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『ブランガ・オデュヌ』

アルストラーナ帝国南西部の繁栄する都市アクスアルブは、交易路と大河アシェロンの水運が交差する熱気に満ちあふれた帝国都市であった。南方の香辛料の匂いが漂う喧騒の中、レミ川に架かる石橋のたもとに、周囲の空気とは画然と異なる気配を纏った若者が立っていた。身頃の短い異国風のベストを肌脱ぎにし、腰には漆黒の鞘に収まった片刃の剣を帯びている。その風貌は、街へ紛れ込んだ一頭の若い黒豹のようであった。

彼の名はブランガ・オデュヌ、二十歳。都督の庶子で放蕩の末にこの都市へと漂着したのだが、その目に絶望の彩りは皆無であった。むしろ巨大な石造りの大聖堂や重厚な銀貨、市場を埋め尽くす圧倒的な物資を貪欲に脳裏へと刻み込んでいた。

そこへ「徴税使の馬車だぞ!」と荒々しい声が響き、武装した従者を従えた肥満体の役人が通りを突き進んできた。民衆が蜘蛛の子を散らすように道をあける中、ブランガだけは不敵な笑みを浮かべたまま動かない。「おい、乞食! 聞こえんのか!」と従者の一人が長剣を抜いて喉元へ突っ込んできたが、ブランガは身体をわずかに捻って刃をかわすと、相手の懐へ滑り込み、腰の剣を鞘ごと兵士のみぞおちに叩き込んだ。兵士が石畳へ崩れ落ちる中、ブランガは「威張るだけで腰の入っておらん突きだ。農夫でももうちっとマシな槍を突くぞ」と吐き捨てる。

激昂した数人の傭兵が一斉に剣を抜いたその時、「待たれよ! 白昼堂々、この美しき市場で血を流すとはエレガントさに欠けるのではないか?」と軽やかな声が響いた。酒場の二階から飛び降りてきたのは、上質な羊毛のタバードを身に纏った流浪の吟遊詩人であり剣士でもある男、ヴォルフラムであった。彼は懐から重みのある金貨を取り出して役人の胸に押し付け、「これにて治療代と酒代とされたい。街角の小競り合いで騒ぎを大きくするのは、領主様のお耳にも障るのでは?」と告げ、役人たちを退散させた。


◇

「余計な真似を。あの豚ども、全員の首を跳ねてやるところだったものを」と睨みつけるブランガに、ヴォルフラムは「お前のその眼、ただ者ではないな。名を何と呼ぶ?」と問いかける。ブランガが名を名乗ると、ヴォルフラムは「どうだ、あちらの酒場で一杯付き合わぬか? お前の着ているその奇妙な服と、その眼の奥にある狂気について話を聞かせてくれ」と誘った。

酒場の個室で香辛料の利いた肉料理を突きながら、ブランガは驚くべき速さでこの地の情報を呑み込みつつあった。彼は窓の下の街並みを見下ろし、「この国は一見華やかだが、中は腐りきっているな。上の者が領民を搾り取り、下の者が怯えているだけだ」と断じる。その凄まじい洞察力にヴォルフラムは驚き、「まさにその通りだ。貴族や役人たちは己の利益にしか興味がない。そして西方の国境からは、異教徒の大軍勢が怒涛の勢いで押し寄せている」と応じた。

異教徒の兵力が十万とも十五万とも言われていると聞いたブランガは、怯えではなく純粋な興奮に目を輝かせた。「十数万……面白くなって来た。その辺で泥仕合をしているのが馬鹿らしくなる規模だ」

ヴォルフラムが「正気か? この都市の騎士など、奴らが押し寄せれば一溜まりもない」と驚くが、ブランガは「ふん。兵の数など飾りに過ぎん。問題は『要塞』と『金』と『鉄』だ」と不敵に笑い、テーブルの上のブドウの粒を並べ始めた。

ブランガはこの都市が川と崖に囲まれ、敵の侵入ルートが山脈の限られたルートしかないことを見抜いていた。「あそこに石造りの要塞を築き、長柄の槍を持たせた歩兵を密接陣形で配置すれば、十万の騎兵でも止まる。そして、この街には銀と織物がある」

彼は自分の服の袖を掴み、「これを他国に高く売り、その金で北方の馬を買い集め、鉄を鍛え、新たな武器を作る。アシェロンの水運を使えば、物資はどこへでも運べるはずだ」と熱弁する。地形と流通の仕組みをわずか数日で理解し、軍事戦略へと昇華させようとする若者にヴォルフラムが息をのむ中、ブランガは木杯をテーブルに叩きつけた。

「決まっている。この『アルストラーナ帝国』という巨大な天下を俺が取ってみせる」

青年はそう息巻いたのであった。


登場人物一覧

* ブランガ・オデュヌ:都督の庶子である20歳の青年。異国風のベストに片刃の剣を帯び、卓越した戦術眼、兵站の把握力、火縄銃の「三段撃ち」などの革新的な軍制で破竹の勢いを見せるが、孤立無援の中でグラッデェ軍と戦い戦死した。

* ヴォルフラム:上質な羊毛のタバードを身に纏い、大剣を背負う流浪の吟遊詩人であり剣士。ブランガの副官として行動を共にする。

* アラリック:アルストラーナ帝国第14代皇帝(26歳)。若き支配者として憂いを抱えつつ、弟イリアードと共にブランガやグラッデェに対抗する思惑を巡らせる。

* イザーク親王:第14代皇帝アラリックの異母弟で、ボルゲーゼ親王領の君主。逃走中にブランガに救われるが、後にブランガを恐れて殺害を企て、逆に対策されていたブランガの手で誅殺された。

* イリアード親王(セレスティア親王):皇帝アラリックの異母弟で、フェルゼンヴァルデン砦にて13万の軍を預かる。「黄金の獅子剣」を託され、電撃的に補給路を断つことでブランガをアンチアルマに孤立させた。

* リゼリア(『水鏡将軍』):イリアード親王の妻。「遠見の眼」と「魂の潮流を読む力」を持つ異能の持ち主で、フェルゼンヴァルデン砦から戦況を見通し最高指揮権の代理資格を持つ。

* セシリア(『水明将軍』):リゼリアの従妹。リゼリアと共に帝国最高の特権称号を持ち、最高指揮権の代理資格を保持する。

* マートル・フォン・ブライトクロイツ:帝国の「中書令」。前帝の貴妃ソフィアの弟で、名門ブライトクロイツ家の当主。

* ヴァレリオ・フォン・ボルゲーゼ:帝国の三公の一角である「太尉」。重装甲の鎧を纏った老将で、殺害されたイザーク親王の叔父。

* リヒャルト・フォン・シュタインベルク:帝国の三公の長である「司徒」。太皇太后の兄であり、皇帝アラリックおよび皇后ロザリアの祖父。

* ジョヴァンニ・フォン・シュタインベルク:帝国の「尚書令」。リヒャルトの息子で、皇帝の叔父、皇后ロザリアの父にあたり、行政の実権を握る。

* ゲオルグ・フォン・フェルゼン:帝国の「侍中」を務める老政治家。

* ベアトリクス・フォン・オルデンブルク:土木・国家事業を統括する帝国の「司空」。

* ロザリア・フォン・シュタインベルク:皇后。皇太后の姪で皇帝の従妹にあたり、知謀に長けた進言を行う。

* エスゲイ・バール:騎馬民族グラッデェの首領で、「神の鞭」「草原の暴君」と恐れられる老覇王。長男の復讐のため35万の大軍勢を率いて侵攻した。

* カザン:エスゲイの長男(庶子)。15万の軍勢でアンチアルマを攻略するも、アクスアルブ近郊でブランガに敗れ戦死した。

* ベグ:エスゲイの次男(嫡子)。西の大秦国を陥落させた功績を持つ英雄。

* カガン:エスゲイの三男(嫡子)。功名心が強く血気盛んな若武者だったが、アンチアルマ城壁でブランガに討ち取られた。

* カサル:エスゲイの弟で、カガンたちの叔父。大弓の名手である歴戦の勇士。

* タルス:エスゲイの同母弟で、グラッデェ軍の最高宿将(軍師)。アンチアルマの攻城戦でブランガに打ち取られた。

用語集一覧

* アルストラーナ帝国:物語の舞台となる巨大な帝国。内部の腐敗や後継・権力闘争、西方からの異教徒侵攻により混迷を極めている。

* アクスアルブ:帝国南西部に位置する、交易路とレミ川・アシェロン川の水運が交差する繁栄した都市。ブランガが最初に勢力を築いた拠点。

* 古都アンチアルマ:帝国北方の要衝であり文化と繁栄の象徴。グラッデェにより一度落とされたがブランガが奪還し、最後は激しい攻防戦の舞台となった。

* 帝都ラーナ:アルストラーナ帝国の心臓部であり、白亜の城壁と「大理石の玉座の間」を備える宮殿が存在する。

* ヴェロニカ峠:山脈の入り口に位置する山隘。ブランガが火縄銃隊を率いてグラッデェの先鋒3万を退けた地。

* アイゼン平原:遮るもののない大平原。ブランガが野戦陣地を構築し、1万1千の兵でグラッデェ10万を打ち破った場所。

* グラッデェ:中央の大草原を拠点とする広大な遊牧騎兵民族連合。圧倒的な機動力と弓術を誇り、大秦国を滅ぼした。

* 大秦国:かつて文明の発祥地と謳われ不落の城壁を誇ったが、グラッデェによって徹底的に破壊・滅亡させられた西の国家。

* 火縄銃・三段撃ち:ブランガが黒色火薬と鉄を組み合わせて大量生産させた改良型火器と、絶え間なく鉛弾を打ち出すために編み出した革新的な射撃戦術。

* 鉄の砦(移動式鉄砦):馬車に鉄板を張り、銃撃用の銃眼を設けて野戦で即座に陣形を組めるようにブランガが考案した新兵器。

* 黄金の獅子剣:皇帝から賜与される帝国軍全軍に対する絶対的な軍権の象徴たる宝剣。

* 『水鏡』『水明』の称号:戦功により与えられる帝国最高の特権称号。正規軍から無条件で5千の兵を借り受ける権限や、「黄金の獅子剣」の最高指揮権を代理する法的権利を持つ。

* 乾燥蓮根:セレスティア領の特産物で、非常食用に高度な加工が施された高度な保存食。セレスティア側からブランガ軍へ「籠城して春まで生き延びろ」という挑発・蔑みを込めて届けられた。

* 枡形(ますがた):城門の奥に作られた、高い石壁で囲まれた半円形の殺戮空間(キルゾーン)。


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