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【本編完結】マッシヴ様のいうとおり  作者: 縁代まと
第一章

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第8話 愛車追懐

 威圧を目的とした豚のような鳴き声はとても耳障りなものだった。


 魔獣はよほど自分の力に自信があるのだろう、伊織たちに気づかれないように襲うどころか常に目立って威圧しようとしている。

 岩を蹴って飛びかかってきた魔獣は大きく響く声を上げながら静夏を巨体の下敷きにした。


 一番弱い個体ではなく、一番近い個体を襲うという驕りと怠慢。

 そんな狩りのやり方でも今まですべて成功してきたのだ。


 それだけこの魔獣にとって人間は脆く、自身は強く頑丈だった。

 しかし砂煙が収まり他の人間の顔が見えるようになって魔獣は違和感を抱く。


 老いたひとりは恐怖に染まった顔。よく見る弱い人間の顔だ。

 更にもうひとりは怯えを含みながらも様子を見ている顔。

 なぜ逃げるより観察を優先するのだろう。

 最後のひとりは僅かに唖然とした顔。

 そう、僅かだ。そこに怯えも畏怖もない。


 それは魔獣にとって初めて見る表情だった。

 人間は自分を見てこんな顔もできるのか、と不思議な感情を抱いていると突如視界がぐらりと傾く。

 慌てて踏ん張ろうとするも四肢が地面につかない。


 なぜ? 地面がない?


 見ればスカスカと空振りを続ける四肢の下に地面はあったが、今やそれは届かない位置にあった。

 何者かが下から巨体を持ち上げている。

 こんな状態では突進もできなければ自慢の牙で貫くこともできない。


 明らかに混乱に陥った魔獣は抵抗虚しく空高く放り投げられ――


「はあァッ!!」


 魔獣にとっては小さな、しかし逞しい拳に殴り飛ばされてバラバラになった。

 断末魔はやはり、耳障りな声だった。


     ***


「ああ、ああ、よかった! マッシヴ様が潰されてしまった時はどうしようかと!」

「心配かけたな、あれは地面に埋まっていただけだ」


 魔獣を屠り、拳を拭きながら戻ってきた静夏は無傷な姿を馬車屋の店主に見せる。

 心底ほっとしている店主は完全におじさんだったが、やはりこの中の誰よりもヒロインのような表情をしていた。


 ファンや信者はこうやって増えていくんだなと思いつつ伊織も内心ほっとする。

 母がどうにかしてくれると確信していたが、埋まってしまった時は少し焦った。


「す、すごい、これが聖女マッシヴ様の力……」


 初めて静夏の一撃を目の当たりにしたリータは先程の光景を目に焼き付けて覚えようと必死になっていた。


「リータの里の魔獣退治にも役立てそうだろうか?」

「もっ、もちろんです! 荒れ狂う魔獣は巨岩をも砕くと言われていますが――」


 リータは少し離れた地面を見る。

 地面も固い岩だが、そこにぽっかりと静夏の埋まっていた穴が開いていた。

 その頑丈さに加えてさっきのパンチ力である。リータの予想が当たっているなら、静夏も簡単に巨岩くらいは砕けそうだった。


「……マッシヴ様ならきっと倒してくれると確信しました!」


 ならよかった、と静夏はこくりと頷く。

 そしてそのまま店主へと向き直った。


「店主よ、魔獣を退治した報告は早いほうがいい。騎士団に無駄足を踏ませてはならないし、他の住人たちにももう安心して通れると早く知らせてやらねば」

「しかしまだ目的地は……」

「そこで相談なのだが」


 静夏は荒ぶっている馬の手綱を引き、その胴に優しく触れる。

 それだけで馬はぴたりと大人しくなった。


「馬を一頭だけ借りたい。もちろん世話をし、後ほどきちんと帰すと約束しよう」

「残りの一頭で私が街へと戻って皆に知らせる、ということですか?」

「うむ。商売道具と離れ離れになるのは不安かもしれないが……」


 不安などありません! と店主は食い気味に言った。

 そして煌めく瞳に静夏を映して一歩前へと出る。


「その大役、お任せください!」

「……! ありがとう」


 静夏はそのまま馬を一頭引き寄せ、そしてそれを伊織とリータに近づけた。

 馬の鼻息を感じて伊織は目を瞬かせる。


「伊織、リータ、ふたりでこの馬に乗ってくれ」

「っえぇ!?」


 仰天した伊織は馬と静夏を交互に見た。

 乗馬経験はない。バイクと同じようなものなら乗れるかもしれないが、そんなはずないだろと自分でツッコミを入れられる程度には現実味のない話だ。

 しかもふたり乗りともなると未知すぎる。


「マッシヴ様は……?」

「私は徒歩で並走する。この方法ならふたりが呼吸をできないということもないし、私も加減する練習になるだろう」


 なるほど! とリータは納得したようで、早速馬に跨ろうとした。


 休憩もしやすく、もし不意をつかれて魔獣が出た際もすぐに動けるからと馬車を選んだが、脅威が去ったのなら馬だけで駆けたほうが早い。

 伊織が乗り慣れていないのが問題だが、ここからリータの故郷までの距離ならどうにかなるのではないかという算段だ。


 そうわかっているものの、狼狽えながら伊織は馬の鞍を見る。


 足を掛ける部分があるが、乗る時も真っ先にそこへ足を置くのだろうか?

 体を引き上げる時はどこを持つのだろう?

 馬の体に直接触れたら怒るだろうか?


 そう目を白黒させていると、ヒョイと馬に乗ったリータが手を差し出した。


「イオリさん、どうぞ」

「あ……す、すみません」


 リータの乗る位置は前。伊織は後ろ。

 聞けば森に暮らすエルフでも運搬目的に馬を使うため、リータのように乗馬技術を持つ者は多いのだという。鞍に跨る様子はさまになっていた。


(僕が手綱を握る前提で考えてたけど、そうだよな……うん、そうだよなぁ~……)


 伊織は目を伏せて決意する。

 いつかちゃんと馬の乗り方を勉強しよう、と。


     ***


 馬に乗るだけでも想像以上に体力を使うのだなと伊織は思い知った。

 ただしリータが思いのほか荒々しい乗り方をしていたというのも原因のひとつかもしれない。

 馬と並走していた静夏がついつい追い越しそうになり、それが良いスパイスになってリータもスピードを上げたことで無意識にヒートアップしてしまったのだ。


 地面にへたり込んだ伊織にリータはぺこぺこと頭を下げる。


「すみません、すみません、馬慣れしてない人を乗せてこんな走り方をするべきじゃないってわかってたのに! 私はなんてことを……!」

「い、いや、むしろ体力がなくて申し訳ないっていうか、ははは……」


 道中で夜を迎え、三人は木陰で野営することになった。 

 もっとも疲弊しているのは明らかに伊織で、足だけでなく体を支えるために負担がかかっていた背中と腕も早速筋肉痛に襲われている。ぼろぼろだ。


 もちろん伊織もベタ村にいた一ヶ月の間に体力作りをしようと鍛えたつもりだったが、まだまだ付け焼き刃だったようだ。

 筋肉痛のだるさと痛みを感じながら、伊織は星空を眺めて小さくため息をつく。


(情けないなぁ……ああ、もう一度だけ愛車に乗りたい……)


 買ってからほんの少しの間しか乗ることができなかったバイク。

 馬に乗る際にイメージした影響か、あれからついついバイクとの蜜月を思い返してしまう。走ることは楽しく爽快で、それを思うとリータがヒートアップした気持ちもわかる気がした。


 馬の走る速度は自動車に近い。

 故にもしここにバイクがあっても悪路と相俟って後れをとっていたかもしれないが、夢想するくらいはいいじゃないかと伊織は思う。


 明日が早いこともあり、その夜は食事をとってすぐに就寝した。

 眠りに落ちた後の暗闇の中――久しぶりにエンジンの音を聞いて心が躍る。


(あっ、珍しく普通の夢だ)


 夢を見ることは稀な伊織だったが、バイクのことを考えていたからだろう。

 薄ぼんやりとした景色の中で存在感を放つ愛車を見つけて駆け寄り、嬉しくて堪らない気分になりながら車体を拭いてやる。

 初心者が乗るには大きな車体は拭き甲斐があった。


(……意外と覚めないな?)


 ここが夢の中だと自覚しても醒めないことに気がつき、伊織はこれ幸いとバイクに跨って草原を走る。

 念のためヨルシャミの姿を探したが、流れていく景色にその姿はなかった。

 高速で移り変わる景色の中には日中に苦労して馬で駆けた道、見たこともない真っ黒な道、走り慣れた故郷の道など様々な場所が見える。


 バイクは悪路などものともせずにぐんぐんと進んでいった。


 ――ああ、こいつも連れて来れたらよかったのに。


 そう心から思っていると、前方に眠りについている自分たちの姿が見えた。

 三人とも眠っている。

 本来なら静夏が見張りをしているか、近寄ればすぐ気配を察知して目覚めるはずだが、それでも微動だにしないということは本当に夢なのだろう。


 そんな時――地平線から朝日が顔を覗かせ、伊織は夢が終わることを察知した。

 名残惜しいが目が覚めてしまう前に伝えるべきことがある。

 伊織はハンドルやメーター、バックミラー、ヘッドライトなどを目に焼き付けるように見つめながら口を開いた。


(夢に出てきてくれてありがとう、また会おうな)


 なぜかさよならと言う気にはなれず、バイクをひと撫でしてから地面に降り立つ。

 すると初めのようにひとりでにエンジンを吹かす音がし、一回だけクラクションが鳴った。


 さあ見送ろうか、と思ったところで伊織は自分が何かを握っていることに気がつき、ぎゅっと閉じていた手を開いて見下ろす。

 そこには外した覚えのないバイクのキーがあった。


「え、これ」


 視線を上げる。

 そこにバイクはない。


 ――気がつくと朝日に顔を照らされて目が覚めていた。

 自然な目覚めに見えたのだろう、静夏がにこやかに挨拶をする。


「おはよう伊織、……どうかしたか?」

「お、おはよう。なんでもないよ」


 ヨルシャミの夢を見た時に似ているが、どうにも違う気がした。

 だがしかし普通の夢でもない、そんな気もする。


 伊織はそうっと手のひらを見下ろす。

 ――バイクのキーはなく、手のひらの下で腕輪だけが朝日を反射していた。

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