち南奧州がドラクル公国にこちらから挑んで戦うには、親分である帝国がドラクル公国と戦争状態でなければならない。子分の南奧州が親分の許可なく勝手に戦争を開始すれば、よくて追放、普通は逆心ありとして討伐である。
だが五大強国の一国であるドラクル公国に対して現在国力の劣る帝国が、現在特に揉める要素も無いのに自分から戦争を吹っ掛けることは先ず無い。帝国がドラクル公国との戦争を始める又は宣言をしない限り、魁世たちは土俵にも上がれないことになる。
そして、参謀長の宗方透は帝国軍本軍との共同の戦いは嫌がっていた。前回のウル・ハム国侵攻での帝国軍がはっきり言って弱兵であり、有能な指揮官もいないと感じたからである。透にとってドラクル公がどうこう以前に帝国の弱い奴らと一緒に戦うことの方が恐ろしかった。
そこで惟義は魁世に「帝国のドラクル公国への開戦工作」と「帝国本軍は出陣させず自分たち単独だけで戦う状況にする工作」の実行を要請した。
今回の開戦工作で魁世は商務部のハイドリヒ天城華子を頼った。
ナンオウ商会を率いるハイドリヒ華子は販路を拡大していく中で貴族の夫人や娘たちとのコネクションを築いていた。平民向けの商売も手広く行っていた彼女だがナンオウ商会と“ハイドリヒ”の名は貴族の婦女たちによく知られており、彼女は貴族でも無いにも関わらず貴族婦女のサロンに呼ばれるくらいの信頼を得ていた。
魁世はハイドリヒ華子に貴族の夫人方との茶会等でそれとなくドラクル公国の脅威論を広めて欲しいとお願いする。
すると結果は如実に表れた。
曰く「ドラクル公国が五大強国と謂われるのは嘘ではない。それは先のウル・ハム国への侵攻で証明された」
曰く「ドラクル公国は急速な領土拡大によって国力を高めてきた」
曰く「ドラクル公は自分の国を建てる時にその地の既存の支配層を皆殺しにした」
ドラクル公国は彼が十数年前に建てた新興国であり、以前その地にあった国々を結果として滅ぼしたことは歴史の事実である。
このドラクル公への完全なる悪評とも捉えられない絶妙な塩梅の風説を流す華子を見た魁世は「もう華子だけでいいんじゃないかな」と溢したが、華子はその白色金髪をたなびかせて「それは無いデース。カイセのお願いだからしただけデース。魁世がサボったらワタシもサボりマース」と返した。
「そういえばカイセお礼にデートしてくれるってコト覚えていますか?」
煌めく白色金髪の彼女に、魁世は顎掻いて恥ずかしそうに応じた。
「あ、うん、もちろん」
これでいて、実際に二人で出掛ける際は紳士らしく魁世がエスコートするのだから、不思議なものである。いや、彼の育った境遇からすれば、そうして淑女の扱いに長けるのも当然であったかもしれないが。
……
…
文官と武官の二足の草鞋を履く魁世は他の群蒼会メンバーに比べて仕事が多い。今回の対ドラクル戦の準備においてそれは顕著となっている。
そんな魁世の目の前には二人、いや当人たちにとっては三人の珍客がいた。窓の外から現れた二人のうち一人は群蒼会メンバーであり、現在は半ば追放されている人物だった。
「どうして君たちはいつも窓から現れるんだ」
「そんなの他のクラスメイトに会いたくないからに決まっているだろ」
浪岡為信は当然のようだった。為信は一方的に告げる。
「こいつが…リレイが俺との子を身ごもった。出産までの衣食住と医者を用意してくれ」
「んんん?」
為信の隣には黒髪に黒の獣耳の少女がいる。深淵のような眼と人形のような無表情さは以前魁世の病室に現れた時も特徴的だったが今は少し艶やかさが加わったように見える。
いや、今はそんな関係ないことを考えている場合じゃない。いや大いに関係あるのか?
そもそもどうして僕を頼った、よく知らないけれど助産師を呼んで自宅出産じゃダメなのか?僕は今すごく忙しいんだぞ。見て分かるだろこの書類の山。今この瞬間に僕の執務室に出奔した為信がいるだけで僕の群蒼会での立場が結構あぶないのに、その上に匿うとかさ。こんなの雨雪あたりに知られたらどうする?絶対変な誤解されるし怒られるわ。これ以上手持ちの案件を増やしたくないんだが⁈ああもうこの野郎こっちは戦争準備やら何やら頑張っているのに目の前のコイツは暢気に子供つくって人生謳歌して羨ましいぞ
「………とりあえずおめでとう。まずは仮の住まいを用意しないと」
魁世の最初の返答は為信のせいで生じるだろう懸案事項が頭にいくつも浮かんだ割には比較的穏当だった。
「おいおい嫌そうにするな。新納からの“借り”ってことで覚えておくからよ」
借りを返すとは言っていないのがミソだろうな。魁世はなんとなく思った。
そんな時、おもむろに執務室の扉が開く。
「局長、補給部隊の臨時編成についてですが——」
第三行政局局長にして軍務局長である魁世の補佐官、フィーリアが束の書類を持って現れる。
「えっとだね、これはだね——」
フィーリアは目の前の状況に困惑したが、一瞬で状況を呑み込んで口を開く。
「今すぐの説明は不要です。小職にできることがあれば何なりと申しつけ下さい」
「え、いや、うん、そうだな。とりあえず二人に牛蒡茶を注いできて欲しい」
かしこまりました。そう言って補佐官フィーリアは何事も無かったかのように踵を返して給湯室へ向かっていった。
「ククク、なかなか物分かりの良さそうな部下じゃないか。これでクラスの頭でっかちな奴らは御役御免って事か?えぇ?」
為信の含みのある物言いに魁世は首を振る。
「為信の考えているようなことは無い。ところで…リレイさんだったかな」
魁世は医者を用意しろと言われても今まで獣人の医者など聞いたことが無いためどうしたものかと思っていた。
「そうだ、僕を頼るんじゃなくてリレイさんの同族を頼ればいいと思うが」
魁世はリレイの深淵のような眼を見て軽く言う。
だが為信の口から出た言葉は意外な答えだった。
「無理だ」
「どうして」
魁世は後に無遠慮に即座に返答を求めたことを後悔することになる。
「リレイ以外の狼人族は滅んだ。これ以上答えさせるな」
どうして、と再び聞くことは魁世にはできなかった。
その後に魁世は昌斗と二人になったタイミングで詳しく話を聞いた。
リレイの種族、狼人族は東方にある一つの集落に住んでおり、数年前に何処からともなく現れた武装した集団によって狼人は有無を言わさず皆殺しにされた。
だが肝心の狼人族の全滅した訳はリレイの記憶が曖昧であり昌斗も知らなかった。記憶を頭の奥底に閉じ込めてしまうほどの出来事があったことは間違いない。
リレイは生家だった瓦礫の中で息を殺していた最中、“ここが狼人最後の集落”そう殺戮集団の一人が言っていたのを聞いたのだという。
魁世はそもそも一つの種族を滅亡させようとする勢力を知らなかったが、色々と疑問が残った。
本当に種族は殆ど滅んだのだろうか、村一つを破壊するなら兎も角、種族を一人除いて全滅は可能なのだろうか?その殺戮集団の目的は何なのだろうか?
自分ら群蒼会は殺戮対象でないのだろうか?




