第4話
レイジが、ブリザック城の外へ出ようと歩いていると――。
「そなたが、レイジ殿かぇ。あの龍神鬼を倒したという」
艶やかな声が背後からかかった。
振り返ると、妖艶な女が一人、立っていた。
結い上げた黒髪には光を受けて煌めく髪飾りが刺さり、華美な衣の胸元から華奢な肩が覗いている。
その佇まいに、レイジは思わずごくりと唾を飲み込んだ。
(ぅわ……すげぇ……タイプなんですけど……)
「お、おう、そうだぜぇ」
妙にワイルドな声色を作りながら、鼻の下がゆるんでゆくのを止められなかった。
「あたいは沙羅夜と申すもの。……やっと会えたねぇ、レイジ殿」
微笑みながら、彼女はすっと歩み寄ってきた。
「ああ、ミロイを助けてくれた人か?」
「助けたのは風華夢だけどねぇ。ミロイ殿から、そなたの噂を聞いて、どうにも会いたくなって……」
「おれの話を……?」
「ええ、悪口ばかり、たんと聞かされたえ」
沙羅夜はくすりと笑った。
「はあ……」
「楽なことしかしない、どうしようもない盟主だとか」
「……まあ、あってはいるけど……」
レイジは肩をすくめた。
「けれど、ねぇ――」
沙羅夜は少し声音を落とした。
「そなたへの愛情は、しっかり伝わってきたえ。それで、あたいは最強を倒した男に、乙女のように恋焦がれとったんよぉ」
そう言って、レイジの顔をじっと見つめ、またふっと微笑んだ。
「へっ……なにか?」
「いい男だねぇ。そなたの顔を見てたら……」
「……?」
「……なんだか、頬にキスをしたくなってきたえ」
レイジは俯きがちに黙りこむ。が――
そのまま、ぬぅ〜っと首を前に出して、こくりと頷いた。
……って、そこで頷くんかい!(笑)
沙羅夜がしなやかな腕をレイジの首に絡め、顔を寄せてきた。
「そなたに、ええ夢を……見させてあげるぇ~」
唇がレイジの頬へと近づいて――
「レイジ!」
声が割って入った。振り返ると、デュランだった。
レイジはそのまま沙羅夜の腕の中に収まったまま、顔だけ向ける。
「どうした?」
「レイジ、チルルを見なかったか?」
「チルル?」
「わたしの弓を持ったままで、どこかに行ってしまって……なにか嫌な予感がして」
「雷嵐か?」
「ああ」
「チルルなら、羅漢王を見たいって、パブロたちと謁見の間に行ったぞ」
「……謁見の間、ね」
デュランが険しい顔になる。
「さすがにチルルだって、羅漢王を射抜いたりはしてないだろ」
「……そうだな」
と、言いつつ既に半身は踵を返している。
「邪魔を致したようで、申し訳ない」
デュランは一礼し、数歩進んだところでまた戻ってきた。
「お詫びに、お土産を……」
「よせ、それだけはよせっ!」
レイジが慌てて、ポーチから燻製を取り出しかけたデュランの手を止めた。
沙羅夜が首を傾げる。
「……お土産?」
「いや……なんでもない」
レイジが首を振ると、デュランの背を押しながら言う。
「デュラン、急げ。な、ほんと急げ!」
「……そうですね」
デュランは再び一礼し、沙羅夜にも軽く会釈して去っていった。
「娘がおるのかえ、レイジ殿には」
沙羅夜が腕を解きながら尋ねた。
「……ああ」
レイジはどこか名残惜しげに頷いた。
「ふふふ、またどこかで会えたらええねぇ。奥方様にもよろしくえ」
沙羅夜はふわりと背を向けて歩き出した。
(いや、それは……)
言いかけて、レイジは喉の奥で呑み込んだ。
沙羅夜は少し歩くと立ち止まり、遥かな青空を仰いだ。
「また、これも世迷言かねぇ――」
その呟きを背に、レイジはブリザック城の外へ歩き出した。
どこか未練を残しつつも。
◇
高台に出たレイジは、両腕を大きく広げて深呼吸をした。
眼下にはギラン港と青い海、遥か水平線が見える。
しばし風に吹かれていたその隣に、いつの間にかセシリアが並んでいた。
ふと城下を見やると、ネオフリーダムの仲間たちが笑いあっている。
小さなチルルが雷嵐の弓を持ってパブロを追いかけ、ミロイとパルが止めていた。
デュランとブルーベルは腹を抱えて笑っている。
ミロイは来週から湯治場へ向かう予定だ。
ルピタも不老不死のポーション探しに飛び回っている。
ハルトは家族と平穏な日々を取り戻し、借金はライザの好意で返済が済んだ。
エルナは左肩の傷も癒え、ビクライと二人で旅に出たという。
ジンたちのサザーランドにも新たな仲間が加わっていた。
「色々あったね」
セシリアが、レイジに微笑んだ。
「ああ、色々な」
レイジも応えた。
「みんな、仲間を失って辛かったけど……」
「でも、少しずつ元気が戻ってきてる」
「また、前のような日々に戻れるかな?」
「戻るさ」
レイジは微笑む。
「おれは、またやらかすかもしれないけど……副盟主、これからも頼むな」
「いやだよ」
セシリアが真っ直ぐにレイジを見る。
「副盟主じゃ、いやだよ」
レイジは大きく息を吸った。
「セシリア、これからも、ずっと一緒にいてくれ」
「うん」
セシリアが小さく、けれど確かな声で頷いた。
レイジは海の方へ顔を向け、そっと目を閉じた。
「セシリアも、目を閉じてみな」
「ん?」
セシリアは警戒した目で見る。
(あんたは本当に鈍いね。黙って目を閉じればいいんだよ!)
セシリアの頭の中で声がした。
レイジは目を閉じたまま顔を上げた。
アデンの空は、どこまでも蒼い。
「セシリア、耳を澄ましてごらん」
「……」
「聞こえないか?」
「え?」
「聞こえてくるだろ?」
「なに?」
「……風の音だよ。アデンに吹く、風の音」
セシリアもそっと目を閉じた。
長い髪が、初秋の潮風にやさしくなびいていた。
……
「うん、聞こえる。わたしたち、みんなの――詩歌が……」
【了】




