第1話 クラスで三番目に可愛い隣の席の三間坂さん
授業中だというのに、つい彼女に目がいってしまう。
背中の中央まで届く、まっすぐな黒髪。窓から差し込む光を受けて、ほのかに艶めいて見える。
後ろの席のやつが、心の底から羨ましい。
あの席、絶対SSRだろ。
彼女の名前は、一ノ瀬雫。
間違いなく、このクラスで一番の美少女だ。
後ろ姿しか見えなくても、それで十分。正面からの顔なら、とっくに脳内に保存済みだ。
儚げなあの目を向けられると、彼女のために何かしてあげたいと腹の底がうずいてくる。薄い唇と小さな口は、言葉が零れるたびにかすかに動く。それだけで、息が止まりそうになる。彼女に食べられる食い物が羨ましく思えるくらいだ。
好き嫌いは見た目だけで決まるものじゃないことはわかっている。
でも、純粋に顔だけで順位をつけるなら――誰だって彼女を一位にする。
かくいう俺は、高居宙。高校一年生。
自分の容姿を評価するなら……クラスで十番目。ちょっと盛ったかもしれない。
まぁ、人は見た目じゃない。これでも俺は中身イケメンだ。
もしこの教室にテロリストが乱入してきたら、俺はきっと真っ先に立ち向かう。
……いや、たぶん立ち向かう。
そんな俺なら――一ノ瀬さんにだって釣り合うはずだ。
「また一ノ瀬さんのこと見てるでしょ」
一ノ瀬さんとの妄想世界に浸っていた俺の耳に、隣から女子の声が割り込んできた。
ちらりと見ると、隣の女子がサイドテールに手をやって、軽く揺らしている。
ちっ……見てたことに気づかれていたのか!
とはいえ、それを素直に認めるわけにはいかない。
……だって、普通に恥ずかしい。
「見てないよ」
「いや、絶対見てたって。しかも、いやらしい目で」
「待ってくれ! いやらしい目なんかじゃない! あくまで普通の目で見てただけだ!」
「やっぱり見てたんじゃない」
しまった……。
まさか、こんな単純な罠に引っかかるとは。
彼女の名前は、三間坂雪。
ほんのり茶色がかった髪を、いつもサイドテールにまとめている。彼女の活発さが、そのまま形になったような髪型だ。
猫を思わせる、少しつり上がった大きな目。感情が素直にその目に現れる。目だけで笑っているのがわかるし、何か企んでいれば、それも隠しきれない。
今まさに、その目が楽しそうに細められているのが腹立たしい。
ただ、顔だけで順位をつけるなら――クラスで三番目に可愛い。悔しいことだが。
一番は一ノ瀬さん。
二番は妹系の可愛さの二階堂さん。
そして三番目が、三間坂さんだ。
とはいえ、それはあくまで客観的に容姿を評価した場合の話だ。
入学して最初の席替えでたまたま隣になったのだが、正直、俺は三間坂さんが少し苦手だった。俺の好みは、清楚でおしとやかな女子――つまり、一ノ瀬さんみたいなタイプである。
その点、三間坂さんは真逆だ。
距離感が近く、すぐ話しかけてきて、何かにつけて絡んでくる。
しかも、こっちの反応を面白がって眺めてくるから、なんともやりにくい。
「確かに見てた……でも、それは黒板の方向に一ノ瀬さんがいるからであって、決して一ノ瀬さん目的で見てたわけじゃない」
「はいはい」
三間坂さんは、なぜか勝ち誇ったような顔で俺を見る。
くそっ……この目だ。全部お見通しだと言わんばかりの、この余裕のある目。
こういう顔をされると、こっちもつい、なにか言い返してやりたくなってしまう。
「そういう三間坂さんこそ、そんなことに気づくなんて……こっちを、いやらしい目で見てたんじゃないのか?」
ふふっ、どうだこの切り返し。
三間坂さん、今度は君がうろたえる番だ!
「そうだよ、見てたんだよ」
「なっ……」
……なんだって!?
その返答は、完全に想定外だった。
三間坂さんが、俺を……? その、いやらしい目で……?
――まさか三間坂さん、俺のことが、す、好き……?
三間坂さんも女子だ。ちょっと嬉しくないこともない。
だが、俺には一ノ瀬さんがいる。
……まだ何も始まってないけど。
そもそも三間坂さんと俺は、性格的に合わないと思うし……。
「なわけないでしょ。なに本気にしてるのよ」
見ると、三間坂さんは口角を上げ、楽しそうにニヤついていた。
くっ……なんて奴だ。男子高校生の純情を、ここまで雑に弄ぶなんて。
やっぱり苦手だ、こういうところ。
「ほ、本気になんてしてないから! 変なこと言わないでくれるかな!」
「おい、高居! 授業中に何をしゃべってるんだ!」
先生の怒声が飛んできた。
「この問題の答えを言ってみろ。話を聞いていたのなら、わかるはずだぞ」
最悪だ。
言うまでもなく、先生の話なんて一ミリも聞いていない。
というか、喋っていたのは三間坂さんも同じだろう! 俺だけ注意されるのは、あまりにも不公平じゃないか!?
恨めしげに三間坂さんを睨むと、彼女は小さく唇を動かした。
「……炭酸水素ナトリウム」
……ん?
小声すぎて一瞬聞き取れなかったが、今、炭酸水素ナトリウムって言ったか? ……何かの暗号か?
俺が呆けていると、三間坂さんはもう一度同じ言葉を口にし、さりげなく先生を指した。
――早く答えなよ。
目がそう言っている。
……ああ、そういうことか。
「炭酸水素ナトリウムです」
俺は、はっきりとそう答えた。
「なんだ、聞いていたのか。……次からは、もっと静かに聞くように」
「はい、すみません」
どうやら、聞いていたことになったらしい。……助かった。
それにしても――俺はまったく話を聞いていなかったのに、三間坂さんはどうして答えを知っていたんだ?
助けてくれた張本人を見ると――
……む。
なんだ、その恩着せがましい、してやったりの顔は。
「貸し――だから」
ちょっと待て。
そもそも、原因を作ったのは三間坂さんだろう。それで貸しを作られるのは、どうにも納得できない。
抗議の声を上げようとしたが、彼女の顔はひどく真剣で、その目はどこか遠くを見ているようだった。
……なんだか、声をかけられる雰囲気じゃない。
三間坂さん相手に借りを作るのは、ものすごく嫌な予感しかしないが……ここは受け入れるしかあるまい。実際、助けられたのは確かだし。
うぐぐぐ……。
今日もまた、ついてない一日になりそうだ。
その日の昼休み。
自分の席で弁当を食べながら、俺はさっきの「貸し」のことをずっと気にしていた。三間坂さんは、あれから何も言ってこない。その場のノリで忘れてくれていればいいが、取り置きされているのだとしたら――気が気じゃない。
ちらりと隣の席をうかがう。女子は友達同士で机をくっつけて食べている人が多いが、三間坂さんは自分の席でサンドイッチをかじっている。
……あまり気にするのはやめよう。
こんなときは一ノ瀬さんを見て心を落ち着けたいところだが、もう食べ終えたのか、席に姿はない。
俺は少し落胆しながら、机の上に十円玉を二枚置いた。
これは、雑念を払って集中力を高める俺流の遊び――名づけて「十円玉落とし」。机に二枚置き、片方を弾いて、もう片方だけを落とす。弾いたほうまで落ちれば失敗だが、俺はその完璧な一撃を決められる男だ。
「ねぇ、それって楽しいの?」
俺が己の戦いに集中しているところへ、三間坂さんがサンドイッチをかじりながら、失礼なことを聞いてきた。
この十円玉落としは、もはや「楽しい」という次元の話ではない。挑戦であり、修練であり、己との戦いなのだ。
とはいえ、そんなことを正直に言えば、確実に馬鹿にされる。俺の脳内では、俺の答えを聞いて笑う三間坂さんの姿が、すでに再生されていた。
ここは、適当にごまかしておいたほうがいいな。
「ただの暇つぶし」
「ふーん。暇つぶししてる顔には見えないけど」
いちいち勘がいい。
こうやってすぐ絡んでくるあたり、実に面倒くさい。
「喋りながら食べてると、サンドイッチ落とすよ」
俺がそう注意した、その直後――
サンドイッチに挟まっていたスライスキュウリが、三間坂さんの机の上に落ちた。
ほら、言わんこっちゃない。
これは完全なる三間坂さんの失態だ。入学してから初めて見たかもしれない。
なぜだか、俺は勝利したような気分になる。
さあ、無様に落ちたキュウリを拾うがいい!
なんて思ったのだが――
三間坂さんは慌てる様子もなく、拾いもしない。それどころか、俺のほうを見ながら、机に落ちた丸いキュウリを指さした。
「ねぇねぇ、ここに十円玉があるよ」
くっ……!
キュウリが、俺の神聖なる十円玉と同列だというのか! なんたる侮辱!
「私もやってみるね」
そう言って、三間坂さんは指でキュウリを弾いた。
ぴょこんと跳ねたキュウリは、俺の机の上に着地する。
十円玉同士が火花を散らす、神聖なる十円玉フィールドになんてことを!
「あ、ごめん。そんなに跳ぶとは思わなかった」
なにを白々しいことを。
少しムッとした。十円玉落としを貶められた気分だ。
俺は三間坂さんのほうを睨み、十円玉を弾くときと同じ構えで、机の上のキュウリに指を向ける。
――三間坂さん、そっちがその気なら、このキュウリは返させてもらう!
俺は思いきり、キュウリを弾いた。
だが十円玉のような直線の軌道とは違い、キュウリはふわりと高く舞い上がり――綺麗な放物線を描いた。
「あっ」
「…………」
嫌な予感がした。
十円玉で鍛え上げた俺の指の力は、どうやら俺の想定を超えていたらしい。三間坂さんの机に着地させるつもりだったキュウリは、飛びすぎて――
よりにもよって、三間坂さんの額に、ぺたりと張り付いていた。
……まずい。
これは本気でまずい。
ここまでの経緯はともかく、この光景だけを見れば――俺は「女子の額にキュウリを貼り付けた男」だ。
……いや、事実としてそうなのだが。
もしこの話が女子全体に広まったら、俺の高校生活は終わる。「キュウリ男」という不名誉なあだ名を付けられ、三年間を過ごす未来が、あまりにも鮮明に想像できてしまう。
何か言い訳を……。
「やったね。第三の目が開いたじゃん」――思いついたフォローはそれだけだった。火に油どころかダイナマイトだ。俺でもわかる。ほかに何か……。
だめだ。何を言っても煽りにしかならない気がする。
先に謝るべきか?
でも「キュウリを弾いて額にぶつけてごめん」は、言葉にした時点でもうふざけている。
……どうする!?
俺は、どうすればいいんだ!?
焦りながら、まだ額にキュウリを乗せたままの三間坂さんを見ると――
彼女は、急に口元を押さえた。
「ぷっ……ふふふふふふふふふ」
……え?
笑ってる……?
サイドテールをふるんふるん揺らしながら笑っている。
その拍子に、キュウリは額から落ちて、三間坂さんの机の上へ転がった。
「もう……ぷぷっ、なにしてくれるのよ……にゃはは」
あれ……怒って、ない?
それどころか、笑ってる。
その笑い方が、なんだか無防備で。俺は一瞬、謝ることも忘れて、見てしまった。
……今のはなしだ。状況が状況だろ。
「……ごめん」
「食べ物で遊んじゃだめなんだからね」
目に涙を浮かべながら注意されるが、最初にキュウリを飛ばしたのは彼女のほうだ。
……不条理だ。
だが――
女子から総スカンを食らいかねないピンチだったのに、なぜか笑い話で済んでいる。
この状況で文句を言うほど、俺は命知らずではない。
「そういえば、さっきの授業の件だけど――」
まだ表情に笑いを残したまま、三間坂さんはそんなことを言い出した。
さすがにこの状況では、抵抗のしようがない。
むしろ、いつまでもいつ来るかわからない貸しの返済に怯えるよりは、とっとと使ってもらったほうが精神的にいいと自分に言い聞かせる。
「……何をすればいいんだ?」
「今度ボウリング行くんだけどさ」
「ふーん」
「誰と行くと思う?」
「知らないよ」
こういうもったいぶった聞き方をしてくるところが、いかにも三間坂さんだ。
「当ててみて」
「……興味ない」
「一ノ瀬さんと」
「――――!?」
な、なんだと!?
急な予定が入ったから自分の代わりに行ってきてなんてお願いなら喜んでいくが、さすがにそんなことはないだろう。
というか、一ノ瀬さんと二人きりなんて、俺の心臓が死ぬ。
そんな俺の葛藤には気づいていないのだろう。三間坂さんは言葉を続ける。
「女子二人だとナンパとか面倒じゃん。だからさ、高居君ともう一人、男子連れてきてよ」
ま、まじか……。
一ノ瀬さんと、ボウリング。
しかも、二人きりじゃないから、下手に緊張せずに済む。
……これ、もしかして、俺の高校生活、ついに始まったのでは?
そんなふうに浮かれていると――
「じゃあ、とりあえず、連絡先交換しよ」
「……連絡先?」
「時間とか待ち合わせの調整に必要でしょ?」
……確かに、彼女の言う通りだ。
「それに――」
三間坂さんは、少しだけ意味ありげに笑った。
「一ノ瀬さんのこと、こっそり教えてあげたりもできるよ?」
「――――!!」
み、三間坂さん、もしかして、俺が一ノ瀬さんに好意を持っていることに気づいているのか!?
ここで食いつけば、認めたも同然。だが――このチャンスを逃すのは、あまりにもったいない。
どうしたらいい? 何が正解だ?
「はい、さっさとスマホ出して」
「……わかった」
思考が整理しきらないうちに、俺はスマホを差し出していた。
なんやかんやのうちに、俺のLINEに三間坂さんが登録される。
人生初の「女子の連絡先」。相手が三間坂さんというのが、少し複雑ではあるが……。それでも、やっぱりちょっと嬉しい。
リア充に一歩近づいたような、そんな気がしないでもない。このまま順調にいけば、一ノ瀬さんを登録する日も、そう遠くないかもしれない。
そんな淡い期待を抱いていた、そのとき――
「高居君、なにその顔。もしかして、私とLINE交換できたのが嬉しい?」
違う!
断じて違う!
一ノ瀬さんを登録した日のことを想像して、勝手ににやけただけだ。
……が、それを言えば確実に引かれる。
なんという理不尽。
またいじられるんだろうな、と思いながら、少し恨めしげに三間坂さんを見る。
……あれ?
面白がっているというより、なんだか普通に嬉しそうだ。理由はわからないが、そんな顔をされると、余計なことは言えなくなってしまう。
俺は何も言わず、LINEで「よろしくお願いします」とだけ送った。
すぐに既読がつき、三間坂さんからキュウリを擬人化した変なキャラのスタンプが返ってくる。よくこんなスタンプを持っていたと逆に感心する。
そういえば、「炭酸水素ナトリウム」の件は貸しにしたのに、キュウリを額にぶつけたことに関しては、貸しにもせず、ただ笑って許してくれたんだよな。
……キュウリをぶつけた相手が、三間坂さんじゃなかったら、どうなっていたことか。
俺は生まれて初めて、隣の席が三間坂さんで、よかったかもしれない――なんて、思ってしまった。




