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「頼むぜ、後輩」

 その日の部活が終わった後のことだ。

 無駄に威張り散らす二年生たちに雑事を押し付けられた新入生たちは、片づけをしていた。もちろん、大樹も一年生なので体育館と部室を行ったり来たりしている。部室の鍵を返すジャンケンに負けた大樹は職員室を出て、昇降口に向かう途中で妙な光景を見た。

 部室棟の一部屋、バドミントン部の部室の位置にあかりが灯っている。つまり、誰かがいるということだ。鍵はついさっき大樹が返却したばかりだから、誰かが入れるはずはないというのに。


 大樹が部室の光を訝しげに睨んでいるとそこに相馬がやってくる。


「どうしたの? 帰らないの?」

「そ、相馬さん、部室の鍵ってひとつだけですか?」

「ううん。真琴も持ってるよ。部長だから」


 なあんだ、よかった。泥棒でもやってきたのかと思った。


「あっちに真琴がいるのかな?」

「そうだと思います。さっき俺が鍵を返したばっかりなので」


 そう聞くや否や、相馬は部室の方へと駆けてしまった。本当に仲の良い二人である。相馬がドアノブに手をかける。しかし、いつまでもそれを回そうとしない。扉の前に立ち尽くしたままだ。大樹は急いで相馬のもとへ走り寄った。


「どうしました?」


 相馬は固まったままで、動く気配がない。茫然と、扉を――その先にあるものを見ているようだった。ドアを隔てた奥からくぐもった声が漏れてくる。姫川の声で間違いなさそうだが、もう一人、男子の声が聞こえる。


「蒼斗先輩か……?」


 なんであの二人が? 疑問が大樹の頭に浮かぶ。


『……いつから隠していたの』

『別に平気です』

『悪くならないうちに治した方がいい』

『今休むことは出来ません』


 どうやら言い争っているようだ。二人の声がいつもより刺々しい。やめさせなくてはと思い、大樹はドアノブを回そうとして姫川の声がつんざくように響いた。


『そんな足で部活に参加させることは出来ない!』


 まさか。

 大樹は嫌な予感がした。そんな素振りは全然なかったというのに。


『少し痛むくらいです。プレイにはそこまで支障しません。とにかく休むつもりはないので、黙っていてください』

『私は部長だよ。知ってしまったからには、隠すことは出来ない。もしそのまま無理をし続けて、取り返しがつかなくなったらどうするの? 私には、君たちを監督する責任がある。私の言うことに従いなさい』


 ドア越しに聞き耳を立てているためだろうか。いつもより耳を澄ませたことで、姫川の声が震えていることに大樹は気が付いた。

 しばし沈黙があった。中の様子がどうなっているのかは分からない。聞いてはいけない会話を耳にしてしまっている罪悪感と蒼斗が心配する気持ちが交錯してどうしていいか判断がつかない。結果、大樹も相馬もドアの前に張り付くしかなくなっている。


『これが……最後じゃないですか。相馬さんが試合に出るのは』


 注意していなくては聞き逃しそうだった。


『次、負けたら本当に終わっちゃうんです。ここで俺が抜けるわけにはいかないんです。あの人と一緒にバドミントンが出来るのは、もう何日かしかない。最後の試合まで、俺はあの人の力になりたい』


 蒼斗の静かな、しかし力強い決意。

 何が彼をそこまで言わせるのか、大樹には想像もつかない。相馬の顔を見てみると、悲痛な表情で唇を噛んでいた。ぎゅっとまぶたを閉じている。


『全国に行くって。そう約束しましたから』


 全国。

 その言葉の重みを大樹が感じたことは今までになかった。この藍咲学園バドミントン部の目標がそれであることは――なんとなく察しているという意味で――知っていた。部室に飾ってあるおもちゃのトロフィーを見たときにそう思ったのだ。でも誰もがそこを目指して日々練習しているわけではないのは、部活の空気から分かる。漠然と大きな理想を掲げたところで、多くの者には実感が沸かないのだ。


『なんでそこまで……』

『篠原がやってきたから、ですかね』


 まさかここで自分の名前が出てくるとは思いもよらず、大樹は狼狽した。


『正直、全国に行くのは諦めていたんです。でも、篠原がやってきて戦える人間が五人揃った。選手としての完成度はまだまだでも、あの粘り強さと野心家なところはあいつの才能です』


 蒼斗の言葉が聞き入るうちに、大樹は扉越しに膝をつき拳を震わせた。


 大樹は、バドミントンが大好きだ。本来スポーツ全般が得意ではない大樹にとって、バドミントンは思い入れのある特別な競技だ。ただ、やはり選手として日の目を見ることはなく、彼の努力を評価してくれる理解者は朝日月夜ただ一人だった。

 そんな大樹にとって、自分を認めてくれる人が他にもいたことは本当に嬉しかった。冗談抜きに、堪えなければ涙が出そうだ。


 それなのに、前の試合ではあっさり負けてしまったのか。期待してくれていたのに。自分のことを認めて、信じてくれていたのに……。


『篠原だけじゃない。大神のスマッシュ。芝崎のポテンシャル。そして経験豊富な相馬さん……これだけのメンバーが揃うことはもうないと思います。絶対に全国に行く。それが相馬さんへの恩返しです』


 再び、蒼斗の決意の言葉が響く。その余韻で誰も口を噤んでいると『それでは失礼します』という言葉が聞こえてきた。蒼斗の影と足音が段々と大きくなってくる。


「あ、やば」


 咄嗟に、相馬はその場をダッシュして去ってしまう。一瞬で死角となる場所に逃げたようだ。大樹も追いかけようとしたが、あまりにも動き出しが遅かった。


「ん……?」

「あ……ど、どうも」


 蒼斗は前髪を掻き上げて、そっと息を吐いた。


「聞いてたのか」

「あ、えっと……」

「ま、別にいいけど」


 蒼斗は大樹の横を通り過ぎる際、大樹の肩に手を置いた。


「頼むぜ、後輩」



「……で、どうして君はまだいるの? とっくに解散の時間だよ」


 姫川の責めるような口調に大樹はびくっと肩を震わせ、おずおずと事情を話す。


「ぶ、部室に灯りがついていたので誰かいるのかと……鍵を返すのは俺の仕事だったので」

「そう……。ごめんなさい、鍵は私も持っているの」

「はい、相馬さんから聞きました」

「……相馬くん?」


 きょろきょろと辺りを見回した姫川は、相馬が隠れている地点まで一直線に向かっていった。なんですぐに分かったのだろう……彼女だから?


「なんて間の悪い男なの……」

「あははー、そうだねー」


 引きつった笑みを浮かべて相馬がひょっこりと顔を出す。

 もう下校時間ギリギリということもあって、三人は急いで学校を飛び出した。三人とも駅の方へ向かうために行動を共にすることになったのだが、カップル一組にぼっち一人。とても居づらかった。


――これ、俺はいない方がいいんじゃ……?


 二人の会話もいまいち弾んでいるとは言い難い……もしかして自分がいるから気になってしまうのではなかろうか。空気読んでさっさと消えろなんて思われていたらどうしよう。

 大樹の思考はぐるぐると渦を巻いていた。


「さっきから表情が硬いけど、平気?」

「えっ」


 はっとなって顔を上げると、前方を歩いていた姫川が振り向いて言った。


「そんなことないですよ……?」

「……別に私達のことは気にしなくていいから、そこまで緊張することない」


 ちょっと居心地の悪さを感じていたのは事実だが。仮にそんな関係がなかったとしても絶賛コミュ障を発動していただろうことは容易に想像できてしまう。


「なんか……姫川先輩はよく人のことを見てますね」


 少し前には月夜の話をした。月夜が悩んでいるかもしれない……そんな可能性が示唆されて、実際に大樹の違和感とも一致した。

 蒼斗の件もそうだ。蒼斗が怪我をしているなんてちっとも気が付かなかった。一緒に練習していたはずなのに、彼はそんな素振りを見せなかった。


 大樹は感心したが、姫川は呆れていた。


「何言ってるの」


 まるで、当然だとでも言いたげな口調。


「部長は私。部員をまとめるのが仕事でしょ」


 強気な、どこか傲岸不遜とも取れる物言いは前と変わらないのに今はむしろ頼もしさを感じる。印象ががらりと変わったのは、前よりも姫川真琴について知ることが出来たからかもしれない。


 やはり、あの時の自分の決心は間違っていなかった。


「いや、でもほんと。真琴ほど気遣いの出来る部長はなかなかいないと思うよ? さすがだなー」

「ここぞとばかり褒めちぎられても嬉しくないから。見え透いた嘘だね」

「包み隠さなかった本心なのに!」


  笑い合いながら歩調を合わせていく。さきほどの緊張も吹き飛んで、今はこの時間がずっと続いてもいいと思う。もっとこの人たちと一緒にいたい。もっと多くのことを知りたい。


「二人の馴れ初めとか気になるんですけど」

「おっ! いいよ、聞いてくれ!」

「はっ!? 何言ってるの二人とも!?」


 姫川は顔を真っ赤にした。


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