愛能う限り
人は、生まれた瞬間のことを覚えてはいない。
だから私は、両親から何度も聞かされた話を、自分の最初の記憶として大切にしてきた。
春の終わり、小さな産声をあげた私を見て、母は泣き、父は何度も「ありがとう」と繰り返したらしい。
祖父は病院の廊下を落ち着きなく歩き回り、祖母は私の小さな手を見て、「こんなにかわいい子が来てくれた」と目を細めたという。
その話を聞くたび、私は思っていた。
私は、生まれたその日から愛されていたのだ、と。
家にはいつも誰かの笑い声があった。
誕生日には大きなケーキやご馳走が並び、クリスマスの朝には枕元に包装紙の光るプレゼントが置かれていた。
「これが欲しい」
幼い私がそう言えば、両親はできる限り叶えようとしてくれた。
もちろん、何でも与えられたわけではない。
「本当に欲しいの?」
そう聞かれることはあった。
けれど、私が何日も同じものを欲しがっていると知れば、父と母は顔を見合わせ、小さく笑って買ってくれた。
その笑顔を見ていると、私は自分が大切にされていることを疑ったことがなかった。
小学校へ上がると、私は人前へ出るのが苦手な子どもだった。
教室では静かに本を読み、休み時間も一人で窓の外を眺めていることが多かった。
それでも不思議と、いつも誰かが声をかけてくれた。
「亜美、一緒に遊ぼう」
その一言で、私の昼休みは始まった。
私は自分から輪の中心へ入っていくことはできなかった。
でも、誰かが手を差し伸べてくれた。
その手を握れば、私は友達になれた。
中学校でも、高校でも、それは変わらなかった。
クラス替えのたびに、私は少しだけ不安になる。
また一人になったらどうしよう。
そう思っていると、決まって明るい誰かが話しかけてくる。
「名前、なんて言うの?」
「帰り、一緒に帰ろうよ」
そんな何気ない言葉が、私をいつも救ってくれた。
振り返れば、人生は誰かの優しさの連続だった。
塾へ通わせてもらった。
ピアノを習った。
ダンスも、茶道も経験させてもらった。
父は仕事で疲れて帰ってきても、発表会には必ず来てくれた。
母は私が失敗して落ち込むたび、「頑張ったことが一番大事なんだよ」と言って頭を撫でてくれた。
私は、その言葉を疑ったことがない。
世界は優しい場所なのだと思っていた。
人は、こんなふうに誰かを愛しながら生きていくものなのだと思っていた。
だから将来は、人を支える仕事がしたかった。
誰かが私にしてくれたように。
誰かの不安を少しでも軽くできる人になりたかった。
その願いは、ごく自然に看護師という夢へつながっていった。
あの頃の私は、まだ知らなかった。
愛されて育った人間でも、人生のどこかで立ち止まる日が来ることを。
そして、その理由が、自分自身にも分からないことがあるということを。
窓の外で風が木々を揺らすたび、私は思う。
人生は、人との出会いに恵まれていた。
保育園へ通い始めた頃、私は先生の後ろに隠れてばかりいる子どもだった。
知らない子に自分から話しかけることはできない。
それでも、積み木を持った女の子が私の前に座って言った。
「一緒におうち作ろう」
それが最初の友達だった。
小学校へ入学しても、中学校へ進学しても、高校で新しい制服に袖を通した日も、私は変わらなかった。
クラス替えの日は決まって少しだけ緊張する。
教室の隅で静かに座り、誰とも話さず一日が終わることを想像してしまう。
けれど、その想像は一度も現実にならなかった。
「亜美って呼んでいい?」
「席近いし、一緒に移動教室行こうよ」
「放課後、一緒に寄り道しない?」
気づけば、いつも誰かが隣にいた。
そして、その誰かは、いつの間にか「親友」と呼ばれる存在になっていた。
保育園にも。
小学校にも。
中学校にも。
高校にも。
私には必ず、親友がいた。
不思議なくらい、どの場所でも。
私は一度も、「あなたは私の親友だよ」と口にしたことはない。
そんな照れくさいことを言える性格ではなかった。
けれど、卒業の日になると決まって誰かが言うのだ。
「亜美が一番の親友だよ」
「離れても、ずっとずっと親友だからね」
そのたびに私は驚いた。
私のような静かな人間を、そんなふうに思ってくれていたのだと、少しだけ信じられなかった。
私は、人の輪の中心にいるような人間ではない。
誰かを笑わせるのが得意なわけでもない。
教室で目立つこともなかった。
それでも、みんなは私を見つけてくれた。
話しかけてくれた。
隣へ座ってくれた。
気づけば、私はいつも誰かの優しさの中にいた。
だから、人間は優しいものなのだと思っていた。
世界は思っているよりもあたたかく、人は誰かを大切にしながら生きていくものなのだと、疑うことなく信じていた。
その頃の私はまだ知らない。
どれほど多くの人に愛され、必要とされてきたとしても、人はある日突然、自分には何の価値もないと思い込んでしまうことがあるということを。
大学へ進学するとき、両親は迷うことなく言った。
「勉強だけは、しっかりやりなさい」
奨学金を借りるという選択肢は、最初から家族の中になかった。
「あなたが将来困らないように言ってるんだからね。それが親の役目だから」
父は照れくさそうに笑い、母は当然のことのように頷いた。
私は、その言葉をありがたいと思うと同時に、どこか申し訳ないとも思った。
だからこそ、期待に応えたいと思った。
国家試験に合格した日、家族は自分のことのように喜んでくれた。
祖父は近所中に知らせて回り、祖母は赤飯を炊いた。
父は珍しくお酒を飲みながら、「よく頑張ったな」と何度も言った。
母は私の看護師免許証を見つめながら、静かに涙を流していた。
あの日ほど、自分が誰かの喜びになれたと感じた日はなかった。
看護師になってからも、その幸運は続いた。
配属された病棟には、優しい人ばかりがいた。
厳しくても理不尽ではない先輩。
忙しい中でも相談に乗ってくれる医師。
笑い合える同期。
患者さんも、「ありがとう」と微笑んでくれる人が多かった。
もちろん、失敗もした。
採血がうまくできず、患者さんに謝ったこともある。
申し送りで緊張して声が震えたこともある。
帰宅してから、自分の未熟さに泣いた夜もあった。
それでも翌日病棟へ行けば、誰かが声をかけてくれた。
「櫻木さん、昨日より上手になってたよ」
「大丈夫だよ、一年目はみんなそんなものだから」
その一言で、また頑張ろうと思えた。
私は、本当に恵まれていた。
家族に愛され、
友達に恵まれ、
先生に支えられ、
職場では先輩や同期に助けられた。
人生を振り返れば、感謝しか見つからない。
もし神様に、
「これまでの人生は幸せでしたか」
そう尋ねられたら、私は迷わず「はい」と答えていただろう。
だからこそ、二年目の春に起きた出来事を、私は最後まで理解することができなかった。
朝が来ることは、昨日まで当たり前だった。
制服に袖を通し、病棟へ向かうことも当たり前だった。
患者さんの名前を呼び、同僚と笑い合い、一日を終えることも。
私は、それがずっと続くものだと信じていた。
けれど、人は当たり前を失う瞬間を、自分で選ぶことはできない。
そしてその日は、何の前触れもなく訪れた。




