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「すごく楽しかったから」

 二日目の球技大会も、そろそろ終了の時間を迎える。

 相談室を出た大樹は、興味のない試合を心ここにあらずという有様で眺めていた。相も変わらず一人だった。


「早く、終わらないかなあ」

 このセリフを、今日だけで何度も使っている。目的も何もない大樹は、いたずらに校舎を歩き回り目についた試合があれば応援するふりをして時間を過ごしていた。


(楓がいてくれれば少しは楽なのに)

 一度はぐれてしまってからは、楓が見つかることはなかった。今頃どこで何をしているのか……。


「む?」

 ふと顔を上げてみると、観戦していたテニスの試合が終わっていた。観客である生徒も既にまばらにしかいない。大樹も退散するため、あぐらを解いて立ち上がる。痺れる足をひきずりながら当てのない旅を再開しようとした時、自分の手が冷たい感触に包まれた。

 誰かに手を握られていることに気付き、大樹は反射的にそちらに振り向く。


「センパイ……?」

 月夜は肩で苦しそうに息をしながら、それでも離さないとばかりに手に力を入れていた。ふと大樹が視線を下げると月夜はユニフォームを着ていた。

「やっと見つけた……」

「ど、どうしたんですか?」

 月夜が落ち着くまで、大樹は手から伝わってくる柔らかさやひんやりとした気持ちよさに耐えていた。

「篠原くん」

「はい」

「助けてほしい」

 要領を得ない。だが、こんなに焦った表情の月夜は滅多に見ない。重大なことが起きていることは間違いない。そう思い、月夜に先を促す。


「今、バドミントンの試合をやっていた」

「はい」

「ダブルスを組んでいた人が怪我をしてしまった」

「おや」

「次の試合まで時間がない。篠原くん、私とダブルスに出てくれない?」

「……え?」

 まだ状況を完全に呑み込めていない大樹をよそに月夜は手を引いて、体育館の方に歩を進める。

「え、あの、ちょっと待って」

 しどろもどろになりながら、大樹は自分の上擦った声を聞いた。


「今からですか!?」

「そう」

「でも、ラケットもシューズもありませんし、何より久しぶりすぎてまともな動きが出来るかどうか……」

「シューズは貸せないけどラケットなら……。もしあまり動きが(すぐ)れなくても私がカバーするから」

「でも……」

 それでも渋る大樹に月夜はさらに言葉を重ねて説得を試みる。


「今回だけ。この一回だけでいいから」

「けど、俺は――」

 これだけ言っても了承してくれない大樹に、月夜は表情を曇らせた。ようやく諦めてくれたのだろうか、と大樹が思ったそのとき、


「バドミントン、嫌い?」


 不意打ちだった。目の前の少女は悲しそうだった。

 その一言は大樹に重くのしかかった。


(……は? 何言ってるの? 嫌い? 俺が? バドミントンを?)


 衝撃的すぎて、大樹はまともな思考が出来ていなかった。何も言葉を紡げず、沈黙を貫く大樹の態度を肯定と月夜は受け取ったようだ。

「ごめんなさい。無理を言ってしまって。もういいわ」


 大樹から手を離し、踵を返して月夜は去ろうとする。その背中を見ていることしか、大樹にはできない。追いかけたい、行かなきゃ誤解は解けないのに、地面に足が縫い付けられているみたいだった。まったく動かない。そんなことをしている間にも月夜の姿は小さくなっていく。

「まって――」

 叫ぼうとしたとき、背中を誰かに思いきり蹴られた。


「いったああぁぁあああ!?」

「やっほー」


 大樹に蹴りを入れたのは楓だった。呆れ顔で大樹を見つめている。

「お、お前、いきなり何を……」

「なんか、足がガクガク震えていたようなので、発破をかけようかと」

「もう少し優しくてもいいと思う!」

「で、いつまでそうしているつもりなの?」

 楓は既に大樹から視線をはずし、そのはるか先を見ている。

「朝日先輩、行っちゃったよ。今なら追いかけられるでしょ」

「え……?」

 そうだった。楓に活を入れられたおかげで硬直が解けている。体が動く。

「ありがとう!」

 大樹は勢いよく駆けだした。


 校舎を飛び出し、中庭に出た大樹は周囲を確認する。青く生い茂る木々の中に、黒く長い髪が夕日に照らされているのを見つけた。あの人はどこにいても目立つ。

「センパイ!」

 何メートルも距離があるが、大樹は叫んでいた。立ち止まった月夜が振り向く。

「篠原くん……」

 月夜の声には覇気がなかった。表情に翳りがあるのは気のせいではないだろう。

 せっかく追いかけてきたのに、何から話せばいいのか大樹には分からなくなっていた。

 視線を落とした月夜はぽつりと呟いた。


「中学の頃……、毎晩遅くまで練習に付き合わせてしまったけど、もしかして迷惑に思ってた?」

「は……?」

「だとしたら、それも含めてごめんなさい。よく、周りから言われるの。私はストイックだって。何事にしてもやりすぎだって。それが周りには重荷になることがあるみたい」

 縋るような目が向けられる。

「あなたも、そう思ってた?」

 否定してほしい、そう読み取ることは容易だった。

 確かに、月夜はどんなことにも努力の量が周囲とは圧倒的に差があった。でも、それは月夜自身の美点であるはずだ。大樹はそんな月夜に憧れていた。


「……がう…」

「え?」

「違うんだよ!」

 周囲の人々から奇異な視線が集まってくるが、そんなことは構わず続ける。


「俺がそんな風に、嫌々バドミントンをやっていたと本気で思っているんですか!! あれだけ長い時間、一緒にいたのに!! あなたにはそんな風に俺が映ってたんですか!?」


 声を荒げる大樹を、月夜は初めて見た。月夜は少なからず驚愕していた。


「確かにつらい日もありましたよ! 普通に部活の練習が終わったあとで、さらにやるんですから! それでも俺が投げ出さなかったのはバドミントンが好きでしょうがなかったからだし!! そしてなにより……」

 大樹は優しく微笑んだ。


「あなたといるのが、すごく楽しかったから」

「っ!」


 まるで予想してなかったとばかりに、月夜が目を見開く。そして何かを言いかけようとしたそのとき、

『朝日・芝崎ペア、もうすぐでバドミントンの試合を始めます。すぐに第二体育館の方までお越しください』

 アナウンスがかかった。月夜の次の試合の呼び出しだった。

「センパイ、俺、出てもいいですか?」

「え?」

「久しぶりに、センパイとバドやりたいです」



 第二体育館に訪れた大樹は言葉を失った。

 見渡す限り、空席が見当たらない。満席である。学年の幅も男女も関係なく、教師陣すらも腰を落ち着けている。

「一体これは……」

「すごい……」

 月夜もその数に圧倒されている。二人が体育館に足を踏み入れた瞬間、


『うおおおおおおおおおおおおおお!!』


 会場が沸いた。

「なにこれ……なんでこんなに人多いんだ……?」

「決勝だからかしら……?」

「え」

 今、ものすごく聞き捨てならない発言が聞こえた気がする。


「あの……センパイ、これ決勝戦ですか」

「ええ」

「ええ、じゃないですよ!! 聞いてないです!」

「だから篠原くんを誘ったとき、一回だけでいいと言った」

「そりゃそうでしょうよ! 決勝だもの! これで最後だもの!」

 話し方がおかしくなっていることに大樹自身気付かない。


「あ、月夜! 遅いよー!! あれ、篠原くんもいる!?」

 観客席から誰かが手を振っている。確か……天野翠、だったか。月夜と同じクラスだとかいう……。

 月夜が翠に返すつもりで手を振った。すると、


『キャ―――――!!』


 耳をつんざくような黄色い声が起こった。男子一同は何故か、もう思い残すことは何もないと言いたげなくらい幸せな表情をしている。

「篠原くん……バドミントンがメジャーなスポーツとして表に出てくるのも、そう遠くない未来の話かもしれないわね」

(いや、それはないわ)

 申し訳ないが。絶対違うと思う。ここにいる観客は、下手したら全員が月夜目当てで集まっているのではないか? そういえば昨日のバスケのときも妙に人が多かったような……。


「っと、そうだセンパイ。俺、飛び入りだから運営に一言言わなきゃ」

「私も行く」

 大樹たちは司会進行役である運営委員会の元へ行き、芝崎という生徒が出場できないことを伝える。


「ええっ、そうなんですか?」

「というわけで、代理で俺が出ることを頼まれたんだけど……いいですか?」

「それは困りますよ。エントリーしていない生徒が出るなんて」

「そこをなんとかならないかしら」

 大樹が交渉するのに苦戦していると判断し、月夜が助け舟を寄越す。

「え、あ、ううっ……」

 ちなみにこの運営委員会の生徒は男である。それが月夜などという美少女を目の前に連れてきたらどうなるか。

「ま、まあ、ファイナルが不戦勝というのも盛り上がりに欠けますからね。今回だけ特別に認めましょう」

「そう。ありがとう」

「はうっ!」

 月夜が礼を言うと、男子生徒は胸を押さえて悶えた。キューピッドが彼の心を矢で射ぬいたような気がした。


「さて、じゃあ気が進みませんが、始めますか。センパイ、ラケット貸してください」

「はい、どうぞ。………あ」

 月夜から借りたラケットで素振りを始めていた大樹がたずねる。

「どうかしましたか?」

「篠原くん」

 ものすごく真剣な目をした月夜は大樹に詰め寄る。


「バドミントンの試合は、ユニフォームで行います」

「はい」

「私も着ています」

「はい」

「あなたも着るべきです」

「え、ユニフォームですか? 俺そんなの持ってませんよ」

「なので私のものを貸します」

「………」

 大樹は半眼で月夜に疑うような視線を寄越した。


「本当ですか」

「本当です」

 しばらく沈黙。お互いに固まったまま試合開始時間が迫っていく。


「あ、大樹だ。何してんの」

 楓が二人の横に通りがかった。

「あ、楓、さっきはありがとう」

「いや、べつに」

「で、ちょっと聞きたいことがあるんだけどさ、この球技大会のバドミントンってユニフォーム持参しなきゃいけないの?」

「はあ? そんなわけないじゃん。大樹が情けないサッカーをするときだって、いらなかったでしょ」

「だよな。さんきゅ。一言余計だけど」

 楓はそれでその場をあとにする。大樹は妙に勝ち誇った顔を作った。


「……だ、そうです」

「さっきのは軽い冗談よ、冗談」

「ですよねー」

 たまにこの人の言動はよくわからない方向に向かっていく。何故だかよくわからないが。

 月夜はひそかに舌打ちした。


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