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『古都アンチアルマの晩秋』

アイゼン平原の勝利から半月、泥と硝煙に塗れた戦場は遠く去り、ブランガ・オデュヌの軍勢はついにアルストラーナ帝国北方の要衝、古都アンチアルマの城門へと達していた。


グラッデェの略奪によって赤黒く焼かれた街並み、散乱する瓦礫。かつて栄華を極めた古都は息絶えた巨獣のように横たわっていたが、アクスアルブ義勇軍が一歩足を踏み入れるや否や、生き残った民衆は地を這うようにして現れ、涙を流して彼らを迎えた。十万の異教徒を粉砕した「黒い魔王」の噂は、すでに絶望の底にあった人々の間で救世の神話へと変貌していたのである。


「これで、アクスアルブからアンチアルマ、そして南東領域のほぼ全土が、名実ともにあんたの手に落ちたわけだ」


馬を並べる副官ヴォルフラムが、包帯の巻かれた首をさすりながら、皮肉げに、しかし確かな畏怖を込めて呟いた。その背には未だ大剣が健在だった。


「救世主、か。反吐が出るな」


ブランガは漆黒の愛馬のたてがみを撫でながら、冷酷に鼻で笑った。


「俺は己の欲のために動いている。この地の民を救ったのは、異教徒どもを排除した結果に過ぎん。ただの通り道だ」


彼の視線は、荒廃した古都のさらに先、はるか東方に位置する帝国の心臓部――帝都ラーナへと向けられていた。


アンチアルマの政庁に入ったブランガは、休む間もなく次の手を打った。グラッデェが残していった莫大な兵糧を接収し、街の若者たちを強制的に徴募。さらに、アクスアルブから呼び寄せた職人集団に命じ、アンチアルマの広大な工房をすべて「新型火縄銃」と「黒色火薬」の製造工場へと造り替えさせた。


アイゼン平原の戦いで、火縄銃の「三段撃ち」は確かに異教徒の機動力を封じた。しかし、四方からの包囲に対しては、銃兵の旋回速度が追いつかず危うく全滅しかけたのも事実である。


「ヴォルフラム、工兵どもに伝えろ。ただの木製の防護柵では、これからの戦いには耐えられん。馬車に鉄板を張り、銃撃用の銃眼を設けた『移動式の鉄砦』を作らせろ。野戦において、瞬時に強固な陣形を構築できるようにする」


「移動する砦、か……。相変わらず、あんたの頭の中にある戦術は、この大陸のどの軍師のものとも違うな」


「当然だ。重い鎧に身を包んだ騎士が馬で突撃するだけの時代は、俺がアイゼン平原で終わらせた。これからの戦いは、数ではない。技術と、流通と、圧倒的な破壊力の効率だ」


ブランガの凄まじいところは、戦術の天才であると同時に、兵站を完璧に把握する冷徹な執政官でもある点だった。彼は、大河アシェロンの水運を網の目のように使い、南方の物資と北方の鉄をアンチアルマへと集約させていった。


だが、この急速な台頭を、帝都の権力者たちが黙って見過ごすはずがなかった。


アンチアルマ解放から一ヶ月が経ったある日、帝都ラーナからの「勅使」が、厳重な護衛の騎士たちを伴って領主館へと訪れた。


黄金の刺繍が施された豪奢な法衣を纏った勅使は、傲慢な態度で書状を広げ、朗々と読み上げた。


「――アクスアルブ義勇卿ブランガ・オデュヌ。異教徒グラッデェを退けた武功は神妙である。よって皇帝陛下は、汝の罪(ボルゲーゼ親王イザークを誅殺した大逆)を不問に処し、新たに『アンチアルマ守護代』の地位を授ける。ただちに、その全軍を帝都の直轄とし、火縄銃と称する兵器の製造法をすべて朝廷へと差し出せ。さすれば、帝国正騎士の爵位を賜るであろう」


部屋に控えていたヴォルフラムが、思わず腰の剣に手をかけた。あまりにも虫のいい、そして露骨な権力奪取の要求だった。


しかし、上座に座るブランガは、怒るどころか、楽しげに肩を揺らして笑い始めた。その瞳の奥には、漆黒の狂気がギラギラと渦巻いている。


「くはは……はははは! 面白い。実に面白いな、帝都の老いぼれたちめ」




「な、何が可笑しいか! これは皇帝陛下の聖旨であるぞ!」




勅使が顔を真っ赤にして怒鳴る。


ブランガはゆっくりと立ち上がると、足音も立てずに勅使の間合いへと踏み込んだ。その圧倒的な覇気に、勅使を護衛していた周囲の騎士たちが、思わず一歩後退する。


「お前たちの言う『皇帝』とやらは、異教徒十五万が押し寄せてきた時、どこで何をしていた? 帝国の重装騎士団が惨敗し、民が虐殺されている間、帝都の奥底で震えていただけではないのか?」




「不敬な! 陛下は……!」




「黙れ」




ブランガの一喝が、大理石の広間に響き渡った。それだけで、勅使は蛇に睨まれた蛙のように硬直した。


「俺が命を懸けて刈り取った勝利の果実を、指一本動かさぬ無能どもが横から掠め取ろうというのか。笑わせるな。イザークという豚を殺した時にも言ったはずだ。このアルストラーナ帝国という巨大な天下は、俺が取る、とな」


ブランガは懐から、一通の書状を取り出し、勅使の足元へ投げ捨てた。それは、彼が自ら書き連ねた、帝都への『最後通牒』であった。


「持って帰れ。皇帝アラリックに伝えるがいい。――余計な飾りはもう要らん。帝都ラーナの城門を開け、その王座を俺に明け渡せ。拒むのであれば、俺の率いる一万の『雷を吐く軍勢』が、帝都のすべての壁を粉砕し、貴族どもの首を一つ残らず市場の門に晒すことになる、とな」


「狂人め……! 正気か! 帝国全土を敵に回すつもりか!」




勅使は悲鳴を上げながら、書状を拾い上げ、逃げるように部屋を飛び出していった。


静まり返った広間で、ヴォルフラムが深くため息をついた。


「本当に、引き返せないところまで来たな。帝都が誇る『近衛軍』は、敗れたとはいえ、いまだ十三万の精鋭が残っている。さらに、各地の守護領主たちも、あんたを『反逆者』として討伐するために動き出すだろう」


「それでいい」


ブランガは窓辺へと歩み寄り、眼下に広がるアンチアルマの街並み、そしてその向こうに続く広大な大地を見つめた。


工房からは、絶え間なく鉄を叩く音が響き、兵たちの訓練の怒号が風に乗って聞こえてくる。


「古い秩序など、すべて叩き潰して更地にすればいい。その上に、俺の『鉄と火薬の帝国』を築く。ヴォルフラム、全軍に告げよ。出陣の準備をしろ」


若き魔王の不敵な笑みが、昏くなりゆく北方の空に鮮烈に浮かび上がっていた。アルストラーナ帝国を揺るがす、真の覇道が、今ここから始まろうとしていた。




登場人物一覧

* ブランガ・オデュヌ:都督の庶子である20歳の青年。異国風のベストに片刃の剣を帯び、卓越した戦術眼、兵站の把握力、火縄銃の「三段撃ち」などの革新的な軍制で破竹の勢いを見せるが、孤立無援の中でグラッデェ軍と戦い戦死した。

* ヴォルフラム:上質な羊毛のタバードを身に纏い、大剣を背負う流浪の吟遊詩人であり剣士。ブランガの副官として行動を共にする。

* アラリック:アルストラーナ帝国第14代皇帝(26歳)。若き支配者として憂いを抱えつつ、弟イリアードと共にブランガやグラッデェに対抗する思惑を巡らせる。

* イザーク親王:第14代皇帝アラリックの異母弟で、ボルゲーゼ親王領の君主。逃走中にブランガに救われるが、後にブランガを恐れて殺害を企て、逆に対策されていたブランガの手で誅殺された。

* イリアード親王(セレスティア親王):皇帝アラリックの異母弟で、フェルゼンヴァルデン砦にて13万の軍を預かる。「黄金の獅子剣」を託され、電撃的に補給路を断つことでブランガをアンチアルマに孤立させた。

* リゼリア(『水鏡将軍』):イリアード親王の妻。「遠見の眼」と「魂の潮流を読む力」を持つ異能の持ち主で、フェルゼンヴァルデン砦から戦況を見通し最高指揮権の代理資格を持つ。

* セシリア(『水明将軍』):リゼリアの従妹。リゼリアと共に帝国最高の特権称号を持ち、最高指揮権の代理資格を保持する。

* マートル・フォン・ブライトクロイツ:帝国の「中書令」。前帝の貴妃ソフィアの弟で、名門ブライトクロイツ家の当主。

* ヴァレリオ・フォン・ボルゲーゼ:帝国の三公の一角である「太尉」。重装甲の鎧を纏った老将で、殺害されたイザーク親王の叔父。

* リヒャルト・フォン・シュタインベルク:帝国の三公の長である「司徒」。太皇太后の兄であり、皇帝アラリックおよび皇后ロザリアの祖父。

* ジョヴァンニ・フォン・シュタインベルク:帝国の「尚書令」。リヒャルトの息子で、皇帝の叔父、皇后ロザリアの父にあたり、行政の実権を握る。

* ゲオルグ・フォン・フェルゼン:帝国の「侍中」を務める老政治家。

* ベアトリクス・フォン・オルデンブルク:土木・国家事業を統括する帝国の「司空」。

* ロザリア・フォン・シュタインベルク:皇后。皇太后の姪で皇帝の従妹にあたり、知謀に長けた進言を行う。

* エスゲイ・バール:騎馬民族グラッデェの首領で、「神の鞭」「草原の暴君」と恐れられる老覇王。長男の復讐のため35万の大軍勢を率いて侵攻した。

* カザン:エスゲイの長男(庶子)。15万の軍勢でアンチアルマを攻略するも、アクスアルブ近郊でブランガに敗れ戦死した。

* ベグ:エスゲイの次男(嫡子)。西の大秦国を陥落させた功績を持つ英雄。

* カガン:エスゲイの三男(嫡子)。功名心が強く血気盛んな若武者だったが、アンチアルマ城壁でブランガに討ち取られた。

* カサル:エスゲイの弟で、カガンたちの叔父。大弓の名手である歴戦の勇士。

* タルス:エスゲイの同母弟で、グラッデェ軍の最高宿将(軍師)。アンチアルマの攻城戦でブランガに打ち取られた。

用語集一覧

* アルストラーナ帝国:物語の舞台となる巨大な帝国。内部の腐敗や後継・権力闘争、西方からの異教徒侵攻により混迷を極めている。

* アクスアルブ:帝国南西部に位置する、交易路とレミ川・アシェロン川の水運が交差する繁栄した都市。ブランガが最初に勢力を築いた拠点。

* 古都アンチアルマ:帝国北方の要衝であり文化と繁栄の象徴。グラッデェにより一度落とされたがブランガが奪還し、最後は激しい攻防戦の舞台となった。

* 帝都ラーナ:アルストラーナ帝国の心臓部であり、白亜の城壁と「大理石の玉座の間」を備える宮殿が存在する。

* ヴェロニカ峠:山脈の入り口に位置する山隘。ブランガが火縄銃隊を率いてグラッデェの先鋒3万を退けた地。

* アイゼン平原:遮るもののない大平原。ブランガが野戦陣地を構築し、1万1千の兵でグラッデェ10万を打ち破った場所。

* グラッデェ:中央の大草原を拠点とする広大な遊牧騎兵民族連合。圧倒的な機動力と弓術を誇り、大秦国を滅ぼした。

* 大秦国:かつて文明の発祥地と謳われ不落の城壁を誇ったが、グラッデェによって徹底的に破壊・滅亡させられた西の国家。

* 火縄銃・三段撃ち:ブランガが黒色火薬と鉄を組み合わせて大量生産させた改良型火器と、絶え間なく鉛弾を打ち出すために編み出した革新的な射撃戦術。

* 鉄の砦(移動式鉄砦):馬車に鉄板を張り、銃撃用の銃眼を設けて野戦で即座に陣形を組めるようにブランガが考案した新兵器。

* 黄金の獅子剣:皇帝から賜与される帝国軍全軍に対する絶対的な軍権の象徴たる宝剣。

* 『水鏡』『水明』の称号:戦功により与えられる帝国最高の特権称号。正規軍から無条件で5千の兵を借り受ける権限や、「黄金の獅子剣」の最高指揮権を代理する法的権利を持つ。

* 乾燥蓮根:セレスティア領の特産物で、非常食用に高度な加工が施された高度な保存食。セレスティア側からブランガ軍へ「籠城して春まで生き延びろ」という挑発・蔑みを込めて届けられた。

* 枡形(ますがた):城門の奥に作られた、高い石壁で囲まれた半円形の殺戮空間(キルゾーン)。


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