女騎士
史実の教会騎士団と本作品の教会騎士団はまったくの別物と思ってくれていいです。
アベルは宿に戻り、風呂に入り直していた。
まさかあそこで教会騎士団が現れるとは、びっくりさせてくれる。
もし、彼らにアベルの正体を知られてしまったら、問答無用で消されてしまうだろう。いくら、アベルが人間であったと弁明しようが関係ない。ヒトと吸血鬼は相容れぬ存在なのだ。
アベルは風呂から上がり、着替えてから部屋に戻った。服の洗濯は宿が請け負ってくれており、夜には返してもらえる。
既に日は傾きかけていた。アベルはベッドの上で仰向けになり、つい数十分前の戦闘を思い出した。全く話にならなかった。昼間のため全力を出せなかったとは言え、ゴーレムの一匹も倒しきれないようでは吸血鬼を倒すなど、夢のまた夢だ。そしてゴーレムの次に思い出すのが、教会騎士団の女騎士。彼女の、あまりに鮮やかな斬撃は、剣の心得があるアベルですら溜息をつくほどのものであった。全く無駄のない魔法と剣技。アベルはむしろ彼女に復讐を頼んだ方がいいのではないか、とすら思い始めていた。
アベルは大きくため息をついた。自分の無力さが、ほとほと嫌になる。もっと力が欲しい。しかし具体的に何をすれば強くなれるのか、アベルにはわからなかった。わからないけれど、求めてしまう。しかしそれでは手に入らない。その悪循環は頭で理解できていても、逃れるところまで及ばない。まさに渦だった。黙っていれば呑み込まれ、足掻いたところで引き戻される、悪循環の渦だ。
「飲もう……」
飲酒。アベルが17年間生きた末に見出した、落ち込んだ時の最良の対処法である。アベルは部屋の鍵を閉め、夜の街へ赴いた。
アベルは酒場を求めて、ひと気の少ない路地裏に足を運んだ。村にいた頃は金さえあれば何時までも仲間と騒いでいたものだが、今のアベルに仲間はいない。活気に満ちた空気の中、一人で飲む気にはなれなかった。
そんなアベルが選んだ酒場は、「酒場マヌエラ」だった。
酒場マヌエラは地下にあった。いくつもある石壁の窪みにランタンが置かれ、店内をオレンジ色に照らしていた。カウンターの横には、植木鉢に入った植物がある。日光が届かないが、育つのだろうか。
アベルは一番奥のテーブル席に腰かけた。ウエイトレスを呼びつけ、ワインと食事を頼んだ。ウエイトレスはこれで最後だと言って瓶を円形のテーブルに置いた。そのワインはアベルの住んでいた村で育てられたトスウハブドウが原料となっている。出された食事を食べ終えた後、ワインを木の杯にそそいでから、一気に飲み干す。村人たちの顔が思い浮かんだ。村が壊滅したため、もうこの味わいがなくなってしまうのかと思うと気が滅入った。やはり一杯では何も変わらない。そう思い二杯目をつごうとしたところで、今店に入ってきた女性と目が合った。いや、女性と言うよりも少女と言った方が適当だろうか。その顔つきは未だ幼さを残しながらも、凛とした表情が大人びた雰囲気を出していた。ランタンの照明を浴びて、背中まで伸びた髪が黄金色に輝いている。その輝きは男性客が皆二度見するほどのものであったが、腰に着けた鞘だけが浮いていた。少女は真っ直ぐにアベルのテーブルを目指し、アベルの正面に立ったところで、
「ここ、いいかな?」
と言った。
「いいけど」
アベルは困惑していた。一体どうしてこの女は、沢山の空いた席がある中でこの席を選んだのかと。
「ありがとう」
少女は微笑むと、アベルの前の席に腰かけた。花のような香りがした。
「ええと、どこかでお会いしたことがあったかな」
「午後に、会ったばかりだろう。あ、しかしあの時私は兜をつけていたな」
兜、と言う単語を聞いた瞬間、アベルは体が強張るのを感じた。まさか、いや、そんなはずは……。
「たった一人でゴーレムと戦い続けるとは、見事な心意気だ。同じ剣士として、敬意を表すよ」
アベルの手から杯が滑り落ち、ワインがぶちまけられた。
「大丈夫か!?」
「あ、ああ、ちょっとゴーレムを斬った時の腕の痺れが。いやあ、まいったまいった。すいません、タオルくださーい」
テーブルに零れたワインを吹きながら、アベルは驚きを隠せなかった。まさか、自分とそう齢が変わらぬ少女があの時の女騎士だったとは!
「馬上から、貴方の戦う姿を見ていたよ。魔法使いでも戦士以外でこれほど勇敢な人は見たことがなかった。だから思わず話したくなってしまったんだが……迷惑だったか?」
アベルは彼女の言い方に少し腹が立った。彼女は能力が低い割には頑張っていた、ということを褒めているらしいが、アベルにとって能力が低くては駄目なのである。
「そんなことはない」
そう言いながら、アベルは少女の杯にワインをついだ。
「いや、私は自分で頼むから……」
「いいから飲め。これで最後らしいからな」
少女は一瞬、険しい表情を浮かべたがすぐに笑顔に戻り、礼を言った。
「私は教会騎士団に所属しているラシェル・ブランだ。君は?」
「アベル・フェルマー。旅行者だ。北の方から来た」
「旅行か。イーアリウスは世界最大の都市と言われているからな。さぞ、楽しめたことだろう」
アベルは最初、一刻も早く席を立ちたいと思っていたが、情報が聞きだせそうだったため彼女と話を続けることに決めた。とは言え、彼女がアベルの正体に気付き、ここで殺害しに来ている可能性も拭えないのだが。
「ゴーレムのおかげで台無しだがな。しかし、あんなところまで魔物が出てくるとは、門兵は何をしていたんだ?」
「無理矢理かいくぐられたそうだ。ゴーレムとは思えないほどの脚力でね」
アベルがワインを飲むと、ラシェルも同じようにしてワインを飲んだ。ラシェルは当たり前のことだが鎧は身に着けておらず、ベージュのワンピース姿だった。
「誰の仕業かわからないのか?」
ゴーレムは魔法使いが生み出したものであり、そのゴーレムが街を襲った、となれば作った魔法使いに罪があるのだ。
「わからない。しかしそれとは別に、面白いことがわかってね。そのゴーレムに使われた魔力が少ないんだよ。異常に」
「つまり、どういうことだ?」
「使われた魔力が少ないってことは逆に、魔法使いが優秀であることを示しているんだ。本来、ゴーレムを作り、制御するには膨大な魔力が必要なんだが、高位な魔術師ほど最低限の魔力で操ることができる」
「厄介な奴が現れたもんだな」
「まったくだよ。一体のゴーレムに使う魔力が少ない分、もう一体ゴーレムを作りだすことだって可能だ」
「次に現れた時は逃げるぞ」
「そうならないよう、私も早めに対処できるようにするよ」
そう言って笑うラシェルを、アベルはまじまじと見つめていた。大人のような口ぶりで話していたかと思えば、時折少女のような無垢な笑みを見せる。不思議な女だ。
「ところでさ」
そう切り出してから、アベルは率直な疑問を投げた。
「何で国の兵士じゃなく、教会騎士団がゴーレムの相手をしたんだ? お前らの専門はヴァンパイアやアンデッドだろ?」
その言葉を聞くと、ラシェルは真剣な顔つきでアベルを睨んだ。その時のラシェルの心情からして、睨んだと言うよりは見つめた、と言った方が適切であるのだが、アベルは人間の皮の内側にある吸血鬼を睨まれているようで気が気ではなかった。
「魔物討伐の命があって、トスウハ村の方へ行っていたんだ。その帰りに騒ぎを聞きつけたまでだ。と言っても、討伐命令が下されたのはヴァンパイアでもアンデッドでもない。ヘルハウンド、と言う魔物だ」
「聞いたことないな。どういう奴なんだ?」
「見た目は真っ黒で大きい犬だ。口からはいつも血を滴らせている。夜道に現れては、人をかみ殺すんだ」
アベルはぎょっとした。その特徴はすべて、昨晩戦った犬に当てはまっていたのだから。
「そしてそのヘルハウンドは、吸血鬼の使い魔なんだ」
吸血鬼。その言葉を聞いた瞬間、アベルの顔つきが険しくなる。
「アベル、君はトスウハ村の事件を知っているかい?」
「トスウハ村の事件……? うーん、一人旅で、新聞も普段読まないからな。知らねえな」
「壊滅させられたんだよ。吸血鬼に」
憎しみのこもったような言い方だった。
「壊滅……?」
アベルは大げさに目を丸くした。
「このワインが最後だと言ったな……このワインの原材料はトスウハ村で採られるブドウが原材料なんだ。しかし兵士が来た時には、村人たちは全員姿を消していた」
「グールにされた、ってことか」
「その通りだ。畑があっても、育てる人がいなければブドウは育たない。もしかしたら、このワインはもう飲めなくなってしまうかもしれないな。だから注文が殺到して、最後の一本になったわけだろう。と言うわけでアベル、残りは全て自分で飲むといい」
「いや、ラシェルも飲め」
「いいのか? 私の話をちゃんと聞いていたよな?」
「最後の一本ぐらい、誰かと飲みたいんだ」
「そうか……ありがとう」
ラシェルは一口飲んだ後、続けた。
「そのヘルハウンドは恐らく、トスウハ村を襲った吸血鬼の使い魔だ。私たちはヘルハウンドの討伐と同時に、吸血鬼の行方も追った」
「それで?」
「吸血鬼は見つからなかったが、ヘルハウンドは木の根元で死んでいるのが見つかったよ。誰が倒したのか知らないが、ヘルハウンドを殺した者は中々、知識があるようだ」
「どうしてそうわかるんだ?」
「ヘルハウンドを倒すには専門の知識が必要なんだ。ヘルハウンドは本来、キーディンランドにしか生息していない希少な魔物だから、そこらの旅人が倒し方を知っているとは思えない」
「そうなのか……。でも、たまたまその倒し方ができたってのもありえるんじゃないか?」
「そうだな。ヘルハウンドは四肢がばらばらになろうとも、いずれ復活する。確実に殺害するには額を潰さなければならないんだ」
アベルはあの時、犬に止めを刺しておいてよかったと、心底思うのであった。
「しかし、吸血鬼の目撃情報がないってのは、怖いもんだな」
「全くだよ。村を壊滅させるほどの吸血鬼なんて、世界中でも数えるほどしかいない。早く見つけ出さなければ、新たな犠牲が生まれてしまう……」
ラシェルはテーブルの上に置かれた右手をぎゅっと握りしめた。
「吸血鬼の、検討はついていないのか?」
「わからん。ただ、私達は手口からしてゼナイドだと予測している」
「ゼナイド? 誰だそれは」
アベルは心の中でガッツポーズをした。村を襲った吸血鬼への復讐の、兆しが見えた気がしたのだ。
「過去に東の方の村を三度襲った若い吸血鬼だ。いずれも途中で村人や、居合わせた旅人などに撃退されている。トスウハ村に現れた時は戦力になる人材が少なかったか、不意を突かれたか……」
「撃退されたのか?」
「うむ、そうだが……」
アベルははっとした。ゼナイドの強さの度合いが、アベルが村で出会った時に感じたものと違いがあったため、無意味な聞き返しをしてしまった。
(俺は、ドニスは、マリーズは、戦力にならなかったっていうことか……?)
いや違う、とアベルは心の中で首を振る。奴の強さが規格外だったのだ。
マリーズの魔法を全てかき消し、ドニスの剣技を軽くあしらった。そして、アベルが吸血鬼と剣を交えて感じた、圧倒的な力の差。あの吸血鬼が、教会騎士団以外に倒されるとは思えない。
(いや、教会騎士団でさえも……。)
アベルは少女の白く細い腕を見た。
「ゼナイドの特徴を教えてくれ」
「普段は金髪の女の姿で……」
アベルそこからしばらくの間、ラシェルの話を聞き流した。
「そうか。ならそいつかもなー」
ラシェルが、ちょうど特徴についての説明を終えた辺りで、アベルは心にもないことを言った。
次回から更新ペースが遅くなる予定です。