「人生最高の日になります」
男子インターハイ予選のトーナメント表が発表された。
初戦の対戦校を見て、藍咲の男子メンバーは表情を硬くした。
「滝川か……」
蒼斗が呟く。一か月前に藍咲はストレートで敗北してしまった。あれから滝川の選手たちのことが頭から離れなかった。礼節をわきまえない連中だったが、実力は流石の一言に尽きた。滝川の名前を背負っているだけある。
だが、ただそれだけだ。
やっとか。大樹は溢れる闘争心を必死に抑えていた。今すぐにでも戦ってリベンジを果たしたい。前回とは違う自分を試したくてうずうずしている。
「オーダーはどうします?」
「決まっているよ。小細工なしの直球勝負!」
第一ダブルス、相馬・神谷
第二ダブルス、篠原・大神
第一シングル、芝崎
第二シングル、相馬
第三シングル、神谷
「……ん? 俺が第三ですか?」
「そう。次で最後になるかもしれないし、ここは僕に譲ってもらえないかな」
「……分かりました」
蒼斗は素直に引き下がった。全国予選は、全国に行く資格を得ることが出来なければそのまま三年生は引退だ。関東のときよりも、そうなってしまう可能性は格段に上がる。そこを考慮すれば当然こうなる。
ただ、今のは足を怪我した蒼斗を気遣ったのではなかろうか。
滝川に勝つために必要な三勝は、蒼斗がいなければ達成できない。しかし、蒼斗への負担は軽減したい。それには第二シングルまでで勝負を決めなくてはならない。その中には大樹と大神のダブルスも含まれている。
思いもよらず蒼斗の足のことを知ってしまってから、大樹はダブルスの練習に誘いづらくなってしまったのだが蒼斗はそれでも付き合ってくれた。期待している、そんな言葉をもらっておいて燃えないわけがない。
「向こうはわざわざオーダーを変えてくるつもりなんてないだろうね。前回はストレートだったから。1ダブに宮崎と松浦、2ダブに土屋と渡辺、シングルは佐々木……ここまでは僕らも変えていないから前回のリベンジマッチだね。みんな気合い入れていこうね」
大樹と大神が倒すべきは土屋と渡辺。特に土屋には因縁がある。選手の前に一人の人間として、あんな奴に負けるわけにはいかない。
だが彼らは、まだまだ底を見せていないだろう。前回は試合らしい試合ではなかった。大樹たちは成長したと確信しているが果たして通用するか……。
大神に目を向ける。大神は何を考えているのか読ませない表情をしていた。その顔に、不安の色は感じなかった。
◆
インターハイ予選当日。
ついに迎えた決戦の会場は既にギャラリーたちで溢れていた。今回は関東予選と違って選手が少ない代わりに見学者が多い。関東の予選で散った選手から出場選手の家族、バドミントンに仕事で携わっている者まで客層は様々である。かなりの大舞台であり、会場も都内有数のマンモス校である。
「こ、これは……すごいな」
大樹は人の多さに気圧された。コートは八面ある。回転率はかなり速いはずだ。
「じゃあ、俺らは上に行ってるんで」
今日はインハイ予選ということで、藍咲学園男子バドミントン部の面々が応援に駆けつけている。総勢三十人。ここだけ切り取ればかなりの強豪校に見えなくもないが、垂れ幕を用意している他校に比べると見かけ倒しだ。女子の方はもっと少ないから、雰囲気に呑まれていないか心配ではある。
女子のインハイ予選も今日から始まっている。関東予選は月夜が無双したらしくあっさり藍咲学園の優勝。女子のインハイ予選のトーナメントは、かなり藍咲に有利なように組み込まれているはずだ。もしかしたら本当にこのまま全国への道を歩んでいくかもしれない。月夜の超人ぶりに大樹は畏怖すら覚えた。
「お、来たみたいだね」
相馬の声に顔を上げると見覚えのあるジャージが目に留まった。すぐに脳が理解する。彼らの顔ぶれもちゃんと記憶している。
滝川のメンバーたちがぞろぞろと会場に入ってくる。先頭で統率しているのは三年部長の宮崎、その隣にいるのはあの松浦だった。
「お? お~?」
松浦は藍咲メンバーを見つけるとニタリと口元を歪めた。
「これは、これは。藍咲の方々じゃないですか。この前はどうもね、蒼斗くん。おかげで準優勝まで勝ち上がれたよ」
「そうか」
短く答えた蒼斗の足を、松浦がちらりと盗み見た。この人まさか……。
それから、松浦は大樹に視線を移す。
「君も久しぶりだね、ほら!」
前回同様に手を差し出してくるが、大樹はもうその手には引っかからない。松浦の手を振り払う。
「やだなー、何もついてないよ?」
「おい邪魔なんだよ松浦! 早く行けよ」
鬱陶しいくらい長い髪の男が舌打ちする。土屋だった。土屋は大樹と大神を一瞥して鼻を鳴らした。
「おやぁ? 今日もお相手は陰キャラとスマッシュしか能のないアホのコンビか」
「誰がアホだ、おい」
「ねえ、どうして今普通に俺を陰キャラにしたのかな、大神」
沸点の低い大神を抑えつつ大樹も青筋を立てる。大神と、土屋へのフラストレーションが溜まった。
「少しはマシになったか? 雑魚ども。あんまりつまんねえ試合にさせんなよ」
「それはどうかな」
口を挟んできたのは相馬だった。いつもの、優しそうな笑みを浮かべている。突然現れた乱入者を土屋は睨み付けた。
「舐めてかかると足元すくわれるかも」
「へえ。言うじゃん。そりゃ楽しみだわ」
滝川が去っていく。大樹は拳を強く握りしめた。この気持ちを余すことなく力に変えていこう。
「負ける気なんてないよね?」
確認のつもりで大神に聞いてみると答えはすぐに返ってきた。
「当たり前だろ」
◆
一巡目から、藍咲と滝川の団体試合は開始される。回転率の点から、お互いの選手全員が一気にコートに入ってゲームをする。つまり、ベンチから仲間を応援するということはできない。
「さて、いよいよ始まっちゃうね。僕、緊張してきたよ」
相馬がレギュラーメンバーを集めたかと思いきやまた前回と同じように大樹たちに円陣を組ませた。確かあの時は、掛け声のときにタイミングがずれてやり直しをくらったのだった。間抜けな姿を晒してしまうことになった忘れたい出来事だったはずだが、今としては懐かしく、感傷的な気分になる。ここに相馬がいるのはあと少しだけだから。
それは全員が意識しているのか、あの時とは別人の雰囲気を醸し出している。
二年後、自分が相馬と同じ立場になったら何を感じるだろうか。
「みんなから一言くらい聞きたいな」
相馬はすぐ隣にいた蒼斗に視線を寄せた。
「相馬さんと全国に行く。それしか考えられないです」
「……うん」
相馬は目を細めた。噛みしめるように強く頷く。
次は芝崎の番。
「……チームのために頑張るのはもちろんなんですけど、今日は早く練習の成果を試したくてうずうずしてるっす」
「うん、頑張れ!」
大樹の順番が回ってきた。全員の視線が集まるのを感じる。普段なら緊張してトンチンカンなことしか言えないところだが、思いのほかすんなりと言葉が出てきた。
「俺、仲間と一緒に戦うってことを、今日ほど強く感じた日はありません」
ふとした時に中学での出来事がフラッシュバックすることがある。
決して強いプレイヤーではなかったし、周囲との差を感じる日々だった。それでも、と立ち上がって努力を続けてみれば、せっかく部長職を任せてくれたのに軋轢を作って全てを駄目にしてしまった。楽しい思い出や、やりがいなんてこれっぽっちもなかった。
絶望し切ってバドミントンから離れた時期もあったが、たった数か月藍咲で過ごしただけで真逆の考えが出来るようになった。楽しい、本気でそう思える。
大樹がこんな風になれたのも全て彼女のおかげである。
もう失いたくはない。
だから、
「このチームで勝ちたいって、本当に思えます。もし勝ち上がれたら今日は人生最高の日になります」
「大袈裟だな、篠原くんは。……ありがとう」
相馬の声が掠れた。唇の端を噛んで何かを堪えているように見える。
……一言のはずが、少し喋りすぎただろうか。
「長ったらしいんだよ、お前」
まさにその心配をしていたところに大神が割り込んできた。
「俺のスマッシュで今度こそ捻じ伏せる。余計なことは考えんな」
それが大神にとっての『一言』だったらしく、それ以降口は開かなかった。
相馬は大樹と大神の落差がお気に召したのか、しばらく笑い続けた後、息を思いきり吸い込んだ。
「藍咲!! ファイ!!」
『オオォォオオオ!!!』
今度はタイミング完璧だった。
それぞれが自分のコートに入っていく。滝川のオーダーは前回の通り。
つまり、相手は土屋と渡辺だ。
「なんか調子乗って声出してたみたいだけど? そういうのは弱い奴らがやっても虚しいだけだぜ?」
見下すように土屋が絡んでくるのももう慣れた。全く意に介さずトスをして大樹はレシーブを選択した。向こうのサーバーは土屋。
「ラブオールプレー」
審判が宣言した開始の合図に大樹はより集中力を深めた。
土屋はネットのわずか上を通過するショートサーブを放つ。流石に滝川のレギュラーだけはある。いい球だ。大樹は前に飛び出しドライブに見せかけてロブを打った。土屋がすぐに返球する。コースは大樹がいるのとは反対方向。角度、スピード、タイミング、どれをとっても完璧で大樹には為す術がない。この距離ならば、大神が拾いに行くことも出来ない。
ただしそれは一か月前の話。
大樹は手の中でラケットを回転させて面の向きを変えると、左方向に体を倒しながら跳ぶ。肘と手首のスナップでシャトルを打ち返す。狙いは土屋の足元。まだ滞空状態にある土屋には反応は不可能。
「あぁ?」
返球は予想外だったのか、土屋は眉間に皺を寄せる。
「相馬さんが言ったでしょ。舐めたら足元すくわれるって。すくわれましたね文字通り」
「たった一回で調子に乗るなよ雑魚が……!」
大樹はシャトルを大神に渡す。次は大神のサーブだ。
「じゃあ、よろしく」
「ああ」
大神がサーブを放つ。




