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「おっと、手が滑ったー」

 楓はグラウンドにいた。本当はずっと教室にいるつもりだったが、学校を巡回していた学年主任にサボタージュがばれ、更衣室に行く振りをしてぶらぶらとしていたら、ここに来てしまっていたというわけである。


 ついさっき大樹たちの試合は終わってしまったらしい。大樹を含め、彼のチームは地面に座り込んで苦しそうに呼吸を繰り返している。彼らの息が整うのを待たず、大樹に話しかける。


「ねえねえ、今これどういう感じ?」

「はあ、はあ……ちょ、待って、もうちょい」


 さっきの威勢はどこに行ってしまったのか、大樹は汗だくになりながら苦しそうに呼吸を繰り返していた。

 やっと話せる程度には回復したらしい。仰向けになりながら、


「ま、とりあえず負けた」

「うん。そのようだね。………で、あれは何?」


 楓が指差した先には加藤が足を押さえて倒れている。大樹は「さあ?」ととぼけたような仕草をした。


「なんか知らないけど、俺が戻ってきたときにはあんな感じだったよ。接触したときに怪我したらしいね」

「じゃあなんであいつは放置プレイされてるの? いい気味だけど」

「だって、先生が誰もいないんだから、しょうがないでしょ。今誰かが呼んできてくれてるよ」

「……うるさいくらいに泣き叫んでますが。あれはガチじゃないですか」

「ああ、えっと……」

 大樹は目を逸らした。


「いや、俺はですね。シュートをしようとしたんですよ。でもですね、ほら、俺って運動音痴じゃないですか。いつものごとく、変な方向にボール飛んでいくじゃないですか。偶然加藤がいるじゃないですか。直撃です」

「話し方がおかしくなってますよ、篠原さん。今の説明から察するに絶対わざとやったでしょ」

「証拠があるのか、証拠が!!」

「その言葉が証拠と言ってもいい」


 今のふざけた二人のやり取りを他の誰かが聞いていたら、間違いなく大樹が故意にやったものだと思うだろう。しかし大樹にそんな器用なことができるはずもないし、できたとしてもやらなかっただろう。

 確証があるわけではないが、楓はそう思った。


「まあ、でも悪いことしちゃったな。保健室に運ぶときは俺も手伝って……お、やっと先生きた」

 楓が振り返ると一人の男子生徒が教師を連れていた。その手には担架があったが楓の視線はその教師に吸い寄せられていた。


(学年主任じゃないっすか)

 まずい。これは結構やばい。さっき注意を受けたばかりなのに、ここでまた見つかるわけにはいかない。


「ああ、すいません! こっちでーす」

(余計なことしないでよ!?)

 大樹が手を振りながら学年主任を呼んでしまったせいで奴の目はこちら側に引き寄せられる。


「おお、すまない。怪我をした生徒は……」

 楓を見つけた学年主任の目が細められる。万が一見つけられない可能性に懸けたが、周りがジャージ姿しかない中で制服はやはり目立ってしまったようだ。


「わざわざすみませんでした。保健室までは俺が連れて行きますから」

「そうか。助かるよ」


 大樹との会話もそこそこに学年主任は楓に歩み寄ってくる。彼女の目には彼が悪魔か何かが忍び寄ってくるように見えた。嫌な汗が頬をつたう。


「君も彼を手伝うように。それと……」

 楓の肩に悪魔の手が置かれる。

「後で職員室に来るように。クラスと名前は」

 死刑宣告が下った。

「一年B組、山田花子であります」

「さらにペナルティを課す。一年A組森崎楓」

(知ってんなら最初から言えよー!!)


 見事に誘導尋問にハマった。学年主任が去った後で大樹が不思議そうな顔をしていた。


「お前、何かやったのか」

「何もやってないけど…………何もやってないから怒られたんだと思う、うん」

「はあ?」


 よく事情を理解していない大樹がさらに首を傾げるも、楓には説明なんかする余裕はない。その場に頭を抱えて座り込んでいたが、やがて開き直った。


「もういいや! どうでもいい! なんとかなるわ! 篠原くん、さっさと行こう!」

「ああ、サンキュ……?」


 楓のテンションが妙に高いことが気になったが、まあ今はいいかと考えて加藤を担架に乗せ、保健室に向かう。加藤は未だにすすり泣くように声を漏らしていた。


「お、お前、ぜった、い、わざ、と、やった、だろ!」

 途切れ途切れだが、なんとかそれだけ言うと加藤は歯を食いしばって足を押さえた。

 あまりにも痛いのか、加藤の顔はぐちゃぐちゃに歪み涙と鼻水でひどい有様になっていた。ゆっくりと担架を運ぶ大樹と楓を加藤が急かした。


「お前ら、早くしろよ!! あ、あれか、嫌がらせか、俺への当てつけかよ」

「いや、そんなつもりはないけどさ」

 穏やかに対応してみる。ちらりと楓を見ると彼女はうんざりとした表情で肩をすくめていた。


「なあ。悪かったって。でもわざとじゃなかったし、あ、それにほら!! 俺じゃ狙ってボールを蹴るなんてできないことぐらいわかってるだろ?」

 自虐的な冗談のように大樹は言うが、今の加藤にはそれがわざとらしい態度に映ってしまったのか、さらに怒声を響かせた。


「くそ、使えない、役立たず、陰キャラのくせに、こういうときだけ調子乗りやがって!」

 周囲の視線が大樹たちに一気に集まるのを感じた。

「はいはい」

 なんだか段々面倒になってきて、大樹は適当に相槌を打った。大怪我をしているので仕方がないが平静さを欠いている人間とは話が通じないと思ったからだ。こちらが何を言っても泥沼になる気がする。


「ごめんな」

 安心させるような笑みだった。加藤にここまで言われておきながらそんな顔ができるのだから、大樹の懐の深さは相当なものだろう。楓は信じられないというように目の前の光景を見ていた。


「っざけんな、一人じゃ何もできないくせに、わざとボールぶつけやがって、絶対許さねえ。お前ら、今心の中で笑ってんだろ、表面上だけへらへらしやがって、実は笑ってんだろ!!」


 言いがかりにも程がある。もうこれ以上、大樹に何を望むのだろう。

 ちゃんと謝罪もした。せめてもの罪滅ぼしと思ってこうして手を貸している。さっきの人を見下したような物言いにも自己的すぎる主張にも腹を立てなかった。


「俺はな、部活のエースなんだぞ、どうしてくれるんだよ、治らなかったら!! 元の調子に戻らなかったらどうしてくれるんだよ、責任とれよこのクズ野郎が!!」

 そもそも足を痛めてしまった原因は加藤本人にあったはずなのに、いつの間にか矛先が大樹に移っていた。見当違いな御託を並べまくった挙句、道理が全くない加藤の言い分を聞き続けるのはもう限界だった。


 楓が。


「おっと、手が滑ったー」

 すごく棒読みだった。楓は突然、担架の取っ手から手を離した。片側からの支えが急になくなってしまったため、大樹一人の力ではどうにもならず加藤の足が地面に叩きつけられた。


 加藤は絶叫した。

「て、めえ……!!」

 赤く充血した目が楓を睨んでいる。が、楓はしれっとした態度を貫く。

「ああ、ごめん。すぐに直すよ」

 そして何ともいい加減なことに足の患部を掴んで担架に乗せようとした。


「おま……!! やめろよ!!」

 楓から逃れるために加藤は腕だけで咄嗟に距離をとった。楓はゆっくりと加藤の方へ向かっていく。距離が縮められるほどに加藤の顔が恐怖でひきつった。楓は大樹に聞こえないように彼の耳元で囁いた。


「あまり調子に乗るなよ、小心者」

 そして加藤の足に触れる。

「聞いていて不愉快だね。これ以上ふざけたことを言うつもりなら、二度と治らないようにお前の足を壊す」

 加藤は喚いた。

「ふざけてるのはどっちだ!! そんなことが許されるわけ――」

 そこで加藤は言葉に詰まった。


 いつもの眠そうな半開きの瞳が大きく開かれ、眉間にしわが寄っている。鋭く冷たい眼光が加藤を射ぬいていた。


(な、なんだよ、こいつ……ッ!!)


 大樹と同じように、普段はいるかいないかすら曖昧なくらい存在感のない女のくせに……こんな格下の女に睨まれただけで……怖いと思ってしまった自分がいる。

 ここで逆らったら、もう二度と歩けない体にされてしまうのではないか。加藤がそう危惧してしまうほどに、今の楓はそれだけの凄みがあった。


「……で、どうする? 今すぐ彼に謝るなら何もしないけど?」


 それなら、ここは一度形だけでも謝っておこう。別に大樹に申し訳ないなどと思っているわけではないが怪我が完治したら、今のことを噂に流してまともな学園生活が出来ないくらいに孤立させてやる。


「そ、そうだな。確かに悪いと思った。よし、篠原をここに呼んで――」

 再び加藤の言葉は遮られた。加藤の足に激痛が走る。


「嘘ついたね? いま」

 楓は加藤の足を握り潰すかのように徐々に力を加えていった。

「見え見えなんだよ、君が碌でもないことを考えてるのは。つまらないことをしようとしてるなら、宣言通り壊させてもらうよ」


 さっきまでの企みは既に加藤の頭の中から消え去っていた。襲いかかってくる痛みと恐怖に、加藤はもう耐えられなかった。涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにした情けない顔のままで、

「も、もう勘弁してくれよ!! 本当に悪かった、俺が悪かった!! 篠原もごめんってば!! だからもう止めてくれ!!」


 その言葉にようやく楓は納得した。加藤を担架に乗せると、茫然としていた大樹に声をかけた。


「ほら、早くいくぞ」

「あ、ああ……」


 大樹は自分でもちゃんと返事が出来ているか分からなかった。

普段が普段なだけに彼女が激怒するところなんて全然想像できなかったが……あり得ないと思っていたことが実際にそれが起こってみるとその恐さは想像なんて軽く超える。未だに信じられない光景だった。


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