彼の唯一
もしも彼が普通の少年だったのなら、あるいはスティナの運命も全く違うものとなっていたかもしれない。
だが、彼は様々な能力が飛び抜けていた。
例えば物事を思い通りに動かす力とか。
故に彼は確実に彼女を捕らえる為に少しずつ少しずつ、網を張り巡らせた。
最初は、ほんの小さな変化からだった。
いつもよりも少しだけ多く、スティナを頼った。
そうすれば世話焼きな彼女は案の定、嫌な顔一つせずライルを助けた。
そうしたら次は、いつもより少しだけ一緒にいる時間を長くした。それを続けていくうちに彼女とのパーソナルスペースはより狭まった。もちろん、彼女の両親との交流も増やした。
その次はさり気なく彼女に好意を表し、段々とその回数を増やして自分からの好意に慣れさせた。
じわじわと気づかれないよう、おかしく思われないよう少しずつ関係を変化させ、ライルは自分がスティナの隣にいることをより自然に見えるよう周囲に認識させた。
徐々に猫を被るのを辞め、スティナへの独占欲を顕にしたことで隣村に行った時の牽制も楽になった。
その分、彼女から叱られる回数も増えたは増えたがライルなりに一応の引き際は分かっていて、そのギリギリまでを攻めるために今まで大事になったことはなかった。
そうして何度か季節が巡り、元気でよく笑う女の子は蛹から蝶へと成長していくように聡明で強い少女へと変化した。
その隣にはいつもライルがいた。
もちろん彼自身も共に成長しており、より高い身体能力を手に入れていた。
スティナへの想いもより強く確固たるものになっており、一連の計画は全て彼の思い通りに上手くいっていた。
が、一つだけ全く予想外のことが起きた。
そう。それこそが水晶を封印するための旅だ。
彼の完璧な計画にただ一つだけ起きた誤算。
それがこの旅であり、これにより彼の計画は大幅に狂い始める。
この旅のせいで彼女はライルとの格差を感じ、そして彼を避けるようになった。
村に居れば決して起こりえなかった変化であり、流石の彼もそれに気づいた時はかなり焦った。
だがしかし、彼女がそのような行動を取りだした原因は元を辿ればライルを意識し始めたからだ。
所謂、結果オーライと言うやつだろう。
旅で新たに身についたこともあるし、初めて家族でも知り合いでもない、仲間と言える存在にも出会えた。スティナとの距離が近いのは癪だが、ライルはその男のことを彼なりに気に入っていた。
あの魔術師と聖女とかいう女二人を許す気は毛頭ないが、スティナと過ごす時間が減ったということ以外は特に不満もない旅だった。
◆◇◆
「勇者よ、よく水晶を封印し世界の危機を救ってくれた。褒美として勇者であるそなたにのみ、特別に我が娘と婚約する許可を与えよう」
「·····あ゛?」
が、最後の最後で帰ってきて早々こうしてスティナから引き離され、意味不明のことを言われるくらいならやっぱり旅になんて出なければ良かったと心の中で舌打ちをしてしまうライルだった。
国王の言葉でその隣に立つ十七、八歳程の女性が頬を染める。
恐らく話の流れから考えて国王の隣を陣取る女性はこの国の姫なのだろう。
白磁のように白い肌に形の良い唇、瞳はエメラルドのように透き通った翠色だ。気品溢れる立ち姿に整った容姿はなるほど、確かに一国の姫と言うには相応しい出で立ちだろう。
が、今のライルにとってはそんなこと全てどうでも良いことだった。
今、彼の頭を占めるのはただひたすらに早く戻ってスーの顔が見たいという想いだけだ。
なるべく刺激しないよう断って、さっさと帰ろうとライルが口を開くよりも早く、国王が次の言葉を紡いだ。
「元々、勇者と我が娘が婚約をするかどうかは協議中だったのだが、旅から帰ってきたところを見て娘がそなたなら結婚しても良いと承諾したのでな。まあ、田舎の出のようだが勇者である以上剣術の腕は確かであろうし、学は後から身につければよい。それに何より、そなたには国のトップとして相応しい華があるからな。娘もそなたの顔を気に入ったらしい」
「やだっ、お父様ったら。言わないでくださいまし」
ハハハと笑う父の横で娘が頬を赤らめながら文句を言う。
そんな和やかとも言える雰囲気の中でライルは完璧な微笑みを浮かべると口を開いた。
「失礼を承知の上で申し上げたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「うむ?なんだ、何でも言ってみるが良い」
「それでは大変、失礼ながら陛下。俺には既に心に決めた者がおりますゆえ、そのお話は辞退させて頂きたく存じます」
「·····なに?」
ライルの言葉に国王の雰囲気が一変した。
いや、国王だけでは無い。
部屋の雰囲気そのものが一気に息苦しいものになる。
「それは我が娘との婚姻を拒否するということか?」
「はい」
にこやかに頷いたライルに場は騒然とする。
幹部たちの中からは「ありえない」「大馬鹿だ」と声が上がり、軽くパニックが起き始めていた。
「皆さん、お静かに」
そんな中、凛とした声が響いた。
声の主はこの国の姫だ。
彼女は先程の照れていた様子はなんだったのかと思うほどこの場の誰よりも冷静にライルを見据えると柔らかく微笑んだ。
「そうですか、貴方様には想い人がいらっしゃったのですね」
「ええ」
「その方とは長い付き合いなのですか?」
「·····ええ。幼馴染です」
「それは素敵ですね」
再び柔らかく微笑んだ姫だったが次に「ですが」と口にするとその微笑みを引っ込めた。
「ライル様、よくお考えになって欲しいんです。その想い人という方はライル様の幼馴染ということは同じ村の方かなにかでございましょう?一方、私は一国の姫です。しかもこの国には私以外実子がいない。つまり私と婚姻したものは後に国王となることが約束されているのです」
「そうなんですか」
貴方のためを思って言っている、というオーラを出し彼を諭す姫に対してそれでもライルは一切微笑みを崩さない。
そんな彼の態度に姫の頬が引き攣った。
「わ、分かっているのですか?ライル様。貴方は今、選択するべき立場にいるのですよ?より大切なものを選ぶためにもう一つの可能性を切り捨てなければいけない時だってあるのです」
「ええ。ですから先程から俺はずっとその婚姻をお断り致しますと申しています」
相変わらず完璧な微笑みを浮かべたままでライルははっきりとした口調でそう言った。
流石にこれには今まで固まっていた国王も「我が娘の何が不満なのだっ!」と激昂した。
溺愛する可愛い娘が二の句もなく振られたとなればそれも仕方が無いことなのかもしれない。
が、それを窘めたのも姫だった。
どうやら父や幹部達と違い、かなり我慢強いらしい姫はもう一度微笑みを浮かべるとライルに一つのある案を提案した。
「それならば、致し方ありません。その幼馴染という方も共に城で暮らす選択肢を私が作りましょう」
隣で父がギョッとした顔をした。
それもそうだろう。今、娘がした提案は端的に言うと側室を作っても良いという宣言だったのだから。
普通、婚姻前にそんな話をする夫婦はいない。
「大丈夫です。私、きっとうまくやってみせますわ。そうすれば貴方様もどちらも手放さなくて済むでしょう?」
そう言って微笑む姫からは、なんとか勇者の願いを叶えてあげたいと言う感情よりかは、何としてでもこの見目の美しい男を手元に置いておきたいという欲が感じられた。
が、それに気づかぬ幹部達は「なんと素晴らしい方だ」と感動し、国王も渋い顔ながらも「お前が良いのなら」と許可を出した。それによって全ての物事はまとまりを迎えたかに思われた。
が、そこに水を差す声が一つ。
「失礼ながら、姫様」
この物事の当事者であるライルだ。
「なんでしょう?」
嫌なデジャヴを感じながら問いかける姫にライルは至極不思議そうに首を傾げた。
金髪がサラリと動く。
そのちょっとした動きだけで、その場にいたものは彼の漏れでる色気に当てられ、釘付けになった。
それ程にこの男は美しく、魅力的であった。
そして、その美しい男の口がゆっくりと開いた。
「先程から気になっていたのですが、何故あなた方は全員まるで当たり前のように俺が王の座を欲していることを前提に話を進めているのですか?」
数秒、部屋の時間が止まったかのように誰も何も言葉を発しなかった。
ライルの放った言葉があまりに衝撃的で何も言えなかったのだ。
「貴方は、まさか、王の座が欲しくないとでも·····?」
最初に口を開いたのは、質問を投げかけた姫当人だった。
「ええ。これっぽっちも」
ライルの言葉に姫が再び硬直する。
「し、しかし!!姫様と婚姻できるなど大変名誉なことで!!」
幹部のひとりが叫ぶように声を上げた。
「そ、そうだ!!通常なら一生かかっても貰えぬこれ以上ない褒美ではないか!!」
「もう決まったことなのだぞ!」
それに同調してまた一人、また一人と幹部達が声を上げ、喚き倒す。
ギャーギャーとうるさい空間でライルは「では、お聞き致しますが」と声を上げた。
そんなに声を張り上げた訳でも無いのにその声は部屋中によく通り、幹部達を黙らせた。
誰もがライルの言動を見張るように観察する中、彼は口を開いた。
「好きでもない人と結婚し、欲しくもない権利を得ることのどこが褒美だと言うのでしょうか?」
数秒後、再び凍りついた部屋に「·····は、はは」という気の抜けた笑い声が聞こえた。
声の主は国王その人だ。
彼は信じられないものを見るようにライルをまじまじと観察した。
「国王の座が欲しくないだと?そ、そんなこと、あるはずがない。強がりはよせ!
·····そうだ、きっとお前の故郷は田舎だからそんなことを言うのだ。貴様もいざここで暮らしたら今に王族に名を連ねたいと思うに決まっている!それにその幼馴染というやつもどうせ我が娘と違い大した能もない女だろ!きっと顔だって取り立てて可愛くもないに決まって―――」
ライルにしては、よく我慢した方だった。
話の通じない人間の集まりに、必要性のない話し合い。
そして、スティナから引き離されているというこの状況。
ストレスはあったものの、相手が国王だからと耐えていた。スティナに迷惑がかかると思っていたから。
だが、国王はよりにもよってそんなライルの地雷を踏んだ。
そう、この男。
地位にも富にも権力にも興味のないこの男は、幼馴染を貶されること、ただ唯一それだけが地雷であった。
国王のスティナを貶す言葉に、彼の今まで抑えていたものがプチッと音を立てて切れた。
ああ。もう、いいや。
興奮した国王が思いついた限り侮辱の言葉を口にしている最中、とつぜん部屋の中で風が吹いた。
そしてコンマの差でガッッと何かが刺さるような鈍い音がする。
部屋にいた者たちが慌てて音の正体を辿っているところに、「ひいいいっ」と国王の情けない声が聞こえてきた。
その声に反応し、そちらへ目を向けた幹部達は目ん玉が落っこちる程に目を見開いた。
なぜなら国王の喉元のすぐ近くについ先程まではなかったはずの剣が刺さっていたから。
幸い、喉元からは僅かにズレているようで剣はその後ろの椅子に刺さっているようだった。
だが、問題は誰がいつ、あのような状況を作り出したのか、だ。
幹部達は止まりそうになる思考を必死に働かせ、ある人物へと目を向けた。
その視線の先にいるのは、ライルだ。
彼の腰からはさっきまで腰に提げていたはずの剣が消えていた。
つまり、彼は国王とはかなり距離が離れているにも限らず、先程の一瞬で正確に国王の喉元目掛けて剣を投げたということになる。
2キロ程もある剣をまるで、ダーツの矢のように。
それに気づいた護衛達が咄嗟にライルを捕らえるために動こうとするが、何故かその身体は動かない。
何か見えない巨大な力に拘束されているように。
どうやら幹部も同じ状況になっているようで、誰もが不自然に動きを止める中でライルだけが国王に向かって真っ直ぐに歩を進めてゆく。
その瞳の色彩は赤黒く、瞳の中で金色の火の粉が飛び交っていた。
悲鳴をあげようにも喉が引っ付いて声さえ出ない。
そんな中、近づいてきたライルは先程の笑みが嘘のような無表情でなんの躊躇いもなく国王の胸倉を掴んだ。
姫が随分青ざめた様子でライルを見ていたが、彼はそれを気にもとめない。
「いいか、よく聞け。俺は富も名誉も地位も名声も何もいらない。だからお前の娘と結婚することは無いし、この先城に来ることも二度とないだろう」
ライルの威圧にやられた国王はコクコクと頷くことしか出来ない。言葉の一つ一つになにか不思議な力があるように声を聞いただけでも全身から力が抜け身体が竦む。
「だが、もしもこの先。国によって俺達に何らかの害が与えられるなんてことがあったなら、俺はすぐにでもこの国を滅ぼす」
元々、この男が水晶を封印する旅に出たのだって別に世界を救いたかったから出た訳では無い。
ただ、スティナが世界が滅ぶのは嫌だと言ったから旅に出ようと思っただけだ。
あの村さえ残れば、あとはこの国全てが滅んだところでライルの知ったところでは無いのだ。この男は恐ろしい程にこの国に未練なんてものはない。
それに、国を滅ぼすなんてとんでもないことはどう考えても一人で出来る芸当ではないのに、この男が言うと本当に成し遂げてしまいそうに思えるのは何故なのか。
国王は必死に、ただただ命乞いをするように首を縦に動かした。
「俺はただ、彼女と二人ひっそりとあの村で生きていければそれでいい。褒美も報酬も要らない。その代わり、俺達の情報の一切を決して外部に漏らすな。情報の漏洩が判明した時は然るべき手段をとらせてもらう。分かったな?」
「は、い」
「お前らが約束を違えないことを祈っている」
ようやく国王の喉から出た声は酷く掠れており、先程までの威勢はすっかりと萎んでいた。
ガタガタと震える国王を一瞥するとライルはそこでようやく国王の胸倉から手を離すと出口へと向かう。
部屋を出る直前、何気なくライルが振り返るとバケモノを見るような目で自分を見る幹部達と目が合った。
それに対してなにか感情を抱くこともなく、彼は前へ向き直るとその後、二度と振り返ることなく部屋を出た。
◆◇◆
部屋から出るなりライルは自分の持てる最高速度でスティナ達の待つ部屋へ到着した。
ガンッッ!と勢いよく扉を開けると驚いた顔のスティナとアドルフと目が合う。
目を丸くしてこちらを見るスティナを見つけた瞬間、ライルは自分の中から怒りや苛立ちがすっと引いていくのを感じた。
うん、驚いた顔も可愛い。
これ以上この城に用もないし、いらぬ揉め事に巻き込まれても面倒だしもう帰ってしまおうとスティナの腕を取ると彼女から国王からの話はどうしたのか、と聞かれた。
それによって先程の嫌な記憶を思い出して無意識に眉を顰めてしまう。
それに「聞く価値もなかった」と返してから、ライルは未だに椅子に座ってぽかんとしているアドルフに視線を向ける。
「アドルフ、取り敢えず後で連絡するから。今はスーを貰ってく」
「え、お、おう·····?」
アドルフが頷いたのを確認すると、ライルはスティナを連れて部屋を出た。
その後、スティナから色々と文句を言われながらも二人は無事、空間魔法で村へと帰還した。
実に四年ぶりに帰った村を見て隣で突然スティナが泣き始めた時は非常に焦ったが、その涙が嬉し泣きによるものだとわかるとライルは心からホッとした。
そして同時にやっぱり彼女には敵わないとも思う。
いくらライルが綿密に計画を立てたところで、結局のところ全てはスティナ次第なのだ。
スティナはよく「ライルはいつも予想を超えてくる」と言っているが、ライルからしたら彼女だってそうだった。
悪魔を滅した時も、水晶を封印した時も、空間魔法のことも、ライルのした事は全てどう考えても人間業ではなかった。
彼自身、自分がバケモノであると自覚している。
いくら見目が美しかろうが、自分のこの能力は恐怖され、軽蔑の視線を向けられてもおかしくないものだとライルは知っている。
しかし、それでも彼女は変わらない態度でライルに接し続ける。
いつもと何一つ変わらない微笑みを向けてくれる。
臆することなく叱ってくれる。
普通の人間と同じように心配してくれる。
それがライルにとってどれほど嬉しいことだったかをきっと彼女は知らないだろう。
ライルが彼女の言動一つ一つに振り回されていることを、彼女は知らないだろう。
彼女が欲しくてたまらないから、彼女を失いたくないから、ライルは願うしかないのだ。
どうか、どうか、俺のところまで堕ちてきてくれと。
どんなに必死になって計画を立てようと最後に選ぶのは、結局彼女なのだから。
ねえ、スー。
君は俺のこの感情をただの執着だと思いこんでるみたいだけど恋と執着なんて紙一重だろう?
恋から始まる執着だってあるんだよ。
愛しい愛しい幼馴染が自分の元まで堕ちてくるその瞬間を待ちながら、ライルはスティナの頭をそっと撫でた。
「·····ねえ、ライルは男の子と女の子、どっちが良い?」
「どっちでも良いよ。スーが無事なら、どっちでも」
「ふふ、ライルのそんな深刻な顔久しぶりに見たかも」
「·····笑い事じゃない」
「ごめんごめん、いじけないで。アドルフにも報告しないとね」
「·····うん」
小さな村で新しい小さな命が生まれるまで、あと少し。




