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第1 FIRE生活の始まり

 34歳の誕生日。俺は会社を辞めた。


 勘違いしないで欲しい。これは別に悲しい話じゃない。むしろ、オフィスから一歩踏み出した瞬間、俺はこれまでに経験したことのない高揚感と解放感に酔っていた。


 とうとう20歳の頃からの夢がかなったのだ。あくせず働かず、安定的な資産運用だけで自由に生きる、FIREという夢が。


 FIREとはFinancial Independence Retire Early、意訳すると一人で生きていくだけの十分な資産形成をして、若くして引退し悠々自適に生きるということだ。


 大学を卒業し、22歳から夢を叶えるために実力主義で高給だけど超絶ブラックで有名な外資系金融機関で働き始め、ずっと結婚もせず、ろくに遊びもせず、わき目もふらずに仕事に邁進してきた。


 その甲斐あって今の俺の金融資産総額は1億円超。明日からは、これを年利4%で安定運用して、その利回りだけで生きていくつもりだ。


 ふと、俺が働いていた会社が入っているオフィスを振り返った。もう夕方過ぎだというのに、スーツを着た男女が次から次へと吸い込まれていく。


 彼らは今日、何時に帰れるだろう?下手したら徹夜かもしれない。


 でも、俺はそんな辛く苦しい地獄から脱出したのだ。今日から俺は自由だ!!


 そう心の中でつぶやくと、自然と顔がにやけてしまった。



 FIRE生活200日目。俺の朝は早い。


 会社に勤めてる頃は、あんなに朝起きるのが辛かったのに、辞めたとたんに朝早く目が覚めるようになるなんて、人体はいったいどうなってるんだろう?


 ベッドでゴロゴロしていても仕方ないので、起き出してスマホでニュースをチェック。


 どうやら、また日本人メジャーリーガーがホームランを打ったらしい。働いている頃は、これだけであんなに興奮できたのに、今はふ~ん…というくらいにしか思わない。


 次にタブレットで保有金融資産のチェック。

 どうやら俺が保有している金融資産の運用状況は安定しているようだ。特に手をつける必要もないだろう。


 これで本日の仕事は終了。この後はずっとフリータイム。


 ……はぁ…これから長い一日、いったいどうしてくれようか?


 FIRE生活に入った当初、俺は趣味に没頭しようとした。見逃したアニメを配信で一気見したり、気になっていた本を読破したり、プラモ製作をしたり、やりたいことはいくらでも思いついた。


 だけど、すぐに気づいてしまった。こういう趣味は忙しい合間を縫って少しずつやるから楽しいのだ。

 通勤電車でスマホで視聴していた時ほどアニメは面白くないし、本も最後まで読めなくなってしまった。プラモ製作もただの作業に成り下がっている。


 じゃあ、わずかにいる友達と遊ぼうと声を掛けてみたら、みんな働いてるし、家庭も持っていて忙しい。


 旅行に出かけたこともあったけど、別に動画で見た景色と同じで感動もしなかったし、すぐに行きたいところもなくなった。


 しかたないから、毎日ぼんやりとショート動画視聴とかネットサーフィンとかして時間を潰し、それでも時間を持て余すから夜は早く寝てしまうしかない。


 そして、朝早く目が覚め、一日が始まる。

 毎日この繰り返し……。


 つまらない。悠々自適とはこんなにつまらなかったのか?


 平均余命を考えると、特に事故や大病がなければ、俺は85歳くらいまで生きるはずだ。あと50年もこんな生活!?


 かといって、時間つぶしのためだけに会社に戻って辛い仕事をするのも気が進まない。いったいどうしたらいいんだろう?


「志乃……」


 ふと、脳裏に懐かしい栗色ボブの丸顔が浮かび、その名前を虚空に向かって呼びかけてしまった。だめだ。もう会えないってわかってる。だから彼女のことを今さら考えたってどうにもならない。


 結局、今日も何もない一日を何とかやり過ごし、早い時間にベッドで目を閉じることしかできなかった。



「……昌平さん、吉村昌平さん……」


 あれっ?誰かが俺の名前を呼んでる。名前を呼ばれるなんていつ以来だろう?しかも女の人の声だ。


「あぁ、よかった。目を覚まされましたね」


 目を開けると、目の前に独裁者の奥様が座るような豪華な椅子。そこに絶世の美女としか形容しようがない金髪碧眼の女性が座っていた。


 いつの間にか俺も椅子に座らされているようだ。俺の椅子は学校にあるような粗末な木製だけど。


 この人は誰だ?そしてここはどこだ?


「私はテーミス・フィオレンティーナ。知の女神にして、ニート対策を担当しております」


「知の女神?ニート対策?」


「はい。そうです。この度、厳正な選考の結果、吉村昌平さんが、日本で対策優先度が最も高いニートに選抜されました。そこで、面談のために、この場にお呼びいたしました」


「えっ?ニートですか?俺が?いや、俺は別に引きこもってないですし、ちゃんと自分のお金で生活してますよ」


 僕の言葉に女神様はゆっくり首を横に振り、それから微笑んだ。


「厚生労働省の定義によると、ニートとは、15歳から34歳までの独身者で、学校に通わず、働かず、家事も行わず、職業訓練も受けていない方を意味します。吉村さんは独身ですし、働かず、学校にも行かず、職業訓練も、他の方のための家事もされていませんよね」


「はあ……まあ……そうなりますね」


「私は、そんなニートの方の中でも、何の役にも立たず人生を無為に過ごされていて、それなのに絶望されている、どうしようもない方を選抜して面談を行っています。吉村さんも、現状にお悩みではないですか?聞かせていただけませんか?」


 女神様は相変わらず優しく微笑んだまま。ただ、言葉の端々が引っかかる感じがする。


「悩み……といっても、生きていくためのお金はありますし、何にも縛られず自由ですし。特に不自由はしていません」


「まあっ!じゃあ、なんであんなに絶望しておられたの?こちらで測定したところ、このままだと遠からず死に至ってしまうくらいの絶望でしたわよ」


「死に至る病ですか?いや、そんな大げさな……たしかに何のために生きてるのかなとは思ってましたけど、そんな絶望するほどでは……」


 俺の言葉になぜか女神様は得心したように深くうなずいた。


「日々を無為に過ごし、誰の役にも立たず、子孫も残さず、ただ朽ち果てるのを待つだけの日々。絶望するのはよくわかりますよ」


「えっ?それはさすがに失礼……ああ、でも確かに言う通りですね。ただ起きて、ネット見て、ご飯食べて、また寝るだけの生活……。その辺の引きこもりと変わらないかもしれません」


「まだ引きこもりの方が現状を変えようとする意欲を持ってるだけマシかもしれません。そんな、どうしようもなく絶望したあなたに朗報です!!ニート救済策として、あなたに人生をやり直せるチャンスを与えます!喜んでください。やった~!!……ってなんでそんな真顔なんですか?言っておきますが、これは世界の中でも、ごくごくわずかな選ばれた人にしか与えられない福音なんですからね!!」


 女神様は派手に万歳した後、急に頬を膨らませて怒った顔をした。これは何かのマニュアルに従っているのだろうか?それとも情緒不安定なだけ?


「……すみません。まだ話が見えなくて」


「ごめんなさい。説明が足りなかったわね。生きがいを見つけられないあなたには、二つの選択肢があります。①剣と魔法の異世界に転生して、そこで勇者として魔王を討伐するための波乱万丈・大冒険の生活を送る、②あなたの人生の希望する時まで戻って、これまでの人生をやり直す」


「えっ?その二つだけですか?なんかあんまりどっちもピンと来ないんですけど。もうちょっと、ほら大スターに生まれ変わるとか、メジャーリーガ-になれるとかそんなのないんですか?」


「メニューに文句を言わないの。そもそもこの二つだって破格の大サービスなのよ。あっ、あとどちらを選んでも、あなたの持ち物を一つだけ持って行っていいわよ。ほら、異世界にAI搭載のスマホとか持ってたらどうかしら?向こうでもこちらと同じように使えるから、それだけで異世界に革命をもたらすことができるかもよ~」


「う~ん……」


 いや、異世界で魔王討伐なんて危険そうだし気が進まないな~。


 かといって、人生をやり直してもあの苦労を繰り返すだけだし……。


 どっちも断ろうと思った瞬間。僕の脳裏にある人の面影が浮かんだ。


「ほらほら、やっぱり異世界でしょ?男の子だったら異世界じゃない?さあ、さっさと異世界転生に決めちゃいましょう!」


「……人生を、やり直すことにします」


「えっ?」


「24歳の頃に戻してください。持って行く物は僕の金融資産全額です」


「えぇっ~そっち~?」


 あからさまにがっかりした女神様の顔を見ても、僕の決意は変わらなかった。


 僕が生きる目的を取り戻せるとすれば、あの時しかない。あの25歳の誕生日に唐突に訪れた選択の時!!あの前に戻ってやり直すんだ。


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